アカデミックな文章は「思いつき王子」と「直感姫」を許さない!?

 中原ゼミには、今、7名の大学院生が所属し、日々、研究に邁進している(はず)です(笑)。
 昨今は、そのうち5名の大学院生が博士課程に進学し、博士論文の執筆めがけて研究を進めております。
 研究に邁進できる時間は「贅沢な時間」です。
 小生からの「圧」は、かなりヘビー級だとは思いますが、ぜひ、素晴らしい研究生活を送って頂きたいものです。

 かくして、僕の日常は、彼らが書く論文の添削(赤入れ)に明け暮れるわけですが、いつも指導をしていて、思うことがあります。

 それは、

 アカデミックの文章作法は「思いつき王子」や「直感姫」を許さない

 ということです(笑)。
 いくつかある選択肢の中から、ある特定の研究対象、研究方法などを選び取るときに、たとえ「思いつき」や「直感的」に選び取ってしまった場合においても、ひとつひとつ意味づけ、論理付けをして、文章を書かなくてはならない、ということです。

 別の言葉を申し上げますと、こういうことですね。

 アカデミックで必要とされる思考(文章作法)では、

 1.いくつかの「選択肢」の中から、あるものを「選択」する場合
 2.まずはすべての場合を書き出す
 3.そのうえで「あるもの以外」を落とさざるをえない「ロジック」をたて、しっかり書く
 4.そのうえで「あるもの」を選択した「積極的理由」を書く
 5.あるものを選択した理由をふたたび「宣言」する

 というようなことがおこなわれます。
 ワンセンテンスで申し上げるとすると「かなりまどろっこしい」のです(笑)。

 ひとつのものを選択するときに、

 「いや、思いつきです、ペロ」
 「いや、直感っす、てへ」
 
 みたいなものを絶対に許しません、たぶん(笑)。
 「思いつき王子」「直感姫」は、僕は個人的には愛すべきキャラだと思いますが、アカデミックの文章作法的にはアウトなのです。

  ▼

 たとえば、今、仮に、複数ある研究方法のなかからひとつを「選択」するのだとします。
 その際には、まずはいくつかの選択肢を網羅的にすべてあげつらいますね。

 研究方法Aとは・・・・である
 研究方法Bとは・・・・である
 研究方法Cとは・・・・である

 そのうえで、次に研究方法Cを選択するのだとしたばあい、研究方法Aと研究方法Bを「品格」をもって批判します。

 研究方法Aは・・・の観点ではすぐれているが、今回に適するとは必ずしもいえない
 研究方法Bは・・・に注力することができるが、今回、その観点は必ずしも適当ではない

 そのうえで、さらに研究方法Cを、やや「控えめ」に称揚します。

 対して研究方法Cは・・・研究方法Aと同じようにという欠点は持ち合わせているものの、それは今回・・・によって相殺できる範囲である。研究方法Cには、研究方法Aと研究方法Bにはない・・・・のメリットがある

 そしてエイヤッ!
 最後は「選択」「宣言」です。

 よって、本研究では、研究方法Cによって・・・・を探究するものとする

 (めでたし・終了!)

  ▼
 
 いかがでしたでしょうか?

 今日は、アカデミックの文章作法は「思いつき王子」「直感姫」を許さない、という話題?を書きました。

 最後に「最後っ屁」のように「ややこしいこと」を言いますが、ここでもっとも重要なことで、かつ、誤解を避けたいことのひとつは

 僕は

 「思いつき」や「直感」が不要である

 とい言いたいわけではない、ということです

 むしろ、言いたいことは逆。
 研究をしていくうえで「思いつき」や「直感」が必要になる局面は、かなり多いと感じます。
 思いつきや直感はとても大事なんです。

 しかし、それをアカデミックの文章にしていったり、他の研究者に説明したりするときには、「たまたま、思いついたかのような書き方」や「直感で選んでしまったような書き方」は避けなければなりません。

 むしろ、

 すべてを論理的に精緻に考え抜いたうえで
 「あるもの以外」を排除し、
 「あるもの」を選ばざるをえない

 というかたちで、慎重に慎重に論を進めていく必要があるのです。

 要するに、ワンセンテンスで申し上げますと、

 アカデミックな文章では「思いつき」や「直感」も「意味づける」必要がある

 ということですね。

 あなたの論文は「思いつき王子」「直感姫」になっていませんか?

 そして人生はつづく

 ーーー

■もうひと記事いかがですか?
「劣等戦隊・先行研究羅列マン」にご用心!? :先行研究をまとめるときに最も注意すること
http://bylines.news.yahoo.co.jp/nakaharajun/20141205-00041226/

博士論文とは「構造を書くこと」である!?
http://bylines.news.yahoo.co.jp/nakaharajun/20131220-00030847/

学術論文を読んで涙が止まらなくなったときの話
http://bylines.news.yahoo.co.jp/nakaharajun/20131219-00030789/

社会人大学院生が抱えがちな悩み:自分の問題関心・業務経験×研究として成立させること
http://bylines.news.yahoo.co.jp/nakaharajun/20131218-00030756/

 

投稿者 jun : 2016年6月30日 06:34


あなたの働く組織は、あなたが「喜んで変わってもいい」と思える組織ですか?

 この組織で働きたい
 この組織で働くことが好き
 この組織は信じられる
 この組織には共感できる

 こうした「組織に対する人の思い」、換言すれば、「組織に対する人の感情」といったものは、人材開発の観点からすると「心理的資本(Psychological Capital)」として機能します。
「人の感情」を「組織の資本」とみなすことには、抵抗感のある方もいらっしゃいましょうが、それが「経営」というものです。今日はどうかご寛恕下さい。

 ここでは「心理的資本」とはさしずめ、

 組織のメンバーが何かをなしとげるときに、心理的な後押しをしてくれるもの

 くらいに捉えてください。
 今日は、この激烈に?ゆるい定義で、以下の文章をしたためます。

   ▼

 伝統的に、内部労働市場(Internal Labor Market)が発達しているといわれている我が国では(最近は少し変かもあるようですが)、企業が目標や戦略を変更したときに、組織の外部からではなく、組織の内部から人を調達します(Rubery and Grimshow 2003)。

 内部労働市場とは簡単にいえば

 組織の「内部」に、人材のプール(市場)を抱えてますけんのー

 という状況のことをいいます。

 内部労働市場が発達している場合、企業が目標や戦略を変更したときには、組織の外部から採用を行うのではなく、そこに人材の異動や変化の可能性が生まれます。これは、わたしたちの国にとっては「アタリマエダのクラッカー」ですが、国が違うと異なります。
 企業が、目標や戦略を変更したときには、内部にいる「不要な人」をクビにして、外部から人を調達する、という国もたくさんあるのです。

 一方、内部労働市場の発達している我が国では、企業が目標・戦略を変更し、それにともない異動がなされたときには、

 これまでAという仕事をやっていた人が、新たにBという仕事を覚える
 これまでAという業務に熟達していた人が、Bという業務のことを覚える

 ということがおこります。

 これこそが「人材開発」です。

 要するに、

 内部労働市場内の人の「異動」とは、「学習の引き金」になるのです
 異動にからんで、人は新たに何かを「覚えなおさなければならない」のです

   ▼

 しかし、ここで問題があります。

 人が何かを新たに学ぶこと
 これまでやってきたことの中で通用しないものを、選び取ること
 これまで自分が築いたルーティンから抜け出すこと

 は、時に「ストレス」を感じたり、「痛み」を感じたりするということです。
 ま、そこまでいかなくても「億劫だな」という思いをもつくらいのことはありえるかもしれません。

 そこで大切になってくるのが、先ほどの「心理的資本」です。
 
 この組織で働きたい
 この組織で働くことが好き
 この組織は信じられる
 この組織には共感できる

 といった心理的資本が高ければ高いほど、人は「新たな学習」に向かってくれる可能性が容易になることが予想されます。

 ワンセンテンスで申し上げますが、

 人は「この組織はクソッタレだと思っている組織」のために、重い腰をあげて学び直すことはしません。 アホらし(笑)。クソッタレ組織のために、自ら痛みを甘受し、億劫な思いをうけるほど、人は「どM」ではありません。

よって、「この組織はクソだ」と思ってしまう組織よりも、「この組織で働きたい」と思える組織にいる場合の方が、新たな物事に挑戦する可能性は高いと思われます。

  ▼

 そして、経営の観点から申しますと、組織が様々な変化に翻弄されるからこそ、こうした「心理的資本」を一定のレベル以上に高めておくことが、求められます。
 要するに、外部環境の変化に応じて、組織が変わらざるをえなくなり、それにともない、人々が「変化」を好んで受け入れるように、その心理資本をまえもって整備しておくということです。

 そして、こうしたことをおこなう取り組みの中に、近年様々な領域で主張される「組織開発」の取り組みが入ります。

 組織開発とは、ワンセンテンスで申し上げますと、

 組織を「WORK」させるための外的な働きかけ

 のことを申しますが、こうした「心理的資本」の促進も、その範疇に入るものと思われます。
 
 このように「人材開発の世界」と「組織開発の世界」はコインの裏表のようにつながっています。

  ▼

 今日は「組織に対する感情」という媒介項をひきあいにだしながら、人材開発と組織開発の関係を述べました。
 こちらは、先だっておこなわれた慶應MCC・授業「ラーニングイノベーション論」の際に、一橋大学の守島基博先生の素晴らしいご講演をまじえて、皆さんで議論した内容となります。守島先生にはお忙しいところおこしいただき、心より感謝いたします。

 現在、市場は激烈な勢いで変化しています。
 多くの人々は「最近、先が読めない」ともいいます。

「外部環境が激烈に変化する」ということは、組織にとっては、また組織自らも変化せざるを得ない宿命にあるということです。
 すなわち、そこには「人材開発」の必要性が増す、ということになります。

 そして「先が読めない世の中」ならば、なおさら「心理的資源」を高めておくことが必要です。なぜなら、市場の変化にあわせて、組織の目標や戦略が大幅にかわり、人に挑戦してもらったり、学び直してもらったりする可能性が格段にあがるからです。

 くどいようですが、

 人は「この組織はクソッタレだと思っている組織」のために、重い腰をあげて学び直すことはしません。
 アホらし(笑)。
 誰が好きこのんで、こんな「クソ組織」のために、重い腰をあげるかいな(笑)。
 市場がどうなろうが、組織が変化に襲われようが、ワイは知らんがな。
 勝手にせいや、アホらし(笑)。

 皆さんの組織は、皆さん自身が「喜んで変わってもいい」と思える組織ですか?

 そして人生はつづく

ーーー

追伸.

研修開発の決定版、「研修開発入門」。人事部の書棚においてあるところもあるようです。どうぞご笑覧ください!

企業内教育のスタンダード「企業内教育入門」。16刷・約3万部です。研修開発入門は「実践編」。こちらの理論編もあわせてお読み頂けると幸いです


投稿者 jun : 2016年6月29日 06:14


僕の「読書」は「読書」ではない!?

 いつか「本を読みたい」と思います。
 じっくりと一冊の本に向き合い、読み解いていく。
 そんな「読書」をしてみたいと願います。

  ・
  ・
  ・

 いいえ、今でも「大量に本には、目は通している」のです。
 しかし、厳密な意味で、僕は「本を読んでいない」と思っているのです。
 今でも「情報は収集」しているとは思いますが「本は読んでいない」と思うのです。

 本には目を通しているけれど
 本は読んでいない

 情報は収集しているけれど
 本は読んでいない

 さて、これは、どういうことでしょう?

  ▼

 これは、つまり、こういうことです。

 僕にとって、本は「自分の研究を下支えするのための情報収集メディア」です。
 だから、おそらく一年間で400冊ー500冊くらいの本を買います。
 読みたいから買うのではなく、買わざるをえない、読まざるをえないのです(笑)

 しかし、それらの本にすべて読むことはできません。
 だって一日に1冊読んだとしても、まだおつりがくるくらいでしょう。
 本は「読めません」。ふつうには・・・。

 なので、僕が本を読むときは下記のような読み方をします。

1.本の目次・前書き・後書き・参考文献リストに「目を通す」
 これで、だいたい、どこに何が書いてあるか。そして、どこが重要かがわかります。

2.本をパラパラとめくり、見出しをみながら、重要ではないと判断したところは目を通していく
 見出しをみながら読んでいけば、だいたい何を書いてあるかわかります。

3.重要だと判断したところは、重点的に一字一句よんでいく。大切な部分は付箋をはったり、ページをおったりしてマーキングする。
 必要に応じて、コンピュータにメモをとります

.大切だと思うところは、グラフ・表などをコピーしておく
 必要に応じて、残しておけば、あとあと重宝します。

5.メモを残して終了
 メモは重要です。どこに何が書いてあるかという「インデクス」さえメモしておけば、あとあと必要になったときに検索すれば良いのです。
 ・
 ・
 ・
 ・
 ・

 おわかりでしょうか(笑)。
 僕の読書は、全く「読書」じゃないのです(泣)。
 むしろ「情報処理」。やらなければならないからやっている仕事です。

 本には「目を通している」し
 「情報も収集」しているけれど、
 本は読んでいない

自分の研究を下支えする「作業」といいましょうか、「技術」といいましょうか、「下ごしらえ」といいましょうか
恐れ多くて、これを「読書」と呼んではいけない気もします(笑)

 研究のためには、沢山の本を読まなくてはなりません。
 これに加えて論文もあります。
 なので、一般的な本の読み方をしたのではまったく追いつかないのです(トホホ)。

  ▼

 今日は読書について書きました。

 こんな本の読み方はマニアックすぎて、まったく他人におすすめはしません。
 が、まぁ、こんな読み方で、何とかかんとか、スピード感あふれる研究の世界を、えっちらおっちら、ゼーゼー言いながら、走っております。

 お洒落なカフェ
 風の気持ちいい昼下がり
 一冊の本をもって出かけ
 じっくりと本を読む

 いつか、こんな「読書」をしてみたいと願っています。

 そして人生はつづく

 ーーー

追伸.

