学術論文では用いられない「言葉」とは何か?


 年末が少しずつ近づいてきて、そろそろ、大学のキャンパス内に「緊張」が張り詰め始めるころです。学部では卒業論文、大学院では修士論文、博士論文の提出〆切日が、あと1か月から2か月の間にあるからです。

 今年度、中原研究室には、2名の修士論文執筆の大学院生がおりますが(浜屋さん、田中さん)、彼/彼女の言葉からも「修論が・・・」「修論の章立てが・・・」という言葉がでてくるようになってきました。論文執筆、まことにお疲れ様です。
 博論の方は期限はないものの、現在執筆中の方は2名いらっしゃるはずです。こちらの方も、お疲れ様です。

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 ところで論文執筆と申しますと、それは「一寸の隙間もなく論理というブロックをつみあげていく作業」に似ています。編み上げられた学術論文というのは「論理の連鎖から出来ているテクスト」です。論理に「一寸の飛躍」があっても、それは学術論文の体をなしません。だから、学術論文は、日常の文章と異なり、用法や語法が異なる場合が少なくありません。

 たとえば、日常の文章では頻繁に用いるものの、学術論文では、ほぼ100%登場しない言葉というものがあります。

「学術論文にほぼ100%登場しない言葉」とは、おそらく、下記の4つのような用語です。

 ちなみに
 余談であるが
 話をもとに戻すと
 繰り返しになるが

 これらの用語がなぜ登場しないかというと、これらの言葉は、

「論理に整合性がつかない場面で、無理矢理、論理をつなげるために用いられる言葉」

 だからです。

「ちなみに」とか「余談であるが」は、論理上、本来必要のないことに脱線し、話題を展開するときに用いられます。分野にもよりますが、そんな話題は学術論文には必要ありません。もしどうしても、必要ならば、脚注に落とすという手もあります。

「話をもとに戻すと」も「元に強制的に戻さなければならないような文章」を書いてもらっては困るのです。ひとつひとつブロックをつみあげて、「元にもどらくてもよい文章」を書いてもらう必要があります。

「繰り返しになるが」も、たいていの場合、必要ありません。学術論文の読み手は、専門の研究者です。一回言われれば論理は追えます。また、繰り返さなくてもわかるように書くことの方が大事でしょう。

 このように学術論文では、「一寸のすきもなく、論理につながりをつけていくこと」が求められますので、こういう接続の言葉を用いません。分野にもよるのでしょうが、「ちなみに」「余談であるが」「話をもとに戻すと」「繰り返しになるが」などが自分の論文で多用されているようなら、もう一度見直してみるのも手かもしれません。

「閑話休題」もぜったいに用いないからね・・・。

「閑話休題」

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 今日は季節柄、論文をネタに記事を書いてみました。僕も何度も経験がございますので、よくわかりますが、論文を書くというのは、なかなかに苦しい作業です。

 ですが、

 「終わった論文は、よい論文!」

 いつもゼミ生には言っているのですが、とにかくは「書き終えること」が大事でしょう。「ちなみ」に、言うまでもないことですが、執筆のプロセスでは下記に気をつけてください。過去に泣いている人を何人か見ています。

 セーブはこまめに!
 バックアップは2重に!
 印刷は早めに!
 提出は余裕をもち!
 インフルには注意!

 お忘れなくお願いしますね。
 どうか論文執筆の長旅を楽しんでください。

 大丈夫、終わらない旅はない。

 そして人生はつづく