「一枚の絵」に近づく「僕の日常」
我が家は、地方出身者・共働き・子育て真っ最中。
ブレーキのないジェットコースターに乗っているかのように
カレンダーの日付がかわります。
気がついたら、朝、起きる時間。
気がついたら、子どもの宿題をみる時間。
気がついたら、保育園にいく時間。
気がついたら、お迎えの時間。
気がついたら、お風呂の時間。
気がついたら、夜、もう寝る時間。
日々は、この反復。
日々の記憶は「映像」というよりも、
「一枚の絵」に近い。
あまりに目まぐるしくって、
もはや「時間軸」が消滅しているのです。
詳しいことはまったく思い出せない。
朝起きれば、
「昨日」というタイトルの「一枚の絵」
が食卓にあるだけ。
そんな中、確実に一日一日と、
自分自身は、年齢を重ねます。
「あっ、最近、この芸能人、フケたねー」
テレビで見かけた芸能人の年齢は、
自分と「同学年」だったりします。
「そうか、オレも、この人と同じ年齢なんだ・・・」
日々はかくして、過ぎていきます。
▼
「反復する生活」のなかに、
正直、今は、僕の「意志」はありません。
「意志のない生活」というと陰鬱な気もしますが、
あまり「悲観」するべきことでもないのかな、と思います。
長い人生。
人生の一場面において、
他者の成長を願い、
生きる時間があってもいいと言い聞かせます。
目の前にあるものは自分で「選んだこと」なのだ、
と深呼吸します。
今、目の前で狂喜乱舞しておふざけしている
この息子達が「大人」になるまで、
そう長い時間はかからないから。
今は、息子たちのおふざけを笑い飛ばしましょう。
妻と協力できているから、
この時間は乗り越えられるのだと思います。
▼
今日も、そんな時間が過ぎます。
気がついたら、朝、起きる時間。
気がついたら、子どもの宿題をみる時間。
気がついたら、保育園にいく時間。
気がついたら、お迎えの時間。
気がついたら、お風呂の時間。
気がついたら、夜、もう寝る時間。
明日の朝、起きたら、
「昨日」という「一枚の絵」を
食卓の上で目にすることでしょう。
「時間軸」がない生活は、もう少し続きそうです。
今日も、精一杯、一日を生ききることにいたしましょう。
息子達の成長を祈りながら。
そして人生はつづく
投稿者 jun : 2016年7月 8日 06:13
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