2009.8.27 09:18/ Jun
「これ、ごまごまちゃんのところに、持って行くね」
TAKUZOには、大人の僕らの目には映らない「友達」がいます。その名を「ごまごまちゃん」といいます。
ごまごまちゃんは、いろいろな場所に神出鬼没にあらわれます。TAKUZOは、ごまごまちゃんをいろいろな場所で見つけては、遊んでいます。ブツブツと何かを話しかけたりしています。
窓のあたりをすっと指さして、「あっ、あそこに、ごまごまちゃん、いるよ」と言ってみたりします。
突然、絨毯を指さして「ねー、ごまごまちゃん、だよねー」と話しかけたりしません。もちろん、僕の目には何も見えません。TAKUZOは「空気」と話しています。「プチ・ホラー」です。
最初は「一人芝居? オマエは、将来、イッセー尾形か?」と思っていたのですが、もう慣れました。ごまごまちゃんは、我が家の「仲間」です。
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僕は専門ではないのでよく知りませんが、幼い子どもがもつ「想像上のお友達」のことを、Imagenary friend(イマジナリーフレンド)とか、Imagenary companion(イマジナリーコンパニオン)とかいうそうです。
僕の愛読するブログ「あたし・主婦の頭の中」にも、そのことが述べられていました。
こちらは「ごまごまちゃん」ではなく「ちゃぱら」というイマジナリーフレンドがあらわれたようですね。「ちゃぱら」って、すごい名前ですね、、、何人? 「ごまごまちゃん」も「何人」か、さっぱりわからないけど。
ちゃぱら1
http://ameblo.jp/yuka703/entry-10280943411.html
ちゃぱら2
http://ameblo.jp/yuka703/entry-10296972026.html
ちゃぱら3
http://ameblo.jp/yuka703/entry-10298165814.html
ちゃぱら4
http://ameblo.jp/yuka703/entry-10300195730.html
きっと、あなたにも、イマジナリーフレンドがいたはずですよ。あの頃のあなたの目にしか映らなかったお友達が。
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イマジナリーフレンドは、多くの場合、加齢とともに消えてしまうそうです。いつしか、子どもの方が、名前をださなくなるようですね。大人になるにつれて、「見えなくなる」と言ってもいいのかもしれません。
TAKUZOも、いつか「ごまごまちゃん」が見えなくなる時がくるのでしょう。しかも、その「お別れの日」は、「そう遠くない未来」です。しかし、親としては、それはそれで寂しいことなのかもしれないな、と思います(もちろん、ずっと見えていたら、それはそれで怖い・・・病院に連れて行かなければならない)。
ごまごまちゃんと一緒に暮らせる日々を、大切にしたいと思います。
おやつ食べる前に、手洗って、うがいしなさいよ!、ごまごまちゃん。
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追伸.
遅ればせながら「Twitter」というのをはじめてみた(小生、レイトマジョリティ?)。朝、一言「つぶやく」くらいだけど。やってみてわかったこと。
1.フォローはどんどんと増えていく
→これがTwitterにはまる人を産む原因かも
2.Twitterは、「今あるインターネットツール」に加えて、そのツールで伝えられる情報を補完するような「コンテキスト情報 – 今、どこにいて、何を考えているのか」を提供するのかも。
Twitterとメール、あるいは、Twitterとブログを重ねて読むと、「なんで、こんなメールを書いたのか」「なんで、こんなブログを書いたのか」が、よりわかるときがあるかもしれないな、と思いました。
3.ハマルと、もれなく、肩こりが増すかも。
ほどほどにねー。
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