「何でもよいですから、お隣の方と話し合ってください!」は「リフレクション」なのか!?

 最近、よく疑問に思うことがあります。

 それは、研修やワークショップなどで、インストラクターの方がこんな言葉を述べます。

「最後に、何でもよいですから、お隣の方と話し合ってください!」

 ここで疑問に思うのは、

「最後に、何でもよいですから、お隣の方と話し合ってください!」というのは「リフレクション」と呼んでいいのか?

 ということです。
 いや、別に、研修やワークショップの最後などに「感想交換タイム」をもうけるのはまったくの自由です。何の問題もございません。しかし、それを「リフレクション」と安易に呼んでしまうのだとしたら、今の僕は、そこに違和感を感じるようになってきているということです。

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 一般に、リフレクションというからには、

1.過去の出来事、現在の状況をみつめること(シャバを見つめる)
2.本質を見極めること(俯瞰・メタにあがること)
3.未来を構想すること

 を「自分の言葉」で外化しなくてはならないのですが、リフレクションの重要性が広くひろまるにつれ、「単なる感想交換」「気楽なおしゃべり」のようになってしまう「リフレクション」が多くなっているような気がするのです。ま、気のせいかもしれませんが(笑)

 リフレクションという言葉が、デューイやショーンらの思惑をこえ、人口に膾炙するようになったことはよいのですが、「何でもいいからリフレクション」や「なんちゃって振り返り」が増えてしまうのは、あんまり芳しくないのかな、とも思います。

 こうした現象が生まれる背後には、おそらくいくつかの理由があります。
 
 もっとも根源的な理由は

 リフレクションとは、そもそも「何」であるか?
 リフレクションとは、そもそも「何のため」にやるのか?

 という「自分なりの理解」が不明瞭で、ついつい「単なる感想交換」「気楽なおしゃべり」のインストラクションをしてしまう、ということです。
 
 もっとも実務的な理由は、研修やワークショップなどで、ついつい時間が押してしまい、気がつけば「最後に、何でもよいですから、お隣の方と話し合ってください!」ということを言わざるをえない状況に追い込まれている、ということです。自戒をこめて申し上げます。嗚呼、わたしも弱い人間です。

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「最後に、何でもよいですから、お隣の方と話し合ってください!」というのは「リフレクション」なのか?

 ということに深く疑問を感じ、かつ、リフレクションという言葉に対する思索を深めてくれたのは、昨年、来日し、僕も招聘ワークショップの企画に参加したユトレヒト大学のフレッド・コルトハーヘン先生でした。
 もう、あれからもう少しで1年になると思うと、自分はこの1年何をやってきたんだろうと「発狂」しそうになりますが、その衝動を枕で押さえつけ、下記の記録を読むと、彼のリフレクションに関するワークショップが、スペシャル濃密であったことがおわかりになられるかと思います。

コルトハーヘン先生による「リフレクション学」スペシャルワークショップが終わった!
http://www.nakahara-lab.net/blog/2014/11/post_2296.html 

 この2日間、コルトハーヘン先生の考える「リフレクション」に触れ、もっとも僕が印象的だったのは、彼のリフレクションが非常に焦点がしぼられており、かつ、非常に構造化されており、かつ、短い時間に濃縮してなされる活動であったということです。

 要するに、コルトハーヘン先生のリフレクションは、

 「何に対して、どのようなプロセスで、何を考え抜き、何を生み出すか?」

 が非常に「明晰」であったということです。
 これは「何でもよいですから、お隣の方と感想を述べ合って下さい!」的な世界観とは全く逆のように僕は感じました。
 そして、コルトハーヘン先生は、ともすれば「単なる感想交換」「気楽なおしゃべり」に堕してしまうリフレクションにカツを入れている感じがいたしました(笑)。自戒をこめて申し上げます。

janenn_bonnou.png

 先日のコンテンツの再利用(笑)
 ごめん、、、朝、マヂで時間がないのです。

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 ここまでの部分を振り返りつつ、エイヤッと、リフレクションのポイントについて考えるとき、僕は下記のような3つがとても大切ではないかと思います。書いてしまえば、そんなことかという感じですが、リフレクションは、油断すると「単なる感想交換」「気楽なおしゃべり」に堕してしまいがちですので、注意が必要です。

1.Focus:すべてに「焦点」が絞られていること!
  ≠「何でもいいから話し合ってみましょう」(×)
 ・何に対して、どのようなプロセスで、何を考え抜き、何を生み出すか?
  が明晰であること

2.Time: 時間にセンシティブになること!  ・時間がないと「深いリフレクション」できない  ・でも時間がありすぎても、気楽なおしゃべりになりはてる
 ・緊張感があり、しかし、それでいて、十分な時間が必要。史郎、まだわからんのか、史郎!

3.Openess : 対話に開かれていること
 ・他者と話し合いながら、リフレクションする場合には、対話が成立する話題を選ぶ
 ・「共体験」をもつもの、オープンクエスチョンが必要

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 世の中の不確実性は、今日も増しています。リフレクションは、その中で、自分や自分の仲間を「立て直す」ための貴重な時間です。振り返ってばかりいても困るのですが、人はもともと「アクションオリエンティッドな存在(Action-oriented:行動志向)」なので、「振り返れ!」と口酸っぱくなるくらい繰り返されるくらいがちょうどいいのでしょう。

 焦点がしぼられた「問い」に対して
 気の置けない仲間とともに考え抜く
 そんな「心地よい時間」を過ごしたいものですね

 そして人生つづく