NAKAHARA-LAB.net

2005.9.9 22:20/ Jun

ケータイだけの危険性

 学生「僕は、メールやWebはケータイしか使わない」
 中原「なぜPCは使わないの?」
 学生「だって、どっちも一緒、インターネットじゃん」
 前にも日記で書いたことがあるけれど、つい先日も、ある学部生と、こんなやりとりをした。
 確かに「ケータイのメール」も「PCのメール」もインターネットメールであり、「ケータイのWeb」も多少の仕組みの違いはあっても、ほぼ同じである。この学生が、「PCのかわりにケータイを使う」という選択肢をとるのも、合理的だよな、とは思う。
 実際、最近、PCを使っている学生は本当に少ないな、という感触をもつ。なぜわかるかっていうと、学生から僕に贈られるのメールがケータイから発せられているからです。まずまともなメーラを使っている人はいないんじゃないか、と思っちゃいます。
 ちなみに、こういう事態は学部生だけじゃない。大学院生でも、こういう学生は多くって、びっくりしてしまう。大学院になってから、表計算やプレゼンをはじめてやったというツワモノもいて、開いた口がふさがらない。
 まぁ、別にピーピー青筋をたてなくても、使いたいもん使って、できることが同じなら、それでもいいんだけどさ。
 でも、やっぱり、僕には懸念が消えない。
 「ケータイでできること」、あるいは、「PCのWebでできること」ってのは、情報の「消費」活動がメインであって、「情報を自分であたりをつけて収集して、分析して、まとめて、発信するといった活動」が、おろそかになってしまうのではないか、という懸念である。
 さらに言うならば、見かけ上はケータイを使っていても、「情報を扱っているように」見えてしまうので、そういう活動の重要性が忘れ去られてしまうという懸念でもある。
 別に、僕がケータイオンチだから、こんなことを言っているわけじゃないよ。たぶん、人並み以上にケータイは利用しているし、imodeも、かなりのサイトを使っている。
 しかし、経験上、そこでやっている活動は、「情報を一方的に消費されられる感じ」が多い。
 さらなる懸念は続く。これらの学生諸氏が「人の親」になったとして、日頃「ケータイしか使っていない親」と、「家でPCもケータイも使う親」に分岐するとする。
 もし仮に彼らの情報処理能力に差があった場合、その格差が子どもに格差が再生産されるっていう問題がある。
 そういう事態が、何だか怖い。
 ケータイにせよ、PCにせよ、メディアはこのさいどちらでもいいから、「情報の創造的側面:分析・統合・発信」をきっちり教えるべきだと思う。

ブログ一覧に戻る

最新の記事

2024.12.8 12:46/ Jun

中原のフィードバックの切れ味など「石包丁レベル」!?:社会のなかで「も」学べ!

なぜ「グダグダなシンポジウム」は安易に生まれてしまうのか?

2024.12.2 08:54/ Jun

なぜ「グダグダなシンポジウム」は安易に生まれてしまうのか?

2024.12.2 08:12/ Jun

【無料カンファレンス・オンライン・参加者募集】AIが「答え」を教えてくれて、デジタルが「当たり前」の時代に、学生に何を教えればいいんだろう?:「AIと教育」の最前線+次期学習教育課程の論点

2024.11.29 08:36/ Jun

大学時代が「二度」あれば!?

「人事界隈」にあふれる二項対立図式の議論は、たいてい「不毛」!?

2024.11.26 10:22/ Jun

「人事界隈」にあふれる二項対立図式の議論は、たいてい「不毛」!?