Essay From Lab : Fragment10. 変貌:高等教育の未来 - 情報技術と欲望の果てに

2000/05/26 Update

 結局、5月も怒濤のように目の前を時間が流れていきました。こないだは、研究ミーティングに出席するため函館に出張をしたりしました。おそらく、年度がかわって各種のプロジェクトが本格的に動き出したってことも<忙しさ>につながっているんでしょう。

 さて、<忙しさ>と書きましたが、<忙しい>の「忙」という字は、「心を亡ぼす」と書きます。こういうことを言うと、「オマエも年とったなー」とか「どっかの小学校の朝会の校長挨拶みたいー」とか言われるので、あまり言いたくないのですが、まぁ、そういうことらしいですね。「心が亡びる」のは耐えられません。たとえ、時間的に余裕がなくても、明るく楽しく生きたいものだなぁと思います。

 ところで、今年から僕は2つの高等教育研究プロジェクトにかかわります。ひとつは、「Project BASQUIAT」というやつで、もうひとつは「Project Sicence@FUN-HAKODATE」という奴です。

 前者の「Project BASQUIAT」は、高等教育機関における遠隔学習を支援するCSCL環境を開発して、評価するというプロジェクトです。簡単にいうと、ネットワーク経由で講義というか、学習の素材が映像で配信されるんですね。これは、オンデマンドで配信されます。で、学習者はこれを見たアトで、この内容について議論を行うんですね。この議論は、今回開発したネットワークソフトウェア上で行うわけです。もちろん、このネットワークソフトウェアも配信される映像コンテンツも、学習者同士の議論が起こりやすいようにデザインを施してあります。

 後者の「Project Sicence@FUN-HAKODATE」は、「はこだて未来大学」っていう新しくできた大学で2年間にわたって行われる実践的な研究プロジェクトです。
 この大学では、教育の理念として、大学生が4年間で学習した内容っていうのを「ポートフォリオ」にまとめることが掲げられています。大学自体は、複雑系科学科と情報アーキテクチャ学科という2つの学科から成立する理系の公立大学ですから、当然、大学生の学習内容っていうのは、理系チックなものになります。たとえば、自分で開発したロボットであったり、プログラムであったりするでしょう。問題は、そうした大学生の学習の成果を、どういうカタチでまとめるかってことです。それにCSCLを用いようっていうのが、今回の研究プロジェクトです。

 さて、以上、僕が今年かかわる研究プロジェクトを簡単に説明しましたが、このページの目的っていうのは、「僕のかかわる研究プロジェクト」について説明することじゃありません。単に、こうしたプロジェクトにかかわる関係で、僕が高等教育について「ほんの少しだけ勉強をしはじめていて、それがオモロイナーと思っているので、ここで話したいですよー」って感じです。

 じゃあ、このページの目的はっていうと、ひとつめの目標は、「高等教育機関が、今、情報技術を用いて変貌しようとしている様子」を物見遊山的に見ていこうっていうってことです。最近、大学っていうのは本当に「めまぐるしく」変わろうとしているんですね。うちの大学は、どうだか知りませんが、数ある大学の中には、そうした努力を着々と進めている大学があります。今回は、その様子を少しだけ垣間見てみましょう。

 目標の2つめは、「情報技術を用いて変貌をとげようとしている大学の現在」に対して、いくつかポイントをしぼって、考えなければならないことを提示することです。「情報技術で○○が変わる」っていうのは、ハッキリ言いますが、「プロパガンダ」であることが多いですね。そこには、概して問題や考えなければならないことが生じてきます。そういう論点を示すことが、2つめの目標だっていうことです

 じゃあ、目標が見えてきたところで、それではいよいよ本論に入りますが、第一の目標は、情報技術を用いて変わろうとしている大学の様子を垣間見ることでした。その具体的な様子を見る前に、ひとつ問いをたててみましょう。

 なぜ情報技術を用いてまでも大学は変貌しようとしてるのでしょうか?

