「コミュニケーション能力がある」とは「オレが何にもしなくていい状態」!? : 「最近の学生はけしからん!」に対して一教員が思うこと

 最近の学生は、ちょめちょめがダメだ
 大学はちゃんとしてない!

 最近の学生は、ほにゃららが、全然なってない
 大学はけしからん!

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 こうした意見を、企業の方から、年に2度くらい(?)頂戴することがあります。立場上、大学の外で講演することや、マネジャーの方とお話することも多いので、おそらく、そういう機会が多くなってしまうのでしょう。

 僕のような「下っ端なんちゃって大学ピーポー(!?)」に、そのようなことを申し上げられても、まことに対応に苦慮するのですが、こういう機会ですので、その場では、ありがたく拝聴し、ごく希に意見交換をしています。
 特に、このようなまことにありがたいご意見を、僕に浴びせかけていただけるのは、オジサマに多いような印象があります(そうでもないかな・・・)。

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 でも、先ほどの「ちょめちょめダメ」やら「ほにゃららNG」に敢えて言わせてもらうならば、一教員としては、

「そんなに、最近の学生は、ダメですか?
   全く、そんなことないと思うんですけどね」

 というか、むしろ、「昔よりもかなりいい線行ってるよ」と思いますし、ちょっと前よりもかなり「よい方向」に変化しているような気がします。そんな風に感じる人は少なくないと思うけどなぁ、、、どうなんでしょ。まぁいいです。僕は少なくとも100%そう思います。

 特に、問題に思うのは、

「最近の学生はダメ」だというが、オジサマたちが若い頃の「過去の学生はOK」だったのか?

「最近の学生は、ちょめちょめはダメ」だというが、その「ちょめちょめ」への要望は、本当に妥当なものといえるのか?

 ということですね。
 以下、この2点について考えてみましょう。

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 まず、前者に関して。
 僕は、もう東京大学に赴任して10年以上が立ちますが(このことの方が驚愕!タイム・スーパー・フライ?ですな、意味不明)、少なくとも僕が受け持つ学部の授業では、年々、学生の知的レベルやモティベーションのレベルが上がっているように感じるのは、気のせいでしょうか。

 先だっても、学部で授業をしていて、学生のプレゼンを聞いたあとで(仕事なので、スパイシーなダメ出しはします)、思わず、密かに、近くにいた助教の先生につぶやいてしまいました。

「こういうプレゼンや、グループワークは、同じインストラクションをしても、10年前の学生は出来なかったよ。ロジックはまだまだ甘いけれど、たいしたもんだ。あと2年学部時代をちゃんと過ごせば、まだまだ伸びる。学生も、この10年で本当に変わってるよね」

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 読者の方の中には、「そんなの東大だけだ」とおっしゃる方もいらっしゃるかもしれませんが、僕は高等教育の専門家ではないし、また手持ちのデータがないので、それはわかりません。上記の認識は「東大学内の変化」として、僕個人が思っていることです。少なくとも僕の出会う学生に関しては、上記のような感想をもちます

(ちなみに、各種の調査結果によると、2000年代後半から授業の出席に関していえば、8割以上になっていると思います。ただし、大学生の学外での勉強時間の少なさは、いまだに課題でしょうか)

 データは特にないですが、さらに時間をさかのぼれば、また少なくとも僕が学部時代を過ごした20年前は、もっとやる気のない学生はいたような気がするし、いい加減だったような気がします。
 かつて大学が「レジャーランド」と呼ばれていた時代(オジサマたちがブイブイ言わせていた時代?)、「授業に出る、出ないは学生の勝手」。大学時代は1にサークル、2にバイト、34がなくて、5に恋愛?でした。

 つまり、過去と比較して「最近の学生は・・・だ」という場合に、その比較は妥当なのか、という疑念がわいてきます。

 疑念フツフツ。

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 次に「後者」に関して。
 よく「最近の学生は、ちょめちょめはダメ」だとよくいいますが、この「ちょめちょめ」をよくよくひも解いて?みますと、意外によくわからないことが少なくありません。

 たとえば「最近の学生は、コミュニケーション能力がない」というおっしゃる方がいらっしゃったとします。
 あんまりにも強くそうおっしゃるので、(思わず、よせばいいのに、中原スイッチが入って!:僕はロジック攻撃モードに入るとき、スイッチが入る顔をするそうです。先だって、ある人事部長さんに指摘されました、笑。でも、そうなると、小学生だろうが、大学生だろうが、ビジネスパーソンだろうが、死んでも容赦はしません。たぶん、そういう、容赦ない顔をしているんだろうなと思います)思わず、別の問いかけをしてしまったことがあります。

「じゃあ、○○さんは、新入社員の、どんなシーンを目にしたら、コミュニケーション能力が発揮されているな、とお感じになるんですか?」

 と伺います。

 そうすると、これに対する答えは長い答えでしたので、余計な部分を「はしょり」ますが、

「敢えて言葉にしなくても、こっちの言いたいことを読んで、動いてこっちが何にもしなくても、成果をあげるような感じ」

 とおっしゃいます。
 本当はもう少し長いのですが(30分!)、敢えて要点のみはしょると、こんな感じです。

 上記をそのまま解釈しますと、要するに「コミュニケーション能力がある」とは「場を読むこと+成果をあげること」であり、それらがオジサマからの働きかけがゼロでも、つまりは「何にもしなくても(行為レベルの働きかけ)」、「何の言葉かけもしなくても(言葉レベルの働きかけ)」達成されてしまう状況ということになります。

 要するにね、

 コミュニケーション能力があるとは「オレが何もしなくていい状態」

 ということですね。

 オジサマの方も忙しい。多忙なのはよくわかっているので、あまり申し上げないのですが、あんまり強くおっしゃるので、敢えて言わせてもらうと、

「あなたが、何にもしたくないだけじゃん」

 と思っちゃうのは、僕だけでしょうか。新入社員なんだから、できないことあるのはアタリマエじゃんとも思います。
 あと、「本当はもう少し長いのですが(30分!)、敢えて要点のみはしょると、こんな感じです」と、僕が書かざるをえないことから、今、自分がおかれていらっしゃる状況を察していただきたいのです。

「若者と自分、どちらがコミュニケーション能力がないのか」を(爆)。

 あんまり強く執拗におっしゃるので(笑)、ついつい、スイッチが入ってしまい、脳裏に浮かんだことを申し上げてしまいました。本当に申し訳なく思います、言い過ぎていましたら、すみません。

 でもね、本当にこうした場合、オジサマたちの考える「コミュニケーション能力へのニーズ」って、妥当なものといえるんでしょうか。
 少なくとも、かえすがえすも、不思議な概念です、コミュニケーション能力は。
 僕には1ミリも理解できません。

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 今日は「最近の学生ちょめちょめ?NG」と「最近の学生ほにゃららダメ出し」?について書きました。

 今、僕は講演のスライド2本、論文2本、書籍原稿1を抱えていて、本当は朝っぱらから、こんなしょーもないブログ記事を書いている暇は1ミリもないのですが(てめー、〆切すぎてんぞ、こらとキレておられる方もいるでしょう・・・すみません)、もう「習慣化」してしまっているので、朝起きると、自動的に書いてしまうのでございます。

 そろそろ6時30分ですね。
 みなさま、おはようございます。

 そして人生は続く