The Long & Winding Road - 1999/10


1999/10/01 誕生日

 今日は、何を隠そう、イヤ、隠していないのだけれども、僕の誕生日。
 今年で24歳になりました。
 生まれてすみません。

 子どものころ、誕生日は、本当にくるのが楽しみで楽しみで、その日が近づくと寝れなくなったものです。誕生日には、プレゼントがもらえるので。いや、誕生日にしかそういうプレゼントをもらっていなかったかっていうと、それも違うんだけど。

 うちは、共働きの家庭で、今でこそ、そんなのアタリマエだけど、当時、北海道という土地柄もあって、あんまりそういう家庭はありませんでした。オヤジもオカンも、「でんでんこうしゃ」とかいうところにつとめていました。「でんでんこうしゃ」って、子どものころはよくわからなくって、「デンデンコウ社」か「デンデンコウ車」か悩んでいたのは、僕だけじゃないはず。
 で、そういう状況だったからかどうかはわかりませんが、いつも給料日前に、街によばれて、食事をして、そのあとで本を一冊ずつ買ってもらっていました。「学研のヒミツシリーズ」というやつで、今でも本屋にあるのかどうかはしらないけれど、とにかく、そうやっていると、一年で12冊、2年では24冊という感じで、どんどんたまっていきました。
 僕は、本が大好きで、その話は何回もしてるので、もうしませんが、それは、この「ヒミツシリーズ」にあったのかもしれないなぁなんて、今日、東京から大阪に帰ってくる途中の新幹線の中で、やっぱり「本」を読みながら考えていました。

 今日は、誕生日なので、素直になろう。
 僕を「本好き」にしてくれた両親に感謝。
 そして、24歳になった僕に、「誕生日におめでとう」といってくれた人々、本当にどうもありがとう。

 あっ、そうそう。修士論文は全6章中、3章まで完成しました。あと、もう少し・・・ホントカ?


1999/10/02 ふたたびビバリーヒルズ

 再びビバリーヒルズの話です。おなじみのビバリーヒルズ青春白書、僕好きなんですよ、脳天気な話の展開が。
 ずいぶん、彼らも進化していますね。ちょっとケリーはオバサン化しつつありますね。ドナちゃんは、ディヴィットと別れて、なんか大金持ちらしいノアとつきあいはじめるし。ディヴィットは、クラブの経営に失敗して、いいことなんにもないしね。
 それにしても、石油王だったのか、ノアめ。変わらないのは、ブランドンのしゃべり方だけだね、全く。それにしても、あの鼻にかけて「おじょうさんがた」とかいうしゃべり方、何とかなんないのかね。

 しゃべり方といえば、僕は北海道で生まれて、大学時代を東京で過ごして、大学院生を大阪でやっているんだけど、おかげさまで、もうめちゃくちゃな言語になってきました。

 「したっけ、何いうてはるのか、わかんないじゃん」

 みたいなしゃべりになってるのかな。
 自分では、あんまり意識していませんが、よく、「どの地方の人」からも、「変なしゃべり方」とか言われます、全然僕は気にならないんだけどね。でも、最近、僕は「浮き草」的なというか、「遊牧民」的というか、「焼き畑農耕」的な生活が、気にいってんだよね。別にいいよ、俺は、焼き畑民族で。そういうアイデンティティの浮遊には慣れました。

 さて、話をビバリーヒルズに戻すと、あの、ビバリーヒルズ青春白書の次にやっている番組、「お笑いバトル」ってシュールですね。ビバリーヒルズの登場人物のものすごい「High Cultureな会話様式」に耳が慣れたころ、「お笑いバトル」が始まるんだ、これが。「キロバトル」とかいう「お笑い単位」もよくわかんないし。この落差がものすごくて、いつも笑えます。まぁ、見てください、お笑いバトル。週によっては、レヴェルが低くて、全く笑えない芸人がオンエアされて、これまた愉快です。
 全然、ビバリーヒルズに話が戻ってないじゃん。


1999/10/03 ネットワーク、大学、そして未来

 阪大のネットワークが3日間泊まっている。停電なので仕方がないが、3日間はそれでも長すぎる。一日にメールが100通以上くるのに、それが止まる。寂しいなぁと感傷に浸っている場合じゃない。この間に僕にメールをくれた人が、みんなエラーメールを返されてると思うと、申し訳ない気がする。計300通だ。
 本当にすみません。申し訳なく思います。
 いくらなんでも、3日間ネットワークがとまるのは長すぎる。改善を求めたい。

 そろそろプロバイダのメールに乗りかえようと思っている。しかし、それもまたまた面倒くさい。まず、メールアドレスを関係するところにすべて通知しなければならない。名刺も、ホームページもすべてメールアドレスを変更だ。今のメールアドレスにこだわる僕の心境は、部活をやめようと考えている中学生の心中にそっくりだ。毎日、「こんなクソ部活、やめてやる」と考えていながら、日が過ぎる。気がついたら、中体連を向かえていて、結局、最後までやっちゃうことになる。でも、今回は、これが契機だ。メールアドレスを近日中に変更します。
 
 ネットワークが止まっていては、仕事にならない。やむなく、今日は一日中自宅にいることにした。僕のマンションは、ケーブルテレビが去年から接続されている。一年に20〜30時間しかテレビを見ない僕にとっては、ケーブルテレビなんてどうでもいいんだけど、なんと、今年からはインターネットの接続サービスまでやっちゃうんだと。理論値でISDN電話回線の100倍っていうから、驚きだ。それにしても、月に6000円は悩むなぁ。タバコが24箱も買える。あっ、そんなもんか・・・禁煙すれば、専用線かぁ・・・。どうしようかなぁ。

