The Invisible Computer

Why Good Products Can Fail, The Personal Computer is So Complex,

And Information Appliances Are The Solution

Norman.D.A

Sum. NAKAHARA,Jun

Graduate School of Human Sciences, Osaka University

-preface-

 今日のテクノロジーは、でしゃばりすぎてている。そのおかげで我々は静かな時を過ごすこともできないし、自分自身のために使う時間も制限され、生活までもがコントロールされている。ちょうど、我々は、テクノロジストたちのつくりあげた世界の罠にはまっているようだ。我々は、これまで「bieng digital(デジタルであること)」であることは美徳であるかのように語ってきたが、それは間違いである。なぜなら、人間は「being analog」な存在なのであり、機械的な存在なのではない。いまこそ、「Human-centered technology(人間中心のテクノロジー)」をつくりだすべきである。どんなテクノロジーであっても、テクノロジーは変革しやすい。変革しにくいのは、テクノロジーにかかわる「social(社会的)」で、「organizational(組織的)」で、「cultual(文化的)」な部分である。

 つまり、コンピュータは、「infrastructure」であるべきである。あまりにたくさんの機能をつめこみすぎた現在のコンピュータは、あまりに「visible」であり、ユーザーに厳しい要求をかしてくる。コンピュータが「infrastructure」ならば、それは「invisible」であるべきだ。

 わたしは、この本で、どのようにコンピュータやテクノロジーを変革していくかについて論じてみようとおもう。まずは、「imformation appliance」ということを提唱したい。「information appliance」は、今日の複雑なコンピュータにとってかわる新しいパラダイムとして位置づけられるが、より具体的には、「user-centered(ユーザー中心の)」あるいは「human-centered(人間中心の)」の「appliance」のことである。それは、コンピュータのあらゆるテクノロジーが、タスクに固有のデバイスの中に埋め込まれ、「見えなく」なっている。

 この新しいチャレンジには、製造業者たちにとっても新たな姿勢が求められる。まずは、製品の開発サイクルに新しいアプローチを行わなければならない。人をやとう際には、これまでのように「technology-centered」の開発を行う人間に加えて、「user-centered」の製品開発をおこなう人間を雇わなければならない。もちろん、製品の開発プロセスも変革を迫られるし、会社のリストラクチャリングもおこなわれなければならないのである。

 この本の原題は当初、すべてのGoalである「Taming Technology」を採用しようと思ったが、それはGoalを達成するためのmethod(方法)である「Information appliance」にとってかわられ、最後には、その結果であるところの「The Invisible Computer」になった。コンピュータやテクノロジーを我々の視界や意識から消し去ることで、我々は自分自身の活動や学習や仕事に没頭できるようになるのである。

 この本では、第1章で、Thomas Edisonと蓄音機についての話からはじめようと思う。たしかにEdisonは、すぐれた技術力を誇っていたことは間違いないが、彼は顧客を理解しようとはしなかった。故に、彼の事業はことごとく失敗におわった。テクノロジーだけではマーケットをつくることはできない。ハイテクの世界においては、「being fast(とにかく早いモノ)」や「being best(一番よいモノ)」が、マーケットを左右する変数であるとはかぎらないのである。

 第2章では、ある製品のライフサイクルをのべる。製品のライフサイクルとは、「youth(萌芽期)」を経験し、やがて「adolescence(青年期)」を迎え、「Human-centered」なデザインをもつ「maturity(成熟期)」にいたることをいう。

 第3章では、新しい情報技術のカタチとして「information appliance」について提唱したいと思う。「information appliance」は、「invisible」なテクノロジーであり、人間の活動を支援することに重点をおいている。

 第4章では、既存のPCがなぜ使いにくいのかについて考察し、第5章では、それに対する魔法のような対処法が存在しないことをのべる。第6章では、infrastructureの性質を考察する。

 もし我々が「User-centered technology」を追求するならば、我々は人間をよりよく理解しなければならない。第7章では、これをトピックにする。人間の性質と機械の性質には、無視することのできな深刻な相違がある。現代の我々のテクノロジーは、デジタルなのであるのに対し、我々人間は、アナログの存在なのである。第8章・9章・10章では、「Human-centered approach」についてより深く考察する。第11章では、「disruptive technology」がどのように旧態依然の確立された手段を凌駕し、infrastructureを構築していくかについて考察する。