 ちなみに論文はこんな感じです。

1.タイトル・要旨・参考文献リストに「目を通す」

2.重要なところだけピックアップして読む。英語文献は、各パラグラフの最初と最後を見れば、結論はだいたいわかる

3.メモを残して終了

 論文の方が「ドライな読み方」かも(笑)
 

投稿者 jun : 2016年6月28日 05:52


最近の新人を「打たれ弱い」とdisる前に考えてみたいこと!?

「最近の新人は"打たれ弱くて"困りますね。昔は、こうじゃなかったのにな。すぐにヘナーってなっちゃって、仕事を続ける自信がなくなりました、とか言っちゃう」

 あるところで、こんな話題を耳にしました。
 なるほど。
「打たれ弱い」ね。

 今日は、これについて考えてみましょう。

  ▼

 まず、「へそ曲がりな僕」は、「新人は打たれ弱い」という命題そのものを疑います。

 もし仮に「打たれ弱いこと」を「仕事を任せるとヘナーっとなってすぐに自信を失うこと」とするならば、そうした状況が生まれる理由として、もうひとつの可能性を考えます。

 本当に「新人は打たれ弱くなっている」のでしょうか。

 賢明な方は、ここにもうひとつの仮説立案の可能性を考えられるはずです。

  ▼

 最大のツッコミポイントは、

「新人本人が打たれ弱い」んじゃなくて、
  「新人を取り巻く環境がシンド」くなってるんじゃないの?

 というものです。

「仕事を任せるとヘナーっとなってすぐに自信を失うこと」の規定要因を、前者は「新人本人の個人の資質」に求めますが、後者では「新人本人を取り巻く環境」に求めます。

 たとえば、
 
 ・そもそも仕事がかつてよりも難しくなってきている
 ・仕事で要求されるスピードが以前よりも増している
 ・先輩社員も忙しくって、助言をする余裕がなくなってきている
 ・マネジャーも忙しくて、観察や指導ができなくなってきている

 こういう具合に、新人そのひとではなく、「新人をとりまく環境」こそが変化しているとき、こうした激烈な環境で仕事をするのですから、新人側には以前よりは「負荷」がかかります。
 結果として、「仕事を任せるとヘナーっとなってすぐに自信を失うこと」が以前よりもはやく現象としてあらわれることになります。

 こうした状況を見たとき、人は

 「最近の新人って、打たれ弱くなっているよね」

 と結論づけます。
 本来ならば、「新人を取り囲む環境」にも目が向けられなければならないのに、「新人本人の個人的資質」に理由を還元して、思考停止してしまうのです。

 それは「無理ゲーなロールプレイングゲーム」をやるようなものです。
 
 今、はじめて、街を出て、冒険に出ようとしているプレーヤーがいます。
 プレーヤーは「経験値」もなく、「体力」もありません。
 とりあえず着の身着のまま「皮の服」だけを着て「素手」で敵と戦おうとしています。
 プレーヤーには、仲間はまだいません。
 とにもかくにも、この条件で、敵に勝って経験値をためなくてはなりません。
 街を出たら、おそらく「スライム」が1匹でてくるはずです。
 しかし!!!・・・出てきた敵は「スライム100匹」でした。
 しょっぱなからフルボッコ。

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 あべし。
 ゲーム設定そのものに「無理」がないですか?
 これ、「無理ゲー」じゃね。

   ▼

 今日は「新人は打たれ弱くなっている」という命題について考えました。
 この命題を聞く度に、僕は上記のような思いをもちますが、そもそも

 元来、

 「新人とは、もともと打たれ弱い存在なのではないか?」

 という思いもいたします。

 「最近の新人は打たれ弱くなってきていて、困るよねー」と言っている当の本人も、10年前ー20年前の昔をさかのぼってみれば、「打たれ弱かった」(笑)。

 しかし、当時は、当の本人を取り巻く環境が、今よりもしんどくなかった、という仮説も成立します。
 だから「打たれ弱かった」なんだけど、何とかサバイブできた(笑)

 ぜひ、皆さんも、それぞれの状況で一寸考えて頂きたいのですが、

 新人本人が「打たれ弱く」なっているのか?

 それとも

 新人が「ヘナーっ」となってしまうほど環境が「シビア」になってきているのか?

 おそらく究極を言ったら

 「そんなもん、両方だよ」

 って感じになりますが、皆さんの組織では、いかがでしょうか?
 
 せめて、「武器」くらいもって、街を出ようよ。
 そして人生はつづく

ーーー

祝増刷!「駆け出しマネジャーの成長論」(中公新書ラクレ)、四刷かかりました!:マネジャーが陥りやすい罠をいかに乗り越えるか。職場を率い成果をだすためのヒントを実証的に明らかにする。どうぞご笑覧ください!

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投稿者 jun : 2016年6月27日 06:30


高校生・大学生必見!? : 日本最高峰のプロフェッショナルに弟子入りできる経験!?

 18歳・19歳の高校生・大学生などなど必見!?
 こんな企画があるそうです。

 な、な、なんとNHK番組「プロフェッショナル」で取り上げられるような「プロフェッショナル」のもとに「弟子入り」し、それが番組になってしまうのだとか!!! 日本最高峰の知性・技術をもった人のもとで「インターン」ができるなんて!
 もし25年前に戻れるなら、小生も、絶対に応募したい!
 
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NHKプロフェッショナル特設サイト
http://www.nhk.or.jp/professional/18/

 先だっては、この企画を推し進めていらっしゃるNHKの小国士朗さんとお話する機会を得ました。僕は授業前の寸前、小国さんも番組収録寸前の状況だったので、短い時間の議論になりましたが(すみません、、、少し早口になってしまったと反省しておりました)、それでも、僕は大いに感銘を受けました。
 
 何がもっとも印象的だったのか、というと、

 小国さんが、これまでNHK「プロフェッショナル」の中で、ビジネスパーソンを数多くとりあげてこられた

 ということです。
 これはとてもうれしいことでした。

 とかく「プロフェッショナル」というと、医師・スポーツマンとか、そういった専門職が想定されますが、そういう専門職の他にも、一般のサラリーマンの中にも、僕は「プロの仕事」をしている人はたくさんいる、と思います。
 ふだん、さまざまなビジネスパーソンにお逢いしていて、本当にそう思います。そういう方々にも、「プロフェッショナル」のスポットライトがあたるといいな、と感じました。ぜひ、そうした番組、企画を今後もつくっていっていただきたいと願います。

 エントリーは番組特設サイトから、6月30日までだそうです。
 日程はタイトですね。
 でもね、こういうのは、飛び込むか、飛び込まないか、だけの問題だと思います。

 飛び込むチャンスのある皆さん、ぜひ、そのチャンスを活かしてみて下さい。
 飛び込むチャンスのない大人の皆さん、ぜひ、お近くの方々の背中を押してあげていただけたとしたらうれしいことです。

 そして人生はつづく

NHKプロフェッショナル特設サイト
http://www.nhk.or.jp/professional/18/
 

投稿者 jun : 2016年6月24日 06:04


日本全国に蔓延中!?「コーチング」や「アクティブラーニング」するなら「教えちゃ絶対にダメ」なんでしょ病!? : 二極化した「わかりやすいロジック」を「解毒」せよ!?

 先だって、あるマネジャーさんとお話をしているときに、こんな話題になりました。

「先生、コーチングって知ってますか? いや、会社から、研修を受けろっていうからね、研修を受けたんですけどね。

あれ、どうなんですかね。教えちゃダメだっていうんですね。相手に気づかせるんだって。

でも、教えちゃダメっていわれてもね。知識もスキルも何にもない新人の内面を「まさぐって」も何にも出てきやしませんよ。教えたらダメっていわれても、教えなしゃーないでしょうが。

仕事、覚えられないですよ、そんなんじゃ。教えたらダメっていわれてもねー。先生、どうしたらいいですか?」

  ・
  ・
  ・

 ICレコーダを持っていたわけではないので、一字一句同じではないですが、このマネジャーさんがおっしゃっていたことは、こうした趣旨のことでした。
 現場のマネジャーさんの言葉は、いつだって生々しく、魅力的ですね。

 「コーチング=内面をまさぐる」(笑)。

 この言葉から、なんか「淫靡な感じ」が漂ってくるのは、「おれたち妄想族」のメンバーである僕だけでしょうか(笑)。
 この方のおっしゃりたいこと、ご主旨はよくわかります。

 そして、このことは、僕が日々思っていた問題意識に近かったので、その方とは意気投合して、その後、どうしたらよいかを一緒に考えさせて頂きました。
 素敵な時間をありがとうございます。

  ▼

 僕は、研究柄、現場でヒアリングをさせていただくことが多々あります。
 
 そのとき、この方に限らず、一般の現場のマネジャーさんから「コーチング」という言葉がでるとき、たいていでてくるのは、こうしたお話です。そして、こういう瞬間が出る度に、僕は思うことがあります。

 それは日本の経営教育においては、

 コーチングを「説明」するときに、「ティーチング」を「仮想敵」において語られることが多いのですが、そのロジックには「弊害」が多いのではないか? 現場に「呪縛」を生み出しているのではないか?

 ということです。

 典型的なコーチング導入の「ロジック」はこうです。

 まず、

 ティーチングは「一方向的に教えること」である

 とする。

 それに対して

 コーチングは「相手に気づかせること」である

 とします。

 そのうえで、

 ティーチングは「時代遅れなもの」「だめなもの」とおき、コーチングを「よきもの」として「価値」づけるロジックが展開されます

 つまり、ティーチングとコーチングを「対極」にして、「コーチング」の有効性を主張するということですね。

 要するに展開されているのは「振り子的ロジック」です。
 それをやる「気持ち」はよくわかります。
 「わかりやすい」し、説明もしやすい。
 「わかりやすい」から「売れる」(笑)

 しかし、このような「論証のロジック」が本当に、これでよいことなのかは、僕は、かなり疑問があります。

 もちろん、それにかかわる多くの賢明な識者の方々は、こうしたロジックや演習のあとで、「ティーチング」の重要性も、同時に述べていらっしゃるのだと思います。
 
 しかし、現場の方には、先ほどの「二極化された論証」がだけがどうしても「頭に残る」。

 つまり、

 ティーチングは「教えること」であり「ダメ」なもの
 コーチングは「気づかせること」であり「よい」もの

 という二極化された論証だけが頭から離れなくなるのです。

 そして、冒頭に紹介された、件の現場マネジャーさんがそうであるように、そのことが「呪縛」になって部下指導の際に、とまどってしまう、ということが起こりえるのだと思います。

 僕は「コーチング」の有効性を認めたうえで、「ティーチングが適しているか」か、「コーチングが適しているか」なんてケースバイケースだと思います。

「ティーチング」が「ダメ」で、「コーチング」が「よい」とは僕は思いません。
 そんなものは「ケースバイケース」です。

 大切なことは「コーチングという武器」をもつときに、「ティーチング」を放棄することじゃない。

 しかし、多くの現場では「コーチングという武器をもたせる」ときに「ティーチングという道具を放棄させる」ロジックを展開している。

 僕はこれが、ずっと疑問でした。

 むしろ僕の主張は「逆」です。
 むしろ、「教えなければならないとき」には、自信をもって、しっかりきっちり「教えきっていただきたい」と僕は思います。

 そのうえに「コーチング」はあるから。
 そのことと「コーチング」は矛盾しないから。

 ▼

 実は、これによく似たロジックは、教育業界にも存在します。それは「アクティブラーニング」という言葉にまつわるロジックです。

 一般に、

 アクティブラーニングも、その導入に際して、「一斉授業」を「仮想敵」にして、自らを価値付け、その有効性を主張してしまう場合が多い

 要するに

 一斉授業は「教えること」であり「ダメ」なもの
 アクティブラーニングは「ともに学ぶこと・発信すること」であり「よいもの」とする

 ということです。

 しかし、懸命な読者の方ならおわかりのように、「ともに学ぶこと・発信すること」を効果的になすために、堅牢な知識ベースが必要です。

 要するに

「よいアクティブラーニング」を生み出すためには、「よい一斉授業」がなされなくてはなりません

 それなのに、アクティブラーニングの導入の際には、「アクティブラーニング」という武器をもたせるときに、これまで慣れ親しんだ「一斉授業」という武器を放棄させてしまう。
 こうした事例があとを立ちません。

 だから、最近、現場でこんな言葉をよくききます。

「先生、これからは、一斉授業やったらダメなんですよね?」
「先生、これからは、僕が喋っちゃダメなんですよね?」

 「おかしな話」だと僕は思います。
 「アクティブラーニング」を売りたい側の「二極化ロジック」が、過剰に変なかたちで、現場を呪縛している。

 そういうときは、そもそもに戻りましょう。
 まず、大切なことは「目的」でしょう。
 目的は、子どもや生徒を「脳がちぎれるほど、ともに、考えさせること」でしょう。
 それが必要な「学び」でしょう。

 そのための武器や道具が「一斉授業」であるか、「グループワーク」であるかは「ケースバイケース」だとぼくは思います。

 ただし、これまでの道具は「一斉授業」にかたより寄りすぎていた。だから他の方法も、試行してみましょう。これまで持っていた武器と組み合わせて、「脳がちぎれるほど、ともに考えさせる」という目的を達成すればよろしいのではないか、と思いますが、いかがでしょうか