 それにしても、ネットワークの専用線が月6000円っていうから、少し高い気はするけど、本当に驚きだ。かつて僕が駒場で、常時起動しているワークステーションの前で、はじめてインターネットを体験した、あの感動が、もう個人のイエにまで押し寄せてきている。大学生の中には、メールを見るためだけに、大学にくる学生も少なくないから、こんなにネットワークが身近になると、大学に人がこなくなるんじゃないか・・・。

 今まで学生にとって、ネットワークは、学生個人のものではなく、大学が専有していた。否、ネットワークばかりじゃなく、コンピュータ本体だって、ソフトウェアだって、大学の専有物であったんだ。フツウの人には、手にはいりにくいからこそ、そういうお金のある大学が、それらの機材やインフラをにぎっていた。そして、機材やインフラをにぎることは、すなわち、権力や管理の強化につながることもしばしだった。

 ネットワークの接続が月に6000円になり、コンピューターだって、今では10万でおつりがくるし、ソフトウェアも、アカデミックパックなら、アホほど安い。こんな時代になれば、これら全部は、もう個人の手が届く範囲になる。管理にうるさく言われるくらいなら、もう大学の施設なんて使いたくないと、学生が思うようになるまで、そう長くはかからないだろう。否、僕のまわりの学生は、結構、そう思っている。

 ネットワークは常に動き続け、カタチを変えている。そして、そのスピードは、とどまるところをしらない。大学が、コンピュータやインフラをにぎれる時代は、もうすぐ終わろうとしている。

 メールアドレスをWebから申請していて、そんなことを考えていた。


1999/10/04 秘密

 東野圭吾の「秘密」を読む。ずっと前に買っておいたのに、読んでいなかった。読むきっかけになったのは、広末涼子である。なにやら、彼女が映画で「秘密」をやるらしい。そこで、今や無法地帯となっている本棚から、奥深く眠っていた「秘密」を引っぱり出す。上から、なぜか、「はさみ」が落ちてきて、もう少しで足が「亡きもの」になるところだったが、まぁ、広末に免じて許そう。

 なるほど、「秘密」は切ない物語だ。受験問題風に、あらすじを50字で述べよ、と言われたら、こうなるかな。

 ある男の妻子が事故にあい、妻は死ぬが、その妻が子どもに憑依して生活する話し。

 あーあ、これじゃ全然わかんないじゃん。まぁ、いいや。みなさん、読んでください。なかなか切ない物語です。広末がどんな風に演じるのかが楽しみだね。


1999/10/05 煩悶

 ある男が、今、コップを見ている。そして、同じ時刻に同じ時、まさにその男の子の横で、ある女がやはり同じコップを見ている。簡単にいえば、男も女もコップを見ている。しかし、ここで男に疑問が生じる。自分の見ているこの【コップ】が、女の見ている<コップ>と同じものなのか。女もやはり、自分の見ているこの<コップ>が、男の見ている【コップ】と同じものなのか疑問に思うとする。じゃあ、その疑問を解決するには、どうすればよいか。
 男は問う。

 僕の見ているこの【コップ】が君に見えるかい?

 女は言う。

 確かに<コップ>が見えるわ。でも、あなたの見ている【コップ】かどうかは、わたしにはわからない。わたしの見ている<コップ>は、あなたの見ている【コップ】と同じものなの?

 かくして両者の問いは、解決不能な問いになる。目の前のコップさえ同定できぬほど、他者をめぐる認識は、このようにものすごく奥が深い。

 さて、話は変わるが、人間とは物語る動物であるという。僕の研究テーマのひとつに、Narrative(人が物語る行為)と学習を結びつけようというのがあって、それでこんなことを考えているんだけど、確かに人は物語る。
 客観的な事実など、何一つ存在しない。あるのは、人間のつくりだす物語だけである、という根元的な認識から、この領域の研究はスタートしている。
 しかし、ある人の物語を事実と保証できるものは何一つないというは、ものすごく孤独なことであるらしい。わずか24年の経験をもっていうが、孤独の中で人は生きられない。それならば、その孤独を癒すのは何か? おそらく、人は他者と物語を共有することだとか、物語を相互構成すること、だとかいうだろう。言うのは簡単だけど、この「共有」や「相互構成」は、かなり疑わしいと僕は思っている。物語を「上から眺めることのできる特権的な者」だけが、この「共有」や「相互構成」を同定できるのではないか。

 他者、物語、そして孤独と癒し。今日の夜、ふってわいたこの問いに、どこかに解決策があるのか、ないのか、今の僕にはわからない。


1999/10/05 ハムラビ法典と幼稚園の話し

 おいおい、まさか、一日に二回も日記を書くなんて。
 暇なワケじゃないです。今日も日中は勉学にいそしんでました。
 でも、なぜか、眠れなかったんです。今日は、急に具合が悪くなって、すぐに大学から戻ってきたのだけれども、いつも夜更かしをしているから、全然眠れないんです。風邪薬には、睡眠薬がはいっているということを思い出して、定量の2倍のんだけれど、全然眠たくない。テレビをつけても、あんまりオモシロクないし、こないだ、しこたま買ってきた小説は、全部読んでしまったし。なんもすることがないから、ノートパソコンのメンテナンスをやらねばと思って、レジストリをいじってみたけれど、こんな意味不明のシロモノをいじっていても、全然眠くならない。仕方がないから、疲れようと思って、近くのセブンイレブンまでちょいと小走りしたけれど、余計目がさえちゃってダメでした。もう知らん。

 そういえば、今日、朝に幼稚園の前を通りました。
 僕の通学路のひとつに、「幼稚園通り」と勝手に僕が命名した通りがあって、そこにいるガキを見る度に、僕は頭から食べたくなります。かわいいねぇ。ずっとあんなんだったらいいのに、音もなく静かに、「大人」になっていくんだろうさ。「痩せた身体」をひきずって「虚ろな愛」を語る「大人」になるんだべ。あぁ、不潔だ。おかあさん、許しません。

