「物事をよく知っている人」が会議をファシリテーションしたときに陥りがちな2つの罠
近い将来、大学の教壇にたつことを願っている東大の大学院学生に「教える技術を教える授業」というものがあります。「東京大学フューチャーファカルティプログラム」というプログラムで、2年前からはじまりました。
こちらの授業は同僚の栗田佳代子さん、吉田塁さんらが中心になってバリバリと回している授業ですが、僕も、一部だけ出講をしています。
東京大学フューチャーファカルティプログラム
http://www.todaifd.com/
「東京大学フューチャーファカルティプログラム」おかげさまで毎回満員御礼で、やむなく、セレクションをおこなっているようなかたちになっています。これまでに卒業した学生は200名近く。
学内の先生方はじめ、多くの方々の御協力とご関心で、何とかここまで来ました。心よりありがたく思っています。このプログラムを受講した学生が、近い将来、大学の教壇にたつことを心より願っております。
(リクルーティングのページもございますので、どうぞご覧下さい)
東京大学フューチャーファカルティプログラムを修了した学生の採用にご興味をお持ちの方へ:人材ご紹介のページ
http://www.todaifd.com/recruit/
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先だっては、授業で、大学院生の方々と議論をする会に参加いたしました。
この会では、大学院生に模擬授業をしてもらう一方で「会議のファシリテーション」についても「教えること」にしました。
ある課題についてグループみなで議論をするのですが、司会役の学生に、この会議を、
1.みんなが参加できて
2.生産性の高いもの
にするよう、ファシリテーションをお願いしました。
ファシリテーションのあいだは僕が観察していて、途中どうしても、フィードバックが必要なときは「議論をストップ」させて、ファシリテーションを改善していきました。
最初のうちは、なかなか難しかったのですが、だんだんと慣れてきて、会議が進行するようになったセッションもありました。
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ところで、大学院生≒専門家のファシリテーションを見ていて、つくづく思ったことがあります。
それは、
専門家のファシリテーションは「独演会」か「品評会」になってしまいがち
であるということです。
要するに、
本来ファシリテーションをしなければならないはずなのに、いつのまにか「専門家としての自分の意見」をしゃべくりまくって、それでがとまらず「独演会」になってしまう(笑)。
「それはですね、、、私見ですが、わたしは・・・だと思っていて、それはほにゃららの観点で、にょろにょろの論点ですよね」
ないしは、
一応、ファシリテーションをしてくれと言われているので誰かに意見は求めるものの、でてきた意見に対して、いったん「受けとめること」ができずに、ただちに「専門家としての自分の評価」をのべてしまう(泣・・・MehanのIRE連鎖の研究を思い出しますね・・・懐かしい)。
「うーん、そうね、僕は違うと思うんですよ」
ここまで戯画的ではないのですが、それに類する会話のやりとりが特徴的でした。もちろん、誤解をさけるために申し上げますが、いくらファシリテータでも、ファシリテーションしながら、自分の意見を述べることは問題はありません。
しかし、おわかりのように、同時に大切なことは
他人の意見を引き出すこと
引き出した意見を受けとめること
会話のキャッチボールをグループにつくること
です。
こうした現象は「専門家ならでは」だな、と思って、興味深く観察しておりました。
セッションでは、途中会議をとめて、こうしたことについてフィードバックを行いました。優秀な皆さんですので、少しずつ要諦をつかむことができたことはうれしいことでした。
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今日は「専門家のファシリテーション」について書きました。
僕がファシリテーションを少し学んだのは海外で、これまでには一般のみなさんにしか、こうしたセッションをやったことがなかったので、専門家のファシリテーションを拝見したことは、非常に興味深いことでした。
そういえば、この記事を書きながら、ふと、昔々、僕がまだ学生だった頃に、ある先生が、
「今日は議論をしましょう!」
とおっしゃりながら、90分、自説をとうとうと開陳しておられたことを思い出しました。まことに微笑ましい出来事です。
沈黙に耐えて、相手の一言を「引き出す勇気」
相手の一言を「うけとめる勇気」
一歩ふみだして、会話のキャッチボールを「つくりだす勇気」
ぜひ、3つの勇気をもって、近い将来の大学に羽ばたいてほしいものです。
そして人生は続く
東京大学フューチャーファカルティプログラムを修了した学生の採用にご興味をお持ちの方へ:人材ご紹介のページ
http://www.todaifd.com/recruit/
追伸.
ほそぼそとTAKUZOと合気道を続けて2年になります。いまだ「むらさきおび」の小生に語られたくないと思うのですが(笑)、勇気をだしていうと、合気道の精神はファシリテーションの精神に似たところがあるように思います。まずは「うけとめる」。そして「相手の力」をそのまま応用して「せめる」。身体を動かす時間をつくりたいというのもありますが、その機微が面白くて、今も続けています。
投稿者 jun : 2015年7月 3日 06:16
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