世の中には「モノサシ」がたくさんある!?

 北海道の実家から、大学進学をきっかけに東京(内地?)に上京(上陸?)してから、もう早いもので20年以上がたちます。先だって自宅のアルバムをチョロンと見る機会があり、その頃のことをふと思い出しました。もう20年か、一瞬だったな、と。

 今から20年前、その頃の写真を一葉一葉、手に取り見ておりますと、内地上陸?したときに感じていた思いがよみがえってくるようにも感じます。
 今日は、そんな昔話から、「世の中のモノサシ?」について考えてみます。

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 一言で申し上げますと、僕は、18歳の上京当時、非常に「混乱」していたような気がします。
 自分の周囲をめぐる、さまざまな「変化」に対して、いかに適応するか・・・18歳の僕には、そういう課題が眼前に広がっていました。
 そりゃ、「最低気温・マイナス44度の大地」から、「35度の真夏日をバコバコ記録しちゃうようなトロピカル東京?」に引っ越しましたので、適応に「困難」がない、というわけはありません(その差、80度ですよ!)。が、気温のみならず、上京したての僕は、様々な物や人に出会うにつれて、かなり「戸惑い」を感じていました。

 当時のことを思い出しますと、もっとも鮮烈に覚えている思いとしては、

 世の中には「モノサシ」がたくさんあるんだなぁ・・・
  
 という思いです。

 それまで、僕は「北海道の高校生」で、多少の紆余曲折はありましたけれども、すくすくと育ち、さっさと勉強をしてきました。
 当時の僕を支配していた「モノサシ」といえば、割にシンプルで、たとえば「学力」とか「体力」とか、そういう「モノサシ」が、僕を支配していたのかなと思います。

 でも、上京してきて、大学の友人とつきあったり、バイトなどで社会勉強をしたり、まず思ったことは、

 世の中には「モノサシ」がたくさんあるんだなぁ・・・

 ということです。

 たとえば、僕がバイト(新宿の飲み屋でつとめておりました)でお世話になっていた先輩は、「オレはお勉強は苦手だ」とはっきり申しておりましたが、当時のコンピュータの裏の裏を知り尽くしており、さまざまなプログラムを書いておりました。「オレはお勉強は苦手」なのに「すごい技術」をもっている彼は、そうした技術をもつ集団の中心的存在でした。これは「技術」というモノサシでしょう。

 たとえば、僕が数年後出会ったある方は、「日本のお寺というお寺の御朱印を集めちゃう」という壮大な目標を実行している人でした。おそらくですが、その人が歴史の授業に入れ込んでいた、というわけではないと思うのですが(想像です)、確実に、彼は「寺フェチ」でした。日本全国にはそのようなコミュニティ?があるらしく、今度、名古屋の何とか寺で会合があるんだ、とかおっしゃっていたような気がします。「お寺御朱印経験」というモノサシでいえば、彼はいい線をいっていたと思いますし、そういう人々とのつながりがあられるようでした。
 ちなみに、前者の彼は、それでコンピュータメーカに就職したという風の噂を聴きました。後者の方は、ごめんなさい・・・わからないのですけれど、よき人生をおくられていることを願っています。

 このように、

 世の中には「モノサシ」がたくさんあります

 そして、日本という国は「小さい」「小さい」と言われますけど、おおかた、どんなマニアックな領域でも、それをこよなく愛している人がいて、そこには多様な「モノサシ」があり、コミュニティがあるようにも感じます。そして、それぞれのモノサシで未来が開けることもあります。

 逆に申し上げますと、

 「ひとつのモノサシ」にうまく乗れなくても、「別のモノサシ」を探してみることもできます。
 自分の目の前にひろがるモノサシが、唯一のモノサシではありません。
 世の中には、モノサシがたくさん転がっているのです
 そして、その元には、おおかた、それをこよなく追求している人々がいるものです。
 そして、みんな生きている。

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 さて、今日は昔話をしました。
 何をあたりまえのことをおっしゃる方もいらっしゃるかもしれませんが、18歳で上京した折に、僕が割と素朴に学んでいたのは、そういうことでした。それまでの僕は、そこそこ「お勉強」はできても、こういうことを学んでいなかった、とも言えるのかもしれません。甘酸っぱい思い出です。

 さて、自分には、どの「モノサシ」がフィットするんだろう?
 40近くになっても、あまり成長していない自分がいます。

 そして人生はつづく