2011.8.8 04:25/ Jun
年間に読む書籍の大半を、僕は、インターネット経由で買っています。量にすれば数十万? 自分でも、もはや、把握していません。
いやー、ネットは、便利で便利で仕方ありません。僕のようなマニアックな領域の研究者の読む本であろうとも、注文した次の日には手に入ることが多く、しかも、たくさんの人々の主観的評価を平均したレビューがついていて、しかもしかも、関連する書籍が、リコメンデーションされ、まとめ買いできるのですから。
ある領域について、網羅的に知識を獲得したいときに、インターネットの本屋さんは、真価を発揮してくれます。
素早く
ババをひかず
モレなく
本と出会い、購入することができます。
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しかし、一方で、僕は、その価値を十分に認めつつも、それに頼りすぎることをよし、としません。最近では特に、一ヶ月に数回は、都内のいくつかのリアル書店に顔を出します。
なぜなら、自分にとって、「エウレカー」と叫びたくなるような「新しい発見」の一瞬は、「自分が見知っている領域の書棚とは、全く異領域の書棚での、全く想定外の書籍との出会い」から得られることを、経験的に知っているからです。
それは、自分の足で、リアル書店の書棚をブラブラまわるという「無駄」から生まれることが多いのです。もちろん、これは僕個人の問題であり、一般論にするつもりはありません。あくまで、僕の場合はそうだ、というだけの話です。
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例えば、今仮に、あなたが、企業経営のある領域の知識について「知りたい」のだとします。
「知りたい」のであれば、より具体的には、「過去の議論や先行する知識を知りたい」のであれば、インターネットで「関連する語」を入力・検索して、レビューのよい、関連する本を、数冊買えばいいでしょう。
あるいは、リアル書店に行って、「経営書」のあるコーナーにいって、多くの人々が手にとりそうな本を選ぶということになります。
しかし、もし「新しいアイデアを生み出したい」のなら、僕ならば、それに加えて、他のことをするんだと思います。もちろん、ここまでは、一通りのことはやるのです。「主観的評価の高い書籍」「リコメンデーションされる書籍」「経営のコーナーにおいてある本」を読むまでは、僕もやります。しかし、一方で、それは「前菜」であって、僕にとっては「メインディッシュ」ではありません。
「主観的評価の高い書籍」「リコメンデーションされる書籍」「経営のコーナーにおいてある本」の内容を、いったん自分なりに咀嚼した上で、そのアイデアを、すべて自分の中から「ペンディング」するでしょう。
「これは、もう、ないな」と。
「これは、もう、他の誰かがやったことよな」と。
「これは、誰でも出会えるものだよな」と。
それらの本と僕との出会いは、「マスの主観的評価」に裏打ちされるものであり、コンピュータが「リコメンデーションできる程度」のものだからです。
つまり、その領域について関心をもった誰もが、ネットでポチポチすれば「確実に出会える程度」のものだからです(その本の内容が悪いといっているわけではありません。ここで僕が述べているのは、本との出会い方の問題です)。
じゃあ、何をするか?
ほっつき歩くのです、リアル書店の隅々を、ブラブラと(笑)。
もし僕ならば、リアル書店の隅々にある、自分とは全く異なる領域の書棚をブラブラと、あてもなく、しかし明確な意図をもって、ほっつき歩くでしょう。たとえば、「医学」の書棚、「料理の書棚」、「音楽の書棚」、「民俗学の書棚」。自分の知りたいこととは、一見、関係なさそうなコーナーに、敢えて、向かうのです。強制的に、しかし、愉しんで。
なんか、いいもん、落ちてないかなー、と。
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「ほほー、病院ってのは、最近、きびしいのね」
「ほほー、料理教室の課題は、講師の養成なのね」
「音楽のビジネスモデルって、かなり変化しているのね」
「お祭りって、なんで、どの共同体にも存在するんだろうね・・・」
そういう「ブラブラ」によって、自分の望む発見があるかないかは「結果論」です。「発見」がある日もあれば、発見がない日もある。出会えるかもしれないし、出会えないかもしれない。
否、正確にいいましょう。ほとんどが、発見はなく、出会いもありません。「残念な結果に終わる可能性」の方が格段に高い。それは、ネットが保証してくれるような「確実な出会い」ではないのです。
しかし、経験上、僕は、こういう風に全く異なる領域の本を渉猟し、そこの智慧から学び、その知識を自分の専門とする領域に照射して物事を考えたときに、「いいこと、思いついた!」と思える一瞬が多いのです。もちろん、僕の思いつくことですので、「新しいアイデア」といっても、「しょーもないこと」が多いのですが(笑)。
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まとめます。
「素早く、ババひかず、モレなく書籍と出会える”確実な本屋”さん」は、とても便利です。しかし、その一方で、僕は「もう一方にある本との出会い方」を大切にしたいと感じています。
3拍子でまとめると、
面倒で
無駄足かもしれず
確実じゃない
本との出会いということになるのでしょうか。
誰もが、「素早く、ババひかず、モレないこと」をやるのならば、敢えて、その対極である「面倒で、無駄足かもしれず、確実じゃないやり方」をめざしてみる。本当に無駄足かもしれないけど(泣)。
忙しい日々ですが、そのような時間を大切にしたい、と感じています。
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■2011年8月7日 Nakahara Twitter
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