「分かり合えず、伝わらない時代」をいかに生きるか?:佐藤尚之(著)「明日のプランニング」を読んだ!

 先だって、このブログでは、

グローバル化とは「察することに甘えることができない社会」を生きる覚悟である!?
http://www.nakahara-lab.net/blog/2015/06/post_2440.html

 と称して、今後社会に広がるであろう「分かりあえなさ」について、平田オリザさんの秀逸な一文(今となっては予言)を紹介させて頂きました。長くなることを覚悟して、下記に引用させて頂きますと、下記のようになります。

 二十一世紀のコミュニケーションは「伝わらない」ということから始まる。(中略)

 私とあなたは違うということ。
 私とあなたは違う言葉を話しているということ。
 私は、あなたが分からないということ。
 私が大事にしていることを、あなたも大事にしてくれているとは限らないということ。

 そして、それでも私たちは、理解し合える部分を少しずつ増やし、広げて、ひとつの社会のなかで生きていかなければならないということ。

 そしてさらに、そのことは決して苦痛なことではなく、差異のなかに喜びを見いだす方法も、きっとあるということ。
 (中略)
 まず話し始めよう。そして、自分と他者との差異を見つけよう。差異から来る豊かさの発見のなかにのみ、二十一世紀の対話が開けていく。

(平田オリザ「対話のレッスン」p241-222より引用)

 そして、先だってのテーマが、「分かり合えなさ」だとするならば、これから下記でご紹介する本は、「伝わらなさ」をテーマにした本です。

 佐藤尚之さんの「明日のプランニング」を読みました。
 著者は、広告業界で非常に著名なクリエイティブ・ディレクターで、マスメディアに依存できない「これからの広告」に関する著書を、これまでにもお書きになってきた方です。僕は著者には一度もお逢いしたことがないですが、著書はすべてこれまでにも読ませて頂いておりました。

  

「明日のプランニング」は、情報大爆発・情報大洪水・情報ビックバン?・・・何と言ってもよいですが、一般の人々の目の前をながれるビットストリーム(情報の量)が超膨大化する時代に、その膨大化する情報に埋没するのではない広告を、いかにつくればよいかを考察した本です。

 著書冒頭部、著者はーさすがに広告がご専門ということもあるのでしょうーこの情報大爆発時代を形容し、「砂一粒の時代=砂一時代」と名づけます。

 著者によりますと、近年、わたしたちの目の前を流れる1年間の情報量(おそらくIPのトラフィック量)が「1ゼタバイト(zettabyte:1兆ギガバイト)」を超えたらしく、その1ゼタバイトという量は、「世界中の海岸の砂の粒をすべてあわせた数」に相当するのだそうです。

 こうした途方もない爆発する情報量の中で、それらに埋没することなく広告をつくりあげ、注意を振り向けてもらい、購買行動に結びつけるというのは、著者によると「砂一粒の奇跡」である、ということです。

 この比喩、厳密にいえば、広告が1バイトである、ということはないので、「砂一時代」というのは、メタファとしてやや過剰なのかもしれませんが、「圧倒的にわかりやすい」ので、好感がもてます。

 そのうえで、著者は、「砂一時代」における広告を「二つの次元」にわけて、図示したうえで、それらを著書全体をつかって説明します。

「第一次元」は、いわゆる従来からのマスメディアを使っても情報を届けられる層です。
 著者によると、「日本にすむ人々の7500万人は月に1度もパソコンから検索していない」そうで、こうした層には、従来からのマスメディアをつかった広報戦略がまだ奏功するといいます。

「第二次元」は、SNSやソーシャルメディアにおいて、商品やサービスのファンをつくることで、そのファンを介した間接的な推薦によってしか、ものを買わない層です。
 こうした層へ情報を届けるためには、「商品のファンコミュニティ=ファンダム(著書ではファンベース)」を構築し、彼らの生の言葉(オーガニックなことば)で、共感型の消費を生み出そう、ということになるのかなと思います。

 おおまかに本書で述べられていることは以上です。

 興味深かったことは2点。

 まず1点は、こうした本は、たいてい、著者自身が広告会社を経営していたりすることが多いので、先ほどの分類でいえば「第二次元」にのみ(バイアスをかけて)注目し、

 これからは、もう今までの方法はすべてダメだよねー
 今の時代、ソーシャルメディアだよねー
 これからの消費はAISASだよねー
 
(だから著書を書くほど業界をよく知っている僕に、プランニングさせてよねーディレクションさせてよねー:心の声)

 と主張を重ねがちですが、本書は第一次元、すなわち、まだマスメディアが奏功する層にもきっちりと目配りを行っているということです。こうしたニュートラルな目配りが好感が持てました。

 砂一時代にあって大切なことは、広告の送り手がフェアな情報をファンにつたえることー「ニュートラルであること」「誠実であること」ですが、本書の構成をもって、著者は身をもって、このことを示したのではないでしょうか。本書には、この本の構成や執筆をもって著者が伝えたかったメタメッセージがあるように、僕には思えました。

 言うまでもなく、全体のポピュレーションから考えた場合、どの程度の人員が、「砂一時代」を生きているのか。わたしたちは、まずもって冷静に考える必要があります。

 第二に、これは著者が本書にこめたもうひとつのメタメッセージではないかと勝手に勘ぐっているのですが、本書のほとんどの内容は「1ページの概念図」に著書冒頭部に示されており、著者は、この概念図をかなりの枚数をつかって、様々な言葉をつくし、説明する構造になっています。

 逆にいうと、これこそが、「分かり得ない時代」「伝わらない砂一時代」に必要な知的態度であると思いました。著者は本書の構成をもって、身をもって「砂一時台」に必要なメタメッセージをお伝えになっているのではないかと感じるのです。

「分かり合えない」「伝わらない」時代にあっては、簡便な表現、言葉をつくした説明が必要になるのです。図示し、言葉をつくし、わかりやすく人に伝える努力を減じてはいけません。

 まことに興味深いことです。
 以上、猛烈な誤読かもしれませんが、僕の感じたことです。

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 今日は「明日のプランニング」の書評を、オーガニックな言葉で、お伝えしました。「分かり合えない時代」にくわえて、「伝わらない時代」を生きる、わたしたちに必要なのは、どのようなことなのかを、広告という側面から考えさせてくれる良著でした。

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 首都圏、今週は月曜日から暑くなりそうですね!
 今週一週間が、よき一週間になりますよう!

 そして人生は続く