マネジャーが「自分の勝ちパターン」を「熱意」をもって部下に横展開しても成果がでない理由!?

 なかなか遅々として進みませんが、個人研究として「ミドルマネジャーの研究」を細々と続けております。
(9割以上の研究が共同研究です。共同研究はいくつもありますが、これはまた別の日の話題に・・・)

 大学も夏休みに入り、少し落ち着いてきたので、「もう今しかない!」とばかり2ヶ月ほどほっておかざるをえなかったデータに向き合うことに心を決めました(突然、とんだとばっちりを受けたのは、博士課程の保田さんです。コーディングを手伝ってもらっています。誠に申し訳ない&ありがとうございます)

 嗚呼、僕も弱い人間です。他人の研究にフィードバックすることはできますが、自分の研究は、なかなか進みません。とほほ。でも、ようやく手をつける覚悟を決めました。

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 今、自分でおっかけている個人研究のひとつは、「管理職がもっている仕事の信念」の研究です。

1.管理職はどのような「仕事の信念」をもち
2.それがどのように仕事や成果につながっているのか

 を実証的に研究しています。

 研究を進めていくと、少しずつわかってきているのは、管理職のもつ「仕事の信念」は、時と場合によって、「囚われ化」し、成果をだすことを阻害してしまうといいうことです。仕事の信念が、環境や状況にあっていないのにもかかわらず、それに「囚われ」てしまい成果がでない。その中でもタチが悪そうなのは「横展開の信念」と「熱意の信念」です。
 この「横展開の信念」と「熱意の信念」が複合的にミックスしてしまい、まちがった方向に走ってしまいますと、あまりロクなことはありません。

 ここでいう「横展開の信念」とは「管理職とは、成功パターンを知っている人であり、それを部下に、あたかもバケツリレーをするがごとく伝達し、そのままやらせれば、必ず成果は出せるはずである」という信念です。これをもっている管理職は、少なくない数います。

 対して「熱意の信念」とは「管理職の熱意は、必ず、部下には伝わるはずであり、熱意こそが成果につながるはずである」という信念です。こちらも、典型的な信念で有り、これを強烈にもっている管理職は、熱意をもって部下に接することになります。

 誤解をさけるために繰り返しますが、これらの信念自体が、いい悪いというわけではありません。
 これらの仕事の信念が環境や状況や部下の能力・資質に、やり方が適合していれば、成果はでるのでしょう。

 つまり、もっとも望ましいケースというのは、

「管理職がもっている成功パターンが、環境・状況に適合しているおり、部下は管理職と同等かそれに近い能力や熱意を有しているので、成功の勝ちパターンを横展開することが可能である」

 ということになります

 しかし、これが成果につながらない、というケースがあります。それは、この場合のやり方が、環境・状況に適合していない場合です。

 この場合には、

「管理職のもっている成功パターンが、時代遅れのものとなっており、それでは成果はでない。それなのに、管理職は、それを部下に強要し、しかも、熱意をもって強要する。管理職は、熱意をもってさえすれば、部下にはそれがつたわり、成果につながるはずだと思っている」

 というケースになりえます。
 こうなると、事態はかなり悲惨です。

 なぜなら、この複合的信念に囚われてしまった管理職は「成果がでないこと」の原因帰属を「やり方が間違っていること」には求めず、「熱意が伝わっていないから」に求めてしまうからです。
 さらにタチがわるいのは、間違った方向に、さらに「熱意をもって暑苦しく指導を積み重ねてしまう」ということになるからです。そんなときに出てくる言葉が、これです。

「なぜ、みんなにはオレの熱意が伝わらないんだ。なぜ、みんなおれと同じような熱量をもって仕事をしないんだ。だから、成果がでないんだ。もう一度、さらに暑苦しい熱意をもってして、オレの勝ちパターンを再び伝導しよう。思い切り熱意をもって伝えよう」

 かくして成功パターンや熱意を「押し売り」することになってしまい、成果がでずに「空転」してしまうのですね。くわばら、くわばら、という感じです。

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 今日は、管理職のもつ信念について書きました。
 くどいようですが、勝ちパターンの横展開も、熱意のこもった部下指導も、環境や状況にあってさえいれば成果はでるのかもしれません。しかし、それが繰り返し行われていても、どうもしっくりこない場合には、

 自分の横展開している勝ちパターンが、環境や状況や部下の資質にあっているのかどうか?

 熱意がつたわらないのは、本当に部下の熱量が低いからなのかどうか? それはやり方を間違っていることに部下が気づいていて、でも、言い出せず、やらされ感が漂っているからではないのか?

 を少しだけ疑ってみる必要があるのかもしれません。

 そして人生は続く