2005.4.18 20:30/ Jun
僕はプロポーザル(提案書)を書くのが好きだ。
新しい研究、新しい製品、新しい実践、新しい本、新しい番組。
このヨノナカには、何かをはじめようとするとき、何かをカタチにしたいと思うときに、必ずといってよいほど、プロポーザルが必要になる。
プロポーザルをを「カタチ」にするときには、いろいろな制約や条件がでてくる。そうした制約や条件は、必ずしも論理的でも合理的でもない。納得できない条件、腑に落ちない事情 – 人は、そうした制約や条件の中で、苦闘し、モノゴトを「カタチ」にする。
そうしたプロセスは楽しみではあるが、同時に、プロジェクトX的なドロドロとした「生みの苦しみ」も伴う。しかし、プロポーザルには、まずはそうした苦しみがない。
「こう言ったら、オモシロイことになるだろうな」「こんなことを指摘できたら、○○の考えをもっている人はビビルだろうな」「こんなことしたら、愉快だろうな」といったことを想像しつつ、そのプロセスを楽しむことができる。
だからプロポーザルを書くことはやめられない。しかし、残念なのは、時間をかけてプロポーザルを書くヒマが最近とれないことである。
やっつけ仕事にはならないようにはしているつもりだけれども、かつて、かけることのできた時間の3分の1程度で、completeさせなければならない。それができなければ、次のプロポーザルの〆切が迫ってくる。
そうはいっても、プロポーザルを書くのは、やはり楽しい。
しかし、同時に、このままのペースで書き続けると、いつか手痛い「しっぺがえし」を食らってしまうような気がしてならない。それが怖い。
皆さんは、そんな風に思うことありませんか?
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