本当のことしかおれはいわない!? : 「人間のうた」(深澤義旻)

 先だってTAKUZOに買ってあげた「子どもといっしょに読みたい詩100」の中に、「人間のうた」(深澤義旻)という詩が入っていました。「素朴な言葉」で「本当のこと」を唄われていることに、「どすん」と来ました。ぜひ、みなさまも味わっていただければなと思い、「おすそわけ」させていただきます。

「大事なとき」を見極め、「自分をだめにしてしまう瞬間」を乗り越え、「親を喰らいつくして、思いっきり勇ましく生きてゆけ!」

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人間のうた
深澤義旻

「うそをつくな」と、おれはいわない
大事なときに、うそをつかなければいいのだから
大事なときとは、自分を不幸にするかどうかというときだ

「くそまじめにやれ」と、おれはいわない
くそまじめにやって損をすることが多いからだ
だけど、やらなければならないときは
どんなにつらくても、苦しくても、やりぬかなければならない
それは、自分をだめにするかどうかというときだ

「けんかをするな」と、おれはいわない
つまらないことでしなければいいのだから
つまらないけんかとは、 みにくい感情の剥きだしのことだ
そこからは、なんにも生まれてはこないのだ
だからけんかは、つとめて避けるがいい
だが、始めたら 相手の息の根が止まるまで
もしくは、相手が完全に「まいった」と音を上げるまで
やめてはならない
なまはんか、相手に同情して手をゆるめたら
反撃されて、こちらの負けだ

「だれとでも仲よくしろ」と、おれはいわない
ほんとうの仲間と仲よくできればいいのだから
ほんとうの仲間とは
手をにぎりあい、肩を叩きあいながら、 自慢話をしあえる相手のことだ

「いつも誰にも素直でいろ」と、おれはいわない
素直になるもならぬも、 それは相手によりけりだ
言ってることはほんとうか、
それは、ほんとうによいことか、よくないことかを
よくよく確かめてからにしたらいい
たとえ、どんな相手でも、決しておそれず、ばかにしないでだ
相手の目つき顔つき、ものの言いかたを
おちついて、よく聞き、見ていれば、たいがいピンとくるものだ
人に対する無条件な素直さではなく、真理に対する素直さをもつことだ

「まちがいや失敗をするな」と、おれはいわない
大事なことをまちがえなければいいのだから、
大事なことで失敗しなければいいのだから、
まちがいや失敗をおそれてはならない
おれがいう大事なこととは、二度と立ち上がれなくなるかどうかということだ
意志と体力で支えきれなくなるかというときだ

他のまちがいや失敗は、 星の数ほどあったにしても、 少しもこわがることはない
まちがいや失敗から正しく学んでいくかぎり、自分を高めていけるからだ
まちがいや失敗を一つもしない人間は、結局、なんにもしなかったやつなのだ
口先だけで、何もできなかったやつなのだ

「いつも正しくあれ」と、おれはいわない
神様にも動物にもなれるのが人間だから
正しく美しいものに感動しながら、悪いことをまねるのも人間だから
喜びと悲しみを同時に受けとめることができるのも人間だから
いつ、どんなときにも
うんと喰って、うんとたれて、うんと眠るがいい
獣の眠りのように眠るがいい
そして、また力を合わせて働こう

「親に心配かけるな」と、おれはいわない
心と体が丈夫なやつほど、何かをしなければいられないやつなのだ
そうであるかぎり、何か、どこかで、親に心配かけるにちがいないからだ
親を喰らいつくして、思いっきり勇ましく生きてゆけ

幸せは祈って待ってるものじゃない
戦いとっていくものだ
自分の弱さや醜さと戦いながら、 目的と目標をしっかり決めて
それに向かって突進していくときに得られるものだ
それが自分を大切にすることだ
自分を大切にすることをためらうな
自分を大切にできないでいて、 どうして、人を大切にできようか
自分を大切にすることが、同時に人を大切にすることになる生きかたを
なんとしてでも見つけ出し、作り出さねばならぬのだ
それは、人間にだけできるのだ
それが、人間の権利であり、義務なのだ

そのように生きていったとき
おれたちのまわりにも、人間らしい人間がいることにきっと気づいていくはずだ
ほんとうの仲間もできるのだ
そのことが、そうして生きていくことが、 どれほど苦しく悲しく切なくても
自分の意志で選んだ道を
もうひき返さないぞと覚悟して、歩み続けていくならば
悲しみも、苦しみも、怒りも人間の誇りにかえていけるのだ

雨が降っても
曇っていても
見ろ
雲の上には太陽がある