 そういえば、僕の幼稚園時代、すごいんだよね。僕は、実は、身体が昔から本当に弱くて、女の子として育てられました。なんせ、幼稚園に入園した次の日に即入院だから、その「弱さ」ってハンパじゃないです。髪は「ちびまる子ちゃん」みたいな「おかっぱ」だし、ナイスな「タイツ」ははいてるし。ずいぶん、いじめられたそうだよ。そうそう、いじめられたといえば、いじめられて額に傷をつくってきたとき、オヤジに言われたコトバを僕は忘れることができません。

「やられたら、2倍にしてやりかえせ」

 おいおい、オヤジ。ハムラビ法典じゃないんだからさぁ。ここは古代じゃないぞ。
 でも、笑えないのは、僕はそのオヤジのコトバを、とうとう実行してしまったということでしょうか。なんかでいじめられたとき、あまりにハラがたって、いじめっ子の顔を「石」でなぐってしまいました。そのときからかどうかは、わかんないだけれども、小学生にはいり、次第に、僕はだんだんと「強く」なってきました。

 そういえば、また話は飛ぶけれど、今年の夏、箕面のある幼稚園に参与観察にいきました。僕は、「サッカー名人お兄さん」と幼稚園児の前で紹介されてしまい、結局、炎天下の中、4時間もサッカーをするはめになりました。まぁ、それはいいとして、あのとき受けたイニシエーションは、すごかった。なんと、幼稚園児の側で、わけのわからない「踊り」をやらされちゃったんです。「おはようダンス」だとかいう名前がついてたように思います。「お母さんといっしょ」のお兄さんみたいなダンスを、やったのです。最初は、恥ずかしくて恥ずかしくて仕方がなかったけれど、次第に、慣れてしまい、最後の方では調子こいてかなり激しく踊っていました。田中星児の気持ちがわかったなぁ、あのときは。

 なんかとりとめない話しになったけれど、やっと眠くなったので、今日は、これでおしまい。


1999/10/06 蓮如

 おいおい、蓮如だってさ。「れんじょ」じゃないよ、「れんにょ」だよ。今日は、蓮如の話しです。
 日本史をとっていない人のために解説させていただくと、蓮如は「室町時代」の人ですね。日本史の教科書では、本願寺の宗主にして、一向宗という流れをつくった坊さんということになっています。一向宗、すなわち、浄土真宗は「ナムアミダブツ」という念仏をとなえれば救われるとする「他力本願」的仏教の代表格ですね。
「ナムアミダブツ」というのは、親鸞が広めた念仏です。蓮如は、それを引き継ぎ、民衆の、特に、差別と抑圧に苦しむ人々の中を、布教したわけです。で、当時、時の権力と結びついて一大勢力を築いていた天台宗だとかを凌駕して、当時の仏教信者の3分の1を獲得しました。山科本願寺って聞いたことありますか。立派なお寺なんだけど、それが当時の一向宗の拠点でした。

 でね、今日の話したいことは、「布教の仕方」のことなんだけど、この蓮如の布教というのが、それが恐ろしく「教育的」なのですね。民衆にどのようにして教えをひろめていったか、僕の関心はそこだけです。

 で、簡単にいうと、それまでの坊さんというのは、どこかの高座にすわって、説教たれる「クソ坊主」が多かったそうです。それに、仏教なんて一部の支配階級の「教養」でしかなかった。当時は、リテラシーなんか普及してないから、まず、そういう難しい「説教」だとか「書き言葉」がわかる人っていうのは、そうそういなかったわけです。たとえば、親鸞の書いた「歎異抄(たんにしょう)」という本がありますが、これもめちゃくちゃ難しかった。

 じゃあ、難しいことのわかんない一般民衆に対して、蓮如は、どう布教活動をしたのかってことなんだけど、日本史やってる人は、「御文(オフミ)」と「講」というのを聞いたことあるでしょう。「おふみ」っていうのは、難しい教えを蓮如が、誰にでもわかるように書き直したお手紙のこと、「講」っていうのは、要するに、信徒たちがどこかに集まって、酒を飲みつつ信仰を深めるようなコミュニティのことをいうんです。
 蓮如は、まず、難しい教えを「オフミ」に書き記し、それをたずさえ、民衆の「講」を自ら組織して、自己維持できるような「信仰コミュニティ」をつくっていったんですね。こういう慣習をもつようになった民衆は、その「コミュニティ」を蓮如がいなくても、自己維持できるようになる。この「自己維持」というのがポイントです。
 こうして浄土真宗は、民衆の中に浸透して行ったんです。

 蓮如という人は、たとえば、一向一揆を組織しただとか、5人の妻をめとって、27人のガキがいたとかいう、「トンデモナイ坊主」と言われているんだけども、そんなことは、僕にはどうでもよくって、この布教の仕方がおもしろいなぁと思いました。だって、今の世界でも、もう蓮如の時代から500年以上もたっているのに、同じコトが主張されているからねぇ。


