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経営学のフィールドリサーチ この本は、ぜひ、人にお勧めしたいと思った良著です。
タイトルは「経営学の・・・」となっているけれど、別にそんなことは気にすることはない。人文、社会科学系の学問領域の人で、フィールドワークに興味がある人なら、楽しく読めるのではないでしょうか。 特に僕は1章の藤本隆宏先生の「私のフィールドリサーチ遍歴」が大変面白かった。藤本先生といえば、「ものづくり経営」でとても有名な方で、実は、UT OCWでも講義を公開なさっていただいています。 本章では、藤本先生が、三菱総研で勤務なさっていた頃、ハーバードに留学した頃、そして「製品開発のフィールドワーク(彼のとても有名な研究です)」をなさった頃のことを、回顧風に買いていらっしゃいます。 「方法論」という観点で言えば、特に下記の2点については、完全に我が意を得たりという感じでした。ひとつは「統計に関するスタンス」、ひとつは「ケースメソッド」という教育手法についてです。 下記、引用してみましょうか。 まずは「統計に関するスタンス」から。 --- 「よい仕事をしているという確信」というのは、僕の場合、統計データというよりは、むしろケーススタディの積み重ねからきています。 (p39-40より引用) --- 次は、ケーススタディについて、ですね。藤本先生は、ハーバードビジネススクールで行われるようなケースメソッドといわれる教育手法について、下記のように語っています。 --- (中略)ケーススタディというのは、「ケーススタディをやればやるほど、どんどんと力がつく」というレベルにまで、基礎知識をあげておかないと、効果はでません。 --- これは、実は、今日ゼミのあとの食事会で、M1の三宅君、館野君たちと議論していたこと、そのものですね。 そのとき、僕は「協調で学ぶためには、どうしても基礎的な事柄に関する反復学習が必要だ」と言いました。「協調学習を研究したことのある人なら、必ず、そのことに気づくときがくる。彼らは決して協調学習と反復学習をトレードオフの関係とはとらえないハズだ」とも言いました。 自宅に帰ってきて読書をしていて、今日、自分が言ったことが書いてあったので、何だか嬉しかったです。 まぁ、僕が感じた共感はともかくとして、この本は非常によい本だと思いました。本を読んでいると、今すぐ、フィールドにでたくなって、その感情を抑えるので大変ですけれども。 ブレンディッドラーニングの戦略 「ブレンディッドラーニングの戦略」を一気に読んだ。
周知のことではあるが、「ブレンディッドラーニング」とは、「オンラインでの学習」と「オフラインでのF2Fの学習」を組み合わせた学習形態のこと。完全オンラインだけのいわゆる「eラーニング」と対比する言葉として頻繁に用いられることが多い。本書における定義は、「最適のトレーニングプログラムをつくりだすため、異なるトレーニングのメディアを組み合わせること(p3)」となっている。 本書は、アメリカで「ブレンディッド・ラーニング」のコンサルティングを行ってきた著者が、どのように「ブレンディッド・ラーニング」を組織すれば、より学習効果をあげられるのかを、懇切丁寧に解説している。 ブレンディッドラーニングの「歴史」にはじまり、「経営論」「デザインコンセプト」「メディア選択の方法」「予算の算出の仕方」などに至るまで、あますところなく解説している。 事例も豊富で、実際のスクリーンキャプチャなども見ることができ、大変参考になる。 おすすめの一冊である。 --- ところで、ここからはクダラナイことになるが、僕自身は「ブレンディッドラーニング」という概念自体には、はじめてそれを聞いたときから、ずーっと気になることがある。 しかし、教育学的な観点から見ると、「ブレンディッドラーニング」で言い表されていることの実際は、「オンライン学習をひとつのリソースとして構築されたカリキュラム」と表現出来る。 一般にカリキュラムとは「学習者の経験の総体」をさす。そう、「ブレンディッドラーニング」という言葉より「カリキュラム」という言葉を古く使ってきた僕のような人間からすれば、それは「カリキュラム」そのもののように見えてしまうのである。 なぜ「カリキュラム」と呼ばないのだろうか。「ブレンディッドラーニング」というと、何か特別な(スゴイ!)ラーニングの形態をイメージしてしまうのではないだろうか。ラーニングはラーニングであろう。