生徒が輝くパソコン教育

-Computers in the Classroom-

Andrea R. Gooden

Nousuke Hatanaka,Izumi Tanaka(translation)

■Book Review

本書は、Apple社の教育助成金プログラムのプログラムマネージャーである筆者が、そのプロジェクトにより助成をうけた6つの学校の事例を概括したものである。Apple社の教育助成プログラムの主要な探求テーマである「教育とテクノロジの結びつき」のプロセスが、実践者をはじめ各校の実践にかかわった人々によって語られている。まずは、このようなプロジェクトを企画したApple社の関係者、実際に実践にあたった教育現場の関係者の労をねぎらいたい。

この本を通読して、まず筆者が考えたこと、それは以下の2点である。

1.文化・社会的背景の異なる実践事例を「範」にして、実践を組み立てたとしても、決してうまく行かないこと。その背後には教育システムの根本的な相違、教育に対する認識の違いが存在していること。

2.この本の実践事例は、「Authenticity(真正さ)」が非常に高いこと。コンピュータによる「学び」が、従来のメディアによる「学び」と差違化しうる領域のひとつに「社会的・文化的に価値のあると認められていること」に対するアクセスの容易さがあるということ。

以下、これについて考察していこう。

1に関して、アメリカと日本の文化・社会的背景が異なっていることはもはや言うまでもないことである。そして、そのことは教育の領域でも例外でない。たとえば、アメリカの教育現場には、「貧困」・「人種」・「低学力」などの社会問題が存在している。そして、アメリカの教育現場における「テクノロジ」の意味は、こうした社会問題の解決に視する道具立てとして、或いは、その問題の緩和に役立つ手段として、位置づけられていることが解る。それに対して、日本の教育現場では、そうした問題は表面化することはない。むしろ、日本の教育現場では、「画一的教育の是正」や「ゆとりの創出」といった、いわゆる「教育問題」の方である。そして、日本では「テクノロジ」がこうした「硬直化した教育」そのものを「変革」するきっかけとして、位置づけられている。つまり、「なぜテクノロジを導入するのか?」という問いに対する答えからして、アメリカと日本では違うのである。

もちろん、教員の資質も行政も違う。そればかりか、佐藤学(佐藤、1997)が指摘するように、そこでの教育様式も全く異なるのである。

しかし、それにもかかわらず、この本にかけられている「帯」には、以下のように書かれてある。

『現場の先生にすぐ役立つ米国での実践記録-コンピュータを導入してはみたもののと戸惑っている先生。こう使えば学校が変わり、これからのマルチメディア時代を自分のものにできる。』

筆者は、上にしめしたコピーが非常に「危険」に感じる。これでは、せっかくの実践記録が「How to」になってしまう。「こうやればうまくいく」という脱文脈的な「パソコン教育」の「スキル」だけが、全く文化・社会の「文脈」を無視した形で、普及することになるのではないか?それは筆者の杞憂なのか。

むしろ、それよりもこの本で大切なのは、そんな「あんちょくなスキル」ではないだろう。それは、「子供が熱中する問題はAuthenticityが高い、それはメディアの如何を問わない」という素朴な「命題」ではないだろうか?以下、それについて考察する。

さて、「Authenticity」とは、日本語では「真正さ(真正性)」と訳される。それは、学校でしか価値を持たない、換言するならば学校の言語ゲームによって生み出される「学校知」に対応する言葉であり、「社会・文化が価値のあると認めた活動・知識」を指示している。そして、この6つの事例全てに言えることは、コンピュータが媒介している「活動」の「Authenticity」が非常に高いことである。たとえば、ある小学校の実践事例(第2章)では、その地域に根ざした本物の「Folklore」をあつめ、生徒自ら編集し、誰でもがBrowse可能なようにpublishしている。また、あとの予備校の例では、プロ顔負けの「DTP : DeskTop Publishing」を自らの取材で集めた記事をもとに行っている。そうした事例には、もはや「学校」の「内」と「外」の差はない。認知科学では、比較的前から主張されていたことだが、やはり学習者は「真正の活動(Authentific activity)」の中で学でのである。そして、このことを突き詰めて考えれば、そうした教育実践におけるコンピュータの「位置」は、まさに「媒介」以上のものではないことがわかる。確かに、最初の内は生徒たちがコンピュータに「動機づけ」られたかもしれない。しかし、活動に長く従事する生徒たちを、動機づけているものは、もはやコンピュータではありえず、コンピュータが媒介する「真正の活動」そのものである。

「テクノロジをカリキュラムに適用するのであって、カリキュラムをテクノロジに適用するのではない。」

以上の記述が、なぜか頭から離れない。

■Reference

○佐藤学 1996. 「学びの文化とそのディレンマ」 佐藤学 1997. 『教師というアポリア-反省的実践へ』(世織書房)

○Andrea, R, Gooden. Computers in the Classroom. Apple press. 畑中伸介・田中泉 1997. 『生徒が輝くパソコン教育』 (NTT出版)


NAKAHARA, Jun
All Right Researved 1996 -