1999/10/08 潮騒の街の「美しくない物語」

 明日は学会。
 今、富山駅前のホテルの一室で、携帯電話を使いながら、この日記を更新している。今年は、僕にとって2回目の学会だ。発表は日曜日だから、ずいぶんまだ時間があるが、前日にならないと、こないだつくったプレゼンテーション(Power Point)を見直す気になれない。
 僕は、プレゼンテーションが好きだ。別に、好きということは、上手であることを意味しない。何をいっているかわからないときもあると思う。でも、人がなるほどという顔をしているのを見る瞬間、あるいは、顔を赤らめ抗議したくなる顔を壇上から見る瞬間、僕はなぜか快感を感じる。別に肯定されても否定されても僕の快感が失われることがない。かえって、批判・批評は大歓迎だ。
 僕のプレゼンに原稿はない。何をいうかもある程度の大枠しか決めない。名前が呼ばれた瞬間に、あらかじめ作っておいたプレゼンを起動し、それと人の顔を交互に見ながら、なるべく普通の会話のように話す。何が起こるかわからない。つまづくときもある。他者からの批判・批評、そしてプレゼンの最中におこる偶発的な出来事、すべてはドラマであり、それ故に、快感を感じる。

 というわけで、発表が近いのにもかかわらず、テレビのチャンネルをひねる。テレビをひねるとニュースをやっている。特集がはじまったところだ。それにしても、この日の特集はおもしろかった。今日の話題は、これに対する私見を少し述べようと思う。

 北海道浦河、この潮騒の街に、何名かの老若男女が集団で暮らしているという。人々は、世間では「精神分裂病」というラヴェルを張られている人々である。精神障害をもっているということは、この世間において、圧倒的な負のラベルを付与される。障害者は、障害そのものによって、障害者になるのではない。障害者は人々のまなざしの中で、人々の手によってつくられるのだ。かつては、座敷牢に生涯にわたって、監禁される精神障害者も少なくなかったと聞く。精神を病むということは、世間で生きていく資格のないこと、すなわち「顔をなくすこと」を意味した。

 しかし、この圧倒的なラヴェルをものともせず、精神病であることを公言し、「顔」をだして、自ら社会に働きかけ生きている人々がいる。今日のニュースの特集は、これらの人々紹介していた。

 この手の企画の多くでは、かならず「美しい物語」が語られる。前にどこかで書いたが、世間で抑圧されている人々の物語ほど、美しく虚ろな物語として構成されるものはない。つまり、マジョリティによってつくられるマイノリティの物語は、どこか「美しすぎる」ことが多い。

「精神病をもった人々を差別するべきではない」
「障害者や精神病者に生きる権利を認めるべきだ」
「障害者はピュアでイノセントな存在だ」

 そんな、そこらの酔っぱらいオヤジでも言える説教を繰り返し、さらにその説教は「みんな人間は平等だ」という美しい物語に回収される。美しい物語は人を魅了し、人々の多くを魅了するが故に「事実」を巧妙に覆い隠す。かくして、「人間は不平等だ」という「事実」は、人々に忘れられ、記憶のかなたに消える。平等なわけがないんだ、平等なわけが。ビバリーヒルズ青春白書を見て、そこに登場する登場人物と、僕を比べるがいい。平等という理念のウソは、ガキにでもわかる。

 しかし、今日のニュースの特集は、美しい物語を敢えて拒否していた。集団におこる葛藤や、人々の抱く矛盾、そして戸惑いを素直に認めるところからスタートしていた。集団生活の中に起こる葛藤、人々がうける差別と抑圧、それらが特集のモティーフであった。紋切り型の美しい物語を避けた制作者に賛辞を送りたい。美しくない物語、そして、そうであるが故に、人を安心させず、かの人の中に何かが「残る」物語、そんな物語であった。

 蓋し、自戒をこめていうが、我々は本当に考えなければならない問題を、「美しい言葉」織りなされる「美しい物語」として構成し、その物語から派生する「美しい規範」の中で、それを見事に忘れ去る。「考えさせるようで、人にものを考えさせないパラドキシカルな言説」は、確かに「美しい」が、我々のカタルシス(感情浄化)にしかならない。
 まずは、素直に耳を傾けよう。あらゆる規範をエポケーし、ただただ耳を傾けよう。
 精神病をもつこと、障害をもつこと、それらの意味が、それらに苦しむ人々の「声」の中から立ち上がるその瞬間まで。そうすれば、人は何かを見つけだすことができる。


1999/10/09 文章を書くことの意味

 作文、日記、感想文。
 実は何を隠そう、僕は、小学生のころ、文を書くことが大の苦手だった。本は好きだし、読んではいるんだけど、作文の下手さっていったら、たぶん、ガキの最低レヴェルでした。とはいうものの、今でも得意ではないけれど、文を書けなければ研究なんてできないので、苦手意識はもうないです。むしろ、毎日日記なんてつけているくらいだから、好きな方なのかもしれない。

 小学生の夏休みの宿題は、作文のオンパレード。まず、低学年なら「絵日記」をつけなければならない。読書感想文は、おそらくどの学年も書くことを推奨しているだろう。 北の国の夏休みは内地よりもおそい。7月の後半頃、決まってその日は暑いのだけれど、絵日記帳と読書感想文を書く原稿用紙を、先生からわたされ、なかば無視するように、それをランドセルにしまいこむ。帰りの足取りは、すこぶる重い。

 何が絵日記だ。
 うちの家族は旅行好きだったから、絵日記の題材がないわけではない。でも、まず、絵が描けない。今でもそうだけど、人の顔を書くと、およそ人の顔にならないんだな。じゃあ、写生的には描くことができないので、思い切ってデフォルメしようと思っても、デフォルメどころの話じゃなくなる。ギャグみたいな絵になっちゃうんだね。
 絵を素直に描いているときは、まだいい。問題は文なんだ。

「今日、お父さんとお母さんと妹と、自転車に乗って、美瑛川にいって、お弁当をひろげたら、虫がよってきて、気が狂うかと思って、家に帰ってきました。なぜかというと、僕は虫が嫌い」

