Cool Research & Project That I Found in 1999



1999/02/01 Update

マルチメディアと教育 -知識と情報、学びと教え-

 主に「ひと」誌に連載された佐伯氏の論文集である。内容は、コンピュータの話から、主に算数の時間に使用されるタイルの話まで非常に幅広い領域を扱っている。特に、「過去の教育工学の反省をいかして」とサブタイトルのつけられた章を興味深く読んだ。佐伯氏は、かつて教育工学の運動をになっていた一人であった。しかし、かつての教育工学のイデオロギー性、また「人間を問わない姿勢」に疑問を感じ、様々な葛藤のすえに、「批判教育工学(Critical Learning Technology)」ともいえる立場でこれまで論説を行ってきた。氏の語るコトバには、教育工学の苦闘の歴史と、それに対する反省がそのまま息づいているような気がした。

○佐伯胖 (1999). 「マルチメディアと教育 -知識と情報、学びと教え-」(太郎次郎社)


1999/02/01 Update

アンダーグラウンド -Underground-
約束された場所で -Underground2-

 「地下鉄サリン事件を被害者は、そして加害者はどう見つめたのか」、という問題関心に基づいて、それぞれの立場の人々の「語り」を通して編まれた村上春樹のノンフィクション。なぜ、Cool Researchに小説家の執筆したものが掲載されるのかという疑問をもつ方もいるかもしれないが、このノンフィクションは、卓越した「研究」であり、おおよそ、リアリティのあるエスノグラフィーに興味のある人々に読まれるべき本であると僕は思う。

「人の語る話は、その個々の話の文脈の中で、紛れもない真実なのだ」(村上、1997)

「わたしがここ(この本)で提出したいと思っているのは、(中略)明確な視座ではなく、明確な多くの視座を作り出すのに必要な血肉のあるマテリアルである」(村上、1998)

 「変装した5人の男たちが、グラインダーでとがらせた傘の先を、奇妙な液体の入ったビニールパックに突き立てる」という出来事 - 多くの人々は、その出来事の原因を高学歴のひずみだとし、価値観の多様化した社会秩序の崩壊だとした。マインドコントロールなどというトートロジーに近い説明も行われた。しかし、村上は、そうしたステレオタイプによる、もっともらしい説明をすべて廃して、その出来事を経験した人々の語りの中から、その出来事が「現実はどういうことであったのか」を探ろうとする。

 アンダーグラウンドには、語りの数だけリアリティのある世界が広がっている。

○村上春樹 (1997) 「アンダーグラウンド -UnderGround-」 (講談社)
○村上春樹 (1998) 「約束された場所で -Underground2-」 (文芸春秋)


 1999/05/23 Update

ソフトウェアの達人たち -認知科学からのアプローチ-
 

 この世界でTerry Winograd(テリー・ウィノグラード)を知らない人はモグリである。

 「Understanding Computers and Cognition(邦訳:コンピュータと認知を理解する)」で、現象学を方法論に用い、人工知能研究を批判。自らも「転向」し、その後のCSCW研究に大きな影響を与えた。最近では、「CACM(Communications of ACM)」における「Suchman(サッチマン)-Winograd(ウィノグラード)論争」が有名である。その彼の編書が訳されたのが本書だ。

 本書は、「デザイン(Design)」という行為について、特に「ソフトウェア・デザイン」について、その道の達人たちが論評するというスタイルになっている。本格的な科学的論文というわけではなく、あくまでエッセイ風であるが、時に見せる彼らの鋭い指摘は、やはり「達人」の名にふさわしい。「ソフトウェア・デザイン宣言」をまとめたミッチェル・ケイパー。Xeroxのパロアルト研究所(PARC)で「スター」の開発に従事したデヴィット・リデル。認知的徒弟制などの理論を展開し、認知科学における「状況的認知」研究の端緒を気づいたジョン・シーリー・ブラウンとポール・ドゥグット。専門家の職能を観察することで、デザインの自省的側面を明らかにし、1980年〜1990年代の教師教育の大きなストリームをつくったドナルド・ショーン。そして、ご存じ、「誰のためのデザインか?(The Psychology of Everyday Thing)」で認知心理学とデザインをむすびつけ、その後、認知工学を提唱したドナルド・ノーマン。