 この国には、今、「教えること」を「ダメ」とする呪縛が蔓延している。
 そのことから、ぜひ、自由になっていただきたいな、と思います。

 「教えなければならないとき」には、自信をもって、しっかりきっちり「教えきっていただきたい」と僕は思います。

 そのうえに「アクティブラーニング」はあるから。
 そのことと「アクティブラーニング」と何ひとつ矛盾しないから。

  ▼

 今日はコーチングとアクティブラーニングの「導入」をめぐるロジックについて、少しだけ考えてみました。

 誤解を避けるために申し上げますが、僕は、コーチングやアクティブラーニングがダメといっているわけではありません。
 また、その有効性を疑っているわけではありません。むしろ、個人的には、アクティブラーニングやコーチングの「かなり味方」だと思います(笑)。

 しかし、そのうえで申し上げるのは、「導入のためのロジック」にまつわる疑問です。
 もちろん、それぞれの導入者の多くは、注意深く、それらを論証しているのかもしれません。

 しかし、二極化の論法は、わかりやすい反面、現場に多くの疑問と呪縛を残してしまうことも、また「事実」です。

 自戒をこめて申し上げますが、「極」にふった「振り子的議論」をするときには、ぜひ、気をつけていきたいものです。
 
 今、日本の全国いたるところでは、

 ロールプレイングゲーム(RPG)の中で、敵の面前で、「ナイフ」という武器がよいか、「槍」という武器がよいかを、口角泡をとばして、論じているようなこと

 がおこなわれているように僕には思います。

 そして「ナイフ」を手にした人は、「槍」を放棄させるみたいなことが平気のへーちゃんでおこなわれています。

 しかし、一般に、RPGゲームの中で、新たな武器を手にした場合、古い武器は放棄しないですよね。
 また、敵の面前で、武器の優劣を口角泡飛ばして論じるプレーヤーもいません。
 あのね、そんなことしてると、やられるよ、あんた(笑)。

 武器は、敵(目的達成)にあわせて、プレーヤーが選べばよいのではないでしょうか。
 大切なのは、RPGゲームをクリアすることであり、目的を達成することです。
 
 地に足をつけて、前をむいて「ラスボス」を倒すことに集中しましょう。
 あのね、ラスボス、手強いんだよ。

IMG_9741.jpg
 (図工2が描くラスボス)

 そして人生はつづく

ーーー

祝増刷!「駆け出しマネジャーの成長論」(中公新書ラクレ)、四刷かかりました!:マネジャーが陥りやすい罠をいかに乗り越えるか。職場を率い成果をだすためのヒントを実証的に明らかにする。どうぞご笑覧ください!

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投稿者 jun : 2016年6月23日 06:28


「紙の文法」と「ブログ文法」は何が違うのか?

「ブログの文体」というものは「紙の文体」とは全く異なる

 昨日、ある仕事をしていて、このことを切に思いました。

 実は、人事専門誌「人材教育」の僕の連載「学びは現場にあり!」がリニューアルされることになり、編集者の西川敦子さんから、昨日、こんなリクエストをいただきました。ハードな課題をありがとうございます。

「先生の執筆文のパートなのですが、ここもリニューアルしたいんですよ。これまでは解説っぽい文章でしたよね。あのー、ブログっぽく書いてくれません?

「ブログですか? いや、解説なんだから、解説でいいんじゃないですか。」

「いいえ、ちょっとブログっぽさをだしたいんですよ。だから、ブログっぽく」

「・・・・・・・」

「ブログっぽくです」

 毎朝ブログを書いていながら「ブログっぽく書く」ということがまったくわからず、一瞬、えー、どうやって書くのかなと面食らってしまったのですが、

「まー、これも神がくれた試練なんだろう。神は超えることのできない試練は与えない。何とかなるべ」

 と思い直り(激ポジティブ志向)、

「はい、じゃ、とりあえずはやってみますよ」

 と電話で答えてしまいました。

  ▼

 よーいスタート!
 ニンニーン、ニキニキ、ニンニンニキニキ
 ニンニンニキニキ ニンニンニキニキ
 ニキニキニキニキ
 (運動会の恒例ソング「天国と地獄」を歌ってください)
  ・
  ・
  ・
  ・
 1時間経過
  ・
  ・
  ・
  ・
 2時間経過
  ・
  ・
  ・
  ・
 嗚呼、しんど・・・ぜーぜーぜー。
 でも、まー、何とかなったわ。

 結局、「ニンニンニキニキ」を歌い始めてから、2時間ほど悶絶時間がつづき、何とか原稿はあげたのですが、このプロセスの中で、僕が到達した「真理」として、冒頭の命題がございます。

 これは僕だけにあてはまることかもしれませんが、僕は今回の仕事のなかで、このことを痛感しました。

 「ブログの文体」というものは「紙の文体」とは全く異なる
 「紙の文法」と「ブログ文法」は別物である

 こんなこと、しっかし、まったく考えたこともなかった。
 現在、僕は、NAKAHARA-LAB(個人ブログ)の方は月間で6万PV、Yahooニュースの方のブログ記事は97万PV(先月)ありますが、そんだけ書いていても、まったく考えたこともなかったのです。

 しかし、よく考えてみると、ブログを書くときには、いろいろ無意識にしていることがあります。

 といいますのは、もう既におわかりのように、ブログで読みやすい文章というのは、「スクロール」とかのことを考えて文章を配置しますし、一文を短くしたりする必要があります。

 たとえば

  ・
  ・
  ・
  ・

 のような「無駄な点」も、通常の紙媒体では使いませんよね(笑)。
 原稿用紙に「点」は無駄にうたない。
 
 またこのブログの「1文の長さ」を見てみてください。
 かなり細かく改行が入っていると思います。
 経験的なのですが、これ以上、長くなると、かなり読みにくくなります。
 
 あと、先ほどの

 「ブログの文体」というものは「紙の文体」とは全く異なる

 のように「読者に読んで欲しい部分」を「改行して、さらに太字にする」などのようなことも紙媒体ではしませんね。しかし、スマホで文章を読まれることが一般的な今、みんな、すぐにスクロールしてしまうのですね。

 少し込み入ってくると、すぐにスクロールされる。飛ばされる。
 だから、大切な部分はかなり「強調」しなければならないのです。

 要するに、ブログの文体は「ディスプレイ」で読むこと、「スクロール」されること、昨今は「スマホで読まれること」などを前提に「最適化」されているということです。
 少なくとも僕の文体は・・・・(笑)。

 だから、

 ブログの文体は「紙の上」で書くのは難しい

 のですね。

 そして僕はライターでも何でもないので、どうでもいいですが、おそらく、こうも言えるのでしょうね。

 紙の文章がうまい人が、オンラインでも「よい文章」を書けるとは限らない

 オンラインで「よい文章」をかける人が、必ずしも、紙でもよい文章をかけるとは限らない

 嗚呼、なかなかウルトラハードな試練でした。
 まー、でもいろいろ学んだよ。
 いや、もうけもんだったかも(笑)

 ▼

 ちなみに、今回の連載では「生まれてはじめてのご依頼」をもうひとつうけました。

 西川さん曰く

「先生がブログに描いてるみたいなイラストを、ワンポイントで入れたいんですよね。先生、イラストを描いてくれません?」

 とのことでした。

「あのー、すみません。僕、図工で2をとったって知ってました? 図工2ですよ。イラストはムリでしょう」

「いや、先生のイラストを見たいっていう人が多いんです。ブログで描いてるみたいなイラストをひとつお願いしますよ」

「・・・・・」

「ブログみたいなイラストです」

「はぁ・・・わかりましたけど」

「ヤケクソ」で描きましたが、こちらは「自己嫌悪」です。
 たぶん、載りません。
 
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 そして人生はつづく

投稿者 jun : 2016年6月22日 06:28


「非ルーティン」を支えるための「ルーティン活動」!?

 昨日は、プレ・パフォーマンス・ルーティンに関する論文を読みました。
 ワンセンテンスで申し上げれば、プレパフォーマンスルーティン(Pre-Performance Routine)とは、

 非ルーティン的なパフォーマンス(すなわち強烈な成果)を発揮したい個人が、パフォーマンスの「前」におこなうルーティン活動

 のことをいいます。

 最近ですと、ラグビーの五郎丸選手が、キックの前におこなう「カンチョー」のようなポーズ?(ごめんなさい・・・何と言ってよいかわからず。でも、メディアではあのポーズだけがクローズアップされていますが、あれは彼のプレパフォーマンスルーティンの一部ですね)で、このプレパフォーマンスルーティンが有名になりました。

 パフォーマンスの「前」には、誰しもが「成果のプレッシャー」に押しつぶされそうになります。
 
 ときには「成果へのプレッシャー」に押しつぶされ、何一つ物事が考えられず、目の前が「ホワイトアウト」してしまうような事態も生まれます。これを専門用語では「チョーキング(Choking effect)」とよぶそうです。

 昨日読んだ論文では(Musagno, C. et al 2008 Sport Psychology Vol.22 pp439-457)、このチョーキングを抑制し、集中力を高めるために、プレパフォーマンスルーティンを実施した、といいます。

 88人のボーリングプレーヤーを実験参加者としてこれを行い(シングルタスクデザイン)、プレパフォーマンスルーティンの効果を実証することができた、という論文でした。

 ま、いろいろ細かいことがあるけれど、要約すれば、そういうことです。

 ▼

 僕はスポーツ心理学の専門家では1ミリもありませんが、これを煎じ詰めて抽象的に考えますと、

「非ルーティン」を支えるための「ルーティン」

 という発想はまことに興味深く感じます。

「非ルーティン」は、おそらくは「非ルーティン」の中から生まれてくるものではなく、日々のルーティン活動や、それにともなう大量の練習、集中力の向上の中から、生まれてくるものだと思うからです。

 一般には、「非ルーティン」と申しますと、「天性」「才能」「ひらめき」「感性」といった「個人ではあずかり知らないものによる希有な現象」を想像しますが、それもあるっちゃあるんだろうけど、今日のような論文は、それとは違う次元を想像させてくれます。

 むしろ

「非ルーティン」を支えるための「ルーティン」

 なのです。

 興味深いですね。

  ▼

 妄想力を高めて考えますと、

 ビジネスの世界でも、非ルーティン的な成果や仕事に従事している人には、「ルーティン」を持っている人も少なくない

 ような気もしています。
 日々の練習、努力、決まり切った自分だけの約束事の中から、とてつもない成果を出しているような方が、何人かいらっしゃいます。

 あなたは、どんな「ルーティン」をもっていますか?

 そして人生はつづく

ーーー

祝増刷!「駆け出しマネジャーの成長論」(中公新書ラクレ)、四刷かかりました!:マネジャーが陥りやすい罠をいかに乗り越えるか。職場を率い成果をだすためのヒントを実証的に明らかにする。どうぞご笑覧ください!

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投稿者 jun : 2016年6月21日 06:21


あなたの「理念」は何ですか?:「何」を失えば、あなたは「あなた」ではなくなってしまうのか?

 先だっての慶應MCCでの授業「ラーニングイノベーション論」には、首都大学東京の高尾義明先生におこしいただき、「組織理念と従業員の動機」について、受講生みなでデイスカッションする機会を得ました。

 昨日に続いて、高尾先生のご講義のリフレクションです。高尾先生におかれましては、貴重な講義をありがとうございます。心より感謝をいたします。
 高尾先生がご紹介なさっていたお話の中で、もうひとつ個人的に印象的だったことがございます。

 それは、

 あなたには「理念」が必要ですか?
 
 という一言でございました。

 この言葉は、高尾先生が、「暮しの手帖」の元編集長・松浦弥太郎さんのご著書の中で発見なさり、ご紹介いただいたものでした。

 組織に理念は必要なのは、世の中、一般にはよく語られることですね。
 しかし、ひるがえって「個人」に関してはどうでしょうか? 

 あなた個人には「あなた自身が守りたい理念」が必要ですか?

 もしそうだとしたならば、

 あなたにはどんな「理念」がありますか?

  ▼

 このお話は、高尾先生が、講義の冒頭部でお話なさったものでしたが、正直、僕はどきっとしました。

 僕自身には「理念」が必要なのか?

 そして、

 僕自身にはどんな「理念」があるのか?

 を考えざるをえなかったからです。
 前者の問いに関しては、

 ただちに「僕にも理念は必要だ」と思いました。
 しかし、僕自身にはどんな「理念」があるのか、と問われれば、なかなか唸ってしまいます。
 
 僕にはどんな理念があるんだろう?

  ・
  ・
  ・

 皆さんには「理念」は必要ですか?

  ▼

 あなたには、どんな「理念」があるのか?

 僕をふくめて一般に、この重い問いに、ただちに答えることはいささか難しいものがあります。
 
 別の言葉で申し上げるならば、

 どんなものを失えば、あなたは「あなた」ではなくなってしまいますか?

 と問われているということですね。

「失ってしまえば」今のあなたではなくなってしまうもの。それが「個人の理念」に近いものだということでしょう。

 超ヘビー級の問いです。

  ▼

「超ヘビー級の問い」に関しては、一人で孤独に向かうのもシンドいので、「ワークショップにもできるかな」と考えていました。すぐにワークショップやら研修やらをデザインしはじめてしまうのは、僕の「悪い癖」かもしれません(笑)

 わたしの「理念」ワークショップ

 自分の理念を「決める」だけのワークショップです。
 なぜそうなのか、具体的にそれにまつわるエピソードや出来事を振り返りながら。

 なかなか盛り上がるような気がします。
 
  ▼

 今日は週のしょっぱなから、なかなか重いお話をいたしました。
 
 あなたの「理念」は何ですか?

