「好き」になっちゃうほど「データ」と向き合うこと!? : 現場の一次情報を読み解くために必要なものとは何か?

 ここ数日、朝はローデータ(現場で仕入れた一次情報:生声)を読み込む時間にしています。ローデータと向き合うのは、朝5時からの2時間。TAKUZOが起きてきたり、KENZOがウニョウニョ言い出す前、その時間が勝負です(笑)。

 あたっているローデータは、ここ数ヶ月にわたってやらせていただいたヒアリングの結果です。貴重な時間をかけて語って頂いた「現場の皆さん」の「生の語り」を、ここらで一気に整理し、まとめ、論文を書かなくてはならないのです。

 ところで、ローデータに関して、いつも思うことは3つあります。今日は、そのことを考えてみましょう。

  ▼

 まず、

 ローデータを読み込むのは「隙間時間」ではできない

 ということです。

 それを為すためには、どうしても「まとまった時間」が必要であり、10分や15分の隙間時間ができたとしても、なかなか読み込むことはできません。(昨日は総長選挙でしたが、投票は4回行われ、その合間は45分とかでした。ちょっと45分じゃ厳しいですね・・・)
 いいえ、読むことはできたとしても、そこから何かの発見やアイデアを着想することは難しいものです。

 そして、このことは、ローデータに対する、もうひとつの結論に帰結します。

 それは、

 ひとは、忙しくなり始めると、ローデータを読み込む時間を、最も「犠牲」にする

 ということです。

 いいえ、「犠牲にする」というよりも、それを読み込むためには時間がかかるのですから「犠牲にせざるをえない」というのが正しいことなのかもしれません。

 大学などに職を得て、職業研究者になり、次第に様々な学内業務・マネジメントにかかわっていく方々もでてきます。このあたりは自戒をこめて申し上げます。そうこうしているうちに、犠牲になっていくのが、「ローデータと向き合う時間」ではないかと思います。

 再び自戒をこめて

  ▼

 最後の点。
 それは、かくしてローデータと長いあいだ向き合っていると、

 ローデータが好きになりはじめ、そうなると、ごくごくたまに、アイデアが「降臨すること」がある

 ということです。

 データが好きになる

 というのは変な言い方なのかもしれませんが、やっぱりそうなのだから、そうとしかいいようがありません。これは量的な分析においても、質的な分析においても、少なくとも僕に関してはいえることです。
 数字を見ていても、文字を見ていても、長い間、そうした作業をしていると、僕の場合「データが好き」になります。逆に、変な言い方かもしれませんが、愛着みたいのがわかない場合というのもあります。そうした場合、どうしても、よいアイデアが生まれません。

 データに愛着が生まれ、好きになってくると、ごくごくたまに、アイデアが「降臨」することがあります。いつもではありません。100回読んでいて1回あればいいほうかもしれません。

「降臨」というのは変な言い方ですが、本当にそうなのだから、そうとしかいいようがないのです。

 突然、ひらめいちゃったりするのです。
 まさに

「キタ━(゚∀゚)━!、神、降臨」

 という感じですね。

  ▼

 今日は「ローデータと向き合うこと」について書きました。上記をまとめますと、ローデータは「長時間」自分とつきあい、自分を愛することを、研究者に要求します。
 
 ローデータと向き合っていると、

 ねー、ちょっと、みてみて
 これ、どう思う?

