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2015.10.28 06:31/ Jun

「知的暴れん坊」と「知ることの功罪」!?

 知りすぎるくらいに、物事に精通していなければ、「専門性」を築けない
 一方で、
 何もかも知りすぎているがゆえに、革新的なアイデアがでない。すなわち「イノベーション」が生まれない
 知識社会を生き抜くとは、まことに難しいことだと思います。
 今日のお話しは「知りすぎること」には矛盾があるよ、というお話です。
   ▼
 前者に関しては、領域にもよりますけれども、専門性の中核をなすような知識やスキルが、高度化して、さらに知識の量も増えているからです。
 しかも、そのアップデートの速度ははやく、最先端に通じている状態を確保するだけでも、大変な労力です。
 「専門性」といわれるものを確保するということは、「学び続けること」に腹をくくることです。しかし、時代は、そうした高度な専門性を確実に人々に求めていくのではないかと思います。
  ▼
 しかし、一方で、それなのに、物事に精通し、専門性を確保できているだけでは、「継続的な収益」をあげつづけられないことも、また事実です。
 領域にもよりますが、時代は、イノベーションとよばれるものーすなわち、「これまでのゲームのルールを無化してしまうような革新的なアイデア」を人々にもとめます。
 「これまでのゲームのルールを無化する」とは、「これまで定石と考えられていたやり口」「かつては勝ちパターンと考えられてきたモデル」とは、いったん「距離」をおいて思考をすすめる知的態度です。
 これが先ほどの「高度な専門性」と矛盾しなければよいのですが、おうおうにして、これが矛盾する場合があります。これが「知りすぎること」の功罪です。
 何もかも知りすぎているがゆえに
   革新的な思考ができない
     イノベーションが生まれない
 その最大の理由は、
 「知りすぎている」からです。
 物事に精通し、「知りすぎ!」と言われるくらいになれば、さまざまな思考が「自動化」してきます。
 そして、さまざまな物事を「勝ちパターン」や「定石」、専門性に裏打ちされたパラダイムや方法論に、あてはめて考える傾向が強くなります。物事をしっているがゆえに、そうした高度な類推が可能になるのです。
 しかし、それは「これまでのゲームのルール」においての思考です。革新性とは、「これまでのゲームのルールの範疇」において物事を考えることではなく、それを十分諒解し、分析し尽くしたうえで、それをいったん「飛び抜けて」、「これまでのゲームのルール」に「ちゃぶ台がえし」をくらわし、新たにゲームのルール自体をつくりあげなければなりません。
 かくして
 時代は「知りすぎる」ほど専門性を高めることを人々に求め、一方で、革新的なアイデアを生み出すべく「知りすぎないこと」をもとめます。
 正確には、物事を相当程度知った上で、そこには安住せず、これまでのルールにちゃぶ台をひっくりかえすことをもとめます。
「知的専門家」であり、「知的暴れん坊」であれ!
 これが、今の時代の「最大の矛盾」のひとつではないかと思いますが、いかがでしょうか。
 ちなみに、単なる「暴れん坊」じゃ困るんですよ。。。
 それ、単なる「無法者」。。。
 「知的」が頭につくのよ。
 「暴れん坊」じゃなくて、「知的暴れん坊」じゃなければダメなんです(笑)
 ▼
 今日は朝っぱらから濃いことを考えました。しかし、最近、いろいろな局面で「知りすぎること」の功罪を感じます。
 いろんなことの全体像がわかりかけてきたな、と思った頃
 周囲から、自分に、エキスパートのレッテルがはられはじめた頃
 物事が自動化しはじめ、最近、仕事をこなせるなと感じ始めた頃
 もしかしたら、あなたは「知りすぎて」きたのかもしれません
 自戒をこめて
 そして人生はつづく 

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