 今週も走りきりましょう!
 そして人生はつづく

 
ーーー

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投稿者 jun : 2016年6月20日 06:01


あなたの会社には「ゾンビ化した理念」がさまよっていませんか?

 あなたの会社には「ゾンビ化した理念」がありませんか?

  ▼

 先だっての慶應MCCでの授業「ラーニングイノベーション論」には、首都大学東京の高尾義明先生におこしいただき、「組織理念と従業員の動機」について、受講生みなでデイスカッションする機会を得ました。

 高尾先生には、大変お忙しい中、ご出講をご快諾いただき、心より感謝いたします。
 素晴らしい講義をたまわり、受講生はもちろんのこと、僕自身、大変勉強になりました。本当にありがとうございました。

(今回の授業には、理念経営をなさっている花王の人事の方々もゲスト参加いただきました。心より感謝をいたします。特に、下平博文さんには、授業の中で、大変多くのご示唆をいただきました。下平さんには、かつてワークプレイスラーニング2008の際に、お世話になったことがございます。8年ぶりにお逢いできて大変嬉しい事でした。その節は大変お世話になりました。)

  ▼

 高尾先生のご講義のあとは、受講生をまじえてのディスカッションをおこないました。ディスカッションでは、受講生の間からさまざまな質問をいただきました。どれも、実務にねざした興味深い問いであったように思います。

 個人的にもっとも興味深かったご質問は、

「理念は(環境の変化などに応じて)変わっていいのですか?」

 という受講生の方からのご質問でした。

 実際、多くの組織では、社長や経営者の交代に応じて、すべてとは言わずとも、理念が見なおされ、改訂されることがあります。

 また、理念の中には、環境や市場の変化に応じて、時代遅れになってしまうものもあり、改訂やバージョンアップがなされることもあります。

 要するに、理念の中には、その一部に「変わって行かざるをえないもの」も含まれている、ということです。

 しかし、一方で、理念の中には「変わってはいけないもの」も含まれています。

 時代や環境変化、そして社長や経営者の交代をもってしても、

 組織が、その組織であるために必要なもの

 は「コアの理念」として持たなければなりません。組織の中には「ブレないもの」がやはり必要なのです。

 別の言葉で申しますと、

 もしその理念を失ってしまったとしたら、もう、組織が「その組織」ではなくなってしまうもの

 それが「コアの理念」なのかもしれません。

 理念経営では、

 変えてもいいものと
 変えてしまってはいけないものを

 しっかりと峻別する智慧が必要になってくるようです。

 受講生の皆さんに、

「皆さんの会社では、何年に何回くらい理念を見なおしていますか?」

 と僕の方から問うたところ、「5年ー6年」くらいである、と答え方が3名ほどいらっしゃいました。これが一般的かどうかはわかりませんが、市場や環境変化に応じて、あるタイミングで理念の一部は見なされている、ということです。

  ▼

 ところが、実際の組織の中では、

 変えてもいいものと
 変えてしまってはいけないものを
 しっかりと峻別する智慧

 はなかなかうまくいかないところも多々あります。

「確固たる理由」がなく、前に制定された理念が「形骸化」していたり、「誰も口にしないものになっていたりする理念」があとを立ちません。要するに

 「置き去りになっている理念」
 「忘れ去られている理念」

 が、全世界には3億個くらいある、ということですね(笑)

 ある時代に「ジャストアイデア」や「思いつき」によって(Someone hit upon idea!)、理念が生み出されました。
 しかし、その後は、権力者が失脚・交代したか、あるいは、なんらかの理由で、「全く陽の目」をみなくなってしまう理念(Essentially, dead)。

 実質は

 「おまえはもう死んでいる(dead)」

 のだけれども、いまだに形式上「生き残っており(Living)」、目標をすでに失い、夜な夜な当てもなく彷徨っている(Go nowhere)理念。

 会社の中には、「ゾンビ化した理念」がうようよしているところもあるから注意が必要です。
 ワンワードで述べれば「理念ゾンビ」?
 こんな感じですか?

zonbikashitarinen.png

 やっぱり生み出したからには、しっかりと「大往生」してもらわない、とね(笑)。

 みなさんの会社には「ゾンビ化した理念」が、さまよっていませんか?
 
  ▼

 今日は「理念」についてのお話をしました。
 組織や職場のメンバーの「多様性」があがり、かつ、組織のめざす目標や戦略が「不明瞭」になりやすい際には、理念経営といったものが一般にはめざされるものです。

 しかし、一方で理念はまことに「形骸化」しやすい。
 手を抜いたら「一瞬で形骸化するもの」。それが理念です。

 みなさんの会社には「ゾンビ化した理念」が、さまよっていませんか?
 
 そして人生はつづく

ーーー

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投稿者 jun : 2016年6月17日 06:10


明るく愉しい!?内定者教育、学生の就職支援をめざす方へ!:7/13(水)「アクティブトランジションワークショップ」体験会開催決定!参加者募集中!

 皆さんの中に、こんなお悩みをお抱えの方はいらっしゃいませんか?

 ・学生の就職支援、いつもとは違ったことができないだろうか?
 ・内定者のフォロー、何か効果のあることができないだろうか?
 ・明るく愉しく、しかし、それでいて、味わい深いワークショップ(ダバダー)はできないだろうか?
  

activetransition_taishousha.jpg

 それでしたら、こんな機会がございます!!!
    ↓
【アクティブトランジションワークショップ体験会!?】

activetransition_flyer.jpg
応募はこちらからお願いします!:詳細はこの記事の下にもございます!
https://goo.gl/2u5JzD

 来たる7月13日 午後7時ー@東京でワークショップイベントを開催
することになりました。立教大学の舘野泰一さんが中心になって編まれた
書籍『アクティブトランジション』の制作チームが贈る、
 
 全米が泣いてしまうような「ワークショップ」体験イベント

 です。

 当日は、ワークショップで用いたカードツールも、お土産として
プレゼントさせていただきます
。みなさま、ご近所のみなさま、
 会社の皆様など、お誘いあわせのうえ、ぜひお越しいただけますと幸いです!

 僕も、もちろん、当日会場におります。
 7月13日、会場でお逢いしましょう!
 See you soon!

 詳細、応募方法は下記の通りです! どうぞご笑覧・ご確認ください!

==================================================

【アクティブトランジションワークショップ体験会!?】
 内定者育成の未来、大学時代の過ごし方の支援
 学生から社会人への移行をスムーズにおこなうためには

日時:2016年7月13日(水曜日)午後7時から午後9時まで
場所:株式会社内田洋行 東京ユビキタス協創広場 CANVAS 2F(ハイセンスなオシャレスペースです!)
参加費:3000円(軽食+ドリンク+カードdeトークカードお土産つき!)

主催:書籍『アクティブトランジション』制作チーム
 舘野 泰一 (立教大学)
 中原 淳 (東京大学)
 木村 充 浜屋 祐子 吉村 春美 高崎 美佐 田中 聡 保田 江美
 井上佐保子、三宅由莉、いわた花奈
共催:内田洋行教育総合研究所
協力:株式会社 三省堂

応募はこちらのサイトからお願いいたします!
https://goo.gl/2u5JzD

==================================================

「6月の選考解禁」とともに、新卒採用活動が本格化してきました。
企業にとって、内定者フォローをどのように行うべきか、せっかく
採用した貴重な人材をどのようにかにひきとめ、早期戦力化してい
くのかは重要な課題
です。

一方、大学は、今後の就活支援をどのように行うべきしょうか。

学生から企業でしっかりと活躍できる人材へと変容していく移行期
(トランジション)をどう導くかは、大学においても企業において
も大きな課題
です。

本イベントでは、

・どのような大学生が社会で活躍しているのか?
・どのような内定者フォローが有効なのか?

といった、大学生に対する縦断調査の結果の報告と、研究知見に基
づいた愉しく怪しいキャリアワークショップを体験いただく
ことが
できます。

今回体験していただく
「カード de トーク いるかも !?こんな社会人」ワークショップ
一般的な組織にいる「典型的な社会人」がカードとなっており、その
カードをもとに対話を行うことで「就業観・職業観」について考える
もの
です。主に内定者向けに開発しています。

当日ご体験いただくワークショップに関するガイド、使用するツール
、理論的背景となる研究論文等は、筆者らが著した新刊『アクティブ
トランジション』に収録されているもの
です。

本イベントでは、

1.企業で採用・内定者フォロー・新入社員研修をされている方
2.大学・高校でキャリア教育にかかわっている方
3.ワークショップを体験してみたい大学生
4.アクティブラーニング型の授業・研修設計に興味を持っている方
5.書籍『アクティブトランジション』について詳しく知りたい方

などにおすすめです。
もちろん、ここにあてはまらない方も大歓迎です。

『アクティブトランジション』(三省堂)をお持ちでない方も、
お持ちの方も、まったくOK!ご参加頂けます。
当日、ご希望があれば、会場にて
お買い求めいただくこともできます。

企業、大学、高校など、さまざまな実践に関わる方々と、
ワークショップの体験、議論ができることを楽しみにしております。

応募はこちらのサイトからお願いいたします!
https://goo.gl/2u5JzD


◆スケジュール

・ウェルカムドリンク
・アクティブトランジションとは何か(中原・舘野)20分
・ワークショップ体験(ファリシテータ 舘野)1時間
・インタラクティブセッション(制作チームによる論文解説など)20分
・ラップアップ 20分

※スケジュールは変更になる可能性があります

◆日時
日時:2016年7月13日(水曜日)午後7時から午後9時まで

◆会場
場所:株式会社内田洋行 東京ユビキタス協創広場 CANVAS 2F
http://www.uchida.co.jp/company/showroom/canvas/tokyo/

協賛:内田洋行教育総合研究所

◆参加費

3000円(軽食+フリードリンク+カードdeトークカード)
※社会人カードセットのお土産がつきます。

◆書籍について

『アクティブトランジション』(三省堂)をお持ちでない方も、
お持ちの方も、ご参加頂けます。当日、ご希望があれば、会場にて
お買い求めいただくこともできます。

書籍を事前購入して予習されたい方はこちらをご利用ください。
予習なしでも、書籍なしでも、もちろんお楽しみいただけます!

◆募集人数
100名(人数を超えた場合には抽選とさせていただきます)

◆参加条件

1.本ワークショップの様子は、予告・許諾なく、写真・ビデオ撮影・
ストリーミング配信する可能性があります。
写真・動画は、舘野泰一研究室ないしは中原淳研究室が関与する
Webサイト等の広報手段、講演資料、書籍等に許諾なく用いられる
場合があります。マスメディアによる取材に対しても、許諾なく提供
することがあります。参加に際しては、上記をご了承いただける方に
限ります。

2.応募が多い場合には、〆切前であっても、予告なく応募を停止
する可能性がございます。あしからずご了承下さい。

◆応募はこちらのサイトからお願いいたします!
https://goo.gl/2u5JzD

お逢いできますこと愉しみにしております!
==================================================

投稿者 jun : 2016年6月16日 05:30


「やかましい夜」と「静かな夜」

 我が家には2人の「男の子」がいます。
 9歳・TAKUZO、2歳・KENZO。
 2人あわせて、「超絶ママ好き好き隊」です。

 その「好き好きっぷり」は、ものすごいものがあります。
 歯磨きするのも「ママ」にしてもらいたい。
 横に寝るのも「ママ」がいい。
 牛乳をつぐのも「ママ」にやってもらいたい。
 二人して、いつも、ママを取り合っています。

 彼らが思春期になり、ママに偉そうな口をききはじめたら、
 毎夜毎夜、我が家のリビングで繰り広げられている、
「ママ争奪戦」の映像をYoutubeにあげてやろうか、
 と思うくらいです(笑)。

 奪い取りたい
 自分のものにしたい。
 ママが好き。
 
 かくして、ママが自宅にいる夜は「やかましい夜」です。
 ママをめぐる「仁義なき戦い」が我が家の日常です。

  ▼

 大変興味深いのは、こういうときの「パパの身分」です。
 それは「ママが自宅にいるか、いないか」によって変化します。

 ママが自宅にいるときには、パパの身分は「底辺」です。

 「おっ、パパ、今日いたんだ」
 「いや、パパじゃないんだよ、ママなんだよ」
 
 一方、ママが仕事で遅く、パパが一日面倒をみるときは、
 その身分は、信じられないほど「上昇」します。

 「パパ、一緒に寝よう」
 「パパ、一緒に遊ぼうよ」

 さしずめ、その様相は「日常の反転」であり、いわば「倒錯」です。
 
 しかし、悲しいかな、どんなに二人と遊んでも、
 どんなにお世話をしても、
 パパは二人の間で「取り合い」にはなりません。

 パパが子どもの面倒を見る夜は「取り合い」のない
 「静かな夜」なのです。

  ▼

 「静かな夜」は、ベットルームで、3人で寝ます。
 寝かしつけをしながら、つくづく思うことがあります。

 嗚呼、今日も「静かな夜」が終わった。
 こういう日も、まぁ、悪くないな。
 いっつも「やかましい」からな。
 「ママ争奪の仁義なき戦い」、何とかならんかな・・・。

   ・
   ・
   ・
   ・
   ・
   ・

 それにしても、今日は、いつもと違ったな。
 TAKUZOも、パパと、モクモクとゲームをしていたな。
 KENZOは、口数少なく、ちょっと寂しそうだったな。
 静かな夜だなぁ・・・。

   ・
   ・
   ・
   ・
   ・
   ・
 
 やっぱり、今は「やかましい夜」の方がいいのかな。
 仁義なき戦いも、永遠に続かないだろうしな。

 きっと、今だけなんだろうな
 今が大切なんだろうな、と。

 そんなことを考えながら、うとうとしているうちに、僕は寝てしまいます。
 「やかましい夜」を疎ましく思いながら。
 一方で、明日を愉しみにして。

 そして人生はつづく

kenzotakuzo2016.png

投稿者 jun : 2016年6月15日 05:49


「仕事をする女性」に本当に必要なのは「完全無欠のロールモデル」なのか?

