時代にあわないものを「明るくただちに捨てる会議」:「新たな物事を生み出すこと」と「捨てること」

 先だって、慶應丸の内シティキャンパスで実施している授業「ラーニングイノベーション論」に、サイバーエージェントの曽山哲人さんにおこしいただき、皆で、ディスカッションする機会を得ました。
 曽山さんには、お忙しい中、毎年のように本講座にご登壇いただき、まことに嬉しいことです。心より感謝いたします。ありがとうございました。

曽山哲人さんのブログ
http://ameblo.jp/dekitan/

 授業で、曽山さんには、同社では、いかにして新たな新規事業が生まれるのかについて、こってりとレクチャーをいただきました。同社では、近年、人事施策の観点から、この仕組みをフレームワーク化なさっており、同日は、このフレームワークについての議論となりました。まことに興味深いものです。

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 曽山さんのお話は、どれも興味深いものでしたが、個人的に印象深かったのは「新たなものを生み出すこと」とは対照的な活動である「捨てること」に関する同社の取り組み「捨てる会議」です。

 サイバーエージェントさんでは、同社において、

1.過去にはうまくいっていたが、今は機能しないもの
2.決めたときにはよいと思ったが、効果がなかったもの

 に関して、役員などがあつまり「捨てる会議」というものを実施しているとのことです。
 先だって行われた「捨てる会議」では、70案ほど出た「捨てるもの」に対して、約30案が「本当に捨てられた」というから、まことに興味深いものです。捨てる会議のプロシージャは、下記のとおり。

1.役員をリーダーに6名のチームを組み、チームで捨てる案を提案する
2.社長が、0点・1点・2点・3点で採点し、1点以上はすべて捨てる
3.採点の時には、会場の意見を聞いたり、会場全体でディスカッションをすることもある
4.また他のチームで異議があれば「反論プレート」をかかげて、提案チームへ質問や反論をする

 そのリストに関しては、同社の藤田社長が下記のようにリストにあげられておりました。

「捨てる会議」で捨てたもの
http://ameblo.jp/shibuya/entry-12037994877.html

 ここでまず興味深いのは「捨てる会議」というネーミングと、そこに込められている含意です。「捨てる」といいますと、何か暗い感じ、ネガティブな感じをもつことが多いですが、同社の「捨てる会議」というネーミングには「明るく捨てる」という含意が込められているような気がします。

 じめじめと、陰鬱に、かつ不満たらたらに「捨てる」のではなく、「明るく捨てる」!
 それも
 ただちに「捨てる」!

 また、もうひとつ興味深いのは、上記の藤田社長のブログに「破壊と再生」というキーワードがあるように、単に「捨てる」のではなく、その後には、「それに替わる新たなもの」を創造しようという意図がおありになることです。
 
 実際、「捨てる会議」の中には、かつての同社における新規事業コンテストである「ジギョつく」も含まれていましたが、これに関しては「実施に至る事業をほとんど出せておらず、一度廃止し、実効性の高い代替案をゼロベースで考え直す」としています。そして、実際、1か月には、「ジギョつく」にかわる代替の施策が考えられたというから、まことに興味深いものです。

 「捨てる会議」は、単純に「捨てる」のではなく「再創造する会議」なのですね。

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 さて、組織学習論においては、組織に「澱」のようにたまったものーすなわち、「かつてはWorkしていたが、今は時代や環境変化にあって機能していないもの」を、組織レベルで捨て去ること、新たなものに代替することを「Unlearning(アンラーニング)」といいます。

 そして「Unlearning」は、その言葉を口に出すのはかんたんですが、実施するのは、一般にはそれなりの苦労と痛みをともないます。
 なぜなら、組織レベルのUnlearningには、捨て去ろうとするものにたいてい「人が張り付いて」おり、捨て去ることは、その人の仕事や既得権益を奪うことになりがちだからです。ですので、組織学習論の欧米の論者の中には、Unlearningをイコール「人を入れ替える=人を替える」と考える傾向が強いと思います。

 同社の試み「捨てる会議」は、社長・役員らが率先して「明るく、即決の、アンラーニング」を実施しようとしているのかな、と感じました。しかし、もちろん「人を入れ替える」のではなく、施策を捨てます。このあたりが非常に興味深いところです。

 ひるがえって、世の中には、「澱がたまりまくって身動き取れなくなっているような組織」や「既得権益にまみれて何が正論なんだかわからなくなっている組織」がゼロではないとは思います。あくまで一般論ですが、どこぞの高等教育機関などは、その典型でしょう。
 が、そうしたところこそ、「捨てる会議」が実施されるとよいのにな、と個人的には思います。ま、それをやる勇気がないから、そうなっているのでしょうけれども。

 またここまでの話題は、組織レベルの話ですが、「捨てる会議」は、個人レベルにも、これは言えることなのかもしれません。あるいは、家族の中でやってみても面白いかもね。家族のなかで、もはや慣習や因習になっているが、なかなかやめられないものを、敢えて「捨てる」。

 新たなものをはじめることは、時代にあわないものを捨て去ること
 生み出すこととは、捨てること

 今、あなたの組織は、何を捨て、何を生み出しますか?
 そして
 あなたは、何を捨て、何を生み出したいですか?

 そして人生はつづく

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