「ごくごく自然にフィードバックを行える組織」と「いくら研修しても1ミリも実行されない組織」!?
先だって、研究室OBの関根さん、舘野さんが中心になって立ち上げた「フィードバック研究会」に参加させて頂きました。
研究会には15名程度の参加者の方々にご参加いただき、中原もその参加者の一人でした。途中やむなく中座や遅刻がありましたが、一参加者として研究会の席に座れることは、僕にとってはうれしいことです。
まずは、ご参加いただいた皆様、立ち上げてくださった関根さん、舘野さんに心より感謝いたします。貴重な学びの機会をありがとうございました。
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フィードバックとは、研究分野ごとに、あるいは様々な学問的思潮に応じてさまざまな定義がございますが、さっくりと2つお要素にわけますと下記の2点から構成されます。
1.パフォーマンスに対する結果の通知を行うこと
(スパイシーメッセージング)
2.パフォーマンスの立て直し、学び直しを支援すること
(ラーニングサポート)
世間的にはフィードバックと申しますと、1の要素が強いですね。世の中では「フィードバック」ときくと、期末の「評価面談」を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。
「あのさー、中原君ね、今期はさ、こうで、こうで、こうで、こうだったから、君、Cね(あべし)」
みたいな(泣)。
しかし、学問的には、フィードバックは「こうで、こうで、こうだったから今期はCね」的な「結果の通知」だけ「ではなく」、そこからの「立て直し」をふくむ概念です。
「Cね・・・で、どうする?」
からフィードバックの後半ははじまり、立て直そうとする人々に「寄り添うこと」がフィードバックの本質です。だから、僕は、フィードバックは、もっと「学び直し」の側面が注目されてもいいと思っています。
ま、そんなこんなもあり(意味不明接続ワード)、研究会では、行動主義、認知主義、さまざまな領域のフィードバックに関する論文をみなで読みました。
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研究会で、僕は、Feedback seeking(フィードバック探索行動)に関する英語文献をよみ、報告させていただきました。
フィードバック探索行動とは、
「フィードバックを自ら進んで他者に求めにいく行動」
のことです。
一般にフィードバックは「与える方」の視点から研究されることが多いのですが、僕の論文では「フィードバックを求めにいく視点」から研究がなされていました。
うーん、もっとイメージをわきやすくすると、たとえば、何か自分が物事をなしとげたとき、「(その物事が)他の人からはどう見えているのかな?」と思うときはないでしょうか。で、こう聞きたくなるときはないですか?
「ねー、高橋さん、さっきの僕の発表、どう見えた?どう思う?」
簡単にざっくりと申しますと、これも「フィードバック探索行動」といってよいものですね。
そして、僕が読んだ論文では、フィードバック探索行動は、当人が所属している組織の文化の影響をかなり受けるんだよね、ということが主張されておりました。
この世には、
「ねー、さっきの僕の発表、どう見えた?どう思う?」
と聞くことがメンバー間で容易に行われる組織と、そうじゃない組織がある。
こういうことがオフィシャルに実行される組織もあれば、インフォーマルに実行される組織もある、ということですね。
これは感覚的に何となくわかりやすいなと思います。
たとえば、「フィードバックって大事ですよね」といくら研修しても、これが1ミリも「定着」しない組織ってのも容易に想像できるのではないでしょうか。フィードバックという行為自体が、組織的に受け入れられない、みたいな。
論文では、これを説明するために、フィードバック探索行動に関する「3つのコスト」が(説明のための中間項として)紹介されていました。フィードバックには「Effort cost」「Face cost」「Inference cost」という3つのコストが存在します。
1.Effort cost = そもそもフィードバックを探すコスト
フィードバックは「何を言われるか」も重要ですが、「誰」から言われるかは大きくないですか。そもそもフィードバックをしてくれる人を得られるのか、得られないのか、ということがまず問題になります。
2.Face cost = フィードバックのために実際に他者と対面するコスト
フィードバックには、やはり時間的コストがかかります。生身の二人以上の人間が相対し、それなりの時間をかけなければならないからです。こうしたコストをFace costとよびましょう。
3.Inference cost=得られたフィードバックを解釈し実行するコスト
せっかく得られたフィードバックを解釈し、実行していくのは、それなりの負荷がかかります。大人の学びは「痛み」が伴うものです。得られたフィードバックを正しく受け止め、正しく実行していくプロセスのコストです。
そして、こうしたコストを受け入れたりすることができるかどうかは、所属している組織文化の影響を受けます。
たとえば、
超官僚主義的で、超多忙な組織で、かつ、隣り合って仕事をしている人に1ミリも興味も関心もない組織では、フィードバックを探す気にはなれないでしょう?
これはEffort costとFace costが高いことが、その障害になっている可能性があるということでしょうか。
組織文化という得体のしれないものに「コストの中間項」を挟み込むことで、フィードバック探索行動への影響過程を説明しようとするところが、論文のオリジナリティだったのかな、とも思います。
まことに面白いですね。
皆さんの組織はいかがですか?
フィードバックのコスト、高いですか? それとも低いですか?
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今日はフィードバック研究会について書きました。アカデミックな勉強会、研究会は、研究室の大学院やOBの皆さんが自主的に立ち上げてくださっています。本当に幸せなことです。僕は主に文献の選定などを行っています。
次回は、おそらく1月から3月くらいにかけて、こちらを読もうと思います。
テーマは、
「コーチングとリーダーシップ開発」
です。また、皆さんと議論できることを心より楽しみにしております。
そして人生はつづく
投稿者 jun : 2015年11月17日 06:18
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