研修講師やファシリテータの「密められた仕事」とは何か?(前編):ステータスのマネジメント
以前、どちらかでお話したような気もしますが、最近の僕は、「研修」やら「ワークショップ」やらに登壇したあとは、もれなく「廃人」になってしまいます。
「廃人」とは「疲労困憊が極限にまで達した状況」の喩えです(笑)。腰・肩・背中には疲労がたまりパンパンなのになぜか意識だけはハッキリしていて、なかなか寝付けず。でも、気疲れはハンパないので、いったん寝付くと、朝、起きるのがシンドすぎる、という状況です。
北斗の拳的にいうと、
あべし・・・
お前はもう死んでいる(泣)
てな感じですね。
▼
それでは、「なぜこのような状況が生まれているのか?」
「そりゃ、中原さん、年とったんだよ!」
と言われれば、「はい、それまでよー」なのですが(笑)、研修やらワークショップやらの間に、自分がどのようなことをやっているかをしっかりとリフレクションしてみると、それもしゃーないな、という思いに至ります。
研修講師やワークショップのファシリテータをなす人は、会の進行中、一般に2つのものをマネジメントします。
専門用語では、これを「ステータスのマネジメント」と「バウンダリーのマネジメント」とよびます。
今日と明日で、この2つについて紹介していくことにしましょう。
▼
まず今日は前者「ステータスのマネジメント」。
「ステータスのマネジメント」というのは、研修講師やファシリテータが、
「自分のポジション・身分(ステータス)を、集団内に生起する垂直的な権力関係のどこに位置づけるのか? それをどのように上下移動させるのか?」
ということです。
たとえば、ワークショップ冒頭。
ファシリテータをつとめる人は、まずは一般的に自分の自己紹介をします。
ワークショップの種類にもよりますが、このとき多くのファシリテータが為さなければならないのは、
「自分が信頼にたる人物=専門性・知識・経験・有している人物であること」
のディスプレイです。
このようなときには、講師やファシリテータは「ステータス」を一時的に「上昇」させます。人によっては、これまでの自分の人生遍歴や、業務経験、そうしたものを紹介して、自分が専門性・知識・経験を有していて、身を預けてもよい人物であることを自己提示させます。
しかし、同時にワークショップでは、多くの人々に気持ちよく自発的にコミュニケーションをとり、作業をしてもらわなければなりません。
そのときに重要なのは、ファシリテーターは「ここが安全な場ですよ!」という雰囲気をつくることと、「わたしは皆さんのサポートをしますよ!」というメッセージを伝えることです。その場合、ファシリテータは、一時的に、学習者の「下」に自らのステータスをおきます。
おやおや、先ほどは学習者の「上」にあったはずのステータスが、急に「下」に置かれましたね。そう、このようにステータスは、会の進行と同時に上下に移動させなければならないものなのです。
今度、ステータスが上昇せざるをえないのは、例えば、意見をまとめあげるとき、規範を抵触する行為が生じたとき、スパイシーなフィードバックをするとき、目標からそれたときなどですね。こうした場合には、自らのステータスを学習者の「上」に配置します。
このようにファシリテータは、会の間中、ステータスを上下にびゅんびゅんと移動させながら、会を進行させていきます。
ふぅ、やれやれ。
こりゃ、気疲れするわいな。
▼
今日と明日で、「研修」やら「ワークショップ」やらに登壇したあとに妙に疲労困憊する理由について論じてみることにいたします。今日はステータスのマネジメントという観点から、この問題を論じました。
皆さんは、このような経験はございますか?
お体、ぜひご自愛ください!
今週も頑張りましょう!
そして人生はつづく
ーーー
cf. 続編
研修講師やファシリテータの「密められた仕事」とは何か?(後編):バウンダリーのマネジメント
http://www.nakahara-lab.net/blog/2016/03/post_2584.html
投稿者 jun : 2016年3月22日 06:36
【前の記事へ移動: 「恐山の生々しいリアリティ」に「理論」を想う!? : 南直哉著「恐山ー死者のいる ...】【次の記事へ移動: 強制と自己選択の両立!? : カウンセラーはクライアントと何をしているのか!? ...】