さっぱり盛り上がらない「ディスカッション」の秘密!?:残念なファシリテーションに共通する「つまづき」とは何か?
かなり前のことになりますが、都内某所で、経験の浅い方々に「ファシリテーション」を教える機会がありました。
ファシリテーションとは、ワンワードで申し上げますと「ディスカッションの交通整理」のこと。
複数人の人々が議論・討論する場面で、人々に意見をださせたり、要約したり、つなげたりしながら、円滑に、それらの相互作用が進行することねらいます。
この日のテーマは、「ファシリテーションを教える」というものでしたが、ここで大切なことは、
ファシリテーションは、ファシリテーションのなかでしか学べない
ということにつきるのだと思います。
この日は、複数人に実際の架空の会議を行いながら、ファシリテーションの役割を担ってもらい、場を促進してもらいました。その場面を、あとでふりかえりながら、適宜、僕からフィードバックするといったことをやってみました。
▼
すると、興味深い事象が起こります。
ファシリテーションの経験の浅い方がファシリテーションをすると、どんな「つまづき」がもっとも生じやすいのか。
それは、
「自分で問いを投げかけ、自分で答えをいってしまうこと」
だということがわかりました(笑)。
だから、議論できない、盛り上がらない。
だって、自分だけ答えて、みんなが発言してないんだから(笑)
本来、話さなきゃならないのは「みんな」だって言っているのに、ついつい、「自分で問いをつくりながら、それにみんなが答えるのではなく、自分で答えてしまう」のです。それでは、どうして、このように倒錯したことが、おこってしまうのでしょうか。
よくよく観察していると、なかなか興味深い「落とし穴」が潜んでいることに気がつきました。
それは「問いの作り方」にそもそも問題があるということです。
一般にファシリテーションというと「ディスカッションの交通整理」ですので、意見をふるとか、つなげるといったことがイメージされやすく、つまづきは、そうした行為に関連すると考えがちではないかと思います。
しかし、実際、経験の浅い方々のファシリテーションを観察していると、そういうところでつまづいている、ということはむしろ少ない。発話の構造をプチ分析してみると、むしろ、そうではないのです。
というよりも、そもそも、
1.「問い」があまりにもオープンすぎることと
かつ
2.「問いに答える人」がクローズ化(限定)されていること
から、意見がでてこず、かつ、議論がつづかず、かつ、自分で答えを言ってしまうハメに陥るのです(泣)。
たとえば、
「職場のダイバーシティについて、中原さん、どうですか?」
というのが、典型的な「落とし穴」です。
まず、この問いは「オープンすぎる」のですね。
いや、いきなり、職場のダイバーシティって言われても、何のことですかね?
何答えたらいいんでしょ?
どう?と聞かれても、どう?なんでしょ
という感じで、数秒間の沈黙が続きます。
興味深いのは、この問いはオープンに「どう?」と「何を答えてもよいかたち」になっているのですが、答える役割をふられているのは、「中原さん」だけです。つまり「答え手はクローズ化」されています。
このように「問いがオープンなのに回答者にクローズに限定がかかっている」場合、中原さん以外の誰かが「助け船」をだしたくても、なかなか「助け船」がだせません。その結果は、長い沈黙です。経験の浅いファシリテータは「長い沈黙」にも耐えることは難しいものです。長い沈黙に押しつぶされそうになったファシリテータは、ついに、自分で答えをいうハメに陥ります。
そして、経験の浅いファシリテータは、これを繰り返すことが多いのです。しかし、このことになかなか気づきません。
本来ですと、問い自体をもう少し答えやすいセミオープンなものにしぼって、かつ、全員にオープンに問いかければよいのですが、気が動転して注意がそちらに向かないのです。
たとえば、先ほどの問いならば、
「職場のダイバーシティの変化について、最近、みなさんのなかで、お感じになられること、印象にのこった出来事がもしおありになったら、出し合ってみましょう」
というと、かなりハードルは下がるのではないでしょうか。
他にも、いろんなよい問いはあるかと思いますが、イメージはこんな感じです。
▼
今日はファシリテーションについて書きました。
ファシリテーションは、リーダーをつとめる人にとっても、おそらくはフォロワーシップを発揮する人々にとっても、必須のスキルになってくるのだと思います。
場が盛り上がらない
議論がつづかない
といった会議が、もしおありでしたら、ファシリテーションそのものよりも、問いについて振り返ってみられると興味深い発見があるかもしれませんよ。
そして人生はつづく