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「コンピュータと教育」に関する論文・実践報告書・シンポジウム・研究会・ワークショップ。今までいろいろな場所、様々な媒体・人々から、いろんな話を聞いてきました。最近は、Webでもいわゆる「情報教育」のサイトが増えています。それを専門にしている筆者にとっては、その領域に関心が集まっているのは、大変喜ばしい限りなのですが、今までそういった場所・メディア、或いは、様々な人々から聞いたお話の中でどうしても、筆者が違和感をもってしまう言葉があります。それは「コンピュータは子どもの動機付けに役立つ」という言葉です。このページではその言葉の意味を、もう少し掘り下げて考えてみたいと思います。これについて考えることは、「コンピュータと教育の実践」を考える際、非常に重要なのではないかと筆者は考えています。 さて、先の言葉をもう一度詳しく見ていくことにしましょう。 「コンピュータは子どもの動機付けに役立つ」 一見すると違和感ないような言葉なのですが、筆者にはどこかおかしく感じられるわけです。それは子どもを「動機付け」ようとして開発されたものが、概して学習内容とは無関係の「動機付けの手段」を通して、子どもを「動機付け」ようとしているからなんです。たとえば、マルチメディアの算数学習ソフトを例に出して考えてみましょう。巷にはいろんなソフトウェアがありますが、だいたい算数に限らなくても、そういうソフトウェアは以下のような特徴をもっています。 1.ドリル形式のCAI(computer assisted Instruction)であること 2.ゲームや派手なキャラクターを使用し、ドリルを「演出」していること だいたいイメージがわくでしょうか?こういったソフトウェアでは、学習者はまずドリル式のCAIに取り組むわけです。コンピュータは何度間違えて文句は言いませんから、まずコンピュータ教材というと、CAIが採用されていることが多いわけです。でも、ドリルばっかりやっていると、学習者は当然のことながら「疲れたり」・「飽きたり」するわけですよね。そこで、そうした状態を予防するための、或いは、そうした状態から早く抜け出すための手段が必要になります。それが2のゲームであり、派手なキャラクターであるわけで、いわゆるマルチメディアばりばりの「演出」です。こうした「演出」は確かに、一瞬目を疑うようなものも多いです。特にゲームなんかはのめり込む人が多いですよね。だから、「動機付け」の手段として一番安易なのは「演出」なのです。 ただ、ここでひとつだけ重要なことがあります。こうした「演出による動機付け」の特徴というのはなんでしょうか?それは、そうした「演出」の多くが「教育内容とは無関係な何かで子どもを動機づけようとしていること」です。たとえば、「答えを十問連続で答えたら、次のステージにいける」だとか「かわいい女の子が教育内容を説明してくれる」とかいうのは、その最たる例です。「次のステージにいく=面をクリアすること」も「かわいい女の子」も、今、「学習者が学習している内容」とは全く関係がないわけで、いわば恣意的ですよね。そして、こうした考え方の根本に流れているのは、「学習は苦痛」であるから、それ以外で「なんとか動機づけて」、学習者を「のせちゃおう」という開発者の意図です。つまり、こうしたソフトウェアは暗黙のうちに「学習者」を「怠け者」としているのですね。 さて、こうして見てくると「コンピュータは動機付けに役立つ」という言葉の背後にあるコンピュータに与えられた使命というのはまさに「動機づいていない学習者を、無理矢理、動機づいたかのようにさせるお道化を演じること」なのですね。でも、そこで見せた「動機」は、学習内容によっておこる「動機」ではないので、結局の所、いくら学習が進んだとしても、やはり「お道化」です。 僕はこういうコンピュータの使われ方を「ピエロとしてのコンピュータ」と呼んでいます。ここで、誤解をさけるために言っておきますが、僕はマルチメディアを非難しているわけではありません。それは「技術」として非常に重要だと思っています。しかし、その「技術」が「ピエロとしてのコンピュータ」を支える技術になり果て、さらには「お道化学習」を生み出すような使い方をされるならば、その技術は果たして、本当に人間を賢くするのでしょうか?疑問を感じてしまいます。 コンピュータと教育をめぐる「議論」は今、まだはじまったばかりです。しかし、中には「コンピュータを用いたソフトウェアの多くは19世紀型のドリルを踏襲しているにすぎない」なんて言っている悲観的な学者もいるようです。一方で、「あれもできる、これもできる」式の「未来学」的な言説はこの領域にあふれています。このレポートでは、「動機付け」の問題を扱いました。確かに、ここに書いたことはそのまま実践に役立ちません。でも、こういうパースペクティヴをもって、コンピュータと教育の実践を見ていくことが、結果として実践をよくすることになると筆者は信じています。 ■Reference ○佐伯胖 1997. 『子どもを熱くするもう一つの教室』(岩波書店) ○佐藤学 1997. 『教師というアポリア』 (世織書房) |