2012.7.5 08:55/ Jun
先日、コクヨさんの雑誌「WORKSIGHT」の取材で、法政大学・長岡健先生と対談をする機会を得ました。
対談の中身は、雑誌のテーマである「創造」から「コミュニケーション」「ワークプレイス」まで多岐にわたったのですが、個人的にもっとも印象的だったのは「ハイパフォーマーのビジネスパーソンの方々の語り中に、よく含まれる”たまたま”という用語」についてです。
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長岡先生から
「仕事ができる人ってのは、よく”たまたま”という言葉を使います。なぜ、あの仕事がうまくいったんですか? と聞くと、それは、あのときは、”たまたま”・・・いろんな機会が・・・・重なってうまくいったんですよ・・・という具合に」
という問題提起がありました(ICレコーダを使っているわけではないので、上記の語りは完全なものではないことを申し添えておきます)。
先生の問題提起は、「まさに我が意を得たり」、という感じで、僕自身もいつも感じていたことでした。
といいますのは、ハイパフォーマーのビジネスパーソンの方々に、インタビューをさせていただき、それを一部テキストおこしなどいたしますと、テキストに「たまたま」がよく含まれるのです。
特に、難しい仕事をなしとげたり、ヒットを飛ばしたビジネスパーソンの語りには、この「たまたま」という言葉がよくでてくるのです。
長岡先生は
「できるビジネスパーソンは、たまたま、何か新しいものが生まれるような場所やつながりに自分の身をおいている」
というご主旨の発言をなさっていました(ICレコーダを使っているわけではありません)。まさに同感、おっしゃるとおりだと思います。
このことを万が一仮に、ネットワーク論的に解釈をするのならば、おそらく組織内外のネットワークの中で情報が集まり、新たな物事が生まれるような「構造的周辺」に、自らの身をおくような振る舞いを、イノベーティブなビジネスパーソンの方々は、自然となさっているのかもしれません。
ひるがえって考えてみるに、その他にもいろいろ可能性もあるな、と感じます。たとえば、下記の2つなどです。
ひとつめは、
「たまたま」自分の目の前にあらわれたものと、「いつも自分が接しているもの」を、もし「くっつけたとしたら」、面白いだろうな、新たなものが生まれるだろうだろうな、
という「鋭い予期と洞察」の問題です。
まずは、こうした知的好奇心に裏打ちされるような予期や洞察が駆動しないことには、お話しにならない。目の前にあらわれたチャンスは、単にフローしていくだけです。
ふたつめは、
イノベィティブなことをなしとげたビジネスパーソンの方々が、「たまたまめぐってきたチャンス」を逃さず、「これだ!」と「即決」できるのは、そのことを「いつも」考えているからだ
という「日常における仕事への姿勢や習慣」の問題ですね。
日常的にいつも、仕事のことを考えているからこそ、ここぞ、というときに「即決で意志決定」できるのではないでしょうか。つまり、「意志決定の素早さ」とは、「仕事に向き合っている時間の長さ」に正比例するということです。
これら二つがあいまって、イノベィティブなビジネスパーソンの方々は、新たなものを生み出し、それが「後付け的」に語られた際、どうやら「たまたま」という用語が用いられるのではないか、と考えます。
少しまとめます。
一見相反し矛盾するものを組み合わせることで、日常の常識にさからい、新たな意味を形成する語法のことを、オキシモロン(oxymoron:撞着語法)といいます。
もしかすると、イノベィティブなビジネスパーソンの方々は、1)ネットワークの構造的周辺に自らの身をおき、2)いつも自分の仕事のことを考え、3)たまたま出会った新規な事項といつも自分が向き合っていることに「オキシモロン的結合」を試み、新たな物事をつくりだしているのかもしれないな、と感じました。
そして、これら下位分割された、これら3つのプロセスを、「後付け的」に「ストーリー」として語られることが求められた際に用いられる言葉が、「たまたま」ということになるのかもしれません。今日のおはなし、ちょっと難しいでしょうかね。
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上記はあくまでも仮説です。これ以外にも、様々な振る舞いは存在するのでしょうし、また実証的に検証されたわけでもありません。
でも、何となく、おぼろげながら、こんなことが言えるのかもしれないな、という感覚を自分の中で持ちえていることも事実です。だって、それほどまでに、本当は「たまたま」じゃないイノベィティブな皆さんは「たまたま」しています、と言いますので。
とても興味深いですね。
あなたの仕事人生には、「たまたま」ありますか?
あなたは、「たまたま」を活かしていますか?
—
追伸.
昨日、小生はTwitterで下記のようなことをつぶやきました。
(1)「○○思考法」「△△シンキング」とか、無限に名前をつけることができます。でもね、それによってメリットを享受するのは「○○思考」「△△シンキング」と「名付けて売る側」であり、それを「利用する側」ではないことの方が多いのです。
(2)「思考」は「思考」、「シンキング」は「シンキング」。それ以上でも、以下でもないでしょう。そんなに多種多様な、異なる種類の思考があるんでしょうか。そうこうしているうちに、また明日、新たな「○○思考」「△△シンキング」が生まれます。
これらのツイートに対して、
@K0Ei: 「○○力」も。言ったものがち!QT 「○○思考法」「△△シンキング」とか、無限に名前をつけることができます。
というコメントをいただきました(感謝です)
小生は、いただいたコメントに対して、
「○○力」「○○思考法」「△△シンキング」を読み解くリテラシーが必要かもしれません。RT @K0Ei: 「○○力」も。言ったものがち!QT 「○○思考法」「△△シンキング」とか、無限に名前をつけることができます。
というツイートをさせていただきました。
ひるがえって・・・今日のブログ記事がきっかけで
これからのビジネスパーソンに必要なのは「たまたま力:タマタマリョク」!
これからのビジネスパーソンに必要なのは「たまたま思考:タマタマシコウ」!
とか誰かがいいはじめて流通したら「悪夢」ですが、アイロニカルで、笑えますね。
どうでもいいですが、朝っぱらから「タマタマリョク」やら「タマタマシコウ」が普及する様を妄想してしまいました。
「なんちゃらリョク」やら「ほにゃららシコウ」というもっともらしい言葉なんて、簡単につくりあげることができることを示す、という、ある種の、非常にアイロニカルな「社会実験」としては、うってつけの題材かもしれませんけれど(笑)。
最後にひと言だけ。
「たまたまリョク」や「たまたまシコウ」が、万が一、流行ったとしても、はたまた、流行らなかったとしても、僕にはなんの利益も不利益もありません。
あしからず(笑)。
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■2012/07/04 Twitter
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