2010.1.30 07:00/ Jun
先日、某所にて、人文社会科学から自然科学まで、いろいろな学問分野の先生たちが集まる機会があった。「僕以外」は、その領域で素晴らしい成果をあげている研究者の方ばかりで、第一線を走っておられる方ばかりだった。
会合の休み時間、ランチを食べながら、ふとしたことから、みんなの話題になったことが、これである。
「最近、論文がだんだんと読まれなくなってきているよね。」
誰かがふともらした、この一言に、異領域の先生方が、皆、一様に「うんうん、そうだよなー」とうなづいたのは、とてもびっくりした。ひとつの領域に固有に存在する問題ではなくて、みんなの問題なのかもしれないな、と直感的に感じた。
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繰り返して言うが、彼らはそれぞれの分野で第一線を走る研究者である。決して、彼らが「怠惰であるがゆえに、論文を読まない」とか、「もう研究者として一線を退いたから論文を読まない」とか、そういうことでは断じてない。
第一線を走るいろいろな領域の研究者が、皆が皆、同じように「論文が読まれなくなってきた」と感想をもらしているのが、非常に興味深いのである。
理由は、いろいろあるけれど、要するにまとめるとこういうことだ。
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現在の科学は、非常に細分化されてきている。その細かさは、数十年前の比ではない。果てない細分化を繰りかえし、そもそも、同じことを探求する研究者の数が、どんどんと減っていった。
分野によっては、研究者同士が、なるべく研究領域が重ならないように重ならないように配慮するような動きが生まれる。そうすると、同じ研究テーマを選ぶ人が、そもそも少なくなる。
さらに細分化した領域においては、ほんの少しの先行研究との差異を、研究テーマとして選ばなければ、なかなか論文として採録されにくい。
Publish or perishの風潮が高まり、大胆な研究テーマを選ぶより、確実に論文として掲載される、非常にミクロな研究テーマを進めるようになった。
ゆえに、一言でいうと「重箱の隅をつつくような研究」が増えることになった。投稿される論文数自体は、比較にならないほど増えている。いわば、論文インフレーションという具合に。
しかし、細分化し、なかなか研究テーマが重ならず、重箱の隅をつつくような研究が増えれば、その研究は「カプセル化」しはじめる。
論文として採録されるという意味での生産性はあがるものの、他者との通行や、オーディエンスを失い始める。
そもそも重ならないように配慮して研究テーマを設定しているから、どんどんと研究の積分性(つみあげること)は失われ、論争が失われ始める。同じテーマで論争しているくらいなら、ほんの少しの他者との差異をつくりだし、自分の土俵で勝負していた方がよっぽど生産性があがる。
おまけに現在の高度に発達し、スピードが求められる研究環境では、「追試」というものが、そもそも行いにくい。
細分化した諸条件を、自分のラボで完全に再現するのも一苦労だし、「追試」を行っても、あまり評価されない。
追試を行っている暇があったら、自分の研究テーマを探求した方が生産性があがる。
かくして、論文が、オーディエンスを失う。科学者ひとりが提起した「わたしの問題」が、「みんなの問題」にならない事態が生まれる。
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けだし、論文が読まれなくなる事態は、このように研究の高度化、細分化、さらには研究者のサバイバルストラテジー(生き残り戦略)などが密接に、かつ、複合的に絡み合って起こっている事態であるように思う。科学はさらに今後も高度化、細分化の度合いを高めていくだろう。ゆえに、このままでは、現在よりもさらに事態は深刻になることは容易に予想できる。
誤解を避けるために言っておくが、この問題は、「研究者が社会のために役に立ちたいと思っているとか、思っていない」とか、そういう次元の問題ではない。また、細分化した領域において地道に積み重ねられる研究の価値がない、とか、あるとか、そういう次元の問題ではない。
現在起こっている事態は、研究の高度化、細分化、そして研究者をとりまく社会的状況によって「必然的に引き起こされた結果」であると考えられる。
もちろん、このような事態が起こっているからといって、明日あさってに論文というシステムが機能不全に陥ることはないし、論文を生産することが研究者の垂直的な発達の指標として機能することは、おそらく失われない。また、研究の生産性は今日よりも明日の方が重要になってくるだろう。
こうした動きが、すべてのサイエンスの領域で起こっているかどうかは、僕は知らない。また、こうした問題が科学技術論や、科学技術コミュニケーションの領域で、すでに議論されているかどうかは、僕は専門外なのでよくわからない。あくまで、その場で、多くの先生方が共感した問題であった、というだけである。
しかし、もしこの事態が、万が一、仮に様々な領域で進行している共通の事態であるとするならば、少し立ち止まって考えるべき問題であるような事態のように感じる。
「結局、研究とは、何のために、誰のために存在するのか」
深く考えさせられる。
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