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今、4月1日午前3時です。今日からいよいよシンネンド(新年度)がはじまります。何が悲しいのか知りませんが、シンネンドに興奮しているのか、眠れません。
いやー、そんなものに興奮したかないな。
シンネンド、学生時代は全く気にしない時間の区切り方だったように思うのですが、今日を境にネンドマツに減っていた書類がまた増える - つまりは研究計画だとか、なんとかだとか、そういう書類が増えていくので、ここ2年間は、この時間の区切り方をどうしても意識してしまいます。 考えてみれば、今年のシンネンドはなかなかドラステイックにモノゴトが転換するんですね。 今日からペイオフ解禁です。銀行はビックバンの結果、4大グループに再編されました。教育関係でいうのなら今日から学校は週5日になりますね。 まぁ、あまり貯金がないので前者2つはどうでもいい、勝手にビックバンしてちょ!という感じだけれども、後者はなぜかは知らないが嫉妬してしまいます。
なぜ、僕らの時代は週休1日だったのでしょう。 一年間で52週として、それが小学校・中学校・高校の12年間で624日。てことは、今のガキの方が、僕よりも624日もホリデーすることになる。イタしかたのないことだけれど、その時間をヨイ方向につかって欲しいものです。
閑話休題 今日は、コンテンツとシステムというコトバについてです。 僕はこれまでいくつかのネットワークを利用した学習用ソフトウェア開発の現場を経験してきましたが、そうした場所では、このコトバが乱れ飛びます、事実、自分もこれまでこのコトバをよく使ってきました。
とかいう使われ方です。 ネットワークを利用した学習用ソフトウェア開発の現場において、コンテンツとは中身のことですから、教材をあらわします。システムっていうのは、そうした教材を動かす仕組みをあらわすのですね。 別の言い方をするならば、コンテンツとは学習者に提示される情報とその展開。後者のシステムとは、学習者の利用する機能と言ってもいいのではないでしょうか。 要するに、コンテンツは中身、システムは中身をいれるハコです。中身とハコ、この2つがあわさって、学習用ソフトウェアが開発されています、フツウは。 で、今日の結論を言いますと、それは以下の2点にまとめられます。
なぜ? といぶかる方もいるかもしれませんね、ていうか、これだけだと、誰も納得しないと思う。 システムとコンテンツという仕事の切り分け方は、学習用ソフトウェアの開発者の人たちには共有された分け方であり、それがそのまま開発者の担う役割になっているのですね。僕はコンテンツ担当ね、オイラはシステム担当ね、みたいに。 まず1)の「コンテンツとシステムという2つの概念で、仕事を切り分けない方がいいのではないでしょうか」、ってことですが、それはなぜかっていうと、それは2)に書いてあるとおりで、「そのソフトウェアを使う学習者の活動を想像して開発を進めること」をつい忘れてしまうからです。 もちろん、すべての現場がそうであるわけではありません。 でも、どうもヘンチクリンなものを開発しているなー、と思われる現場に限って、これがズバリ当てはまるような気がしてなりません。開発者が誰一人として、そのソフトウェアを使うユーザの実際の動きを、アタマに思い浮かべていない。
コンテンツとシステムという2つの仕事の切り分け方、それから発生するそんな妙なセクショナリズムが、そのソフトウェアを使うユーザの実際の動きを、見えなくしてしまうのです。
と言われると、「そうだよなー」と。「あとはアイツの仕事だよ、それ以上(の具体的な姿を)オレが考える必要ないよ」と納得してしまうんです。 システムとかコンテンツというコトバはあまりに抽象度が高すぎて、それでいて心地よい。だからそこで思考停止しちゃうのかもしれませんね。 本来ならば、「アイツはどんな機能を実装するか」「アイツはどんな情報をどう展開するか」ってことを考えなければならないハズなのに、お互いが、そんなことは考えない。コンテンツはアイツの仕事、システムはアイツの仕事、ですませちゃうんですね。
本来ならば、想像力を働かせて、そのソフトウェアを使用するユーザがどう動くか、どう振る舞うかを必死で考えなければならないのです。さらに言うならば、そのシステムを使った学習活動全体をキチンと見渡さなければなりません。 そういうことを想像しはじめると、「あとはコンテンツ屋の仕事だよ」「あとはシステム屋の仕事だよ」という仕事の切り分け方というか、物言いはできないような気がする。お互いがお互いのことを考えなくちゃならなくなるはずです。アタリマエのことですが、それらはソフトウェアの構成要素なのですから、勝手にやっていいわけがないのです。 こうした想像力をみんなで働かせないと、どうなるかっていうと、
ってことになってしまうのです。 とはいうものの、こうした認識に至るまでには、僕も非常に苦い経験を何度もしました。そのたびに何でだろう?どうしてこういうコトが起こるのだろう、と考えたら、結局、それは学習者の活動を僕がアタマに思い浮かべていなかったってことに気がついた。僕もまだまだ修行中ですが、確かにそういうことに思い悩んだ時期がありました。 で、他の人はどうなんだろう、と思ったら、やっぱりそんな気がした、ということです。ハッキリ断言しますが、これはソフトウェア開発のプロフェッショナルでも意外に陥るワナだと思います、で、あまり経験は関係はなさそう。かえって経験がじゃまをするときもあるようです。「学習者なんだから、こうだろう」という思いこみが、学習者の活動を見えなくしてしまうこともあるようですね。 そんなわけで、学習者の活動から学習ソフトウェアの設計や開発を行うこと。アクティヴィティアプローチと言ってもいいのですが、そういう観点から開発に従事することが大切だと思っています。 学習者の活動を想像して、それに自分を置き換えてみて、考えることです。それで、「ホンマかぁ」と思う機能ならいらないし、「ホンマかぁ」と思うような内容ならば、学習者は乗ってこないのでないでしょうか。自分が一番快い活動が実行できるようにソフトウェアを設計したり、開発したりすることが重要なのではないでしょうか。
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