■Keywords
■Summary
伝統的な高校の授業において、「科学を学ぶという事」の意味するところは、教科書を読み、講義に耳を傾け、相互に何の脈絡もない非文脈的な実験をいくつかする事である。もし科学教育の目的のひとつが、将来、参入するコミニュティの「科学的な問題」に出来る限り対処しうる人間を育てることにあるのだとしたら、我々は、科学が教えられる方法で、またある程度、科学の授業で教えられる事を基礎とした「新しいperspective」を支援し、育成しなければならない。また、この「新しいperspective」を支援するためには、「RiverMUD」と呼ばれる現在開発中の「モデリング、対話、意志決定に関する協同的なコンピュータシステム」に対して、「理論枠組み」を提供しなければならない。「RiverMUD」は、学習者がヴァーチャル・コミニュティ内で科学的な探求を行うための「Multi-User-Domain(MUD):複数のユーザーが共有する領域(環境)」である。
■Introdution
最近のアメリカ教育改革の運動では、科学の学習の「変革」の要請が高まりつつある。この場合の「変革」とは、新しい「科学のリテラシー」の概念に通じている。例えば、The American Association of Science project 2061は、我々「科学のリテラシー」として描いているような「変革」を求めている。「全てのアメリカ人のための科学」の著者は、「科学のリテラシー」を次のように定義している。
『科学のリテラシーを修養した人間とは、科学と数学と技術が、「力と限界」に関する、相互に依存した「人間の試み」であることをよく理解している人間である。彼は、科学の「鍵」となる概念や原理を理解しており、自然界によく精通し、その多様性と統一原理を認識している。また、彼は、彼自身のため、或いは社会的目的を達成するために、科学の知識、科学的思考を行使することができる。』
「教授学的なアプローチ」に全てを託してきた「伝統的な教室」は、これらの教育改革の要請する「scientically-informed,knowledge-using citizen(科学に明るく、その知識を使える市民)」の育成という目的の実現に大変な困難を経験してきた。しかしながら、「構成主義(constractivism)」と「社会文化的な理論(socio-cultural theory )」に基づく「新しいperspective」は、「教授学的なアプローチ」にかわる新たな代替案を提出している。これらの理論枠組みによって、「協同的で(collaborative)、文脈づけられた(contextualized)、知識構築的な(knowledge-building)、知識使用(knowledge-using)を志向する学習環境」構築の原理が提示されたのである。それらのおかげで、我々は「project-based science」のような教育方法を定義し、「RiverMUD」のようなコンピュータツールをデザインするに至った。「RiverMUD」は科学的知識の生成と使用に関する「コミニュティ」の創造を支援する。
構築主義のパラダイムによって、我々は、人を熱中(engaging)させうる構築的な活動を通して、如何に学習が促進されるかを知りえた。例えば、こうした活動において、学習者は仮説や問題を生成したり、推論したり、あるトピックを下位トピックに分解したり、様々な情報源から情報を集めたり、多様で矛盾の多い情報を組織化したりすることができるはずである。科学的現象のモデルを定義したり、構築したり、使用することは特別な行為であるが、そうしてはじめて学習者が科学的知識を構築したり使用するばかりでなく、認知的スキルを発展させることができるようになる。
さらに、「社会文化的な学習理論(socio-cultural theory)」によって、我々は「活動」や「実践」を理解し、また「状況に埋め込まれた(situated)、文化的な活動」に「参加(partcipation)」することを通して、「学習」が成立しているかについてのより深い理解が可能になった。これらの学習モデルは、「社会的(socially)、文化的(cultually)、歴史的(historically)、かつ政治的(politically)な状況に埋め込まれた(situated)文脈」から導き出される「意味の生成(meaning-making)」を強調している。「参加(participation)」の重要な要素は、学習者に「共有された経験(shared experience)」に基づく「対話(dialogue)」である。この「対話」において、例えば「モデリング(modeling : モデルの生成)」・「会話(discorse)」・「意志決定」などの「状況に埋め込まれた協同的な行為」は、意味を交渉し理解を促進するために必要不可欠である。