 何が言いたいねん。

 いやいやいや、絵日記よりもさらに最悪なのは、読書感想文だ。これは大嫌い。もう嫌い。というか書き方がわからなかったんですよ。読書感想文っていうのは、「本のあらすじを書くコトじゃない」って気づいたのは、中学校になってからだもんな。だから、悲惨悲惨。なんで、本があるのに、僕がもう一回本のあらすじを書かなきゃならんの?って思っていました。あと、結局、アホだからボキャブラリーがないんですよ。文の最後は、全部「楽しかったです」「うれしかったです」しかないんだもん。ちょっと変速パターンだけど、よく使ったのは、あと「おいしかった」ですかな。なんぼ、食っとんねん。

 で、そんな僕が文を書くことが好きになったのは、結局、中学校になるころかもしれない。ほら、このころになると、好きな女の子とかできるじゃないですか。好きな女の子には、何かを伝えなければならないわけで、そのためには、レトリックっていうものがいるわけ。そんなことを考えながら、今まで読んでいた本を読み返すと、あるんですよ、満載なんですね、レトリックの。今まで本は読んでいたけれど、文章が構造化されてて、伏線があってなんてこと、全然気づかなかった。それで、そういうレトリックを身につけなければならんと。ボキャブラリーもつけなあかんと。そんなこんなで、高校にはいるころには、文を書くことの意味がようやくわかりかけました。

 だから、よく思うのです。まず、文を書くときには、内容がなきゃならない。この日記みたいに内容がないのは、いけない。で、あとは語りかける他者がいなくてはならない。人間、意味のわからない学習は学習にはならない。というわけで、作文が得意になるためには、恋愛を経験しなければならないのかもしれません。

 自分の子どもが作文苦手な全国のお母さん、大丈夫。おたくの息子さんも娘さんも、音もたてずにかならず大きくなります。そして、頭の中にある伝えたい内容と、語りかける他者さえできれば作文は「おのずと」好きになる・・・かもね。


1999/10/12 猛省

 学会が終わった。今年の学会は、本当に忙しかった。あまりゆっくりと発表を聞くことはできなかったけれど、いろいろな人とお話しする機会はもつことができた。中には、いろいろ考えさせられるお話も、あった。

 学会のあと、発表のあと、僕はいつも「猛省」にかられる。「あぁ、あのとき、あぁすればよかった」「質問には、こんな風に答えればよかった」、後悔というわけじゃないが、反省は、3日ばかり続く。

 そして、人生は続く。


1999/10/15 Englishman in NewYork

 スティング(Sting)の名曲に「Englishman in NewYork」というのがある。文字通り、ニューヨークにすむ英国人の情感あふれる生活をうたったものだ。

 Oh, I am an alian.
 I am a legal alian.
 I am an Englishman in NewYork.

 トーストの焼き方、紅茶の習慣、ステッキ。
 英国人の「英国人たるもの」すべてが、ニューヨークでは「特異なもの」として、人々の目にうつる。しかし、それにもかかわらず、簡単には引き下がらない。あくまで、わたしは「Englishman」なのである。

 マージナリティ(Marginality)、ペリフェラリー(Pheripheraly)。
 どこか物事の中心に向かいつつも、それにあがない続け、片隅に自分をかたどる、そうした人間のありように、僕は心惹かれる。周縁に位置づくが故に、自由に「境界」を越境する、そして「越境」が自由にできるが故に、様々な「まなざし」で、ものを見続け、学ぶことができる。否、人は、組織や制度のもつ求心力に身をゆだねながら、周縁を生きているのかも知れない。

 Oh, I am an alian.
 I am a legal alian.
 I am an Englishman in NewYork. 


1999/10/17 逆ギレ

 本当に寒い日だった。
 北国生まれの僕にとっては、「南国としての大阪」「トロピカルな大阪」にも、いよいよ冷たい風が身体にしみる「冬」の足音が響くようになった。札幌では、初雪が降ったと聞いている。旭川の実家では、もうはやストーブをたいているらしい。北国では、きっと「雪虫」なんかが飛んでいて、チャリに乗っていると口にはいってきて、「うめぇ」なんて言っているアホな高校生がいるんだろうな。雪虫や雪のない「大阪の冬」は、確実に、だが、ゆっくりと、もうすぐそこまで来ている。

 そうさ、初雪といえば、受験生にとっては泣きたくなる出来事だったね。中学生3年生のときも、高校3年生のときも、初雪のときに限って、学校で「つまらん授業」なんか聞いていて、誰かが窓の外の「雪」に気づいて、「初雪だぁ」なんて言っちゃったりするんです。初雪がふるってことは、冬ってこと。冬ってことは受験だからね、やはり焦ります。北海道に生きる受験生にとって、初雪は、あまり歓迎できない出来事なんじゃないでしょうか。

 でも、大阪では、「雪」は降らないんだけど、今日、はじめてサンダルをやめて、ちゃんとした靴をはきました。今まで、果敢にサンダルでがんばってきたんだけど、さすがに足下が寒くて、風邪ひきそうだからね。そして、サンダルをやめる季節っていうことは、すなわち、冬ってこと。冬ってことは、シュウロンですよ。あぁ、憂鬱なり(コロスケ風)。

 最近、シュウロンはどうなってんだ?ということをよく聞かれるんですが、実は、もう前半3章ぶんは、できちゃってます。かなり修正が必要なんだけど、一応はできちゃってる。でもね、メインの4章・5章というのが、「このプロジェクトで何がおこったか?」ってことを書かなければならなくって、そこのメドが全然たっていないんです、はい。一番重要なところですよねぇ。

 悪いの?

 という逆ギレは、実はシャレで、実は不安に打ちひしがれています。でも、元気なら、何とかなるよ。今までそうやってきたんだから。でも、ウルフルズじゃないけど、いくらがんばっても、ダメなことはダメだからねぇ・・・。いやいや、何を言うんだ!、何とかなるに決まってんじゃん(自己思いこませ)。


1999/10/18 「ゲロゲロ」って覚えてる?

