これは、Narrativeに関する僕の「私的な研究ノート」に一部です。Narrtiveは近年、社会科学や人文科学で注目されており、いわゆる「Narrative Turn」なるものが認識され始めるようになりました。しかし、ひとくちで「Narrative」と言いますが、その主張・目的・含意は様々あって、正直なところ僕も把握不能になっています。ただ、あえて危険をおかして断言することが許されるとするならば、現在の教育研究において注目されているNarrative approachとは、「世界がどこまでも客観的に存在すると考えること」へのアンチテーゼと考えてよいと思います。これまでの学問は、自分とはどこか遠く離れたところに、客観的な事実や真理が存在していて、それを「発見」することに邁進してきました。故に、もちろんここで観察される事実とは、事実を発見する人をぬきにしたものであります。Narrative approachは、こうした主体抜きの「事実」がそもそも存在すること自体に、異議をとなえます。世界は、それを語る人間によって、構築されるものである、そう考えるのです。つまり、言い換えるのなら、世界は「語られること」によって存在するといってもよいでしょう。「語られる世界」は、もはや超越論的な「世界」ではなく、複数あるうちの「ひとつの物語(story)」と言ってもいいですね。ということは、「客観的かつ絶対的な事実」というものは、そもそも存在していないのですから。語る人のかずだけ、語られる事実が存在します。ゆえに、Narrative approach的な世界解釈は、そういう他の事実や世界のありかた、つまり「可能世界(possible worlds)」につねに開かれているのです。
さて、誤解をおそれず「Narrative」について、書いてきましたが、最初に、僕が「Narrative」ということに注目したのは、実はある小学校でおこなわれた実践をもとにエスノグラフィーした経験にさかのぼります。そこの小学校では、作品づくりをしたあと、その経験をあとでふりかえって、再構成するために、他者にむかって自分の作品の制作過程を「語る」という実践が行われていました。
認知過程研究では、むかしから「メタ認知」や「reflection」など、自分のしたことをひとつ上のレヴェルにたって考えること・認識することの重要性が唱えられています。しかし、この小学校で行われていたのは、他者に対して「語る」という行為と自分の行為の過程を「ふりかえる」ということが同時におこっていることでした。
僕は、ここで起こったことを<説明>する概念として、様々なものを探しました。そして、どうも「Narrative」という領域で主張されていることが、これに近いことであるとの、あくまでぼんやりとした直感から、Narrativeを研究することになりました。
■Narrativeという概念装置の背景
▲二つの思考様式(paradigmatic modeとnarrative mode)
△経験を整序し、現実を構成する、人間の根元的な認識には、二つの認知作用(思考様式)が存在する。それらは、相補的なものであり、一方は他を排除しない。
→それらは独自の作用原理と適格性の基準をもっており、内包される因果関係の型には相違がある。
→かつては、一方が他方の抽象だと言われてきたが、それは明らかに間違いである。
1. Paradigmatic Mode(論理-科学的様式)
・普遍的な真理性を追求する。 |
・論理的一貫性をもとめる。 |
・「良さ」の判断は、論理的議論の妥当性や正確さの判断基準である。 |
・<説明>する様式 |
・paradigmaticな言語は、一貫性と無矛盾性という必要条件によって規制されている。そして、原則をもった諸仮説によって推進されるのである。 |
・paradigmaticな様式の想像力に富む適用は、よい理論・簡潔な分析・論理的証明・妥当な議論・理路整然とした仮説に導かれた経験的発見などをもたらす。 |
・理論的な議論は、たんに結論が出るか、それとも結論に達しないかである。 |
・検証可能性の必要はない。 |
・科学的かつ論理的な記述は、明快で厳密な指示と文字通りの意味を確定する目的からことばを選ぶ傾向がある。 |
2. Narrative Mode(物語様式)
・真実味をもたらす。 |
・論理的一貫性をやぶることがドラマの基礎として定式化されている。 |
・良さの基準は、ストーリーの迫真性にある。 |
・<理解>する様式 |
・物語の様式の想像力に富む適用は、それとは違って、みごとなストーリー・人の心をひきつけるドラマ・信ずるにたる歴史的説明などをもたらす。それは人間の人間風の意図・行為、そしてそれらの成り行きを示す変転や帰結を問題にする。物語は、人間の意図の変転を取り扱う。 |
・ストーリーは、同時に二つの「光景」を構築する。一つは、「行為の光景(行為の動作主・意図・目的・状況・道具・物語文法)」であり、一つは「意識の光景(その行為にかかわっている人々の意識)」である。 |
・検証可能性、反証可能性の必要はない。 |
・ストーリーを語る際には、そのストーリーが展開される主観的風景にふさわしいパースペクティヴをもち、なおかつ生起する行為を十分に考慮しつつ、主人公の見る目で指示対象を表現するという、ことばの選択上の制約がある。 |
つまり、
・・・科学は「説明(explain)」する。それは、コンテキスト・フリーであり、externalなものである。それに対し、文学・人間科学・歴史は、「理解(understand)」する。それらは何も説明しないが、心を豊かにする。また可能性の世界を広げる。
・・・科学的な理論は、検証という手段において、判定されるが、一方、物語は、確からしさを基本にしてしか判定ができない。
・・・解釈学への転換が、文学の領域からはじまり、歴史・社会科学へと波及し、さらには認識論までにいたった。今度は教育の番である。解釈の目的は、<理解>することであり、<説明>することにはない。(中略)そうするにあたっての我々の手段は、narrativeにある。すなわち、なにものかについて語ることによってである。しかし、narrativeや理解は、他の方法を排除しない。それは、厳密な検証可能性においては、真実らしきものを求める手段であり、つねに「possible worlds」に開かれている。
○reference
・Jerome Bruner 1996. The Culture of Education. Cambridge University Press.
・Jerome Bruner (1986). Actual Minds,Possible Worlds. Cambridge University Press.
・・・ナラティヴは、人間の行為を組織・維持するものであり、それゆえに、人はNarrativeを通してリアリティを構築する。また、人間は、Narrativeを通して他者を理解する。Narrativeによって、他者理解が容易になる根拠は、それがresoningに影響をあたえることによる。
○reference
・Steven D. Harlow & D. LaMont Johnson. 1998. An Epistemology of Technology. Educational Technology Review. Spring/Summer 1998 AACE.
■Narrative研究の系譜(Narrative Approach)
これまでNarrativeは以下の二つの系譜で研究されてきた。
Narratologyは、構造主義におけるレヴィストロースによって主張された神話研究の影響をうけている。レヴィストロースの神話学は、神話を、神話素という個々の単位に分割し、それらの「関係」を探求する。ここでは、表層的な神話の内容は、どうでもよい。問題は、深層にかくれる神話素どうしの有機的な「関係」であり、その「関係」は、人間の心的過程を反映しているとされた。このレヴィストロースの神話学の主張を「物語」に適用したのが、物語学であるといえる。
○reference
・Eagleton,T 1996. Literary Theory : An Introduction 2nd Edition. University of Minnesota press.
とくに社会科学などで、ある研究対象におけるある現象を<説明>しようとする際に、Narrativeに注目する立場のことをいう。
○reference
・瀬戸知也 「映像テクストと物語的アプローチ」 北澤毅・古賀正義編 『社会を読み解く技法』(福村出版)