 どの達人も、非常に面白い議論を展開している。初学者でも、わりかし、読みやすい本だと思われる。これまで「デザイン」を正面にすえて、議論を展開する本はあまりなかった。「学習環境のデザイン(Learning Environment Design)」などというコトバが教育界でまことしやかに言われるようになって、もう3年がすぎる。もう一度、「デザイン」というコトバの意味を考えたくなる一冊である。

○Winograd, T. (ed.) (1996) Bringing Design to Software. ACM Press. テリー・ウィノグラード編 (1999)  瀧口範子(訳) ソフトウェアの達人たち - 認知科学からのアプローチ -. アジソン・ウェスレイ・ジャパン,東京


1999/09/15 Update

意味の復権

 Brunerの革新的な名著のひとつ「Act of Meaning(邦題:意味の復権)」が出版された。 思考には、「Paradigmatic Mode(論理-形式的様式)」と「Narrative Mode(物語的様式)」があること。そして、後者の思考形式が、今まであまり注目されてこなかったこと。人は物語を通して、自らのアイデンティティを再構成する存在であり、誰しも「Folk Psychology(民俗心理学)」を有していること。
 これら、近年のBrunerの主張は、この本をきっかけに展開されてはじめたといえよう。昨年出版された「Active Mind, Possible Worlds(邦題:可能世界の心理)」と読み合わせると、なお理解が進むと思われる。
 Brunerの原著は、本当に難しい。僕も経験があるが、教養や心理学の歴史を知らないと、なかなか読みすすめない。きちんと読むには、覚悟が必要である。
 訳者によれば、現在1996年に出版された「The Culture of Education」を翻訳中とのことである。この本にも、「物語的様式」や「民俗心理学」は頻繁に登場する。出版が待ち遠しい。

○Bruner,J.S. 1991. Act of Meaning. Harvard University Press,Cambridge. 岡本夏木ほか訳 1999. 意味の復権. ミネルヴァ書房


1999/09/22 Update

知識創造企業

 先日、認知科学のワークプレースの研究会にでたときに、話題になったのが、野中郁次郎氏・竹内弘高氏のこの本だった。この本の原著は、1995年にオックスフォード大学出版から出版された「The Knowledge-Creating Company」であるから、いわば逆輸入の学術書ということになる。本当に珍しい。

 著者らは、「組織的知識創造」という概念をもとに、日本の企業がなぜ成功をおさめることができたのかを考察する。結論からいえば、日本の企業は、この「組織的知識創造」の点で秀でていたために、成功をおさめたということになる。そして、日本企業の知識創造を考える際に、でてくる概念が「暗黙知」と「形式知」という概念である。前者は、価値システムや信念システム、パースペクティヴなどをふくむ、必ずしも明示化・言語化できない知であり、後者は、いわゆる西洋的な「知識」である。日本企業は、この2つの知識を変換するシステム、知識スパイラルの方法が、組織という状況の中に埋め込まれていた。

 さて、この本を読後、僕は思うことが多々あった。
 僕の専門であるCSCL(コンピュータによる協調学習支援)は「明示化のためのシステム」である。たとえば「外化」や「再吟味」という概念は、そもそも「明示化されたシンボル」を対象としている。もともと、CSCLは、欧米ではじまったために、欧米流の「ロゴス中心主義」がその設計思想の中に埋め込まれているのである。でも、少なくとも僕は今まで、そのことに無自覚であった。本書は、CSCLのもつイデオロギー性を、僕に知らしめてくれた。

 名著である。
 

○Nonaka,I & Takeuchi,H. 1995. The Knowledge-Creating Company : How Japanese Companies Create the dynamic innovation. Oxford University Press.  野中郁次郎・竹内弘高 梅本勝博(訳) 1996. 知識創造企業. 東洋経済新報社, 東京.