 僕の愛読書のひとつに、ビートたけしの一連の本がある。何を学ぶわけではないが、読んでいるとオモシロイ。政治のこと、女性のこと、生活のこと、文化のこと。ビートたけしの毒舌は、止まることを知らない。言いたい放題です、この人は。こないだ寝る前に、ふと彼の本を読んでいたら、なかなか興味をそそられることが書いてあった。

 もうすでに、バラバラになっているというか、ガタガタになっていて目も当てられないのが、若い奴らの言葉遣い。オレがちょっと冗談いうと、「うん、それ笑える」なんていう。笑えるって、おまえは審査員か、バカヤロウ。それで、何かっていうと、「ゲロゲロ」って答える。嫌だっていうのを、「ゲロゲロ」って言うんだってさ。もう、言葉が記号化してバーコードみたいになっている。(中略)「いいと思うよ」とか「嫌んなっちゃうゲロゲロ」とかその程度しかしゃべれないんだから。つまり、状況説明が何もできない。

○ビートたけし 1991. だからわたしは嫌われる. 新潮社,東京 p29-30

 ゲロゲロって、そういえば、あったね。あれは「とんねるず」が全盛時代に「みなさんのおかげです」でブームになったコトバかな。そういえば、流行りました。僕が高校の時だったと思うけれど、学校中「ゲロゲロ」言ってた。今じゃ、「お笑い死語バトル」で「480キロバトル」獲得しそうなコトバだけど、そういえば、みんな言ってました。

 それにしても、ビートたけしの批判だけど、「今の若いやつは・・・云々」っていう語りぐさの「陳腐さ」はさておいて、「状況説明ができない」あるいは「状況説明をしない」っていうのは、痛い批判です。彼は、「話をすること」を職業にしているので、こういうことには敏感なのでしょうね。

 今だったら、ナイナイの「めちゃイケてる」からでてきた「イケてる」というコトバが、「ゲロゲロ」ライクなブームになっている、あるいは、なっていたのかもしれんけど、これにしても同じです。「イケてる」「イケてない」というのは、「何がイケてるのか」「何がイケてないのか」なんてどうでもいい。とにかく、「イケてるか」「イケてないのか」なんだね、これまた。こういうことを言うと、「お前は評論家か、バカヤロウ!」ってビートたけしに言われそうだから、これくらいにします。でもさぁ、こういう「トートロジー」だけは、やめてほしいね、全く。お里が知れるよ。

中原「これが、なんでイケてんの?」
若者「だって、イケてるやん」
中原「どこが、イケてるの?」
若者「全部」


1999/10/20 冷却ファンでもつけようか?

 やることがたまってきている。
 我が愛機、2台のコンピュータもフル稼働だ。アダプタから火がでそう。

 TeacherEpisodeTankのヴァージョンアップ、同じアプリのマニュアルづくり、VisualCommunicationBoardのデザイン構想、同アプリのコントロール・ライブラリあつめ、修士論文第4章の執筆、Schoenfeldの文献購読、フィールドノーツの執筆、10月22日のシュウロン中間発表のまとめ、11月の教育工学協議会のプレゼンづくり、その他もろもろ。 おまけに、年金の書類をつくらなあかん。

 並列分散処理(Parallel Distributed Processing)という専門用語は、もはや、コンピュータ業界では、アタリマエになっているコトバだけど、人間の頭も、そうならないかなぁって思う。

 Intelが今年の冬に、1GHzのCPUを発表するという。1ギガだってさ、単位が変わっちゃったよ、あーた。うちのキヨちゃん(祖母)も、びっくりだね。でも、そんなに資源を必要とするコンテンツって何?
 1GHzってことは、発熱量も相当なんじゃない。それこそ、冷蔵庫なみの冷却装置が必要になるのかなぁ。それか、映画で使われる大型扇風機なみの冷却ファン?

 まぁ、いいや。とにかく、我が頭は、もう「熱暴走」寸前だ。今までは、カッコントウとバンテリンで耐えてきたけれど、もうだめかも。本気で、頭に「冷却ファン」をつけることを考えていた一日だった。

 そして人生は続く。


1999/10/21 デザインするということ

 デザインすること。
 それは、どんな行為なんでしょうか?
 いろいろな人が、いろいろなことを言っています。一応、僕もソフトウェアなんかをつくったりするので、デザインすることには、興味があるんです。そして、必ずといっていいほど、そういうソフトウェアをつくっていると、この問いに何度も何度もぶつかるのです。

 デザインすること。
 かつて、Winogradは、デザインすることとは「ツールをつくりだすだけでなく、ツールを使用する社会的状況をつくりだすことだ」と言ったそうです。おそらく、ここまで広い定義はないでしょうね。なにせ、「社会的状況」ですから。

 デザインすること。
 少なくとも、今の僕に言えるのは、デザインすることとは「活動をつくりだすこと」です。それは、単に便利なもの、今までになかった「新しいインターフェース」をつくりだすこと、というだけではないのです。今までにない「インターフェース」をつくりだすということは、今までにない「活動」をつくりあげることに他なりません。そして、「活動をつくりだす」ということは、「価値をつくりあげること」と同義なのかもしれません。

 だから、デザインすることは、怖いことでもあるのです。デザイナーがよかれと思って提案したが、ユーザーに受け入れられない活動。受け入れられない価値。デザインにとって、ユーザとのあいだに生じるこうした葛藤や矛盾は、不可避でさえあります。

