支援とは、あなたが「届けたい人」には、もれなく「届かない」!?:自発参加のディレンマを超える!?

 おおよそ、人にまつわることには「ディレンマ」がつきまといます。
 こと「人材開発の世界」にも、たくさんのディレンマがありますが、そのひとつに「自発性のディレンマ」というものがあります。ネーミングは気にしないでください。僕が勝手にそう読んでいるだけです。

「自発性のディレンマ」とは、こういうものです。
 今、仮に、「ある問題を抱えた人」を支援するために、ある「学習プログラム」をつくったとします。工夫をこらして開発されたプログラムを、ぜひ、「問題を抱えた、あの人」に「自発的」に受講して欲しい。主催者としては、そのように考えます。

 しかし、実際、「ふた」をあけてみると、プログラムを自発的に受講してきたのは、優秀で、アンテナが高く、いわゆるハイパフォーマーとよばれる人。もともとそういう学習プログラムが「必要のない人」が受講者になってしまったというディレンマです。

 じゃあ、「問題を抱えた人」はどのように反応したか。ヒアリングを重ねてみると、「このプログラムが自発的参加であるから、自分は参加しなくてはよいのだ」という意味づけを行っていることがわかりました。ゆえに参加はしない。
 じゃあ、ここでプログラムを「必修」「強制」にするとどうなるか。今度は、「問題を抱えた人」は「やらされ感」を漂わせ、いやいや満点ムードで、ワークショップにあらわれます。よって、どんなにプログラムの学習効果が高かったとしても、効果はなし。

 つまり、

 プログラムは「本当に届けたい人」には「届かない」

 ということになります。悲しいことですが。

 さらに悪いことに、こうした場合、「格差」は広がることはままあることです。優秀な人は、そのプログラムに参加し、さらに力をつけ、自信をもつようになりました。しかし「本来受けさせたい人」は、自ら、そこに参加することはありませんでした。結局、「集団間の能力格差」が拡大することになりました、あべし(泣)。

 かつては、この「自発性のディレンマ」が存在することを、ある種の「理由」をして、プログラムの提供自体を差し控えるといったこともあります。しかし、少しずつ人材開発の世界も変わってきています。

 どんな境遇にあっても、自ら伸びようとする人々を支援して伸ばすことはできます。しかし、自ら伸びることを諦めてしまった人は、どんな支援も奏功しません。そういう認識が広がってきています。

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 今日は、人にまつわるディレンマのうち、人材開発のディレンマを書きました。この問題、結構、ここあそこで起きているような問題のように思えますが、皆さんの組織ではいかがでしょうか?

 そして人生は続く