2008.6.14 07:35/ Jun
昨夜は、6月のLearning bar。株式会社リクルート ワークス研究所 Works編集長の高津尚志さんをお招きして、
「組織が大切にしている価値観や理念といったものをどのように広めることができるのか?」
についてディスカッションを深めました。
今回もLearning barは満員御礼。教室は140人の参加者の方々で埋めつくされました。Learning barは参加者の多様性を配慮するため、参加者を9つのカテゴリーにわけて抽選を行い、さらに男女比を調整しています。今回、ご参加いただけなかった方、なにとぞご了承下さい。
高津さんのお話は3つのパートにわかれていました。
第一部はオーバービュー。ご著書「感じるマネジメント」を参考に、「デンソースピリットプロジェクト」の全貌を俯瞰していただきました。プレゼンテーションの中では、世界各国での活動の写真などもご紹介いただきました。
第二部は、「デンソースピリットプロジェクト」のコンセプトでもある「ものがたり」「対話」についてです。この二つのコンセプトは「デンソープロジェクト」が、よくある理念浸透プロジェクトとは全く異なっているポイントでもあります。
組織の構成メンバーが、自分の経験を語りつつ、納得感や一体感を感じながら、いかに価値観を共有していくか。そこには、「個人の物語」と「組織の物語」と「他者の物語」のすりあわせ、葛藤、緊張といったものが存在します。
第三部は非常に異色でした。このようなプロジェクトに関係なさった高津さん自身のパーソナルヒストリーです。自分の「しごと」を支えるものとは何なのか。そして、「大人の学び」とは何なのか、についてお話をいただきました。
高津さんのお話を受けて、産業能率大学教授の長岡健先生には「組織文化論」のショートレクチャーをいただきました。
企業文化、組織理念とは人為的に「操作可能」なものなのか?
長岡先生のご提示なさった問題は、非常に「本質的」であると思います。組織理念を考えたい人は、一度は、この問いに立ち返る必要があるのではないでしょうか。
その後は、恒例のペアディスカッションです。参加者がペアになって、下記の問いについてディスカッションします。
・あなたの組織理念は、みんなに共有されていますか?
・理念の共有を阻むものは何ですか?
・どうしたら理念の共有が可能になりますか?
・本当に組織理念は人為的に広めることが可能でしょうか?
その後は、ケータイdeフィードバックです。高津さん、長岡先生のご発表の間中、今回もケータイで質問を受け付けていました。48件のご質問を受け付けることができました。
その中で共通点の高いものについて、高津さんにお話を伺うことにしました。質問は下記のように、プラクティカルなものから、非常に答えるのが難しいものまで多岐にわたりました。
●理念は、インパクトがあるものの方がいいんですか?うちの会社の理念は、誰もが納得するようなありきたりのものなのですが。
●理念を語る以前に、現場の仕事が忙しく、休みもままならない状況の現場マネージャーに、理念に意識を向けてもらうにはどうしたら良いでしょうか?
●職場の掲げる理念に全く共感できず、また、浸透させかたの下手さに困っています。また、浸透されたら負けだと思うこともあります。ここは理念浸透されたフリをするのが正しいのでしょうか?
●理念とは結局、誰のためのものなのでしょうか。
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最後は中原がラップアップを述べました。ここの部分は、長岡先生と僕が今必死になって書いている「組織物語論(仮称)」の中から、いくつか知見をご紹介しました。
典型的な理念浸透モデルは、いわゆる「導管モデル」というコミュニケーションの見方があり(長岡 未公刊)、そもそも、そのコミュニケーションモデルを見直し、対話モデルを探求しなくてはいけないことなどを述べました。
本当は「組織物語と固着」の問題、「物語をめぐる組織と個人の葛藤」の問題などを述べたかったのですが、あえなく時間切れでした。こちらは、またの機会に!
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最後になりますが、高津さん、長岡先生、そしていつも本会の実施を陰ながらサポートしてくれている、東京大学大学院の院生諸氏、さらには議論に参加してくださった皆様に感謝いたします。
本当にお疲れ様でした。
そして、ありがとうございました。
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