2015.7.31 05:54/ Jun
「先生、僕たち、プレゼンって、最近、あんまりやらないんですよ。最近の学会は、若手はポスター発表ばっかりだし。プレゼンできるのは、エライ人だけです。
ポスターって楽なんですよ。来た人に、日常語で説明するだけだから。でも、プレゼンって、舞台にあがって、大勢の前で発表しなちゃならないじゃないですか。さすがに、くだけた言葉では話せないし・・・」
ちょっと前のことになりますが、このセリフは、今期、東大の大学院生の方々にプレゼンを教えていたときに、大学院生のある方が、漏らした一言です。
ICレコーダをもっていたわけではなく、手書きのメモが残っているだけなので、一言一句同じではないですが、ほぼそれに類することを発言なさっていたように思います。
本学には、東京大学フューチャーファカルティプログラムという大学院生に「授業力」を獲得させる全学プログラムがあります。
東京大学フューチャーファカルティプログラム
http://www.todaifd.com/ffp/
僕は、その模擬授業の会に、「大学院生のプレゼン」にフィードバックをする役割で授業を一部受け持っています(日常は同僚の栗田さん、吉田さんが担当してくださっています)。このセリフは、とても印象的な一言だったので、メモにとって記憶していました。
最近は、大学院生、プレゼン、やらないのか。。。
分野にもよるとはおもうので、一概には言えません。
が、しかし、分野によっては、確実に時代が変わっているんだな、と思いました。
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昔話をいたしますと、僕が学会にデビューしたての頃は、まだパワーポイントでプレゼンをするなど一般的ではなく、OHPでの研究発表でした。
(皆さんのデビュー戦はどうでしたか?)
学会前になると、研究室の大型プリンタに透明なOHPシートをしかけて、発表の印刷したことを思い出します。
発表前日は、発表練習最中に、OHPシートの中に変えたくなる文言などを発見するものの、もう印刷し終わっているのでどうしようもなく、「えい、どうにでもなれ」と開き直ることもありました。考えてみれば、発表5秒前まで、プレゼンを修正できる今と、印刷してしまったら開き直るしかない昔では、どちらが気楽で幸せだったかはわかりません。
思い出すに、当日の発表は、緊張して、そのOHPシートを「ぶちまかさないこと」だけ心配していました。
床に散乱して、順番がわからなくなったOHPシートを前に茫然自失になることほど、悲惨なことはございませんので。過去、そういう「悲劇」を何度か目撃しておりました。
(皆さんのなかに、OHPシートぶちかましを経験なさった方はいらっしゃいますか?)
それが時代は過ぎ・・・いつのまにか、どの発表会場にもプロジェクターが準備され始めました。
発表は、あれよあれよ、という間に、OHPからパワーポイントやキーノートにとってかわられました。
先輩の研究者のなかでプレゼンテーションに長けた先達の発表を聞きにいっては、その技術を自分のものするべく、徹底的に観察させていただきました。
一緒にプロジェクトやセッションやワークショップをご一緒させていただくなかで、先達の先生方の発表と自分のショボショボプレゼンの差異が際立ち、なんとかしたいと思っていたようにも思います。
僕のプレゼン技術は、同僚の山内祐平先生(東大教授)、堀田龍也先生(東北大学教授)、上田信行先生(同志社女子大学教授)、金井壽宏先生(神戸大学教授)から、学ばせて頂いたものが非常に大きいと思っております。断りもなく勝手に学んだ、というのが事実でしょうが。。。本当にありがとうございます。
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そして時代はすぎて、僕の研究領域でも、ポスターセッションが導入されました。ショートのプレゼンをやるよりは、ポスターの方が直接お客さん(他の研究者)からコメントをもらえるのでよい。またたくさんの発表者を大量に裁くことができる、というのがメリットだったように思います。
分野によるとは思いますが、せんだっての大学院生が述べるように「若手はポスター」という枠組みができあがっている研究領域もこの頃あたりから、あるのかもしれません。
(皆さんの学会ではいかがですか?)
かくして、大勢のはじめての人の前でプレゼンをする機会が大学院生から失われていったのかもしれません。
もちろん、研究室内ではプレゼンはするんでしょうけど、いわゆる大教室で、大勢の見知らぬ人を前に語る技術の習得が難しくなったのかな、と勝手に妄想します。
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今日は大学院生とプレゼンテーションについて書きました。
今の時代、分野によっては、大学院生のうちにプレゼンテーションを練習する機会が失われるのだとしたら、やはり、大学の教壇にたつ前には、それらを前もって習得する機会を持った方がよいようにも思います。
さらにいうと、研究のプレゼンテーションと授業は、また違います。研究のプレゼンテーションとは、「聴衆は研究者であり、わかる人」ですが、授業は「聴衆は、学問の入り口にもまだはいっていない学生」であり、そのモティベーションや知識はさまざまです。
ワンセンテンスで述べるならば、授業で求められるのは、「わかる人」を想定したプレゼンテーションではなく、「わからない人」を想定した情報提供です。これも、やはり練習が必要だと僕は思います。
最後に余談ですが、僕がまだ大学院生だった頃、15年前というのは、学会によっては、「原稿用紙を目の高さに両手でもって、そのまま朗読する」という学会発表を、時折、目にしました。
僕は、このスタイルの研究発表を「朗読」と読んでおりましたが、「朗読」は、いまなお、続いているんでしょうか。朗読が悪いと申し上げたいわけではありません。たぶん、人文社会系だと、そちらの方がメインのような気もします。
もし自分の所属する学会が、やれポスターだ、やれプレゼンだ、というのであれば、ひとり「朗読スタイル」に徹するというのも、なかなか渋く、新鮮で、クリエィティブだなと勝手に想像してしまいました。
僕も、もうプレゼンをやめて、
今度、どっかのフォーラムで「朗読」しようかな(笑)
そして人生は続く
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