果てしない定型化がもたらした「時代劇の衰退」!? : 春日太一著(2014)「なぜ時代劇は滅びるのか」書評

 テレビを見るのは、子どもが日曜日に見る「イッテQ」くらいですし、時代劇?を最後にみたのは「龍馬伝」が最後になりますから(何年前よ?)、そんな僕がテレビの話題をブログに書くのは、さすがにどうかと思うのですが、先だって、春日太一著(2014)なぜ時代劇は滅びるのか (新潮新書) を読みました。

 本書は、「時代劇」とよばれるジャンルが、いかに「衰退の一途」をたどっていったのかを論じている書籍です。1950年代に全盛をむかえ、1960年代にはじまった時代劇の衰退。
 僕、全く存じ上げなかったのですが、「水戸黄門」すらも数年前に放映が終了していたんですね。驚愕しました。水戸黄門も終わるんだ。

 時代劇衰退の理由はいくつもあるので、本書をご覧頂きたいのですが、その最たる理由は、

「無数のヒーローがキメゼリフをカッコよく言いながら、悪をたたき切って、メデタシメデタシ」

 というパターンを繰り返ししすぎて、「つまらなくなった」ないしは「高齢者にしかうけなくなったこと」に起因するといいます。そこにテレビ時代劇の果たした影響は大きかった。

 番組によっては、そのパターン化の程度は激しいもので、たとえば、ある時代劇などは、「毎回何時何分にどのシーンが入るか」すら決まっていたとのことでした。このような定型化は、「制作コスト」を徹底的に下げるとともに、「人々の生活習慣の細部」にまで、時代劇の展開が入り込んでいくことにつながったといいます。

 要するに、

「さー、そろそろ、風呂のスイッチでも入れるか。てことは、そろそろ時代劇で、立ち回りのシーンが始まる頃だな。こちらも、テレビのスイッチを時代劇にあわせるとしよう。ほらな、印籠だしてるよ。闘いはじまるぞ!」

 が毎週続く、ということですね。
 すごい効率化と定型化(笑)

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 今日は「なぜ時代劇は滅びるのか」の短い短い書評を書かせて頂きました。この書籍はテーマは「時代劇」ですが、時代劇以外においても、このことはいえるのかな、と思います。「物事が衰退していくプロセス・物語」に、そうそう、多くのバリエーションがあるわけではないようにも思うのです。

 そこに介在することが多いのは「定型化」「パターン化」です。それは効率を一次的には向上させるかもしれませんが、それが過剰に追求された先に広がる世界は、あまりポジティブなものではない場合があります。それはシステムを維持させるようでいて、システムを破綻させてしてしまう可能性をもっているのです。
「定型化」は効率を求める社会においては、避けられないことでもあります。さすれば、わたしたちは「定型化」を一方で追求しつつも、他方では「定型化」を「内破」する視点を持たなくてはならない、ということになります。

 あなたのまわりの「定型化されたパターン」は、大丈夫?
 そして人生は続く