 女性のリーダーが生まれないのは、職場に、彼女たちの「ロールモデル」になるような人がいないからですよ。だから、女性からリーダーが生まれないのです。とにかく、ロールモデルが重要なんです。

   ・
   ・
   ・
   ・

 かなり前のことになりますが、ある機会で、ある識者の上記のような趣旨のような発言を耳にしました。
「女性リーダーをいかに育てるか?」「女性管理職をいかに生み出すか?」の業界!?(そんな業界あるんでしょうか?)は、僕は、あまりこれまで馴染みがなく、ご意見を大変興味深く拝聴させて頂きました。

 女性とリーダー
 女性と管理職
 女性とキャリア伸張

 まぁ、何と表現してもよいのですが、国内の既存の先行研究、研究論文、インタビュー記事などを調べあげていくと、必ず出てくるワードのひとつが、今日のテーマである、この5文字

 「ロールモデル」

 です。

 曰く

 「女性が活躍できないのは、身近にロールモデルになるような存在がいないからだ」

 たいていの論は、上記のような命題を繰り返します。

 おおよそ、日本の女性の活躍に関する議論のほとんどが、これに言及しているのではないかと思います。
 それが「言い過ぎでもない」と思えるくらい、この「ロールモデル」という言葉は広く巷間に流布しています。

  ▼

 しかし、僕は、ほしひゅーまのねぇちゃんのように、この言説空間を「木の陰」から「傍目」からみて、

 女性リーダーの育成に関する言説空間が、「ロールモデルのオンパレード」状態になっていることこそ、疑わなければならないし、改善されなければならない
 と思います。

 あーあ、言っちゃった(笑)

 不遜にも、

 そもそも「ロールモデル」とは何か?

 から問い直されなければならないと思ったりするのです。
 そして、いわば無批判に「ロールモデルが必要だ」という主張を繰り返し続ける「日本の言説空間の特殊性」を、ひとり勝手に感じてしまうのです。

 今日は、朝っぱらから、ゆるゆると、少しそんな話をしましょう。
 
  ▼

 といいますのは、視野をさらに広くもち、国内のみならず、国外にまで文献検索の幅を広めたとき、「女性の活躍」に関するグローバルな議論・文献のなかで、「ロールモデル」という言葉が、日本ほどでてくる国はないのではないかと思います。

 もちろん海外でも「言及ゼロ」「論文ゼロ」ではないですよ。
 でも、日本ほど、この言葉に対する関心は強くないように思えるのは僕だけでしょうか。
 
 むしろ、海外の場合、より頻出する言葉は、「メンター」や「スポンサー」という言葉であるように思います。

 曰く、

 女性には「メンター」となるような人が不足する傾向がある
 (=女性が困ったときやわからないときに、彼女に対して、助言・指導の機能を果たしてくれる人が得がたい)

 女性にはポジションを高めてくれるような「スポンサー」が得がたい傾向がある
 (=昇進によい影響力を行使し、引き立ててくれる「機能」を果たしてくれる人が、女性には得がたい)

 海外の場合、「ロールモデル」という言葉の前に、まずは、こんなことが語られることの方が多いように感じます。

 そして、ここで注目したいのは、海外で主に主張されているのは、女性が自らの能力・キャリアを伸ばしていくうえで必要になる

 「機能の不足」

 についてです。
 組織の中に、そうした「機能」が不足していることを主張している。
 どちらかというと、比較的「ドライ」なんですね。
 「よき仕事」をしていくうえで、必要な「機能の不足」をロジカルに主張します。

  ▼

 対して、日本の言説空間の場合は、「ロールモデル」という言葉が人口に膾炙しています。
 そして、「ロールモデル」とは「機能」を表現する言葉ではありません。

 むしろ、ロールモデルとは「ウェット」なんです(は?何がウェットかはよーわからんが、書いてみた)。

 ロールモデルとは

 「あんな人になりたいなと思える人材」

 であり、

 「あんな行動や立ち振る舞いができるようになりたいと思えるような人材」

 です。
 ほら、ねっちょりしてるでしょ?(笑)

 そして、さらに「女性の活躍のコンテキスト」においては、ロールモデルの意味はさらに「拡張」していきます。

 管見ながらさまざまな識者のご発言を渉猟させていただきますと、どうやら、女性の活躍の言説空間では、

「ロールモデル」とは、「仕事の世界」でしなやかに活躍しつつも、それでいて「家庭生活」は犠牲にせず、しっかりと個をもち「プライベート」まで充実している人材

 のことをさしているような気がします。
 ま、3つとまではいかんでも、せめて2つ。
 仕事と家庭をしっかり両立する存在のことをさしているのではないかと思うのです。
 
 要するに、女性活躍の言説空間においては、

 ロールモデルとは「全人格」を表現する言葉に近い 

 のです。

「全人格」というのが言い過ぎでしたら、「仕事」も「家庭」も「個」もすべて盛って、いやはや充実している、「トッピング全部入りラーメン」のようになっちゃってる存在かな・・・。

 いや、いるならいいんだけど、本当にそんな人いるの?
 ていうか、盛りすぎじゃない(笑)

 しかし、これこそが、「メンター」や「スポンサー」といった「機能の不足」を問う、海外の言説空間との違いであるように感じますが、いかがでしょうか。

  ▼

 ここで、今、もし仮に「ロールモデル」が女性が今よりも活躍するための「個別の機能」なのではなく、女性が憧れ目指すべき「全人格」をさしている言葉だとしましょう。

 それでは、なぜ、これが「按配」がよろしくなく、もう一度、このままでよいのかを考え直さなければならないと僕が思うのかを最後に述べさせて頂きます。

 それは、

 「完全無欠の全人格的存在」は、通常の会社・組織にはそう「いない」から

 であり、

 「完全無欠の全人格的存在」は、模倣するには「ハードルが高すぎる」から

 です。

 人材開発研究の観点から言わせて頂きますと、「観察学習をおこなうべき存在がいないこと」と「経験学習する対象のハードルが高いこと」は「致命的」です。
 だから、本当に、組織の状態を変えたいのであれば、これを「問い直さなくてはならない」と思うのです。
 (うがった見方をすれば、今のままでいいのなら、ロールモデル信仰を主張しつづけることもできます。組織のあり方を変えたくない、ないしは本当に変わってしまうと、職が失われる人にとっては、ロールモデル信仰をおそらく推進した方が経済的合理性にあっていると思います。だって、ロールモデルに憧れ、いくら目指そうとしても、そういう人が得がたく、かつ学習にとってのハードルが高いのなら、いつまでたっても実現しないんだから・・・ちょっとうがった見方すぎますか?)

  ▼

 まず第一のポイント「完全無欠の全人格的存在はいない」について。
 僕が男性だからなのでしょうか。
 僕は、自分の上位に「完全無欠の全人格的存在」を感じたことは、すみません、ほとんどありません。
 このことは、僕が自分の上位の方々を「軽く扱っている」ということを意味しません。そうじゃないんです。リアルはそうじゃない、と言いたいのです。

 むしろリアリティは、「どんな人でも、あーマネしたいと思えるよいところもあるし、反面教師にせなアカンなと思える悪いところあるんじゃないか」というのが、男40歳・ここまで生きてきた僕の実感です。

 わたしたちは仕事をしながら、

 あの人の・・・なところは、絶対にまねしよう
 でも、あの人な・・・なところは、反面教師にせなあかんな

 この人の・・・・はすげーな。こんな風に、自分もやってみたいな。
 でも、この人は・・・なところがイケてないな。自分も気をつけなければな。

 といった感じで、様々な人と出会い、そこで出会った人々の「よいところ」を、それぞれに「学んでいる」のではないでしょうか。
 わたしたちは「完全無欠の全人格的存在」だけから学んでいるわけではないし、それを観察学習しているわけでもないのです。
 わたしたちが、日常おこなっている他者を通じた学習は、むしろ「いいところどりの学習」、すなわち「ブリコラージュ型学習」なのではないかと思ったりするのですが、いかがでしょうか。
 
 もし、これが是とするならば、

 今、おこなうべきは「ロールモデルを探すこと」ではありません。

 むしろ、日々、日常、様々な同姓・異性と出会い、その人の良さを取り込み、悪しきを反面学習する機会を増やすこと。そうした振り返りを折りに触れて機会をもつことです。

  ▼

 第二の「完全無欠の全人格的存在はハードルは高い」について

 これはわかりやすいですね。 

 仕事もバリバリできて、家庭もしっかりやりきって、個も充実していて、週末ごとにフェイスブックに、その従事つっぷりをアピールできる「スーパーピーポー」というのは、そもそも学習する対象としては「ハードルが高い」のです。

 くどいようですが、
 
 そうした人々「だけ」を探し、そうした人「だけ」から学ぶことをよしとするよりは、わたしたちは、どんな人からでも「ブリコラージュ型学習」をできる余地がある。
 そして、「助言してくれる人」「引き立ててくれる人」という具合に、自分に必要な個別の機能を、ドライに求めた方がよいと思います。
 
 ▼

 今日は女性の活躍のコンテキストにおける「ロールモデル」という言葉について思うところを書かせて頂きました。

 実は、本年度から中原は、トーマツイノベーション株式会社様との共同研究で、

「女性リーダーをいかに育成したらよいのか?」

 についての研究を遂行させていただいております。

トーマツイノベーション株式会社
http://www.ti.tohmatsu.co.jp/

 プロジェクトには、トーマツイノベーションの眞﨑大輔社長をはじめとして、田中敏志さん、井手真之介さん、国崎晃司さん、山﨑彩子さん、伊藤由紀さん、村上美奈子さん、星原安希さん、長谷川弘実さんにご参画いただいております。お忙しいところ本当にありがとうございます。中原研側は、中原と保田江美さんが参加する予定です。

 現在、プロジェクトは調査の青写真をようやく固めた段階。
 眞﨑さんら関係者が一同に会したキックオフをおえ、さらにはトーマツイノベーション様の女性リーダーの皆様にお集まりいただいたブレスト会を終え、国崎さん、長谷川さんら、保田さん、中原で研究室に集まり、あーでもない、こーでもない、と議論をさせていただいております。
 夏から秋にかけて、実査がおこなわれ、さらには分析がゴリゴリとおこなわれる予定です。

 おそらく冬には成果発表会。
 数百名の規模で、都内で成果発表がおこなわれるのではないかと思います。きっといつものシンポジウムスタイルでは「ない」かたちで、ユニークに、明るく、愉しく、ちょっぴりスパイシーに(笑)

 今年一年、多くの方々に御協力をいただきつつ、この話題について探究し、女性リーダーの活躍に資する「よき研究知見」を生み出していきたいと考えています。

 そして人生はつづく

 ーーー

祝増刷!「駆け出しマネジャーの成長論」(中公新書ラクレ)、四刷かかりました!:マネジャーが陥りやすい罠をいかに乗り越えるか。職場を率い成果をだすためのヒントを実証的に明らかにする。どうぞご笑覧ください!

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投稿者 jun : 2016年6月14日 06:00


「優秀なコーチ・指導者」になるために必要なものとはいったい「何」か? : 為末大さんとの書籍企画・初対談で僕が学んだこと

 僕が、今、現在かかわらせていただいている書籍企画の中に、

 「元アスリートの為末大さん × 中原との対談」

 を書籍にするという、とても楽しみな企画がございます。

 ハードル日本記録保持者であり、オリンピックにも出場した経験を持たれる為末さんの歩んでこられたキャリア、中原の研究をもとに、

「今を生きる人々が、長い仕事人生を、いかに完走すればいいのか」

 をゆるゆると話し合う、というものです。

 この企画は、別の機会で、為末大さんと中原の対談をご覧になった筑摩書房の永田士郎さんからお声がけいただき、同社の編集者・橋本陽介さん、ライティングをジャーナリスト・編集者の松井克明さんにご担当いただくことになりました。橋本さんのご尽力で、為末さんのご了解が得られ、企画が実現することになった次第です。

 同社のお二人、為末さん、為末さんの事務所の皆様には、この場を借りて御礼申し上げます。ありがとうございます。

 ▼

 先だって「顔合わせ」+「初対談」ということで、為末さんが研究室にお越しになり、ゆるゆると2時間ほど対話させていただきました。

 為末さんとの対話は、どの話題も面白いものでしたが、もっとも興味を引かれたのは、

 選手生命を終えたあと、選手の約半数は、後輩の育成を担うべくコーチ・指導者になることを選択するが、なかにはコーチに向いている人と、向いていない人がいる。それでは、いったい、コーチ・指導者に「向いていない人」とはどんな人なのか?

 という話題でした。

 皆さんは、どんな人だったら、コーチや指導者になるのは「シンドイ」と思われますか? 週明けの朝っぱらから恐縮ですが、少し考えてみられますか?

