2016.3.8 06:41/ Jun
ここ3年間くらいですが、何を隠そう「合気道」を習っております。
あまりにも多忙で行けないことも多く、「習っている」と公衆の面前で申し上げることに少し気が引けますが、ここでは「愉しみながら、趣味程度に取り組んでいる」とお考え頂ければと思います。
合気道を僕が習う理由ですが、いくつかの理由があります。
子どももやっているので、共通の話題ができてよい、というのが最たる理由。二番目は、たまに身体を動かしたいというもの。
三番目には、合気道のなかには、僕の仕事に通じると思われる考え方が、含まれていて、それを考えながら学ぶことは、実は愉しい、ということです。
最後の三番目の理由は、僕の仕事に根ざした理由になるので、どれだけ一般性があるかどうかわかりませんが、今日は、これについて書いてみましょう。
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例えば、合気道には他の武道と同じように「型」というものがございます。
最初のうちは、この型というものをひたすらに練習するのですが、昨日、師匠に伺いましたところ、この型というものも、少しずつ変化を遂げている、とおっしゃるのです(師匠はたまにこうしたお話をしてくださいます、心より感謝です)。
下記は師匠から伺ったお話の受け売りになりますが、これを今日はご紹介させていただきましょう(ご迷惑になるかと思いますので、お名前は差し控えさせて頂きます)。
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合気道を習う生徒の方からすると、「型」は不変と思われるので、それ自体に変化があることがあまり解せないのですが、師匠曰く、それはいくつかのモーメントで変化している、といいます。
まず第一に「合気道を実践している / 習う人」の身体の大きさが、時代をへるごとに変わってきているので、型が「変わる」。
平均身長が160センチー170センチであった時代と、それ以降の時代では、微妙に型に変化が生じます。
次に起こるのは、「合気道を実践している / 習う人」の目的によって変わるです。
すなわち、合気道で習ったことを実践にいかしたいと願う人と、型をまなび身体を動かしたい、と願う人々がいれば、その型自体にも変化が生じる、ということですね。
合気道には流派が存在し、流派によっては、前者に重きをおく流派と、後者に重きをおく流派があります。ということは、集団としても、伝承される型に変化が生じる、ということです。
最後に言えるのは「コンテキスト」によって変わるです。
これは合気道が生まれた時代は、剣術などが今よりも盛んな時代でした。合気道のいくつかの技は、剣術のコンテキストにおいて生み出されているものも少なくないといいます。
しかし、現在は、剣術をたしなむ人は、以前よりは減っております。かくして、現代というコンテキストにあわせて、型も変化する、ということになります。
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今日はわたくしめごときが、茶帯の分際で、合気道を語ってしまいました(笑)。まことに恐縮です。
でも、こうして書いてみると、「型」というものの伝承において、何がそのまま変化なくそのまま継承され、何が棄却されるか、という観点からも、非常に面白いものがあります。合気道をやりながら、不謹慎ですが、僕は仕事のことや研究のことを考えてしまうことがあります。
くわえて、合気道は、相手の力を利用たり、ひきだしたりして、防御を行う武術です。このあたりも、たとえば、ファシリテーションやコーチングに通じる考え方なのかなとも思います。
なかなか本腰が入らないダメダメ学生なのですが、自らが「教員」の立場をおりて、学び手になる時間をもつことは、僕にとって非常に貴重な時間です。末永く続けていきたいと考えております。
そして人生はつづく
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