「人に変わってもらう系社会と「人に替わってもらう系社会」!?

 この世には、外部環境に相当の変化がおこった場合、

 「人に変わってもらうことで組織を維持・活性化しようとする社会」

  と
 
 「人に替わってもらうことで組織を維持・活性化しようとする社会」

 があります。

 「変わる」と「替わる」で、たいした違いはないように思えますが、今日は、このことを、あるセンテンスから考えてみましょう。

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 例えば、

「うちの組織には、今こそ、アンラーン(Unlearn)が必要だ」

 こんな言葉をもしあなた(日本が長い人材開発担当者だと仮定します)が耳にしたとき、あなたは脳裏にどんなイメージを思い浮かべますか?

 人材開発の世界で、「Unlearn」というと、一般には「すでに学んでしまったものを、痛みをともないながら捨て去り、新たな知識を獲得すること」と考えられがちです。

 ですので、

「うちの組織には、今こそ、アンラーン(Unlearn)が必要だ」

 というセンテンスは、

「うちの組織には、成功体験などに酔っている人などが多く、そういう人々は、すでに学んでしまったものをもう一度痛みを伴いながら、もう一度学び直す必要がある」

 と解釈されがちです。
 ここで喚起されるのは、あくまで、「個人が学び直すイメージ」です。

 しかし、
 
 「うちの組織には、今こそ、アンラーン(Unlearn)が必要だ」

 という言葉を、わたしたちとは別の社会の人々が耳にすれば、それは全く異なる意味に聞こえる場合もあります。

 国によっては、

 「うちの組織には、今こそ、アンラーン(Unlearn)が必要だ」

 という言明は、

 「うちの組織は、時代にあわないダメな部分があるので、それらを切り捨てなければならない」

 と考えてしまいます。言うまでも無く、ここで喚起されているのは、「取り替えるイメージ」です。「Unlearn」に関する海外の文献を読んでおりますと、ほぼ「Replace」の意味で用いられている研究に出会うことがよくあります。むしろ、そっちの方がマジョリティである気もいたします。

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 冒頭に戻りますと、僕は、この世には「人に変わってもらうことで組織を活性化しようとする社会」と「人に替わってもらうことで組織を活性化しようとする社会」がある、と述べました。このことからも、同じ「Unlearn」という言葉でも、ニュアンスがまったく異なること、そして、それはその国々の雇用慣行や社会文化背景に根ざしていることが、おわかりいただけるかと思います。
 皆さんはどちらの社会に、自らありたい、と願いますか?

 今週も「Unlearnの淵」に立たぬよう、Learnしましょう。
 そして人生はつづく