 と言われているような錯覚に陥ります
 僕の場合、ここ数年、好きになるほどローデータと向き合う時間がとりきれなくなりつつあることが、悩みの1つです。

 そして人生は続く

投稿者 jun : 2014年11月28日 06:11


「駄目なリーダーシップ開発プログラム」は「ダシのきいていない寄せ鍋」になる!?:「コンテンツ盛り込みまくりのごった煮」から生まれる「So What?」の問い

 仕事柄、たくさんの「リーダーシップ開発プログラム」を目にします。多くの場合、プログラムの名称は非常に多様です。「次世代リーダー研修」と名前がついていたり「幹部養成プログラム」と名称がついていたりいたします。

 年間で百本を超えるかと思われる「リーダーシップ開発プログラム」のカリキュラムを見ていて、いつも思うことがあります。それは、「駄目なリーダーシップ開発プログラム」は「ダシのきいていない寄せ鍋」になりがちだということです。今日の話は、あくまで僕の目からみて、ということなので、それでいい、というのであれば、問題はないのかもしれません。以下は、僕の独断と偏見で書かせてもらいます。

   ▼

「駄目なリーダーシップ開発プログラム」は「ダシのきいていない寄せ鍋」になる

 僕は先ほどそう申し上げました。
 ここで「ダシ」と申しますのは「自組織の次世代のリーダーに届けたいコンセプト・メッセージ」。「寄せ鍋」と比喩されているものは「リーダーに聞いてもらったり、感じてもらったらよいだろうな、と思われるような各種のコンテンツ」です。

 ワンセンテンスで申しますと、

 駄目なリーダーシップ開発プログラムは、「ダシ抜き寄せ鍋」=「コンテンツ盛り込みまくりのごった煮」?になるということですね。

 具体的に、こういうことです。
 まず欠如しているのは「ダシ」ですので、「自組織の次世代のリーダーに届けたいコンセプト・メッセージ」ということになります。
 本来のリーダーシップ開発の手順とは、コンセプトメイキングからはじまります。具体的に申しますと、

 自組織におけるリーダーとは何か? 
 自組織における望ましいリーダーシップとはなにか?
 自組織のリーダーにもって欲しい経験やスキルとは何か?

 などを徹底的に議論し、煮詰めたうえで、精選されたコンセプトをつくり、それに基づいて、内容を決めていきます。

 しかし、これに「熟考」が足りていない場合、多くのリーダーシップ開発プログラムは、それにかかわる人が「ぼんやりと頭の中で描いている幻のリーダー像」を念頭に進行していきます。つまり「もやもや」としたリーダー像、もやもやとした「リーダーシップ現象」、もやもやとした「経験やスキルセット」のもとに、プログラムに含まれるコンテンツを決めていく状況が生まれるのです。

 そして、このリーダーシップイリュージョン状況を「発病」いたしますと、つぎに起こってくるのは「あれも、これも、盛り込み症候群」です。

 例えば、A先生の講話はリーダーに聞かせたいよね。いれよう!
 B社長にはぜひリーダーに活をいれてもらいたいよね。いれよう!
 最近業界で有名なCさんの話は、リーダーも喜ぶよね、いれよう!
 最近、Dというアクティヴィティが流行っているらしいよ。いれよう!

    ・
    ・
    ・
    ・
 なぜこうなるか、というと「ダシ」というか「コンテンツを盛り込むべきか、いなかという判断基準がない」からです。「いれよう!」という話になったときに、それを建設的に批判するロジックがない。「いれないでおこう」となったときにも、判断の妥当性を確認する基準がない。よって、誰かが「入れよう」という話をしますと、そうなってしまうのです。

 かくして、こういう状況が、リーダーシップ開発プログラムの「枠」をすべて埋めるまで続いていきます。これが「コンテンツ盛り込みまくりの水煮的寄せ鍋」ですね(笑)

 そして、ここには2つのものが欠如しやすいものです。ひとつは「AとBとCとD同志の関係」です。しかし、最も深刻なことは「AとBとCとDを通して、結局言いたかった、感じてもらいたかった、経験してもらいたかった次世代リーダーへのメッセージ」なのです。
 これらがない場合、どんなデメリットが生じるか。前者は「プログラムの構成要素間の関係」が「ない」ので、受講者は「なぜ、今、このクソ忙しい中、これやってるんだっけ状況」に置かれます。
 後者の欠如は「それぞれの講義や活動は面白いんだけど、で、なんだっけ(So What?)状態」を引き起こす可能性が高くなります。