 それが以下に述べるような大学を取り巻く社会状況が複雑にからみあっているっていうのが本当のところなんじゃないかなって思います。

1.少子化
2.大学のマス化 - ユニヴァーサルアクセス
3.生涯学習によるニーズの高まり

 1の「少子化」っていうのは、簡単ですね。大学入試の主たるターゲットである18歳人口が減ってるってことです。第二次ベビーブームと呼ばれる世代が大学にはいってくる時代は、もう過去のものです。その時代は、大学に入学希望者が殺到したんですが、いまや、大学の中には「倒産」している大学や、「倒産寸前」の大学もあると聞きます。要するに、経営が成り立たなくなる危険があるってことです。いくら教育の世界に属しているとは言え、大学だって「商売」なのですから、経営が成り立たなくなるのはヤバイわけです。どうにかして、大学に学生を「呼び寄せ」なければならない。

 そういう時に大学がとる「てっとりばやい戦略」で、今や、あまり通用しなくなっている戦略に、「学科の名前をクールにする」っていうのがあります。中身は変わらないんだけど、名前だけかっこよくしちゃえってことです。僕らが大学にはいる時代は、「国際関係学科」とか「総合政策学科」だとかいうがムチャクチャ流行していました。今は「福祉」とか「医療」「臨床」だとか「コミュニケーション」だとか「情報」ですか。まぁ、こういうのはハッキリ言って流行です。学生の方もタイガイ賢くなっているので、ずっと通用する戦略とは言えないような気もします。もっとキチンとしたヤリカタで学生を増やす必要があるわけです。

 次に、2の「大学のマス化」っていうのは、大学が「大衆化(マス化:Massification)」しちゃうってことです。要するに、「大学には希望する人ならば誰でも入れるようになる」ってことですね。こういう状態を、「ユニヴァーサルアクセス(Universal Access」って言っちゃうオッサンもいます。大学へのアクセスが「ユニヴァーサルアクセス」になっちゃうと、大学自体の性質も変わってきます。つまり、「量的拡大は質的転換につながる」っていうことです。

 ところで、かつて大学っていうのは、「エリート」の養成機関でした。「末は博士か大臣か?」っていうコトバにあらわされるように、要するに、「大学に行きさえすれば、博士か大臣になる=エラクなる=エリートになる」と思われていたし、事実、一部のエリート大学の卒業生たちっていうのは、国の中枢を担うエリートになっていったわけですね。

 その時代に大学に行けた人っていうのは、限られた裕福な人ばかりです。ものすごく少数だった。ところが、大学の希望者が増えて、今や18歳人口の半分近くの人が大学に行くようになると、つまり、ユニヴァーサルアクセスの時代に大学が入ってくると、「エリート養成機関」であった大学の性質そのものが変わってきます。大学にいくことは、なかば「万人の義務化」しちゃって、そこで教えられる知識っていうのも、「市民教育的」で「多様」なものに変わってくるわけですね。そうした「多様」で「市民教育的」な知識を、どう伝達するかっていうことが問題になってきます。

 次に、3の生涯学習のニーズの高まりっていうのは、よく言われていることです。要するに、定年を迎えた「おじさん」とか、子どもを育て終わった「おばさん」とかが、「学びたいよー」って言っているってことです。今までは、公民館とか青年大学とかでも、そうしたニーズに応えてきたのですが、もっと「専門的な知識」と言うんでしょうか、そうした知識が求められているんでしょう。「学ぶことは何人たりとも犯されぬ万人に開かれた権利」なので、それはそれでよいことだ、と思います。さっきは「市民教育的な知識」が大学に求められていますって書いて、今度は「専門的な知識」って書いたので、「矛盾してんじゃん、オマエさー」って、ご指摘をなさる方もいらっしゃるかもしれませんが、細かいことを言うと、この矛盾こそが大学の抱えるジレンマなんですね。つまり、「簡単だけども専門的な知識」を伝えなければならないっていうジレンマに、大学は応えることを同時に要請されているってことです。大学のかかえるこのジレンマ関しては、すこし細かいことなので、これくらいにしましょう。