 デザインすること。
 しばらく、この問いに煩悶する日は、続きそうだなぁ。


1999/10/22 語り得ぬものには

 昨日、マンションの階段で、同じマンションにすむ人とすれちがった。彼の後ろには、ひとりの女の子がいて、彼のあとに続いて階段を上っている。

「イヤっ、昼間っから、何しはんの?」

 と思っていたら、踊り場あたりで、彼と彼女が話している。

「こないだ、この踊り場のなぁ、ここに、ブツがあってん」
「いやだぁ」

 しばらく、遠い記憶の隅にしまいこんでいたものが、あぁ、蘇ってくる。あぁ、神様、この迷える男を許したまえ。それだけは、人に言ってはだめなことなんだ。それだけは、お前の、その心の中にしまっておけよ。
 このマンションにすむ同居人すべてが、共有するその忌まわしい出来事が、色あせもせず、目の前にあらわれでてくる。

 あれは、忘れもしない、阪大で活動理論の研究会をやった次の日の朝だった。前の日は、8時間ぶっとおしで活動理論と格闘し、さらにその上、夜には懇親会があって、エラク疲れていた。僕は、信じられない深い眠りについていた。

 zzz...

 次の日の朝、快活な朝。
 気持ちがいい朝だったので、近くの珈琲館にブレックファーストをとりにいくことにした。そして、見たんだよ、踊り場で。出会ってしまったの、うちのマンションで。あの茶色い「うんこ」に。そいつは、踊り場の片隅に、鎮座ましましていらっしゃって、その形状・大きさから、人間のものだったことは、ミジンコにだってわかる。僕は、コトバを失った。

 いやいや、一人暮らしをはじめて今年で6年目。こんなのはじめてですよ、全く。どこのヨッパイライかしらないけれど、よりによって、人のマンションで「うんこ」することねぇべ。これは人に語ってはいけない。これだけは、僕の中に秘密にしなければならない。この出来事がバレレば、僕は「うんこまん」と呼ばれちゃう。あるいは「あいつのマンションに、うんこあったんだって、きたねぇ」と後ろ指さされちゃう。
 僕は、その出来事をしっかりと、心のアルバムにしまいこんだ。

 人には言えないこともある。
 語ってはいけないこともある。
 あえて、同居人にいう。
 気安く、「ブツ」なんていうそんな美しいコトバで、この出来事を語ってはいけない。
 語り得ぬものには沈黙しなければならない。


1999/10/24 ケイエイガクというマイブーム

 おいおい、気でも狂ったか? 経済学や経営学は、学部一年のときに、駒場キャンパスで一度講義を聴いただけだけだぞ。その講義だって、400人教室のうだるような暑さの中で、あえなく途中棄権したはずだ。そのときは、なぜか珍しく、可愛い女の子の隣にすわるチャンスにめぐりあえたっていうのに、ひたすら、「発汗」してるもんだから、格好悪いなぁと思って、気分悪いふりして教室から途中退出しちゃったじゃん。そのあと、ひとりで、駒場下の「たこ焼き屋」で「マヨ大(マヨネーズつきの「たこ焼き」の大盛り)」食ってたの忘れたか? なんと、その僕が、今更、「マネジメント」だって・・・。
 
 いやいや、気は狂っていないのです。
 今年の夏くらいから、修士論文の合間をみては、読んでいるのが経営学のテキストです。今じゃ、もう十数冊になっちゃった。
 ちょっと話はズレるけど、講義ってものがいかに非効率かわかります。だって、ひとつの講義でカバーできるのは、頑張ってワンターム3冊くらいでしょ。独学すれば、同じ時間でその5倍は読めるのです。だから、講義は、あんまり好きじゃないんだね。っていうのは、言い訳なので、この際ほっておいて・・・。
 いやぁ、こんなにオモシロイものだとは思いませんでした、ケイエイガク。今じゃ、すっかりマイブームになっています。去年の夏の「おいなり大ブーム」もすごかったし、去年の冬の「キャラメルコーン大ブーム」もすごかったけど、今回は、もうちょっと「知的」です。「おいなり」の食い過ぎで、腹痛にならんですむし、キャラメルコーンの食い過ぎで虫歯にならないですむんだから、ずいぶん「知的」だよ。

 ケイエイガクは、駒場にいたころは、全然わかんないし、知りたいとも思わなかったけれど、今の「僕の視点」から読めば、「学習」の問題、つまりは、僕の専門領域の問題としても読めてしまうんです。誤読かもしれんが、別にいいんじゃない。ロラン・バルトも「テクストの快楽」とか言っているし。

 だって、いかに組織としての生産性をあげるかっていう問題は、結局、組織をいかに構築するかっていうことや、協調作業をいかに進めるかっていう問題になるわけですね。で、組織をいかに構築するかってことや、協調作業をいかに体制化するかっていう問題は、結局、人間が周囲の「他者」や「道具」と、どうつきあって、よりよいパートナーシップを築けるかっていう問題になるんです。そして、その問題を考えるためには、最終的には、人間の「認知」が問題になるし、そもそも「知識」ってものが何かってことを考えざるを得なくなります。だから、ケイエイガクは「学習論」としても読めるんだよー。
 たぶん、これを読んで「コイツ勝手なことぬかしやがって殴ってやろうか」と思っているケイエイガク専攻の人もいるかもしれないから、もう少し、控えめに言っておこう。ケイエガクは、ガクシュウロンなんじゃない、違う?、はい、すまんねー。