  ▼

 研修転移研究の最近の知見(メタ分析)によりますと、リーダーシップ開発プログラムは効果が中程度あるものの、その効果には分散が大きいことが指摘されています。要するに、「目をみはるような素晴らしいリーダーシップ開発プログラム」がある一方で、「ペンペン草もはえないようなリーダーシップ開発プログラム」も存在する、ということですね。

 リーダーシップ開発プログラムは、多くの場合、非常にコストがかかるものです。立ち上げるための費用もそうですが、自組織で第一線級の人の時間をいただくわけですが、その時間的コストは非常に大きくなりがちです。リーダーにそのような期待とコストをかけるのだから、やはり、最も根幹になるコンセプトやメッセージの議論は、リーダーシップ開発プログラムをつくる側も、「腹をくくって」やったほうがいい、と僕は思います。

 要するに、リーダーシップ開発プログラムは「手間暇」かかるのです。
 もちろん、今日のお話は、ある程度、研修全般に関しても言えることだと思うのですけれども。

 そして人生は続く

投稿者 jun : 2014年11月27日 06:21


「連休中のディズニーランド」は「個人のキャラ」を「見える化」する装置である!? :結婚する前には相方を連れて「連休中のディズニーランド」に行こう!?

 先だって、ディズニーランドに家族で伺いました。しかも連休中のディズニーランド(笑)。
 人でごった返して混んでいたことは言うまでもないにせよ、結論からいうと、妹夫婦家族のおかげで、とても愉しめました。ですが、一方で、僕はひとり、興味深い仮説を発見して、ウキウキしていました。

 その仮説的発見をワンセンテンスでのべるならば、

「連休中のディズニーランド」とは「個人の潜在的資質」を「見える化」する装置なのではないか?

 ということです。
 逆にいうと、「個人の潜在的資質」を知りたいときには、「連休中のディズニーランド」を利用するといいかもしれない、ということですね。
 もしかすると、採用とかでも、使えるかもよ?

 えっ、それだけとおっしゃるかもしれませんが(笑)。いやー、思いつきにしては、結構面白いと思うんだけどね(笑)。以下、全く真に受けないで読んでください。くれぐれも申し上げておきます。真に受けないでね、起こらないでね。

  ▼

 つまりこういうことです。

「連休中のディズニーランド」はとてつもなく混んでいて、誰もフラットに「弱ったな」「困ったな」「なんとかならないかな」という心理的葛藤の状況に置かれます。ま、でもどんだけ思ったとしても、どうにもならないんですけどね(笑)人が突然いならないでしょ、今日一日は運命共同体なんですよ、ディズニーランドのエントランスをくぐり抜けた、その瞬間から(笑)。
 実際、この日も、あるアトラクションの行列は「300分待ち」と表示されており、「300分という表示もできるんだ」なんて、僕は感心していました、、、ここまでくると戦意を喪失し、笑えてきませんか?(笑)

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 しかも子連れの場合は、そんなことは子どもはおかまいなしなので長い行列に並んだあげくもうちょっとというところで「パパ、おしっこ」となりますし、「はやくのりたい、のりたい、のりたい」とだだをこねることになります。心理的葛藤マックスですね! ひゃっほー!

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 そして、「誰も」がフラットに心理的葛藤を抱える自体に遭遇してしまった場合、そこには、その人がもっている「個人の潜在的資質らしきもの」が、ポロっと「出てしまう」と思うのです。ふだんは「目に見えないそれ」がポロリンと「目に見えるように」なってくる。どんなに隠していても、ポロリンしてしまうのです(笑)。

 例えば、この日、僕は、少しでも何とか長い行列を短くしようと?、数人でも前に出し抜こうとして、あの手この手をつかって横入りをする方を、2、3、4、5、6、7、8人以上は拝見しました。もちろん、99.9%の方は、きちんと並んでいる。すごいですねー。

