「そこらへんにいろ」からはじまり「示せ」で終わる徒弟制!?: 立川流落語を愉しみ学ぶ「人材育成」の極意!?イベントレポート
「僕にはね、師匠のYシャツのポケットに入っているタバコの本数が、透けて見えましたもん。師匠がタバコを吸うたびに、数えているわけですよ、残りのタバコの本数を。で、残り1本を吸い終わったら、さっと静かに、師匠に、新しいタバコの箱を差し出すのです」
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昨夜は、立川流の真打の立川晴の輔さん(立川志の輔門下)と、立川晴の輔さんとコラボ研修の実績が数多くある公認会計士の田中靖浩さんにお越しいただき、経営学習研究所イベント「立川流落語を愉しみ学ぶ「人材育成」の極意!?」が開催されました。
会場は140名の満員御礼。年度末のお忙しい時期に、多くの方々にご参加いただけたことに心より感謝いたします。
また、今回のイベントは理事が総出で運営するものですが、特に中心になって企画・準備頂いた板谷和代さん、岡部大介さん、島田徳子さん、平野智紀さん、松浦李恵さんに心より感謝いたします。本当にお疲れ様でした。
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当日は、板谷さんから趣旨説明から会がはじまりました。その後、いよいよ田中靖浩さん、立川晴の輔さんにご登場。会場は拍手につつまれます。
まず、田中さんと立川さんからは、立川流の弟子育成論?について30分ほどお話をいただきました。
晴の輔さんによりますと、立川流の弟子育成とは、
「そこらへんにいろ」
「芸はおしえられねーんだ」
「すべての答えはグレーだ」
「オレが食べたいマックを勝ってこい」(指示は曖昧)
「オレが飲みたいときにお茶をだせ」(指示は曖昧)
に代表されるような、いわゆる厳しい徒弟制(笑)。
外部の世界とは一線を画した「圧倒的な不条理の世界」です(泣)。
それは、一言で申し上げますと「反制度の世界」でもあります。つまり、「明文化された制度やシステムがほぼなく、師匠の一言ですべてが決まってしまう世界」。どんなに頑張っていても、「おまえは破門だ!」のひとことですべてが覆ってしまう世界。それが「反制度の世界」です。
この「反制度の世界」のはじまりは、まずは採用プロセスからはじまります。
弟子は、まず「どのように採用されるか」すらわからないのです。
弟子は、自分の惚れ込んだ師匠を選び、採用の手段やシステムすらないところから、師匠の家をさがし、師匠に入門しなくてはなりません。
落語の世界に便利な採用システム「リクナビ」やら「マイナビ」はありません。
すべてが「自分の行動」、すべてが「師匠の判断」で決まるのです。
実際に修行がはじまれば、師匠と生活をともにし、曖昧な師匠の指示を解釈しては厳しいフィードバックをなされる中で進行します。
人を育てる道筋やシステムや制度が、あるわけではありません。あるのは、師匠と弟子の、のっぴきならない、愛憎あふれる、しかしときどき「不条理な関係」だけです。
その様子は、僕の持論である、「徒弟制とは共同生活」をはるかにしのぐ勢いと厳しさをもっているようなものでした。
この長期にわたる、いわば厳しい修業時代を耐え得るのは何なのでしょうか?
それは「弟子が自ら師匠を選んでいるということ」と、「師匠の芸に惚れ込んでいるということ」、そして、「師匠の背後に後光のようなもの」を感じているからでしょう。
かつてマルセル・モースは、師匠の背後にある「後光」のようなものをさして「威光模倣」という概念を提唱しました。
「威光模倣」とは、師の背後に広がる世界の「善さ」を感じ、師がその身体技法によって成功するところを目の当たりにするとき、学習者は、師の「わざ」を模倣し、獲得・習熟することに動機づけられる、という状態をあらわす概念です。
すごいですねぇ・・・。
そういう世界なんです、徒弟制というのは。
浪漫を感じるのは勝手ですが、そういう師への愛情、憧憬なしでは、徒弟制は希望しません。
かくして、田中さんと晴の輔さんのセッションは、非常に興味深い時間でした。
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その後は、いよいよお待ちかね、晴の輔さんの落語となります。
今日のお話しは、古典落語のひとつである「お見立て」。
舞台は吉原。
喜瀬川花魁は、お客さんの木兵衛大尽のことが大嫌い。亭主気取りの木兵衛さん。そういう木兵衛さんの態度に対して虫ずが走る喜瀬川ですが、そのあいだに、若い衆・喜助が入っていくところからお話がはじまります。
晴の輔さんは
「テレビは見るもの、落語は想像させる芸」
とおっしゃっていましたが、まことに素晴らしいものでした。
晴の輔さんのお話は、まさに数百年前の吉原の情景を彷彿とさせるようなものでした。素晴らしい芸を見せて頂きました。本当にありがとうございました。
その後は、田中さん、晴の輔さんらをまじえて、理事がなかに入り、パネルディスカッション。参加者の皆様の御協力もあり、無事、会は終了しました。
ありがとうございました。
小生、ちゃっかり高座にのぼる(笑)
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先だっての会でつくづく思ったのは、
徒弟制という弟子育成システムの「特殊性」です。
それは、冒頭部
「僕にはね、師匠のYシャツのポケットに入っているタバコの本数が、透けて見えましたもん。師匠がタバコを吸うたびに、数えているわけですよ、残りのタバコの本数を。で、残り1本を吸い終わったら、さっと静かに、師匠に、新しいタバコの箱を差し出すのです」
とご紹介差し上げたように、濃密という言葉では表現できない、のっぴきならない師匠と弟子の愛憎極まる関係の中から生まれてきます。
出会い、ふれあう部分が、この調子なら、別れるときも大変。
晴の輔さんによりますと、晴の輔さんが真打ちになったときに師匠から出されたお題は、
「示せ!」
だけだったそうです。
この「示せ」の背後にある師匠の意図を読み取り、もがき苦しみ、弟子は、数千名が入る会場で行われる真打ちのお披露目に準備することが求められます。
お話をうかがいつつも、わたしたちは、この徒弟制に浪漫を感じつつも、一方で、それを相対化する目をもつこと。
人が人を育てることの難しさと、その背後に蠢く業のようなもの、そして、サバイバーの健闘をたたえつつも、途中で朽ち果てていった人々の思いを感じることなのかな、と思っておりました。
「徒弟制」とはこういうものです。
「認知的徒弟制」とか、そんな「生やさしい概念」じゃないんだよ(笑)。
それでも、あなたは「徒弟制」をロマンチックに描き出したいですか?
最後になりますが、会場におこしいただいたすべての参加者のみなさま、田中靖浩さん、立川晴の輔さん、このたび会場をコラボ共催させていただきました内田洋行教育総合研究所、内田洋行のみなさま、板谷和代さん、岡部大介さん、島田徳子さん、松浦李恵さん、平野智紀さんに心より感謝いたします。
ありがとうございました!
そして人生はつづく
投稿者 jun : 2016年3月 9日 06:39
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