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2013.3.26 06:30/ Jun

大人に必要な「ひとりの時間」:”はらっぱ”化する日常と、失われゆく”すみっこ”

 最近、僕がかかわる研修・ワークショップの中で、わりと好んでよくやる活動になったのが、「沈黙の時間」、すなわち「セルフリフレクション(Self reflection)」です。
「参加者一人一人が、独りになって、じっくりと考える時間」を以前よりも、かなり多くとるようになりました。
 やれ、グループワークやら、やれ、ディスカッションやら、やれインプロやら、やれ、アートワークやら、研修は、よくしゃべり、動くことが多いと思います。それ自体がいいとか、悪いとかいうつもりは毛頭ありませんし、多種多様な活動を通じて、自分の考えを「外化」することは、大切なことであると思います。
 しかし、一方で、だからこそ、その日の最後には、「独り」で自分と向き合い、経験したことや考えたことを「整理」したり「統合」する時間をとるようになっています。
 以前は、わりとそのことを意識していなかったのですが、最近は、よく意識するようになりました。
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 ワークショップの中の「孤独な時間」
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 印象的だったのは、2月に行った学会のワークショップに参加なさった方からのひと言です。そのときも、僕は、「セルフリフレクション(Self reflection)」の時間を比較的ゆっくりとったのですが、
「あの時間は本当に助かった・・・あの時間に、(考えを)整理できなかったら、わたしは、大量の情報で、ショートしていた」
 という趣旨の言葉をいただきました。非常に興味深いことです。ご参加いただきありがとうございます。
 先日は、学会のワークショップで、しかも新規な内容に出会うことが多いものでしたので、こういう思いをお持ちになるのも、なおさらなのだと思います。あんだけ、コミュニケーションと活動に巻き込まれていけばね・・・あたりまえですよね(笑)。
 経験的に、30分から45分、贅沢にできる場合は1時間程度、そのような時間をとることにしています。「場所は、自分の好きなところで、御願いします」と「場所」をかえることも、よくあります。
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 面白いもので、そういう時間をとることは、意外に、主催者側やファシリテータ側からみると、少し「恐怖」を感じる瞬間でもあるようです。
 この話をした、何人かの実務家の方々は、「沈黙ですか・・・怖いですね」とおっしゃっていたのが印象的でした。
 そのおっしゃりたい趣旨はよくわかります。
「セルフリフレクションといいつつ、ハナク●ほじりながら、(参加者は)寝ちゃうんじゃないだろうか」
「セルフリクションといいつつ、みんなが黙ってしまうことになるので、雰囲気が悪くなっちゃうんじゃないだろうか?
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 など、種々の「懸念」がわいてこられるようです。よくわかります。
 前者に関しては、まー、しかし、そのようなことは、経験上、あまりないな、というのが僕の印象です。また、万が一、そうなったとしたら、そうなったで、腹をくくってもいいのかもしれません。
 一日人と話したり、活動をした後なのですから、そういうことも、ままあるだろうな、と思うのです。
 ま、もちろん、ひとっ風呂あびられて、本格的に布団をしいて、いびきかかれると困っちゃうんですけれども(笑)。
 ま、そりゃ、ないね(笑)、みんな大人だもん(笑)。
 後者「みんなが黙って雰囲気悪くなるんじゃないか」の方は、
 「沈黙=場の雰囲気が悪い=悪」
 「人がしゃべっている=場の雰囲気がよい=善」
 という二交対立図式が、そうした認識の背景におありになるのかな、と思います。よくわかりますし、共感できます。
 しかし、かえって、一方で、この「二交対立の図式」やそれにまつわる「規範」は正しいのかどうなのかを、自問してみる必要性があるかもしれません。
 まー、皆が、朝っぱらから、黙りこくって、無音が続くような場なら困るのですけれども、いっとき、沈黙が支配したからといって、それほど、クリティカルなものではないのかもしれません。「意味の創造」「意味の統合」のためには、独りになることも、また必要なことかもしれませんが、いかがでしょうか。
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 研修やワークショップとは、少しお話がズレますけれど、この問題、こうも考えられる気がします。
 そういう場のみならず、現代という時代を生きるわたしたちの生活自身が、常に「他人とのコミュニケーション」に支配され、常に「他人によって見える化」され、「他人とのリアルタイムな活動」に終われています。
 こんな時代に生きている私たちだからこそ、本当は、そういう日常こそを「異化する時間」、敢えて「独りになれる時間」こそが、もっとも「贅沢な時間」なのかもしれないな、と思ったりします。
 そういえば、今から15年近く前ですが、ある実務家の先生が、こんなことをおっしゃっていました。
 子どもに必要なのは
 みんなで遊べる「はらっぱ」
 独りになれる「すみっこ」
 今、世界は、すべてが見通しのいい「はらっぱ化」にしています。「フラットで、グローバルにひろがる、均質な”はらっぱ”」。それがよいことかどうかは、また別のところで語ることにいたしましょう。
 しかし、そんなときにこそ、「すみっこ」が欲しい。
 大人においても、「すみっこ」での「独りの時間」、「自分と向き合い、考える時間」を大切にしたいものです。
 皆さんには「はらっぱ」と「すみっこ」、ありますか?
 そして人生は続く

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