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 為末さんから伺った答えは非常にパワフルなものでした。ICレコーダを僕は回していなかったので、一字一句同じではないものの、下記のような趣旨のご発言をなさっていました。

 コーチ・指導者に向いていないのは、「前しか見ない」選手です。
 「100メートル先のゴール」だけを見つめていて、そこにまっすぐ走っていくことしか考えない。その視野は狭く「ゴール」しかみない。

 コーチ・指導者になるためには、「ゴール」や「前」を向いているだけではだめです。そこから視点を上げて、「走っている自分が想像できる」ようにならなくてはなりません。「走っている自分を見る目を持つこと」が重要なのです。

そういう「俯瞰的な視点」があってはじめて指導ができます。「走っていること」を見つめられる目をもっていなければ指導者はできません。

 非常に興味深いことです。

 為末さんは続けます。

 この問題が、やや複雑なのは、「ゴールしか見ない選手」でも、ある程度の指導はできるのです。身体がうごくうちは「自分の身体を使って、選手に見せて、指導すること」ができます。自分の身体でやってみせることで、とりあえずの「指導」は、できるのです。

 しかし、それが続くのは、「自分の思うように、自分の身体が動くまでのあいだ」です。だんだん年齢を重ねて、自分の身体が思うように動かなくなると、どうしようもなくなる。最後は「気持ちで頑張れ」というしかなくなります。

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  ・

 個人的にこの話は、大変面白いと思いました。

 一般に、選手は、選手時代、視野狭窄と言われようが何だろうが「目の前のゴールだけを見つめて」、すべての精神を集中させ、「前に前に走りぬけること」が求められるものなのかな、と思います。
 
 僕は「体育2」なので詳細は知りませんが(泣)、「目の前のゴールを見ない選手」というのは、あまりいないのかな、と(笑)。
 選手ならば「目の前のゴール」を見詰めて、猛進するものなのかな、と。

 しかし、それだけでは「優秀なコーチや指導者」になることはできません
 優秀なコーチや指導者になるためには「走っている自分」をいわば上空から見つめるような目を持たなければならない。

 優秀なコーチや指導者になるためには、「走っている自分」や「走っている選手」をより客観的な位置から観察し、選手に必要に応じてフィードバックをしていける「俯瞰的な目」を持つ必要があるということなのかな、と解釈させていただきました。

 そして、これは、決して選手だけにあてはまることではなく、まさにこの本のテーマでもある、一般の人々の仕事人生にもあてはまることなのかな、と感じました。

 人は熟達に応じて、ソロプレーヤーから、リーダー、マネジャー、管理者と「人を動かすポジション」を経験する場合が多いものです。
 そのとき、どのような目を持たなければならないのか。どのようなマインドセットの転換が必要なのかを考えさせてくれる一言であったと感じています。

 為末大さんに心より感謝いたします。

 ▼

 為末大さんとの対談ははじまったばかりです。
 残り3回ー4回の対談を重ね、ちくま新書から、多くの人々に読んで頂ける本を出させて頂きたいと感じています。

 お楽しみに!
 そして人生はつづく

(数えてみたら、今、関わらせて頂いている書籍企画は10冊になっていました。ひとつひとつ大切にしながら歩んでいきたいと思います。頑張ります!)

 ーーー

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新刊「アクティブトランジション:働くためのワークショップ」もどうぞよろしく御願いいたします。内定者教育、採用活動に従事なさっている企業関係者の方々、大学の就職関係者の方々にお読み頂きたい内容です。どうぞご笑覧下さい!

 

投稿者 jun : 2016年6月13日 05:43


あなたは「仕事を任せられない症候群」が生み出すデフレスパイラルにハマっていませんか?

「仕事をうまく任せられないこと」には「デフレスパイラル」が起こりがちです。
 絵に描いてみると、こんな感じ。

makaserarenai_spiral.png
「仕事を任せられない症候群」が生み出すデフレスパイラル

 おー、クワバラ、クワバラ。
 恐ろしいデフレスパイラルだわ。
 まったく人ごとじゃない(泣)

 要するに

 仕事を任せられないと、仕事が回らない
 仕事が回らなければ、メンバーが育たない(メンバーにやらされ感)
 メンバーが育たない(メンバーにやらされ感)と、メンバーが辞めてく

 ほんでもって

 メンバーが辞めちゃうと、自分がやるしかない
 自分がやるしかないから、マネジメントの時間がとれない
 マネジメントの時間がとれないから、さらに仕事をうまく任せられない

 そして

 このプロセスの中で、最悪の場合には「職場崩壊(職場内一揆)」ないしは「マネジャー自身の疲弊」が起きる、という感じです(泣)。

  ▼

 一昨年から、中原は、テンプHDの皆様と一緒に、パート・アルバイト人材の育成に関するプロジェクトに従事させていただいております。当初、僕は、パート・アルバイト人材のマネジメントは、正社員のマネジメントとは、かなり「異なる」やり方が必要なのだろうな、という仮説を思っていました。

 もちろん異なるところは多々あります。
 全然違うっちゃ違うところもある。
 その詳細は秋に出版される書籍ー「アルバイト人材育成入門」の方で、ゆっくりと論じさせて頂くとして(笑)、でも、よくよくデータを見つめてみると、一緒の部分、たいしたかわないこともかなり多いのです。
 そりゃ、そうだよね。「人にまつわること」なのだから、文脈が変わっても、たいした変わらないことは多々ある。
 
 そして、こと「仕事を任せること」、それにまつわる「デフレスパイラル」に関しては、どの職場も同じような気がします。
 それが、先ほどの図でした。
 仕事が任せられないと、職場、メンバー、そしてマネジャー(店長)に、様々な悪影響が生じる、ということです。

  ▼

 さて、このプロジェクトのスピンオフプロジェクトとして、ダイヤモンドオンラインの方で、下記の記事が公開されています。

 この記事では、大手外食チェーン店の現場で奮闘する3人の店長にお集まりいただき、都内某所で「店長覆面座談会」を開催させていただきました。この場を借りて、お集まりいただいた店長の皆さんには心より感謝いたします。ありがとうございました。
 どうぞご笑覧ください。
 今回の「ぶっちゃけ店長覆面座談会(3)」では、仕事を任せること / 新人アルバイトをいかに育てるかについても、話が発展しています。

img_24d2e6fe051ade6449be75d81ecac509288378.jpg

ぶっちゃけ店長覆面座談会(3)新人アルバイトをどう育てるか?:中原淳(東京大学)×外食チェーン店長3人【今回初公開!】
http://diamond.jp/articles/-/91619

ぶっちゃけ店長覆面座談会(2)新人バイト、どう育てますか?:中原淳(東京大学)×外食チェーン店長3人(前回公開済)
http://diamond.jp/articles/-/91617

ぶっちゃけ店長覆面座談会(1)人手、足りてますか?:中原淳(東京大学)×外食チェーン店長3人(前回公開済)
http://diamond.jp/articles/-/91614

 怖いよね・・・「仕事を任せられない症候群」が生み出すデフレスパイラル。
 何とか解消して、「人手不足時代」を乗り切らねば、と思ってしまいます。

 さて、この連載も、次回で最終回です。
 ダイヤモンド社の藤田さん、ライターの井上佐保子さんをはじめとして、テンプグループの渋谷和久さん、櫻井功さん、小林祐児さん、井上史実子さん、岩崎真也さん、稲田勇一さん、北本裕史さん、田中聡さんらと議論をしながら、今後のプロジェクトを進めていきたいものです。

 そして人生はつづく

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研修開発の決定版、「研修開発入門」。人事部の書棚においてあるところもあるようです。どうぞご笑覧ください!

企業内教育のスタンダード「企業内教育入門」。16刷・約3万部です。研修開発入門は「実践編」。こちらの理論編もあわせてお読み頂けると幸いです

投稿者 jun : 2016年6月10日 06:32


専門家になるための「長い闘争」の歴史!?

 昨日は、大学院・中原ゼミでした。

 中原ゼミでは、今年から博論の執筆にかかっている / とりかかる寸前のメンバーが多く(みんな一緒に頑張ってください!)、昨日は、D3の保田さんが、博論の1章にあたるような小論を書いてきてくれました。お疲れ様です。

 保田さんのご専門は「看護師の育成」。

 1章は「看護師」という職種が、どのようにして生まれ、現在にいたるのかを論じておられました。大変よく整理されており、よく書けておりました。この調子で2章も「すいすい、すらすら、すーだらだった、すいすい」と書いて頂きたいものです(笑)

  ▼

 看護師論の詳細は、ご専門である保田さんの論文に譲るとして、彼女の1章にあたるような論文を読んでいて、つくづく思ったことがあります。

 それは

 ある職業が「専門職」になっていくプロセスというのは「闘争の歴史」である

 ということです。

 別の言葉でいいかえますと、いくつかの恵まれた職業をのぞいて、

 最初から「専門職」として認知されていた職業はありません

 自らの「職業」が「専門職」に値する職業であるとの主張を、その職業につく人々が集まり、意識をあわせ、活動を開始していく。そこには、「内部の関係者の闘争」がまずは存在するはずです。

 それが終われば、次は「外部の闘争」です。今度は、自らの「職業」が「専門職」に値する職業であるとの主張を、社会に対して声高におこない、倫理綱領、知識体系などを整備して、専門職団体をつくり、ポリティカルパワーを行政・政治に誇示いきます。

 かくして

 「ある職業」は「専門職」になっていく

 のです。

 専門職論の基礎的知識をよみときますと、「ある職業が専門職といわれる基準」には、さまざまな識者が、さまざまなことをいっております。
 ただし、その共通点を「ざくっ」とまとめますと、たいがいこんな感じです。

 1.明瞭な知識体系・技能体系が存在すること
 2.長期にわたって、知識体系・技能体系を学ぶ場が確保されていること
 3.資格認定制度など、能力の保持を明示化する社会的装置が準備されていること
 4.その仕事自体に自律性が存在すること
 5.その仕事自体に行動準則と倫理規定が存在すること
 6.専門性を担保するような専門職団体が存在すること
 7.知識をアップデートするための生涯学習の仕組みが存在していること

 このような物事・諸事を、長い時間をかけて、内部の意識統一をおこない、整備して、社会にそのことを声高に主張し、ようやく、

 あの仕事は、「ちゃんと」しているね
 あの仕事は、「専門家じゃなきゃできない仕事」だね

 という認知されるようになります。
 それは、いわば、長い長い「闘争の歴史」です。

 まことに興味深いことですね。

  ▼

 世の中には、さまざまな職業があります。その中には、専門職や準専門職をめざしているもの、待遇の改善をめざしている職業など、さまざまなものがあります。

 しかし、ある職業を社会に認知させ「専門家」たらしめるのは、まずは「内部の力」です
 まずは、そうした「内部の意識」を統一し、力を結集できるかどうか。
 内部の力の結集さえできない職業に、社会的認知の向上はありえません・・・少なくともいくつかの恵まれた職業をのぞき、歴史のうえでは。

 闘争の第一段階は、まずは「内部の闘争」からはじまります。
 「内部の闘争」が終われば、次は「外部の闘争」です。

 専門職という認知は、かくして「獲得」されるものです。
 そして、
 ある職業の専門性を向上させ、待遇をあげていくのは「他人」ではありません

 まずは、その職業についている人達が動き、集まり、考え、活動を開始していく他はありません

 専門性を主張し、待遇を改善していくのは、まずは、その職業についている「内部の力」である

 ということです。
 
 保田さんの小論を読ませていただきながら、僕は、そんなことを考えていました(ぜひ引き続き頑張って下さい!)。
 そして人生はつづく

ーーー

祝増刷!「駆け出しマネジャーの成長論」(中公新書ラクレ)、四刷かかりました!:マネジャーが陥りやすい罠をいかに乗り越えるか。職場を率い成果をだすためのヒントを実証的に明らかにする。どうぞご笑覧ください! 個人での購入に加え、各企業での社内研修のテキストに用いられている書籍です。

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「働かないオジサン」「経験の浅い若手」などなど、現場マネジャーなら必ず1度は悩むジレンマを解き明かし、決断のトレーニングをする本です。どうぞよろしくご笑覧いただけますよう、御願いいたします。

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投稿者 jun : 2016年6月 9日 06:45


「アチャパー」と目を覆いたくなるほど「ドサイアクなアウトプット」しか生み出さないグループワークの3つの特徴!?

「アチャパー」と目を覆いたくなるほど「ドサイアクなアウトプット」しか生み出さないグループワークには、ひそかに「共通点」があります(笑)。

 授業やら、研修やら、ワークショップやらで、四六時中、学生や社会人のグループワークを「観察」していて、僕はそのことに気づきました。

 今、仮に、

 ドサイアクな結果しか生み出さないグループワークの症状を、敢えて3つあげてください
 
 と問われれば(誰から?笑)、僕はこの3つをあげます。

 1.誰もボールを拾わない症候群
 2.どんどん盛ってく症候群
 3.完全忘却症候群

 以下、これを半分マジメに半分愉快に論じてみましょう。

  ▼

 まず、「誰もボールを拾わない症候群」とは「そもそもグループワークでのコミュニケーションが、キャッチボール的にならない」ということです。コミュニケーションは「受け手」と「送り手」があって成立しますが、それが一方向になってしまう。

 今、仮に、誰かが勇気を振り絞って「意見」をいうとします。すなわち、グループという集団のなかにボールをなげます。しかし、そのボールを「誰も拾わない」

 言いっ放し
 投げられっぱなし。
 聞きっぱなし
 誰も、中央に投げかけられた「ボール」を拾おうとしない。

 よって、そこには沈黙が生まれます。

 しかし、同時に人は「沈黙」を極度に恐れるものなのです。そうすると、今度は別の人が「別のボール」をまた投げます。これも見事に「誰も拾わない」、完璧に「スルー」です
 「誰もボールを拾わない症候群」とは、要するに、この繰り返しです。

 コミュニケーションに「受け手」がいないのだから、話は前に進みません。
 かくして、こういうチームは、ドサイアクな結果しか生み出せません。
 あべし(笑)。

 ねぇ、本当にこのままでいいのかい?
 