 でも、この現象、冷静に考えてみると、数人抜いたところで、少なくなる待ち時間は1分程度もないですよね。列をショートカットして「文句を言われるリスク」とそこから生じるコンフリクトを考えれば、それは「合理的判断」とは言えません。
 たぶん「日常」では、こんなことは起こらないのかな、なんて思ったのです。ディズニーという非日常の祝祭空間で、しかも、心理的葛藤がマックスにならないと、「合理的判断を超えたもの」はでてこない。
 そして、これがディズニーマジックです。ディズニーの魔法は、人の深いところにある闇を「見える化」します(笑)。連休中のディズニーランドは「遊ぶ場所」ではなく、「見える化の舞台」だったんです(笑)

 ディズニーランド近くの道路も、あれ、結構危ないですね。1台でも先にいこうと、結構、無茶な運転をなさっている方もおられました。危ないよ、行かせてあげるから、はやくいって。

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 さらに例えばこの日、僕はケンカしているカップルをかなり見ました。もしかすると、ふだんはうまくいっているのかもしれないけれど、この状況だとね、、、ふだんは見たことがない相手の「潜在的なもの」を見てしまったのかもしれない。ごめん、横で、こんな妄想してて(笑)。まぁ、仲良くしなよ。

 この日、長い行列に並んでいるあいだ、沈黙しているカップルもたくさん見ました。この長い行列に耐えるほど話題をもたせるってのは、よほどウマがあってなきゃね。 
 あと、話題を10、20ストックしたところで、持たないよ、300分は(笑)。だから、その場で、相手とコラボして、今起こっている出来事の中から、話題を創り出す能力や資質がなきゃならない。

 半分冗談で、半分本気でいいますけど、もしかすると、

「結婚前には、結婚を考えている相手と連休中のディズニーランドに出かけてみて、遊んでみるといいかもしれませんね。そうしたら、この人でいいかってことはわかるかもしれない」(笑)

 本当にウマがあっているか。どれだけ話題がもつか。どれだけしっくりして、この時間を愉しめるか。
 「連休中のディズーランド」はたしかに待ち時間は長い。でもね、「結婚後に相手と過ごす時間」は「連休中のディズーランド」よりもずっとずっと長いんだから(笑)。えっ、そんなのカップルなら、ディズニーランドくらい言われなくても行ってるって? こりゃ、失礼しました。真に受けないように。

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 今日は、いつになくしょーもないエントリーでした(笑)。
 でも、当日は、「ディズニーランドは、人の資質を見える化する」という、この仮説を思いついて以降(昼以降)、愉しくなっちゃいました。

 しょーもない仮説ですが、いかがでしょうか? 採用面接とかでも取り入れたらいいんじゃないかな、と思いますが、ダメかな?費用かかりすぎ?

 そして人生は続く

 ーーー

【Translation】

Some days ago, my family went to Disneyland at Urayasu for three consecutive holidays. Many people made long lines at popular attractions because it was consecutive holidays. You can imagine how crowded Disneyland was! Actually I stood in long lines for attractions for some time. Waiting so long, I came up with a hypothesis.

The hypothesis was

"Disneyland on consecutive holidays" has a function of revealing personal traits which people usually hide.

 
Conversely, If you want to know someone's personal hidden trait, you could bring her / him to Disneyland. If so, you'll know what kind of character someone has.

  ▼

 Please let me explain this hypothesis.

As you know, "Disneyland on consecutive holidays" is so crowded that all people become irritated, embarrassed and cannot escape the situation. They have psychological conflicts that they cannot cope with.

One day, the sign at the attraction said "Waiting time is 300 minites."! I wanted to see the people who can wait for 5 hours in order to get on the jet coaster!

What is worse, if you come with your son and daughter, he/she does not care about your psychological conflict. Sometimes they say "Papa, I want to go to the restroom now" just before they can get on the jet coaster. Your psychological conflict becomes maximum.