 ところで、これは私的なことなのですが、僕の出身地は北海道の旭川っていうところです。たまには帰省とかもするのですが、帰省するたびに、この「生涯学習のニーズの高まり」っていうのは、ひしひしと感じます。カルチャーセンターとか、企業がやっている学習会とか、それこそ青年大学とかに行っている、あるいは行こうとしている人の、なんと多いこと。まさに、生涯学習万歳!って感じなんですね。今の生涯学習を支える世代には、「学びたくても学べなかった人」がたくさんいます。うちのオトンやオカンもその一人なのですが、やはり「学びたい」んでしょう。そういう人たちの欲望に、大学が応えようとしているのかもしれません。

 以上、大学が取り巻く状況っていうのを簡単に書いてきました。要するに、まとめると、以下のようになるでしょうか。

1.若者が減ってるよ、どうしようかー。このままじゃ、ヤバイぜー、経営がぁ・・・
2.でも、生涯学習で学びたいって人もいるよー
3.忙しくて大学に来られなくて学べない人も結構いるみたいねー
4.そうか、学びたくても大学に来て学べない人って結構いるんだねー
5.じゃあ、どうしよっか・・・
6.なるべくお金がかからなくって、大量の人がアクセスできるシステムって何?
7.昨日、宣伝で「e-コマース(e-Commerce)」って言ってたよー
8.そうか、情報技術を使えばいいんじゃん
9.インターネットとかだよねー、そうしよう、そうしよう!

 じゃあ、次に、実際に情報技術を用いて大学がどのように変貌しているかっていう例をいくつかあげていくことにしましょう。こうした試みは、北米を中心に加速度的に広まっており、いまや全大学の半数をこえる大学が、ヴァーチャルユニヴァーシティを展開するに至っているようです。一方、日本ではどうかっていうと、これも加速度的に進行しています。いくつかの大学では、実際に試験運用がなされていますし、中には実用に踏み切っている大学もあります。ただ、まだ日本の大学のレベルっていうのは、北米に比べて大きな格差があることは否めません。

 ところで、一口に「情報技術」を用いると言っても、具体的には「どんな技術」なのでしょうか。そして、そうした技術でどんなことがおこなわれているのでしょうか。
 これは、かなりおおざっぱな分け方ですが、ヴァーチャルユニヴァーシティで用いられている技術は、主に3つにわけられます。

1.ストリーミングビデオ(Windows MediaPlayerやRealPlayerなど)による講義配信
2.E-mailやBBSなどによる「教師-学生」「学生-学生」コミュニケーション
3.Webによるコースウェア

 1の「ストリーミングビデオ」っていうのは、インターネットを経由してサーバーから各インターネット端末に随時送信されるようなビデオ映像のことをいいます。これは遠隔講義の配信に使われています。最近では、「ブロードバンド」って言って、帯域の太い「ネットワーク」が注目されています。現段階では、まだまだ家庭の回線で満足に受信できるっていうのは、無理があるかもしれません。
 2については説明はいらないでしょう。3の「コースウェア」というのは、要するに「学習のコースに従って配列されたWeb上の教材」っていえばいいでしょうか。

 さて、ヴァーチャルユニヴァーシティで使用される「情報技術」の大枠がご理解いただけたと思いますので、いよいよ、以下、具体的に見ていくことにしましょうか。

スタンフォード大学 - スタンフォード・オンライン
http://stanford-online.stanford.edu/

スタンフォード大学のインターネット講義配信サービスです。「Windows MediaPlayer」か「RealPlayerG2」で、大学の講義がストリーミング配信されます。講義が終わってから3時間後には、全世界からインターネット経由で受信可能だそうです。