 第12章では、「information appliance」がちょうどそのような「disruptive technology」であることをのべる。理想的なシステムにおいては、テクノロジーがあまりに深く「埋め込まれ」ていて、その存在にさえ我々の意識がのぼらない。つまり、テクノロジーがユーザーの生産性や能力や楽しみを増大させている一方で、彼らは、自分自身の活動に意識を集中させることができるのである。その際には、テクノロジーは、ユーザーには見えないばかりか、視界にもはいらず、また意識にものぼらない。人々は、タスク(課題)を学ぶべきであって、テクノロジーを学ぶべきではない。そのようなツールのデザイン原則は、以下の3つになるであろう。第一に、「simplicity(単純であること)」、第二に「versatility(融通がきくということ)」、第三に「pleasurability(楽しくさせるものであること)」である。

 

-Chapter1. Drop Everything you are doing-

■ The Gap Between Academics and Business(←自伝的記述)

○研究では、実際に行為することよりお、抽象的な思考をすることの方が多いのに対し、ビジネスの世界は、行為のみで考えている暇などない。

○「Be First」- とにかく競争相手よりもはやく納品することのほうが、「よい製品」をつくることよりも重視される。また、マーケットでの成功の方が、製品の品質云々よりも優先してしまう

■Technological Revolution

○我々は技術革新の中を生きているが、技術革新については、いくつかの興味深い傾向がある。

  1. 我々は技術革新による「直接的なインパクト」を過大評価し、「長期的な視野にたったインパクト」を過小評価する傾向がある。
  2. 我々は、テクノロジーそのものに価値をおく傾向がある。しかし、もっとも劇的なのは、それによる社会的なインパクトであり、文化的な変革である。
  3. 我々は変革が、たとえ、一ヶ月のものであっても、数年のものであっても、それじたいを「はやい」と感じてしまう傾向がある。

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 たしかに歴史的な視点からみれば、技術革新は非常にはやい。しかし、すべての新しいテクノロジーが、人々の生活様式にまで影響を与えうるのは、非常に時間がかかる。

○さらに、近年、技術革新のスピードははやまりつつあると言われている(ex. The net, Personal Computer)が、技術革新というものは、「文明」の尺度で見た場合は、たしかに早く感じるものである、「個々人の生活」の尺度で見た場合には、あまり早いとはいえない。

■When Edison Went Wrong?

○我々は、現在情報技術-たとえば、コンピュータやそれに関連するコミュニケーションテクノロジーなしでは一日たりともビジネスや日常生活を営めなくなっている。

→しかし、コンピュータは我々のニーズにあっているとは言いがたい。「ユーザーは二の次」というテクノロジー産業の傲慢のために、「ユーザーのニーズ」は無視され続けている。

○エジソンの逸話

→エジソンは、偉大な技術屋であった。彼は有能な技術屋と科学者を雇い、産業研究所を設立した最初の人物であった。彼はテクノロジー第一の人間であった。

→エジソンは、発明品がそれ自体で成功することはありえないと考え、それを動かすinfrastructureが必要であると思っていた。そして、それらをひとつにした「total system」を論理的に考案しようとした。

→しかし、同時に彼は「ビジネスマン」ではなかった。マーケティングのセンスがなかったのである。彼は顧客の要望をあまり聞こうとはしなかった。故に、彼の事業は失敗をたどる。

○エジソンのphonograph(蓄音機)の逸話

→蓄音機に関して、エジソンは当初、非常に用途のひろい融通のきくテクノロジーを開発していた。そして、そのビジネスにおいても、非常に論理的な思考をめぐらせていた。しかし、顧客のニーズを理解することに失敗してしまう。

→顧客を理解するためには、彼らに話しかけ、彼らを虚心にみつめなけれならなない。エジソンは、このことを過信して、彼があらかじめ決定したモノを「よい製品」であるときめつけ、結局「Technology-centered」な蓄音機をつくってしまい、事業に失敗する。