■Realizing Theory in Tasks: Modeling,Discorse,and Decision Making
我々は、3つのタスクを同定した。すなわち、「モデリング(modeling : モデルの生成)」・「会話(discorse)」・「意志決定」の3つであるが、それらは「RiverMUD」のようなコンピュータツールと「共働」的に結びつく場合、さきの学習理論によって示唆された「学習環境」の発展を可能にし、「科学的なリテラシー」確立の目的を達成することを支援する。「RiverMUD」はヴァーチャル・コミュニティにおいて、人々が共有しううる「経験」を提供する。このヴァーチャル・コミニュティは「会話」や「意志決定」を文脈づけるための「科学的モデル」生成の活動によって確立される。3つのタスクを結びつける鍵となるのは、真正で(authentic)、共有可能な活動の文脈を「創造」する能力にかかっている。「RiverMUD」では、ユーザーが協調し、相互作用する「共有可能な文脈」を、現実の世界におけるある現象の「モデル」に設定している。例えば、それは「川のエコシステム」のようなものである。この「共有可能な(学習の)文脈」の使用を促進するために、「RiverMUD」はモデルを操作し、モデル化された科学的現象についてコミニュケーションするためのツールを提供している。
人々に共有された「RiverMUD」の学習の文脈は、いわば、協同的なヴァーチャル・リアリティそのものであり、構築主義的なperspectiveからも、社会文化的な理論のperspectiveからも、適切なメディアといえる。というのは、「RiverMUD」を使えば、学習者が自ら「文化」にアクセスし、構築的な活動に「参加」し、さらには、行きつ戻りつして活動を「内省(reflect)」できるからである。ヴァーチャル・コミニュティにおいては、社会的、文化的、歴史的かつ政治的な状況に埋め込まれた文脈において学習者自らが意味の構築に「参加」できる。これらの疑似(simulated)環境のおかげで、科学的活動の理解は深まるし、「科学に興味のあるグループ」の「議論」や「意志決定」に歴史的かつ政治的な「感覚」や「意味」が付与されることになる。こうしたヴァーチャルの経験は、実世界での経験とそれが結びつくときに、科学や「科学的なリテラシー」に必要とされる科学の使用により深い理解を可能にする。
(以下、省略)
この後、本論考において、LCD(Learner-centered Design)ということが述べられます。LCDに関して、ここでは詳述しませんが、CSCLの論文ではよく言われることです。筆者の理解に関する限り、「LCD」とは、構築主義的かつ社会文化的な真正(authentic)な学習の経験を支援(scaffold)するための「キーワード」のようなもので、ツールのインターフェースや学習環境をデザインする際に、頻繁に語られます。LCDに関しては、たしか「Commnications of ACM」のどこかで、D.A.Normanが、詳しく解説していますし、筆者の指導教官の佐伯胖先生が「新コンピュータと教育」で取り上げています。佐伯氏によれば、「学習者中心主義(Learner-centeredness)」とは以下のように定義されています。以下、それを引用します。
『第2は学習者中心主義である。知識というものは、誰かから与えられるものでなく、学習者が自分たちで吟味して、探求して、創りあげていくものだとする。どういう知識をいつどのように学ぶかは、学習者の自主的な探求過程に即して、そのつど決まるものであるとする。学習内容について、段階別に範囲を限定する固定的カリキュラム観ではなく、学習が学習者中心に組織されるものがカリキュラムだとする流動的なカリキュラム観である。』
○佐伯胖 1997. 『新・コンピュータと教育』 (岩波新書)
佐伯氏は、この「学習者中心主義」と「分かちもたれた(distributed)知能」を21世紀の学習環境デザインの基本原理としています。ちなみに「分かちもたれた=分散性(distributedness)」とは、アメリカ教育工学のカリスマであるRoy,Peaの主導する概念です。「分散性」或いは「分散認知(distributed cognition)」に関しては、彼の論文を参考にして下さい。