2014.6.24 08:27/ Jun
先だって、ある企業(数千人規模の企業)の社長Tさんに、自らのキャリアプロセスを振り返りながら、お話を伺う機会を得ました。
この機会は、Hさんがファシリテータになり、T社長に自分のキャリアを振り返ってもらいつつ、「経営者になる(To Become a Excutive)」ということがどういうことかを、次世代を担う若手管理職に考えてもらう会でした(このような場に参加させて頂く機会を与えて下さったHさんには、非常に感謝しております。ありがとうございました)。
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T社長のお話は、どれも興味深いものでしたが、後でお話を伺っていて
、特に印象的だったのは、下記のひと言です。
「(社長になるにあたって前社長からの)引き継ぎは、2時間ですよ。社長になったばっかりのときは、まったくわかんないですよ。これは、これでとか、あれは、あれでとか(前社長からの)説明を(2時間で)受けて、あとは、おまえなら大丈夫だよ、じゃあな、で終わり。
(中略)
結局、ナンバー2(No.2)っていいんですよ。最後は、社長どうしましょうって(意思決定を)ぶん投げられるし、そんなんでいて、権限もある程度はあるから、この件、ああ、わたし、決めときましたって言えるし」
ICレコーダーを持っていたわけではないので、一字一句同じではないですが、T社長のお話の中で、もっとも印象的だったのは、このひと言でした。
近刊・拙著「駆け出しマネジャーの成長論」で、僕は、「駆けだしたばかりのマネジャー」の見る風景が、「実務担当者のみる風景」とはいかに落差があるかを書いたつもりです。
しかし、この物語には、まだまだ、まだまだ「その先」がありました。そう、「マネジャーの見る風景」と「シニアマネジャーの見る風景」、そして「経営者 / 社長の見る風景」は、おそらく、相当の落差があるということです。
Tさんのお話は、「社長の見る風景」という言葉は使いませんが、その風景の「すさまじさ」を示唆します。「最後は、社長どうしましょう?」と言える「ナンバー2」は、おそらく「社長の見る風景」とは相当に異なっているのでしょう。
「社長の見る風景」が何かは、今の僕にはまだわかりません。
しかし、この風景を明らかにすることに、近い将来、チャレンジすることになるんだろうな、と朧気ながら、しかし、はっきりと感じていました。
我が人生・・・
あの山を登れば、海が見えると思ってきたのに
あの山を登れば、未だ、次の山しか見えません。
そして人生は続く
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