  ▼

 第二の「2.どんどん盛ってく症候群」は、グループの中で出されたアイデアに対して、誰も反対意見や自分の意見を言えないときにおこります。
 建設的な議論を恐れ、メンバーが出してきたアイデアを「すべて活かそう」とするがゆえに、どんどんとアイデアを無批判に「盛っていくこと」になります。

 あっ、それもいいねぇ。いれとこ。
 これもいいよねぇ。これもいれとこ。
 結構、とっちらかってきたねー。
 でも、何とか全部、活かせないかな。

 こんなとき、僕から

 ロジックをたてなさい
 君らのグループはノーロジックだよね。
 オラオラ、いい加減にせいよ
 コルァ!

 と「スパイシーなフィードバック」を受けるので、何とか、それに答えようとします。
 しかし、本質的な議論を行わず、意見をたたかわせず、アイデアを盛っているだけなので、ロジックはたてられません。よって破綻します。

 この症候群は、
 
 「きちんと勇気ある一言がいえない」
 「自分の思っている意見を言えない」

  そして

 「決めることができない」

  場合に発病します。
 この症状に罹患するのは、概して「仲がよいグループ」に多いものです。いったん発病すると「仲がよいだけ」に、完治までには時間がかかります。だって表面上「仲がよい」ので、思っていることを言って、人間関係を壊すことを恐れるから・・・
 あわゆび(笑)
 
 あんたたち、それで本当にいいのかい?

  ▼

 最後に「3.完全忘却症候群」とは、メンバーのやりとりや決めたことを、きっちり「記録」しておかないがゆえに、時間がたつと議論の蒸し返しをしてみたり、どうどうめぐりを繰り返してしまう症候群です。要するに、みんなグループ全員で、「過去」を忘れる、ということですね。

 僕がよく学生さんに申し上げる言葉のひとつに、こんな言葉があります。

「今日の自分」は「明日の他人」

 忙しい現代社会を生きる人々は、そのくらい「忘れっぽい」ということです。これが集団になると、さらに事態は深刻です。より忘れっぽい。

 だから、自分たちがどのようにやりとりをしたのか。何を決めたのか。今、何が課題で、何をこれから解決していくかについては、しっかりと「記録(議事録)」をつけていくことが大切です。
 ひょげ。

 このままじゃ、まえに進まないよ・・・(笑)
 ねぇ、ほんとうにほんとうに、このままでいいの?

  ▼

 今日は、「アチャパー」と目を覆いたくなるほど「ドサイアクなアウトプット」しか生み出さないグループワークの共通点について論じてみました。3つだけ書きましたが、このほかにもいろいろあるかもしれません。

 マニアックなネタですが、お近くの方々と少し話してみると、面白いかもしれませんよ。

 自分が経験した「アチャパーグループワーク体験」をお裾分けする

 ってのかな。

 誰しも、惨いグループワークの経験があるのではないかと思うのですよね。

 Have fun!
 そして人生はつづく

ーーー

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投稿者 jun : 2016年6月 8日 06:17


高度な統計学やらビックデータやらに「飛びつく以前」にビジネスパーソンに必要な思考法とは何か?

 かなり前のことになりますが、あるフォーラムに登壇させていただいたおり、登壇者のお一人が、こんなご意見を口にしておられました。とても印象的なご発言でしたので、記憶に残っております。

「日本のビジネスパーソンには、ビックデータを扱うような高度な最先端の"統計"の知識が必要だ。それらが圧倒的に不足している。欧米のビジネススクールでは・・・ちょめちょめである。日本はけしからん」

 なるほど。

 当時は「統計学」や「ビックデータ」が、いわば「ブーム」であった時分だけに、そうも言えるのだろうな、と思って伺っておりましたが、僕は、一方で、

「本当に、今、必要なのは"高度な最先端の統計の知識"なのかな」

 と疑問を感じておりました。

 もちろん、できるにこしたことはない。わかるにこしたことはない。
 しかし、年間で数百人のビジネスパーソンの方々に「講演」やら「研修」やら「ワークショップ」などをさせていただいている僕の経験からすると、

「そもそも、それ以前に、必要なものがあるのではないか」

 と思ったのです。

 じゃあ、それは何か?
 皆さんはいかが思われますか?

   ・
   ・
   ・
   ・
   ・
   ・
   ・
   ・

 それは「データにもとづく思考」です。

 多くの方々は「なんじゃ、そら」とお思いでしょうね。
 でも、僕はそう思います。
 拍子ぬけしてしまって、腰がくだけ、ウン〇ョスダダ漏れになっている皆さん、すみません(笑)

 でも、僕は、やれ「ビックデータ」だ、そら「統計学」という以前に、

 「データとあつめ、仮説を検証して、ビジネスの説得力をあげるということ」

 にもっと着目したほうがいいのではないか、と思うのです。

 人によっては、えっ、「そんな基礎的なことですか」と思われるかもしれません。しかし、僕の経験からすると、このことに苦手意識をもたれる方は少なくありません。

 その経験上、今、ビジネスパーソンに「ひとつ」だけ必要なものを選べと言われたら、僕は、統計学やらビックデータの「以前」に、こうしたトレーニングを積むことが重要だと考えます。

 特に、必要なのは下記の3点です。

 1.データを探す / つくる経験
 2.データから仮説を生み出す経験
 3.仮説を検証する経験

 皆さんは、いかが思われますか?
 それぞれに関して、下記に論じてみましょう。

  ▼

 まず「1.データを探す / つくる経験」ですが、これは既存の調査や公的なデータアーカイブなどから必要になるデータを探してきたり、もしそれらのアーカイブに目当てのものがないのであれば、自ら定量調査・定性調査を企画して、データを生み出す経験です。

 管見ながらまことに恐縮ですが、そもそも、

 ・データとはそもそも何か?
 ・データの種類にはどのようなものがあるか?
 ・どこをさがせば「既存のデータ」を得られるのか?
 ・データがない場合にはどのように調査をするのか?

 ということすら、認識が及んでいないケースが多々あります。
 皆さんの会社ではいかがでしょうか?

  ▼

 次に、「2.データから「仮説」を生み出す経験」です。
 これは集めてきたデータをもとに、ロジックを組みたてる経験です。
 ありとあらゆるものをひっくりがえして、データをたくさん集めてくるのはよいのですが、そこから「仮説」を生み出すことに苦手意識をもたれることが少なくありません。

 そもそも、ここで質問ですが、

 「仮説」とは何でしょうか?

 ビジネスパーソンとお話させていただいていると、「仮説」という言葉の意味が、微妙にズレていることに気づかされることがあります。

 仮説とは様々な定義がありますが、僕ならば

 「真か偽か、白黒はっきりつけられるまで、絞り込まれた命題」

 を「仮説」とよびます。

 しかし、ビジネスの現場では、

 「仮説」という言葉が何を示しているのか?

 すら、人によって理解が違います。おおよそ、仮説とは言えないものを「仮説」と呼んでいるケースすら少なくありません。極端な場合、「仮説=要するに、オレがやりたいこと」のように用いられている場合があります。


  ▼

 最後に「3.仮説を検証する経験」です。

 仮説を検証するとは、自らつくりあげた論理や仮説の真偽を検証するべく、さらにデータを収集したりする経験です。こちらにも苦手意識をもたれる方が少なくありません。

 データを収集し、仮説をつくるまではつくった。しかし、ここからどうしていいかわからない。そのような局面で、一緒に悩むことが多々あります。

 皆さんの会社ではいかがでしょうか?
 このようなことで悩まれる方はいらっしゃらないですか?

  ▼

 僕が、このように申し上げるのは、もうひとつ、こんな思いがあります。
 
 それは、ふだん多くのビジネスパーソンが、ビジネスで使っている計算とは

 「かけ算 / 割り算 / 足し算 / 引き算」

 であるということです。
 何ら「高度」なことはありません。
 そこで用いられている計算は、そこだけ取り出せば、中学生にでもできることです。

 もちろん、金融のお仕事をなさっている方なら、高度な数学を駆使する方もいらっしゃるかもしれません。
 理系のお仕事によっては、より高度な計算も必要になることもあるでしょう。
 でも、多くの方々にとっては、そのような高度な知識や数学の素養「以前」なのではないかと思うのです。

 僕自身も、ビジネスプレゼンで、現場で用いられているパワーポイントやら、エクセルなどをさんざん目にしてきましたが、そこで用いられている多くの計算は、「かけ算 / 割り算 / 足し算 / 引き算」です。

 最新の統計学の手法やら、ビックデータの解析手法も「できるにこしたことはない」のですが、それよりも、そもそも

 「データに基づいて、仮説をつくり、ビジネスの説得力をあげる経験」

 の方が、僕は必要だと思いますが、いかがでしょうか?

  ▼

 今日はビジネスパーソンに必要なスキルについて考えてみました。
 もちろん、統計学やビックデータを否定したいわけではないのですが、地に足をつけて考えてみると、それらを学ぶ以前に、もっとやるべきことがあるのではないか、というのが僕の結論です。今日お話した内容は、統計学やらビックデータを駆使するときにも、もっとも基礎になる考え方ではないかと思います。
 「仮説」という言葉の意味すら不明瞭な場合、統計学やらビックデータの手法だけを学んでも、実際には、効果は薄いと想像できます。

 自戒をこめて申し上げますが、今日の話題を書きながらも、僕は、大学教育にはまだまだやるべきことがあると思ってしまいますが、皆さんはいかが思われますか?

 そもそもデータとは何ですか?
 仮説とは何ですか?
 仮説をどのように検証しますか?

 そして人生はつづく

ーーー

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投稿者 jun : 2016年6月 7日 06:42


「行き当たりばったりの業務アサイン」で人が伸びない理由!? : 「その次の次」を考える経験学習のススメ!?

 リーダーシップの開発のためには、業務経験が重要である
 業務能力を伸ばすためには、どのような業務経験を積ませるかが重要である

 過去10年間にわたって、言い古されてきた言説です。
 おそらく、この10年間の人材マネジメント業界で、「経験学習」ほど人口に膾炙した言葉はありません。

  ▼

 しかし、「経験学習」という用語が流通することと、それが実際にシャバワールドで「実現すること」はイコールではありません。
 魑魅魍魎・伏魔殿的なシャバワールドにおいて「経験学習を実現すること」はそれほど「容易」なことではないからです。

 第一に、短期的には、1on1ミーティング(上司ー部下間の週1程度のミーティング)などの「振り返りの場」をまわして、効率的に業務をアサインし、振り返ることが重要になります。

 しかし、これは日々の雑事に忙殺されて、ともすれば形骸化しやすくなりますし、質がなかなかそろいません。
 短期的視野にたった場合の「経験学習の壁」とは、この「形骸化との闘い」であり、振り返りの「質の担保の闘い」です。

  ▼

 経験学習の促進にあたり、「中長期」にはどのようなことが重要になるでしょうか?

 中長期には、どのような業務経験を積ませ、どのような人材に育てるかという、個々人にあわせた「人づくりのビジョン」の構築と、それに向かった業務のアサイン(異動)が、とても大切になります。

 しかし、一般的な人事異動やプロジェクトのアサインは、「現在」と「その次ぎ」は考えますが、それ以降や過去には無頓着です。

 「今、あの人を、うちの職場から出すのはムリです(今現在)」
 「そうですね、じゃあ、あの人はあそこにいってもらいましょうか(その次)」

 ほら、考えているのは「現在」と「その次」でしょう?(笑)

 経験学習のためには、本来ならば、「人づくりのビジョン」を本人とすり合わせたうえで、「その次の次」、できれば「その次の次の次」くらいまでは朧気ながらにも、本人をふくめ、イメージしておくことがとても大切です。

 「今はこうだよね、この次は、この仕事でもいいけど、その次の次はどんなことしたい?」
 「その次の次はこんな仕事をして、できれば、その次の次の次くらいには、こんなことをしていたいな」

 しかし、一般に、こんなことは、本人をふくめ、誰も考えていません。
 なので、やおら、業務経験が非常に場当たり的で、分散したものをあてがわれることになります。要するに「あそこに、人が足りないから行け」「あそこにポストがあいたから行け」ですね(笑)。
 だから、あまり能力が伸びません。さらにはリーダー育成に困難が生じます。

 もちろん、会社は「経験学習をうながす場」ではありませんし、「経験学習のために存在している」のでもありません。本人の都合にあった仕事がいつもあるとは、限りません。

 しかし、人は
 
 「イメージできないもの」には、「なれない」のです

 別の言葉で申しますと

 「なりたいもの」がなければ、「なれない」のです。
 
 僕が経験学習において「その次の次」や「その次の次の次」をイメージすることが重要だと思うのは、こういう理由です。

 ちなみに、将来はもちろんのことですが、「過去」に関してもマネジメントは重要です。

 皆さんは、自分がどんな業務経験を為してきたかを記憶していますか?
 会社は、皆さんの業務経験や異動の記録をきちんと残していますか?
 
 もっとも惨いパターンでは、過去の業務経験やプロジェクトへの参加の程度すらも、会社に残っていません。もちろん、本人も多忙なので明瞭には覚えていません。
 これでは振り返りができません。

  ▼

 人材開発の専門書や教科書を読んでおりますと、

 経験学習とは「経験」と「振り返り」

 とよく書いてあります。

 しかし、別の見方をすれば、

 経験学習とは「その次の次」や「その次の次の次」をイメージしながら学ぶこと

 です。

 経験学習とは「過去の経験をしっかり記録すること」

 と無縁ではありません

 すなわち

 経験学習とは「業務経験という歴史」による人材マネジメントである

 ということです。

 そういう視覚も可能であるならば持ち合わせていると、もしかすると効果的なマネジメントが可能になるかもしれません。

  ▼

 今週はしょっぱなから、講義?っぽい話題になりました。

 今週一週間も頑張りましょう。
 そして人生はつづく

投稿者 jun : 2016年6月 6日 06:09


店舗にうごめく「権力ゲーム」をいかにサバイブするか?:インフォーマルリーダーを動かし店舗を回す!?

