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日記の方にも書いたのですが、最近、僕の後輩たちが就職活動をしているようです。僕はしたことがないので、わかんないのですが、ホントウにがんばってほしいものですね。ところで、そうした関係で、たまぁに後輩から連絡があるときがあります。
そんなもん知るかってーの、と言いたいのですが、かわいそうにあと30分でエントリーシートをWebから送らなければならない、なんて泣き言を言われると、じゃあ、こう書けばと思わず、適当なことを言ってしまったりします。ホントウにハナクソほじりながら、適当なことを言っているのですが、そのことがWebを通じて、企業の人事担当の方々に送られていると思うと、非常に申し訳ない気になってきます。 まぁ、こんなことが、今年になってから、何回かありました。で、まぁ、それはどうでもいいんですが、そういう経験は僕に自分のやっている専攻が、どんなものであるのか、それを自分なりに考えるよいきっかけになりました。今日は、僕の専攻である教育工学という学問領域について、それがどんなものなのかなぁってことを書いてみたいと思います。少し情報教育とは離れますが、情報教育というムーヴメントを推進しているのが教育工学であることを考えると、必ずしも無関係ではないということになりますね。 でもね、僕、教育工学をやっていると言っても、はっきり言って、この広大な研究領域のホンノ一部分でしか研究をしていないし、第一、この研究領域を勉強し始めて、まだ3年しかたっていないのです。学部のときは、僕は認知科学というものをやっていましたから、教育工学に関しては大学院からはじめたことになります。 で、考えました。わかっていないのだから、わかっていることだけ書けばよい。で、わかっていることって何かなぁと思ったら、それは自分のことだけだった、てかなり「笑えない話」があるのですが、結局、僕は自分の括弧付き「教育工学」しかわからない。だから、それを語ってしまおう、そう思います。 誤解を避けるために、最初に言っておきますが、これから語ることは僕の「括弧付き教育工学」であって、世間一般に言われている教育工学とは必ずしもかさならないかもしれないし、誤解もあるかもしれません。それは最初に断っておきます。だから、「ケシカラン、なんだこのタコ!」と怒らないでくださいね。優しく見守っていただきたいと思います。 さて、それでは教育工学なのですが、そいつはどんな学問なのでしょうか。僕の理解に関する限り、それは特徴を3つもっているような気がします。以下、それを書いてみますね。
1に関しては、ここがポイントだと思うのですが、教育工学というのは、独自の学問のディシプリン、つまり「お作法」をもっているわけではないように思います。たとえば、経済学とか心理学とか社会学とかみたいに、きちんとした「知の生産のヤリカタ」があるわけではないのです。たとえば、伝統的な心理学では、特に実験心理学とか言われる分野では、実験のヤリカタ、評価のヤリカタ、なんかは厳密に決まっています。そして、それに応じた測定器具もあるし、実験器具もありますね。それは社会学にとっても同じです。社会学も、モノスゴク領域の広い学問ですが、どうやって問題を検証するか、っていう方法に関しては、かなりキチンとしたものがあるように思います。もちろん、常に「内側の批判」にさらされているわけで、そうしたヤリカタは常にダイナミックに変わっているのは事実ですが、それにしても、そのヤリカタのきっちりさは、たとえば研究論文なんかを読んでみれば、すぐにわかります。 でも、教育工学っていうのは、中には本気バリバリの工学屋さんもいれば、中には教育屋さんもいますし、心理学屋さんもいます。そういう人たちが、いろいろと集まってきて構成されている「領域」なのですね。2で「研究領域」と言っているのは、そういうことです。 重ねて言いますと、教育工学っていうのは、その研究者によって、全然違ったバックグラウンドを持っていて、たとえば、心理学とか工学とかなんですが、そのバックグラウンドの違いによって、全然違ったプロダクトを生産しますし、研究の志向性も違います。 ただ、ある一点において共通していることがあるんですね。それは何かっていうと、3に書いてあるとおりなのです。「教育や学びの現場を教育的によくすること」ですね。 ここで第一のポイントは「現場」ってことだと思います。他の思弁的というか理論的な学問と違って、教育工学の独自性は、この「現場」ってことにあると僕は思っています。 第二のポイントは「よくする」ってことで、これは研究者によって、価値が違いますね。たとえば、「よさ」を「教育の効率性」におく人もいれば、「学習の生産性」におくひともいますし、僕のように「学習者がワクワクするような今までなかった学習の場」をつくりだすことってことにおく人もいるように思います。ここらあたりは住み分けなのではないでしょうか。でも、そういう「住み分け」はあっても、結局は「よさ」を求める。他の学問には、たとえば「現場でおこっていることを明らかにするだけ」を目的とするものもあるかと思うのですが、それとは対照的ですね。 そして、最後の手段なのですが、ここにようやく「テクノロジー」ってことがでてきました。でも、Fragment1でも言ったと思いますが、僕は「テクノロジー」というコトバをたとえば、コンピュータやネットワークのようないわゆる「ハイテクメディアです、ボーン」に限定しているわけではありません。人がある目的を達成するためにつくりだしたものを、すべて「テクノロジー」と言いたいと思います。だから、黒板消しだって、先生の振る舞いだって、すべてテクノロジーです。ここまでテクノロジーの概念を広げてしまったら、「モノ(アーティファクト:人工物)」というコトバを使ってしまった方がいいかもしれませんが。 以上、つらつらと述べてきましたが、僕にとっての教育工学というのは、結局、以下のようになると思います。重ねて言いますが、これは「僕にとっての教育工学」です。なぜなら、教育的なよさのところで、僕は自分なりの価値をおきましたよね。それに従った教育工学っていうのは、以下のようになるかと思います。
ちょっと抽象的すぎるかもしれないので、少しイメージがわくように具体的にいうと、僕の場合は、Fragment 4.でふれた「CSCL」っていうのが興味をもっている分野なので、コンピュータやネットワークなんかのテクノロジーを使って、今までとは違うような新しいワクワク系の学びの場をつくる(Engineering)ってことになるでしょうか。
--- 追伸. 最近(2004年9月)になって、下記のような定義もよいなぁ、と思うようになってきました。
たいしたかわってないような気もするのですが、「あらゆる知識を動員し」のところに、少しだけ思いをこめてみました。 けだし、工学とは、自然科学の知見を単に応用する学問ではないように思います。自然科学出身のヒトの中には、「工学なんて、僕らのつくった法則やら知見を応用してるだけだろ」っていうヒトもいますが(こういう学問あるべき論に僕は恐ろしく関心がありません。学問の理想のかたちは具体的な知見をもって示すべきだと思います)、そんなにモノゴト簡単じゃありません。様々な制約の中で、「具体的な問題解決に資する」っていうのは、そんなに楽なことじゃないのです。 |