1999/10/11 Update

知識創造の経営

 ベストセラー「知識創造企業」をのちに生み出すことになったネタ本みたいな本。日本企業が世界経済に名をとどろかしていた時代の書籍なのであるが、あまり古さを感じない。それにしても、これほどまでに知識創造を行っていた日本企業は、なぜ凋落の一途をたどることになるんだろう。経営は難しい。

Reference

  • 野中郁次郎(1990) 知識創造の経営:日本企業のエピステモロジー 日本経済新聞社,東京

  • 1999/11/03 Update

    プランと状況的行為

    「Plans & Situated Action」という本の名前を筆者が知ったのは、学部生の頃でした。さっそく取り寄せて読んでみたものの....その原文のあまりの難しさに、3ページ読むのに一時間以上時間をかけた思い出があります。
     Suchman は、この本の中で、それまでの認知科学や認知心理学における情報処理アプローチがプランを「行為の源泉」として理論を構築していることを批判し、プランとは、「他人に自分のやったことを説明したり、いいわけをするためには有効であっても、人間の行動を生み出すモト」ではないことを、綿密な文化人類学的観察によって明らかにしています。Suchman によれば、プランとは「人間の状況的な行為において単なる資源」以上のものではないのです。
     巻末の佐伯氏の解説にもあるように、このプラン主義は、何も認知科学や認知心理学の、いわゆる「ガクモンの世界」だけでなく、様々なフィールドで見受けられます。教育の世界でいうならば、「授業計画」や「授業設計」という領域がそうでしょうか。そもそも授業を「設計」するということが、どのような行為であるかを考えるために、本書は、鋭い洞察をなげかけてくれることでしょう。

    ○Suchman,L.A. (1987) Plans and Situated Action - The Problem of Human Machine Communication. Cambridge University Press. 佐伯胖・上野直樹・水川喜文・鈴木栄幸(訳)(1999) プランと状況的行為 - 人間-機械コミュニケーションの可能性 -. 産業図書, 東京


    1999/11/15 Update

    消えゆくコンピュータ

     前半は、二つの時代につくられたシンセサイザーの分析を通して、認知意味論などをまじえながら、インターフェースとは何かについて考察を深めている。Norman,D.A.の提示した人工物研究に独自の視点を持ち込んでいる点が非常に興味深い。
     後半は、パーソナルコンピュータの底流にながれる「パーソナルの思想」と「フリーダムの思想」に言及しつつも、インターフェースの開発や著作権問題、オープンソースなどの問題に触れている。
     インターフェースの開発に著作権は適用されるべきではない、という主張や、近年の「ボタン一つで〜できる」というインタフェースは、決して「よいインターフェース」ではない、という主張は、ものすごく共感できる。著者がいうように、インターフェースとは民族文化に似たものであり、それは改善を志向しつつも、人類の文化的遺産として継承されていくべきであるし、文化として蓄積されているが故に、個人が利用したいときにすぐに利用可能であり、個人によって選択され、組み合わされ、構築されるべきであるとも思う。

    ○久保田晃弘(1999) 消えゆくコンピュータ. 岩波書店,東京.


    1999/12/30 Update

    場のマネジメント

     自律と協調の場。個人の自律性を認めた上で、個人の知識や技術をいかに協調させ、統合する場(Ba)をつくりだすか、それが場のマネジメントである。場では知識創造や価値創造が必然的におこる。

     学習論の多くは、具体的に、かつ雄弁にコミュニティという場の組織の方法を語ってはくれない。それはコミュニティたるものが、なんたるかを語る。

     学習論と現代の経営学を融合させたところに、新しい学習環境の創発のヒントがありそうだ、と思っているのは僕だけだろうか。

    Reference

  • 伊丹敬之(1999) 場のマネジメント:経営の新パラダイム NTT出版,東京

  •  NAKAHARA,Jun
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