僕らは「話し方」を学んでこなかった!?

 新春恒例!?、新書読書が続いています。昨日は、ふだんはあまり読まない本を積極的に手にとることにしました。

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 1冊目、浅利慶太(著)劇団四季メソッド「美しい日本語の話し方」(文藝春秋)。

 前半部は、どんな人にでも愉しめる劇団四季の演劇・ミュージカルの発声法についての解説。「母音法」「呼吸法」「フレージング法」などが解説されています。これらは賛否両論あるのでしょうけれど、子どもに演劇を見せに行く我が家にとっては、四季のわかりやすさ、敷居の低さは歓迎するべきものであり、選択肢のひとつに常に入ります。

 発声法については、門外漢なので、その詳細はわかりません。が、一文、そうだよな、と思うところがありました。

 それは

 日本では、読み書き算は教えられているのに
「話し方」は、教えられていない

 といった類の冒頭部分の一節です。きちんとした声の出し方、発声の仕方は教えられていない。

 これは、息子TAKUZOの声の出し方に気になるところがあって、親として、いつも思っていたことでした。それはワンワードでいえば「聞き手にメッセージをお届けするという意識とスキル」の欠如です。

 とはいえ、教えていないのは親の責任であり、また僕には発声や話し方に関する知識がないので、時折注意するだけになっていましたが、それではいかんなと反省しました。

 後半は、浅利節が唸ります。劇団四季の発展の歴史と、新劇の批判です。

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 2冊目、愛場大介「Youtubeで食べていく:動画投稿という生き方」(光文社)です。

 恥ずかしながら、Youtubeの課金収入で生計を立てている人がいることは、ニュース等などでは知ってはいましたが、その詳細については知りませんでした。

 興味深かったのは、Youtubeで注目される映像制作のやり方と、通常の映像の文法は「違う」という中盤部の指摘です。

 たとえば、尺(映像の長さ)は90秒。冒頭部15秒までに「つかみ」を入れ、あとは徹底的に無駄をそぎ落とすカット編集を行うなど、Youtube動画と、通常の動画編集は、その映像文法が異なるそうです。

 こうしたことをいうと、一見、Youtube動画は、一般の動画よりも「低級」で、オーセンティックではないものだと位置づけられそうです。しかし、いつの時代も変わらない「映像文法」は存在しません。それはテクノロジーの変化、メディアや読者の変化によって、常に変わり続けています。こうした実践知が面白いですね。

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 今日の2冊は「表現系の新書」でした。

 図らずも?、どちらも、「新たな聴衆・テクノロジー・時代の変化に応じて勃興してきた表現メディア」に関する書籍で有り、旧メディアとの確執をその背後に抱えうる存在である、と思います。

 そして人生は続く

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追伸.
 昨日は、我が人生初の「たこ焼きづくり」をしました。なかなか奥が深いですね、面白い。へー、こうやって丸くなっていたんだ、、、なるほど。世の中には、まだまだ知らない世界がありますね(笑)。

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