そのあたりが、僕の「ひっかかり」の源泉なのではないかと思う。ほとんど「いちゃもん」だが、何となく気になる。 ・・・まぁ、どうでもいいんだけどさ・・・朝っぱらからくだらないことを述べてしまったことを反省する。 とにかく、本書は「効果的な人材育成の実際」を知るには最適の一冊だと思う。訳者ら(何人かは一緒に仕事をした方々である)にお疲れ様でした、と申し上げたい。 大学改革の海図 大学が動いた。1960年代後半における大学の喧噪と、その後の大学の沈黙を知るものからすれば、最近の動きは驚きである。 (矢野眞和 大学改革の海図より) 矢野眞和氏著「大学改革の海図」を、週末に読んだ。 矢野眞和(2005) 大学改革の海図 玉川大学出版会, 東京 それにしても、なぜ、今、大学は動いたのか? 「理念」だけによる変革ではなかった。「理念と経済」のせめぎあう場所に、大学の変革がはじまる。 大学に変革をもたらした経済的要素として、本書では「資金の市場化」「経営の市場化」「出口の市場化」「入り口の市場化」をあげている。 資金の市場化とは、政府によって供出されている大学運営資金が年々カットされ、他の資金源を大学自らが探さなくてはならなくなったことを意味する。新保守主義の思想 - 小さな政府、市場化、自由競争が大学をおそっている。国立大学の場合、効率化係数といって年1%ずつ運営費はカットされている。東京大学の場合、10億円の削減になるはずだ。 このような4つの市場化の潮流を背景にしつつ、本書では、変貌しつつある14大学の改革のフロントラインを紹介している。 --- 僕が大学界(そんな界があるのか!?)に入ったのが、2001年3月。その頃、すでに大学は動いていたし、今も動き続けているように感じる。 大学はこれからどこに向かおうとしているのか? マネジャーの仕事 ちょっと先週から具合が悪かったので、シンナリとおうちで過ごす週末(きっと疲労だろう・・・ようやく落ち着いてきた・・・それにしても長引いたな・・・)。 28日に大学で開催しようと思っている研究会の課題図書、ヘンリー・ミンツバーグ「マネジャーの仕事」を読む。
この研究会は「組織エスノグラフィー」に関するもの。内外の組織を対象にしたエスノグラフィー、あるいは、その研究方法論に焦点をあて、参加者全員で勉強することが目的である。 ミンツバーグの「マネジャーの仕事」は、やはり組織論の基礎文献と言われているだけあって、素晴らしいものであった。研究方法論は素朴ながらも、彼は、それまでの研究者が見いだしていなかったものを見いだそうとした。 それは、 「マネジャーは、本当のところ、どのように仕事をしているか」 である。 「マネジャーなら○○すべきだ」「マネジャーはかくあるべきだ」といったマネジャーの仕事に関する規範的なアプローチの研究はたくさんあった。 しかし、彼がたてた問いは、一見、それと似ているが、微妙に異なる。彼は「〜べき」が知りたかったのではなく、「本当のところ、どのように働いているか」をリサーチクエスチョンにした。 「マネジャーのことを、我々はほとんど知らない」 彼はそのようにいう。そして、経営学者は、本当はマネジャーのことを知らないのにもかかわらず、彼らが「すべきこと」を論じるという奇妙な芸当をやってのけていることを指摘する。 彼は、マネジャーの選択は、制約条件の中で「できるところで満足する」ために行われるものだとし、その即時的活動の様子を明らかにしようとした。そのために、5人のマネジャーに「黒子」のように張り付いて、その動きを観察した。 すぐれた研究は、リサーチクエスチョンと方法論で決まる。本研究は、その好例である。 そして彼が見いだしたのは、 1) マネジャーの仕事は断片化、多様化していること 2) マネジャーの仕事は、下記の10に分かれること であった。 --- ミンツバーグの「マネジャーの仕事」は通常、経営学の範疇に入る。しかし、そのリサーチクエスチョンや方法論は、教育学の領域にも十分適応可能である。 たとえば、私たちは本当に知っているだろうか。 校長がどのようなことを行っているか? について、本当のところを、自信をもって、知っていると言える人はどのくらいいるだろうか? たとえば後者の場合でいうならば、ランパートの著作における「ディレンマ=マネージング」の概念や、ピーターウッズの研究における「サバイバルストラテジー」の概念を思い出す。 しかし、それらは授業内における教師の動きの記述である。