 スタンフォード大学は、全米で有数の私立大学ですが、ここの大学の特徴は、「シリコンヴァレー企業とのむすびつき」にあります。シリコンヴァレーっていうのは、もともとスタンフォード大学の用地でした。「実学重視」と「産学協同」を大学の理念としてかかげたスタンフォード大学は、自らの大学の用地を企業に切り売りしていって、その上で、学生をそうした企業に送り込んでいったわけです。そんなわけで、シリコンヴァレーの企業群とスタンフォード大学の「むすびつき」はものすごく強いわけですね。こうした企業がスタンフォード・オンラインを企業内教育に利用しているようです。
 企業としては、企業内教育のコストを低減するために、スタンフォード大学に社員を送り込んで、専門的な教育を行うことができますので、どちらにとってもメリットがあるんじゃないかなぁと思います。

 スタンフォード・オンラインは、かなりうまくいっているオンライン教育ですが、そうした成功の影には、こうした背景があることが重要なのかもしれません。ちなみに、スタンフォード大学では、オンラインだけの学習で学位をとることも可能です。この学位は、オフラインの通常の学位と全く同じで、「オンラインでの学位である」という但し書きはありません。

※関連情報

UC Berkeley(カリフォルニア州立大学バークリー校)
http://learn.berkeley.edu/
 泣く子も黙る「カリフォルニア州立大学バークリー校」のヴァーチャルユニヴァーシティです。AOL(アメリカン・オンライン:世界最大のインターネットプロバイダ)のサーヴィスを利用してオンライン教育が行われているようです。
※関連情報

ブリティッシュコロンビア大学
http://det.cstudies.ubc.ca/
 ブリティッシュコロンビア大学はカナダの大学ですね。WebCTというWebコースウェアツールを用いたオンライン教育です。
※関連情報
WebCT.COM
http://www.webct.com/

ワシントン州立大学
http://www.wsu.edu/vwsu/
 ワシントン州立大学は遠隔教育がもともと盛んだったという背景があります。ここもWebのコースウェアでたくさんの講義が公開されているようです。なお、こうしたコースウェアで学ぶことができるように、大学の新入生には、「Speak Easy Cafe」というBBSを用いて、コミュニケーションの訓練をしているようですね。
※関連情報
Speak Easy Cafe
http://morrison.wsu.edu/studio/

Cardean大学
http://www.cardean.com/
 UNext.COMという遠隔教育専門の会社が開発したWebコースウェアを用いたヴァーチャルユニヴァーシティです。Unext.COMには、あのD. A. Normanも開発にかかわっているようです。
※関連情報
UNext.COM
http://www.unext.com/unext-index.jsp

サイモンフレーザー大学
http://www.sfu.ca/
 ヴァーチャルユニヴァーシティの祖とも言えるでしょう。カナダのいくつかの大学と提携して、Virtual Uとよばれるソフトウェアを用いたオンライン教育を実施しています。
※関連情報
Virtual U
http://virtual-u.cs.sfu.ca/vuweb/VUenglish/

WIDE大学(慶應大学)
http://www.soi.wide.ad.jp/contents.html
 日本のインターネットの立て役者であった村井純氏の率いるヴァーチャルユニヴァーシティです。間違いなく日本で一番うまくいっているヴァーチャルユニヴァーシティでしょう。
※関連情報

大川恵子・伊集院百合・村井純(1999) School of internet - インターネット上での「インターネット学科」の構築 情報処理学会 Vol.40 No.10 - 018

メディア教育開発センター
http://www.nime.ac.jp/index-j.html
 メディア教育開発センターは、高等教育とメディアを研究する国立研究所です。教育工学のインターネット授業がストリーミングビデオで行われています。
※関連情報

フィールディング・インスティテュート
http://www.fielding.edu/
 カリフォルニア州サンタバーバラに事務所をかまえる完全にヴァーチャルの大学です。教師は北米を中心に各地に散らばっています。キャンパスはありません。ここでは、マスターやドクターなどの学位をオンライン学習だけで取得することができます。
※関連情報

 