・・・これらエジソンの逸話はすっかり現在のPC業界にもあてはまる。

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○Personal Computer is too visible

→すべてのテクノロジーの中でもっとも悲惨なのは、Personal Computerの世界であろう。本来、コンピュータは、「infrastructure」であるべきである。あまりにたくさんの機能をつめこみすぎた現在のコンピュータは、あまりに「visible」であり、ユーザーに厳しい要求をかしてくる。コンピュータが「infrastructure」ならば、それは「invisible」であるべきだ。そして、「invisible」になるためには、「User-centered(ユーザー中心の)」あるいは「Human-Centered(人間中心の)」のコンピュータが開発されなけれならない。

→この変革は容易ではなく、「disruptive technology」が必要である。製造業者にとっては、「User-centered」な技術を実現するために、雇用・開発プロセス・会社のリストラを進めなければならない。

■Why Being First and Best Isn`t Good Enough?

○The moral story of Edison's phonograph

 一番に製品を開発した者や、よい製品を開発した者がマーケットで成功をおさめるとは限らない。エジソンのphonographも、この教訓の類にもれない。エジソンは、Technology-centeredの開発を志向し、顧客のニーズを無視した開発をおこなった。

Ex1. 実際の使用法(再生と録音)

Ex2. サウンドのクオリティを重視したCylinderの使用

Ex3. recording method(vertical vs lateral)

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・壊れにくさ、ストアビリティの高さ、録音時間の長さ、大量生産向きであるレコードディスクにまける。

・他社とのcompatibility(互換性)がない。

Ex4. 顧客の購買傾向とコンテンツの軽視

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トップアーティストを起用せず、同じ演奏レベルの無名のアーティストを雇用した

 エジソンの技術は、最初にもっともよい音質を実現したのであるが、顧客の欲望をみたすことに失敗した。大切なことは「顧客が何を思うか」である。

 またこの逸話は、infrastructureを考察する上でも重要な示唆を与えている。重要なことは、テクノロジーの優劣にはなく、そのテクノロジーで何を目的にしているかということであり、いったん誰かがスタンダードなinfrastructureを実現してしまったあとは、他はそれに追従するしかない。

■But It`s Horrible Product

(「Being Fast」・「Market Share」を優先するビジネスの逸話)

■Technological Change is Simple : Social, Cultual, and Organizational Change is Hard

○すべてのプロダクトには、歴史的な起源があり、その実際の使用は、文化的な営みの中に埋め込まれている。

→ファックスや電子メールは同じようなテクノロジーの産物にみえるが、前者の使用は、ややフォーマルなビジネスドキュメントである傾向があり、後者の使用は、インフォーマルな個人的事柄や会議のアレンジなどになっていることが多い。

→ゆえにいったんインフラとなるテクノロジーが確立してしまうと、変化することは非常に難しい。たとえば、電子メールのフォーマットが図・音声をサポートしたり、ファックスが文字列をEncode / Decodeしたりすることは、実現すれば非常に有益であろうが、そのためには、ユーザー間・製造者間の取り決めや合意があらたに必要になり、標準化の大規模な作業が必然的に伴う。多くの組織がともにこの変化に追随せねばならず、また非常に費用がかかる。

→つまり、テクノロジーそのものは変化しやすいのであるが、テクノロジーにかかわる社会・文化・組織などの側面は、変化しにくい。

→新しいテクノロジーは、我々にどんな利得をうみだすとしても、それにともなう変化は非常にゆっくりとしたものになる。それは、旧来のテクノロジーが、社会や文化の営みの中にあまりに深く埋め込まれているからであり、人々の生活や仕事や余暇といったものの中に深く浸透しているからである。

 本ページは、1998年11月28日東京大学教育学部にて行われた「The Invisible Computerの輪講会」用に中原が作成したものをHTML化したものです。輪講会には、教育・工学・認知科学の様々なディシプリンを背景にした方々が参加しておりました。輪講会をorganizeされた楠さん(多摩美術大学)にこの場をかりて感謝いたします。


NAKAHARA, Jun
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