 1ヵ月未満で15%が辞職し、半年で50%が入れ替わるアルバイト
 
 昨年から、中原研ではテンプHD様との共同研究で、

「アルバイト・パートの人材育成プロジェクト」

 に従事しています。

 先だって、このプロジェクトのからみで、ダイヤモンドオンラインで、大手外食チェーン店の現場で奮闘する3人の店長にお集まりいただき、都内某所で「店長覆面座談会」を開催させていただきました。この場を借りて、お集まりいただいた店長の皆さんには心より感謝いたします。ありがとうございました。

 今日はこの第二回目が公開されておりますので、よろしければどうかご高覧ください。
 今回は「店舗」の中で繰り広げられる「権力ゲーム」を店長さんがいかに乗り切り、そのなかで、いかに新人を育てていくか、ということに関して、お話をしてくださっています。

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ぶっちゃけ店長覆面座談会(2)新人バイト、どう育てますか? 中原淳(東京大学)×外食チェーン店長3人(今回初公開)

http://diamond.jp/articles/-/91617


ぶっちゃけ店長覆面座談会(1)人手、足りてますか? 中原淳(東京大学)×外食チェーン店長3人(前回公開済)

http://diamond.jp/articles/-/91614

  ▼

 今回の話題の前半部は「店舗のなかの権力ゲーム」について生々しい語りがなされています。ここで「店舗のなかの権力ゲーム」と僕が述べたのは、

 店長・アルバイト・アルバイトリーダー・古参メンバーなどが様々な意図と思いをもち、店舗のなかで影響力を行使しあいながら、繰り広げるパワーゲーム

 のことです。

 アルバイトをなさったことのある方なら、すぐにおわかりかと思いますが、店舗には

 「店長」という「権力をもっている人」

 と

 「アルバイト」という「従うだけの人」
 
 の2種類の人がいるというわけでは「ありません」。

 そこにはより複雑な人間模様があります。

 今回の調査でも、店舗にいる「インフォーマルリーダー」の存在が浮かび上がってきています。
 インフォーマルリーダーとは、店長のように「フォーマルなリーダー」ではなく、アルバイトやパートのなかにいる

 「非公式でリーダー的な役割を担っている人材」
 「経験の長いアルバイトで店のメンバーにも強い影響力を行使している人材」

 のことですね。

 店によっても違いますが、たいてい店舗とは、

 経験が浅くすぐにローテーションしてしまうが、しかし、形式的には権力を有している「店長」

 と

 経験が長くその店のことを熟知しているが、形式的には権力をもっていないものの、実質的には影響力を行使している「インフォーマルのアルバイトリーダー」

 と

 経験が浅いアルバイト

 の3層が存在しています。
 いいえ、より複雑に申しますと、ここに「主婦・学生・フリーター・シニア・外国人」という主要な5つのカテゴリーが加わりますので、正確には10種類を超える、まだらな人間模様が存在しています。

 店長にとって、もっとも大切なのは、まずは店舗に置いて徹底的に「観察」をおこない、この「権力ゲーム」をいかに乗り切るのか、の作戦をたてることです。

 特に「インフォーマルのアルバイトリーダー」といかに「握る」か、場合によっては、いかに彼 / 彼女といかに対峙したり、御したりするかは、大きな分かれ道です。
 比喩的に述べるならば、

 「店長が店舗を直接回す」

 のではなく、
 
 「店長がインフォーマルリーダーを動かし店舗を回す」

 という方がうまくいくケースがあるからです。

 インフォーマルのアルバイトリーダーは、よい場合には、新人の育成などに協力してくれますし、店舗をうまく回していくことに貢献してくれますが、彼 / 彼女が原因で新人の離職につながっているケースも、少なくないわけではありません。最悪のケースでは、大量離職という事態も生まれます。調査でも、そのことがわかってきています。
 
 ひとつの理由には、覆面座談会で店長さんが述べていらっしゃいますように、

 新人が成長してしまうと、自分のシフトを減らされるのではないかと危惧する古参のアルバイト、リーダーもいる

 からです。
 
 彼らは「新人を育てると自分に不利益をもたらす」ので、新人がくるたびに密かに「蜂」のように「刺し」にいきます。
 もちろん、多くのアルバイトリーダーの方々は、店の発展のために貢献してくれることは言うまでもないですが、この違いを見極めて、店舗を切り盛りするのが店長さんの役割です。

 店には、このように様々な思惑と意図と権力が渦巻いています。
 今回の座談会では、そのようなことを述べておられますので、ぜひご笑覧下さい。

ぶっちゃけ店長覆面座談会(2)新人バイト、どう育てますか? 中原淳(東京大学)×外食チェーン店長3人(今回初公開)
http://diamond.jp/articles/-/91617

 そして人生はつづく

投稿者 jun : 2016年6月 3日 05:57


「現場臭がプンプン漂う研究」と「ファブリーズされた無味無臭の研究」!?

 僕が研究者として大切にしていることのひとつに、

 「現場の臭いを感じる一般化」

 というものがあります(笑)。

 僕の研究活動で「現場の臭いを感じる一般化」が全う出来ているかどうかはわからないけれど、自分の活動のすべてにおいて、このことはかなり重視していることのひとつです。

 昨日は大学院ゼミがありました。
 大学院生の皆さんとも、このことを議論しましたので、少しだけ、この場でもさせていただきます。

  ▼

 一般に研究者は、「シャバワールド」で起こっている個別具体的な現象の中から、様々な研究方法論を駆使して、「一般的な原理・原則・概念」をつくりだします

 このあたり、簡単には単純化できないところもありますが(一般化をめざさない研究方法論もたくさんあります)、マジョリティが何かと申しますと、そういうことでよろしいのかなと思います。
 研究とは、「個別具体的な現象」を「メタな立場」から記述し、どのような場所にでも、通じうる「一般化」をおこなう行為であるとして、のちの話を進めます。
 また、このことは僕の研究領域(現場がある実践的研究)だからこその部分がありますので、他の分野に関しては当てはまらない場合もあります。

  ▼

 さて、一般化ということになりますと、ここで大切になってくるのが、

 どの程度「一般化」をおこなうか=どの程度現場から離れ概念をつくりだすか?

 ということです。

 まずは、思い切り可能な限り現場から離れ、どんな場所にでも通用するような概念をつくりだすことが想定されます。
 やり方によっては、あらゆる現象を説明しうるような概念をつくりだすことも不可能ではないかもしれません。

 しかし、現場を離れ、一般化を進めればすすめるほど、メタに上がればあがるほど、そこで得られる概念や理論というのは、「漂白」され、「現場の臭い」はほぼ失われます。

「現場の臭い」は綺麗さっぱり「ファブリーズ」され「無味・無臭な概念」が得られます。

 おそらく、こうした概念は、研究としては評価されるのでしょうけど、現場の方々には刺さりません。
 現場の方々は「現場の臭い」があるかどうかに非常に敏感だからです。

 しかし、今度は、逆に、現場に近く寄りすぎますとどうなるでしょうか。
 ファブリーズしていませんので、現場臭はプンプンとします。
 しかし、現場に近く寄りすぎますと、今度は、研究という活動の意味が危うくなります。現場べったり、現場そのものであってよいのなら、わざわざ、研究者という第三者が現場のデータを取得させて頂き、分析をおこなう必要などありません。

 そこで先ほどのめざすべき地平が見えてきます。
 
 研究なのだから「一般性」はめざす。
 しかし、「一般性」はめざしつつも、過剰な一般化はしない。
 あくまで「現場の臭い」を残す程度とする。
 現場の人々が呼んで、「あるある」と思ってもらうものをめざしつつ、一方で、「こういう見方もできるんだね」と思って頂ける概念をつくりだす。

 これが

 「現場の臭いを感じる一般化」

 です。

 はっきり言って「中途半端」です。
 理論家からは評価されるかどうかは不透明です。
 また現場にも違いので、現場の方々から総スカンを食らう可能性もあります。

 しかし、ここがめざす地平です。

 他の方の仕事のあり方は知りません。
 僕の仕事は、こうありたいといつも願っています。
 まぁ・・・できているかどうかはわかりませんが。

  ▼

 今日は「現場の臭いを感じる一般化」について書きました。思い切りマクロに考えてみれば、これは「実践と研究のあり方」に関する私見だとも考えられます。「実践と研究のあり方」は、僕の研究の深層を流れる大テーマでもあります。これまでにも、下記のような文章を書いておりますので、お暇な方はご笑覧下さい。

「研究」と「実践」の関係を考える場で起こりがちな3パターン:あるべき、オマエが悪い、情報交換
http://bylines.news.yahoo.co.jp/nakaharajun/20140701-00036914/

実務家が必要としている「理論」とは何か?: 「実践」と「理論」のあいだの「死の谷」を超えて!?
http://www.nakahara-lab.net/blog/2015/02/post_2373.html

実践家はなぜ「研究知見」をスルーするのか?:理論と実践の「死の谷」めぐる罵声の根拠!?
http://www.nakahara-lab.net/blog/2015/04/post_2404.html

理論を知れば「アチャパーと目を覆いたくなる大失敗」を防げるか!?:理論にできること、できないこと
http://www.nakahara-lab.net/blog/2015/12/post_2535.html

 皆さんのまわりには、現場の臭いを感じる研究はありますか?
 
 そして人生はつづく
 

投稿者 jun : 2016年6月 2日 05:51


あなたのチームには「悪しきパターン」がまた生まれていませんか?:チームワークを「俯瞰」する目、立てなおす「勇気」!?

 授業や研修などで、たくさん「グループワーク」を見る機会があります。

 それまであまり接点のなかった人々が集まり、あるテーマや課題について話しあい、アウトプットを出していくプロセスを授業者・ファシリテータとして見ていると、いろいろな「パターン」に出会います。

 パターンとは「専門用語」のひとつですね。
 パターンとは、「人々のコミュニケーションのなかで、繰り返される行動や現象のこと」とお考え下さい。
 
 グループワークをしていると、「あっ、これ、前にみた現象だな」と思う行動がメンバーによって繰り返されます。それが「パターン」です。

  ▼

 グループワークを外部から観察していると、さまざまな「パターン」が現れて消えていくことがわかります

 せんだって観察していたチームでは、5名のチームのコミュニケーションが、チームのリーダー格とサブリーダー格の間だけでなされており、他の3名がどんなに割って入ろうとも、そのコミュニケーションの中には参入できない「現象」が生まれていました。これが「パターン」のひとつです。

 どんなに場所や時間を変えようとも、このグループダイナミクス、このメンバーの中では、この「パターン」が繰り返されます。
 パターンは、個人の資質、グループの中の人間関係、権力勾配によって規定されているからです。

(ちなみに、課題の異なるこうしたグループワークをいくつか重ねてみれば、かなりの確率で、その人の人となりがわかるような気がします。グループワークを通じたアセスメントが可能なのではないかと思っています)

 このチームには、以前、こんな声かけ(外的働きかけ)をしました。

「今、グループの話しあいをみていると、みんなのコミュニケーションの矢印が固定的になっている気がします。自分たちは、どんな風にコミュニケーションをして物事を決めていますか? このままで最終ゴールまで行って、チームの状態は、大丈夫?」

  ▼

 リーダーは、自らのチームを率いるときに、常に「チーム全体の状況」を「俯瞰」する「鳥の目」を持たなければなりません。
 
 本来ならば、「チーム全体の状況」を「俯瞰する鳥の目」をもってながめ、必要に応じて、自らに対して「働きかけ」をおこなわなければならないのです。

 しかし、それがなかなか難しい。

 本来ならば、上記のような「外的働きかけ」は、チームのなかで、誰かが担わなければならないことです。特にリーダーがそれを担わなければ、前には進みません。

 しかし、リーダー含め、チームのメンバーは常に「課題一辺倒」「成果目標邁進」になっていることと、「権力勾配」にすでに絡め取られているので、なかなか口に出せません。

 そんな風にして、チームは暗礁に乗り上げるのです。
 そのあとに残されるのは、たいていこんなセリフです。

「最悪の結果だったね。でも、わたしは、最初から、こうなるんじゃないかと思っていた。わたしは、わかっていた。最初から、こんなことはしたくなかった」

  ▼

 時がたち、学期も進み、僕がかかわっている授業や研修のグループワークは、そろそろ「Point of No return(ポイント・オブ・ノーリターン)」にさしかかります。「Point of No return」とは「帰還不可能点」のこと。

 これ以上、先に進んでしまうと、後戻りできなくなるポイントがもうすぐそこ。そして成果発表のタイミングが、そのあとに続きます。

 何とかして、自分たちのグループワークを俯瞰する鳥の目をもち、パターンに向き合い、勇気をもって、自らのチームを立て直して欲しい、と思います。

 リーダーは「鳥の目」を持って、パターンを観察して下さい
 そして
 「チームを立て直す勇気」を持ってください

「最悪の結果だったね。でも、わたしは、最初から、こうなるんじゃないかと思っていた。わたしは、こんなことはしたくなかった」

 と言わないためにも。

 そして人生はつづく

投稿者 jun : 2016年6月 1日 06:13