 さて、以上、具体的なヴァーチャルユニヴァーシティをいくつか見てきました。市民講座の一環として行われているものから、実際にWebのコースウェアで単位を取得可能なもの、あるいはマスターやドクターなどの学位まで取得可能な大学もありましたね。あと、ヴァーチャルユニヴァーシティへのアクセスに関しては、専用のソフトウェアを自前で開発しているところもありました。このあたりに関しては、まさに玉石混淆といった感じですね。
 まぁ、大学ってわけではないので、ここにあげませんでしたが、最近は企業でも、Webを用いて「自分の会社の業務内容」などを学べるようにするホームページを立ち上げるところが多くなってきましたね。企業では、リクルートにこうした学習環境が利用されているようです。要するに、「うちの会社にはいりたかったら、業務内容くらいはキチンと学んでおいでよ」ってことでしょう。たとえば、以下のようなページがあります。

住友銀行
http://www.sumitomobank.co.jp/college/index.html

 日本では、高等教育機関より、どちらかといえば、こうした民間の動きの方がはやいです。企業の中には、ヴァーチャルユニヴァーシティに注目し、開発を密かに進めているところもあるようですね。

 それでは最後に、このページの2つめの目標である「ヴァーチャルユニヴァーシティの問題点や今後考えなければならないこと」をザーッと見渡してみることにしましょう。問題点には、少なくとも以下の3点があげられます。

1.ヴァーチャルユニヴァーシティの運営・維持のための人的リソース
2.ファカルティ・デヴェロップメント(Fuculty Development)
3.ヴァーチャルユニヴァーシティ上の学習の質の問題:評価の不在
4.学位の価値下落

 1の「人的リソース」ですが、これはもう自明でしょう。Webのコースウェアやストリーミングビデオを誰がつくるんですか、誰が開発するんですかって話です。技術的には、タイシタコトはないですが、「大学の先生」とコンタクトをとって、教材をデジタル化して、課金システムを整えて・・・・っていうのは、タイシタ仕事量です。これを毎日開発していくような人的リソースはバカになりません。今の大学には、おそらく、こうした人的リソースとして専門の職員を雇っている大学はないんじゃないか、と思います。もちろん、大学がそうした人的リソースを自前で抱えるのではなく、企業にアウトソーシングするのかもしれません。が、いずれにしても、莫大な開発費がかかることは目に見えています。

 2のファカルティ・デヴェロップメントも1の問題に似ています。要するに、講義を配信したり、コースウェアの開発環境がそろったとしても、大学の先生がそれを使えなければ話しにならないわけです。当然、大学の先生がこうしたメディアを学ぶ機会を作らなければなりません。たとえば、ブリティッシュ・コロンビア大学では、WebCTの使い方を専門職員が大学の先生に教える機会をつくっているとのことです。

 3の学習の質の問題は、僕としては一番問題であると思っています。要するに、コースウェアや講義などの「パッケージ化された知識」を受け取るだけで、どんな学習が成立するんだろうっていう根元的な疑問があるわけです。要するに、学習者が何を学べたのか、っていうことが、キチンと評価されていないんですね。ハッキリ断言しますが、「ヴァーチャルユニヴァーシティの事業としての成功」っていうのは、「ヴァーチャルユニヴァーシティ上での学習がよいものであること」とは、全く別の次元の話です。

 4の学位の無効化の問題も深刻だと思われます。こうしたヴァーチャルユニヴァーシティにアクセスし、一定の「知のパッケージ」を受け取ることで簡単に学位がとられるようになると、これまで一定の価値をもってきた学位そのものが無効化する危険が非常に高いってことです。事実、北米では「Ph.D」の価値がモノスゴク下がっています。
 もちろん、この問題はヴァーチャルユニヴァーシティだけの問題じゃなくって、大学院重点化の関係で、最近の大学が昔に比べて、学位を簡単にだすようになったという背景も大いに関係あります。

 以上、今回は高等教育とメディアってことで、大学を取り巻く状況、および、ヴァーチャルユニヴァーシティというアタラシイ大学の取り組み、また、それに関する問題点や課題などを述べてきました。

 高等教育がはじまってまだ500年くらいの歴史しかありません。制度化された高等教育ってことになると、わずか数百年です。大学の未来、それは明るいものなのでしょうか。大学はどこに流れていこうとしているのでしょうか。今後も注目したいところです。


NAKAHARA, Jun
All Right Researved 1996 -