 さて、最近の本屋のケイエイガクのコーナーにいくと、「キャッシュフロー」とかにまじって、でました、「Knowledge Management(ナレッジマネジメント)」が必ずありますね。これって、ケイエイガクでは、どのように位置付いているのか、僕は知らないけど、それをパラパラ見ていると、なんか「Community of Practice(実践の共同体)」だとか、「暗黙知(Implicit Knowledge)」だとか、「グループダイナミクス(Group Dynamics)」だとか見たことのあるような単語が「バンバンバン」とでてくるんです。おまけに、「グループウェア(Groupware)」とか、CSCW(Computer Supported Collaborative Work)とかがでてくるんですよ、驚いた。僕の専門じゃん。
 なんか、僕が読んだ「Knowledge Management系」の本は、カッコイイ横文字がやたらと多くって、これまた「いんたーねっと」などの情報技術を使うなんてことが書いてあるから、たぶん、これ読んで圧倒されちゃうオジサマも多いんだろうなぁと思うんです。
 で、また横文字の響きのあまりのかっこよさに、影響されちゃうんでしょう、たぶん。でも、こういう本で紹介されている「情報技術」って、ある程度の開発環境と時間が整えば、まぁ100%とはいかないにしても、75%程度は、僕ら学生にもできるレベルです。75%じゃ、だめか、やっぱり。でも、ローテクの組み合わせなんですよね。そして、この「組み合わせ」がうまくいっちゃったら、スゴイことになるハズ?

 あとね、こういう本にでてくる横文字を「縦文字」にして、100回くらい唱えてみると、暗記しちゃうから、それはやめておいて、10回唱えてみると、なんてことはないことです。認知研究では、よく言われていることです。
 なんか、「アンダーライン」だか、「アンダーウェア」だか知らないけれど、いろいろ、コンサルティング会社が、横文字に商標とって、本だしてるみたいです。まぁ、愉快だし、それを実践のレベルにまで翻訳して、実際にコンサルティングしちゃうんだから、やっぱりスゴイですけど。

 それにしても、オモシロイなぁ、ケイエイガク。
 思ったのは、ケイエイガクって、限りなく僕は「学習研究」だと思うんだけど、決定的に、キョウイクガクより「スッキリ」しているのは、結果がわかりやすいんです。要は業績であり、利潤なわけです。たしかに、その利潤や業績をうみだすプロセスで「学習する組織(Learning Organization)」をつくりださなければならないってのは、わかるんだけど、結局は、金で「評価」するわけだから、「スッキリ」してますね。混沌としてるよなぁ、教育って。

 とにかく、このブームは、まだまだ続きそうです。
 歯みがいたかぁ? 宿題やったかぁ? シュウロン書いたか?(カトちゃん風)



 1999/10/25 今夜、白雪が街に舞い降り

 今日、街を歩いていたら、クリスマス用のCDがディスプレイされているのを見た。あっ、もう、そんな季節なのかなぁと思った。
 クリスマスの思い出っていうと、年をとってからは、あんまり「いい思い」はしていないのですが、やっぱりクリスマスの原風景っていうと、「サンタさん」なんです。うちのサンタさんは、僕が小学校6年まで来てくれたんだけど、他のおうちってどうなんでしょう。これって、知りたいね、全く。
 ちなみに、どうして、うちの「サンタさん」が「おやじ」と「おかん」になってしまったかっていうと、答えは簡単。僕のクリスマスのプレゼントに添えられているクリスマスカードが、「テレホンカード」だったんです。
 うちの親の職場は、NTTです。テレホンカードに「NTT旭川支店」て書いてあるんだもん、そりゃ、僕がいくら当時ハナたらしてたとしても、わかるよね。
 ノルマきつかったのかなぁ・・・おやじ。それにしても、最近、ハナたらしたガキいなくなったな。

 たらせ、ハナを!
 ヤバイね、子どもの権利条約にひっかかっちゃうかも。

 あっ、そうそう西森さん、去年の今頃じゃなかったですか、村上君とバンドを組んで、街頭ライブをやったのは。今年は、やんないのかな。クリスマス用のCDを手にとって、ふと、去年の千里中央でのライブを思い出しました。

 今夜、白雪が街に舞い降り・・・


1999/10/26 僕のカリスマ理容師

 カリスマ美容師って、最近は、ちょっとお茶の間を賑わしているけれど、知っていますか。なにやら、「モノスゴイ」美容師さんなんでしょ。そこの店には、開店から閉店まで、モノスゴイ数の若い男女が通うっていう。火でも噴くのか、そいつは。

 こないだまで、「カリスマ美容師」っていうコトバを知らなかった僕なんですが、こないだ、とうとう見つけました、僕の「カリスマ理容師」を。お○の水の、明○大学の近くに、ある床屋さんがあって、そこにいます、僕の「カリスマ理容師」は。

 だって、すごいんだもん。
 椅子に腰をかけて、霧吹きピューピューかけられて、「今日は、どうしますか?」って聞くから、僕が「後ろと横を切ってください」って言おうとしたら、言う前に切ってるんだよ、髪を。
 いやぁ、僕は髪型というやつに、全く関心がないから、こういう床屋さんは、ものすごく助かるんです。

 あと、30分で終わるんだよ、髪をきって、顔をそってもらって、セットするまで。これでたったの1900円。今時、ガキの使いじゃないんだから、この値段は破格です。東京のど真ん中でだよ。それにね、30分で終わっちゃうから、全然、眠くなんないし、疲れない。

 そんな僕の「カリスマ理容師」さんにも、たったひとつだけ、難点があるんです。それはね、最後のセットで、ピッチリ横分けの8:2にセットされちゃうんです。思わず、自分が「中井貴一」になったかと思わせるほど、ピッチリ横分けなんだよね。これだけがなぁ、ちょっとなぁ。まぁ、いい、カリスマなんだから。

 僕のカリスマ理容師。僕は行きますよ、これからも。やっと見つけたんだから。
あなたも自分の力でカリスマを見つけてください。カリスマは、見つけるものです、自分で選ぶものなんです。


NAKAHARA, Jun
All Right Researved 1996 -