教師の「ある場面」について説明する研究ならある。だが、教師が過ごす「一日」「一週間」「一月」を、キチンとデータで説明した研究というのは、たとえあったととしても、それほど多くないと推測する。勉強不足きわまりない僕が言うことだから、なかなか、信用はならないけれど。 --- いずれにしても、関連する領域ですでに行われている研究が、ある領域では試みられていないことであったりする。そして、ハッとした新しい世界が生まれたりする。 僕のような凡庸な人間にとって、オリジナリティは、ある日突然生まれ、天から降ってくるものではない。僕にとって、研究会は、「ハッ」を生み出すよい機会である。 人を動かすテクノロジー これは、僕の研究的にはかなりヒットした本です。 B.J.フォッグ(著)・高良理、安藤知華(訳)(2005) 実験心理学が教える人を動かすテクノロジ 日経BP社, 東京 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4822282465/nakaharalabne-22 B.J.フォッグの「Persuasive Technology」が、翻訳されて出版されたのですね。英語で読んで損した(損でもないか・・・)。訳者のひとりは、日記でもご紹介させていただいたことのスタンフォード教育大学院をご卒業になった安藤さんです。 この本で、B.J.が論じているのは、「Computer As Persuasive TechnOLOGY:カプトロジ」という概念ですね。 要するに、 行動を変える といった、いわゆる広義の「説得」のために、コンピュータテクノロジーをいかに生かすか、という話です。説得の原理として7つの原則を提唱していますね。いろいろなソフトウェアの事例ものっていて、大変わかりやすい。 思うに、Educational Technologyの人たちでオモシロイ教材とかをつくってきた人たちは、こうした原則や原理を、意識せずに使ってきたのだとは思います。しかし、それをいわゆる形式知にはできなかったし、それを実験をもとに明らかにしたところ、それを包み込むような「ゆるい概念」を考えたところが、B.Jさんの研究のスゴイところだなぁと思いました。 ここ数年、僕の開発物の中にはPersuasive Technologyを活用しています。そして、今、新プロジェクトの立ち上げをしようとしていますが、これもやはりPersuasive Technologyがはいっています。 といいましょうか、キチンと学習者に使われるものをつくろうと思ったら、それは必然的に「Persuasive Technology」になってしまうものなのです。 非常に役立つ本だと思いました。 日本の教師 再生戦略 あるプロジェクトでご一緒している先生から、この本の話しを聞きつけた。早速注文し読んでみた。
なるほど、よくまとまっている本だと思う。教師教育/授業研究のことをコンパクトにわかりやすくまとめた本として、非常に助かると思った。 --- なぜ現代の教育改革において、教師がツライ状況におかれているのかを解説した第一章。たしかに、マスコミ、文部科学省、教師は「三すくみ」の状態にある。 第二章、第三章、第四章は、最近米国で流行している「Lesson study(要する日本の授業研究)」についての解説と、教師教育のパラダイム転換となった「Reflective practicioner」の概念についての説明である。 僕個人は、「Reflective practicioner」の概念だけで、教師の専門性確立できるというナイーブな認識には(筆者のことを言っているのではないよ)、やや懐疑的な見方をしているが、いずれにしても、それが重要な概念であることは間違いない。 第六章では、米国に比べて専門性の低い「教育センター」に焦点をあてた議論を行っている。 --- この本が「全国の教師100万人」を直接勇気づけるかはどうかはしらないけれど、近年の教育の混迷をとく鍵は、米国ではなく「日本にあるのだ」という認識は、とても共感できる。 日本の教師は、報酬にかかわらず、自らお互いの実践を批評する文化を、学校の中に内包している。そのことは、あまりに自明なことであるが故に、注目すらされないできたが、世界的に見るとはスゴイコトであるようにも思う。 「青い鳥は、家の中にいる」のかもしれない。 |
NAKAHARA,Jun
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