2005.8.25 04:23/ Jun
前にも紹介したことのあるhanae*さんの「小学生日記」が文庫本で出版された。
小学生日記
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4043776012/nakaharalabne-22
今は中学生となったhanae*さんが、小学生の頃に書いていた日記の文章を集めたもので、中には文部科学大臣賞、読売新聞社賞とかいう賞をとったものも収録されている。
こう書いてしまうと、なんだか説教臭くて、オモシロクない文章を想像しがちであるが、それは全く違う。彼女の視線 – 当時小学生であった彼女の視線でしか書けない、しかし、「並」の小学生では決して綴ることのできない文章が収録されている。その文章力に脱帽する。
たとえば八ヶ岳への移動教室の話題
消灯時間。
夜の班長会議で、わたしが先生に「消灯時間って、ほんとに電気消して、ほんとにすぐ寝なきゃならないんですか」
なんて聞いたら、先生はちょっと困ったような顔をしながらも、笑って
「あのね、先生はね、先生としてはね、早く寝なさい、ってしか言えないの。あとは自分で考えて、判断してね」
といった。
自分で考えて、自分で判断するって・・・?ってことは、「適当でいいってこと」なんだ。先生はきっと「寝なくていいですよ」なんて言えないんだな。だから、あとはわたしたちが勝手にやっていいってことなんだ・・・と、わたしは判断した。で、班のみんなには、
「電気さえ消せばいいんだよ」って言った。男子の方は、みんなつかれきって、すぐ寝ちゃったみたいだけれど、わたしたちは別。これからだよ、盛り上がるのは。
暗い中、みんなでひとつのふとんに集まって、家族のことや体のこと、好きな男の子のことを話した。次から次へと話題がでてくる。
hanae*(2005) 小学生日記. 角川文庫, 東京 pp105-106より引用
前にも書いたことがあるが、僕は今でこそ毎日blogや論文を書いている生活をしているが、文章は本当に苦手だった。特に読書感想文とか作文とかいうのが大嫌いだった。
しかし、今から考えると、どうも、僕が嫌いだったのは「文章を書く」ということではなかったような気もする。おうちのワープロで、文章をつづるのは好きだったからだ。
それでは、なぜ、僕がその手の学校的な文章を嫌っていたのか?
おそらく、こういうことだと思う。
まず僕は、「読書感想文」や「作文」という「キチンとした文章」は、「~ました」「~でした」「~ます」という、いわゆる学校的な語尾を使うことしかダメだと思いこんでいた。つまり、先生に報告する文章として、作文をとらえていた。また、作文のネタも自由に選んでいなかった。どこか、先生に報告するのに適当なネタを選んでいたような気がする。
要するに、僕は自由ではなかった。
僕の文章は、窮屈だったんだ。
一方、hanae*さんの文章は自由だ。しかし、彼女の文章は、その自由さを、ことさら「自由」なものとして主張しない。飾らずに、だけれども、ステキに文章を綴っている。こんな風に僕も書けたら、と思う。
もしそんなことが可能だったら、僕はまた違う人生を歩んでいたかもしれない・・・彼女の文章を見ていて、そう思った。
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