量的研究みたいな質的研究!?、質的研究みたいな量的研究!?

「質的研究」と「量的研究」という言葉があります。

 僕がその言葉をはじめて聞いたのは、大学の学部3年生の頃。当時は、僕の専門に近い人文社会科学・関連初学の中では、量的研究に対して質的研究が勃興してきたときでした。
(学問分野によって、このあたりの方法論の進展の歴史は相当異なると思います。下記のお話は、僕の分野でのことに限って話を進めます)

 当時はまだ書店にいっても、質的な研究方法論に関する専門書は、ごくごく限られていました。量的研究に対峙するかたちで「質的」という言葉がどちらかというと、新しく、また新鮮な響きをもって語られていたような気がします。

 量的研究がなかなか考慮できない「観察対象の文脈・意味」をすくい取る手法として、質的研究が注目されていました。また、質的研究は、量的手法とくらべて「臨床的・実践的」であるといラベリングがなされている傾向があるように思いました。
 当時は「量的研究 VS 質的研究」といったような、二つの手法を対立軸とみなしたシンポジウムやフォーラムも、ずいぶん、開かれていました。

 当時学部生であった僕は「研究者」になりたいと願い、いわゆる「入院(大学院入学)」を決意していたころでした(笑)。時代の空気なんでしょうか、学部時代の友人には、そのような方が多く、彼らと集まっては、いろんな文献をひたすら読んでいた頃でした。

 僕の専門分野に近いところでは、エスノグラフィーとか、エスノメソドロジーとか、そうした研究手法が注目されていた頃でした。ですので、そういう個別の研究方法論については、ある程度、承知していたつもりですが「そういうのを十把一絡げにまとめて、質的研究と呼ぶんだ」と知ったときの日のことは、わりと新鮮に憶えています。

「まー、まとめれば"質的"なんだろうけど、なんか、方法論の背景にある世界観とか目的が違うんじゃないかな」

 と少しだけ疑問に思っていたような気がします。
 でも「質的研究」という言葉はあっという間に市民権を得て、書店には「質的研究論」や「質的研究方法論」に対する書籍があふれていきました。

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 それから、はや20年弱。
 先だっての大学院・中原ゼミでは、「研究室のメンバーが、それぞれの研究領域で行われている質的研究の実証研究論文を持ち寄り、読む」ということをしました。海外のトップジャーナルから、日本の身近な論文誌まで、様々な質的研究の論文を読んでいきました。

 ゼミで読んだのは「質的研究とは・・・べきである」とか「質的研究の方法論には・・・の方法があり」とか、そういう質的研究論ではなく、また質的研究の方法論の議論に関する論文ではありません。
 
 むしろ、質的研究という方法論を用いて、何らかの対象の実態について迫り、その様子を明らかにした研究論文を国内外から選び、ゼミで読みました。

 半期がたちすでにゼミは終了したものの、この課題をやってみて、つくづく思ったことは、かつて20年前に、うっすらと自分が感じていた疑問に呼応することでした。

 ワンセンテンスで申し上げますと、

 「量的研究と質的研究」という「二分法」って意味あんのかな?

 ということです。
 
 と申しますのは、一見、質的研究に見えて、その後のデータ処理のやり方は、本来、質的研究ならば大切にしなければならない「文脈」を捨て、つまりは量的研究のようなデータ処理のやり方をしている質的研究があります(それが悪いというわけでは断じてありません)。

 それらは、誤解を恐れず、ワンワードでいえば

 「量的研究みたいな質的研究」

 です。
 たしかに質的といえば、質的なんだろうけど、データの処理の仕方は、かなり量的研究のデータ処理に近いよね、というものが存在します。
 もちろん、当然のことながら、文脈や現場での人々の意味づけにこだわった方法論ーザ・質的研究オブ質的研究「も」存在します。しかし、上記の「量的研究みたいな質的研究」と「質的研究オブ質的研究」を十把一絡げに「質的研究」とまとめるには、やや広すぎるような気もします。

 一方、最近は、量的研究においては、分析対象となる個体が所属している集団の文脈をある程度考慮できる方法も生まれてきました。
(もちろん、質的研究のそれほど量的研究で文脈を扱えるわけではありません。しかし、それが全く扱えないかというと、そうではないといえると思います)

 また、数字で定量的にものを語るものの、それらを調査対象者にかえして、実践を変革する手法も、僕の研究領域では行われるようになってきました。僕の研究分野では、量的研究で得られたデータを、対話の素材として、実践者と研究者が協議し、「臨床的・実践的」に現場の変革に役立てる、ということがおこなわはじめています。
(このあたりは学問分野によると思いますので、あくまで僕の専門に近い領域の話をします)

 要するに、何が言いたいかというと、

「量的研究みたいな質的研究」がある一方で「質的研究みたいな量的研究」がありうる

 ということです。
 
 というわけで、今回の大学院ゼミを終えて思うことは、少なくとも僕は「量的研究と質的研究」という二分法を安易に用いてはならんな、と思いました。
 その研究方法論の背景にある思想的基盤、ないしは、方法論の志向性を丁寧に見出していく必要があるように感じます。
 研究方法論に関して、中原研究室は、いわゆる「恥知らずの折衷主義」をこれからも、今後も貫いていきます。だからこそ、自分が用いる研究方法論の存立基盤を把握していくことは非常に大切なことのようのように、ゼミ内でも議論をしました。敢えてワンワードでいうならば、もう研究室内では「量的研究か、質的研究か?という二分法を禁止したい!」と思っているくらいです。

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 2014年度後期の中原ゼミは終わりました。
 今は、来年度のゼミで何を読もうかなと考えています。前々回までのゼミでは「量的研究」、前回のゼミでは「質的方法」にこだわったので、次回は「実践的とは何か?」「臨床的とは何か?」という課題にこだわってみようかなと思っているところです。ま、このあたりは、大学院生と相談しておいおい決めていこうと思います。

 そして人生は続く