「してもよいこと」を認める免許、「できること」を支える試行錯誤!?

 先だって書店で「ぼくは猟師になった」(千松信也著)という不思議な本を手に取りました。

 この本は、著者が大学在学中に、「猟師」になりたいと考えるところからはじまります。狩猟免許をとり、猟友会の人々や様々な人々との出会いの果てに、罠による狩猟を覚えていくプロセスを綴った本です。著者の狩猟・野生動物に対する愛情が、ここかしこにあふれている著書で好感が持てました。

 まずは、へー、こういう世界もあったんだ、と思いました。ふだん何気なく食している肉が、こうしたプロセスで狩猟され、加工されていくのかと興味を持ちました。

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 しかし、最も個人的にもっとも印象深かったのは、実は狩猟の部分ではありません。
 何でも自分の専門に引きつけて考える「悪い癖」があるので、そういうセンテンスだけがハイライトされてしまうのかもしれませんが(笑・・・僕は、24時間、何をみても聞いても、自分の専門の人材開発のことしか頭に浮かびません。こういうのを専門バカ?というのかもしれませんね。)、僕が印象深かったのは、

 狩猟免許はあっさり取れるものの、免許をとっただけでは、何一つ狩猟を行うスキル・技量がない

 という事実と、

 狩猟の技術は、猟友会やその他の先達との出会いと、彼らによる教え、さらには自己の試行錯誤によってしか、学べない

 ということです。

 実際、著者はごくわずかな事務手続きと勉強によって、狩猟免許を獲得します。しかし、そのことと著者が「イノシシやシカをとれるようになる」とは「別のこと」です。
 免許は「イノシシやシカをとることを許可」してくれるかもしれませんが、「イノシシやシカをとれることを何ら保証しません」。

 そうした技術は、先達の猟師に教えをこい、また自ら何度も何度も失敗して試行錯誤のうえに獲得するしかないのです。

 こうしたことは何も狩猟だけでなく、多くの免許によって可能になる職業には言えることではないかと思います。
 免許とは「してもよいこと」を認めることはできても、「できること」を保証しません。「できること」は先達からの学びと、自己の日々の試行錯誤の果てにようやく獲得できるのです。

 本書を別の角度から読むのであれば、猟師というわたしたちの非日常の職業を事例に、このあたりまえのことも、学ぶことができるのではないかと思いました。面白いですね。

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 狩猟人口は、戦後のある時期から激減しているようです。僕は専門家ではありませんが、猟友会によっては、このことに危機感をもち、若手の人材育成に無料で着手しているところもあるのだとか。

 昨今、パラレルキャリアやら二枚目の名刺やらが流行しているようですが、思い切って「猟師」というのも面白いのかもしれませんね。

 そして人生はつづく