  ▼
 
 When people face this psychological conflict that they cannot avoid, the personal trait will come up from the bottom of their heart. Even if you hide it in the depth of your heart, your personal trait will rise from the bottom. "Disneyland on consecutive holidays" reveals what kind of person you are.

 For example, the other day, I found some people cutting in the long line in order to shorten the waiting time. Of course, here in Japan, 99.9% people wait in the line in a polite manner. But some people commit this sin.

Another example, I found many couples who had quarrels about trivial things. Maybe they get along with each other in "everyday situations". However "Disneyland on consecutive holidays" reveals how their traits conflict. Maybe they see the other person's latent trait...

I found many couples not speaking, just fiddling with their mobile phones. I thought that they don't have topics to talk about anymore. In order to talk for 300 minutes, their traits need to match!

If you marry someone in the near future, it would be better if you could bring the other person to "Disneyland on consecutive holidays" and spend a long time there. If so, you'll know how good a match your relationship is.

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Today I talked about ""Disneyland on consecutive holidays"" and the hypothesis which came to my mind.

What do you think of this hypothesis?
Anyway, Life goes on...

投稿者 jun : 2014年11月26日 06:39


「そんなの、社長によるよ」という「社長オチ」は本当か?:中小企業の職場における人材育成研究の幕開け

 先だって、トーマツイノベーション株式会社さんから、1通のニュースリリースが発行されました。トーマツイノベーション株式会社様と中原との共同研究で、 中小企業を対象とした「職場における人材育成の実態を解明する」研究をスタートさせて頂くことになったというお知らせです。こちらは、日本産業新聞にも掲載されたようです。


中小企業の人材育成に関する研究に着手

http://www2.deloitte.com/jp/ja/pages/about-deloitte/articles/news-releases/nr20141120-2.html

 以前にも申し上げましたとおり、これまで人材開発研究の多くは、従業員規模300名ー1000名をこえるような、いわゆる「大企業」を舞台として行われきた経緯があります。

 その最大の課題なっていたのは、実務的、かつテクニカリーには、1)調査をお引き受けいただけるリソースが中小企業内に限られていること(工数、人的リソース)、2)調査に値する一定程度大きな母集団を確保できないこと、3)中小企業といっても、非常に多様な組織形態があり、対象を確定するのが困難であること、などがありえます。

 しかし、最大の課題は、もしかすると、中小企業においては、あらゆる施策の企画・実行への「社長・経営者への依存度が高いこと」もありえるかもしれません。要するに「そんなの、社長によるよ」とすべての話が終了してしまう、ということですね。だから、調査してもあまり芳しくない結果がでないと考えられてきた。たしかに企業サイズが大きくない中小企業の場合、社長の意向が通りやすいというのは、想像にかたくありません。

 しかし、それは本当に本当でしょうか。
 たしかに社長の意向は強く働くとは思いますが、社長といっても、創業者から二代目社長、昇進による社長までいろいろいらっしゃいます。また、創業からの成熟度、組織の構造も様々です。

 今回、そのような課題をともに乗り越え、共同研究を開始させて頂くことになり、トーマツイノベーション株式会社の皆様には、心より感謝しています。
 今回の調査では、中小企業を3つの集団にわけ、さらには調査票自体を社長調査票ー人事・経理系調査票、管理職調査票、若手社員調査票という4つの種類をつくり、それらをかけあわせながら、仮説の検証に向かいたいと思っています。

 こうした工夫によって先ほど述べましたような「社長オチ」、すなわち、

「そんなの、社長によるよ」

 が本当にそうなのか、どうかについても、検証できるものと思われます。調査では、これまで培ってきた経験をフルに総動員して、分析を行っていきたいと考えております。

 このプロジェクトは、同社の、真﨑大輔さん、新谷健司さん、渡辺健太さん、鈴木義之さん、濵野智成さん、小暮勝也さん、伊藤由紀さん、五十嵐慎治さん、長谷川弘実さん、そしてアカデミクスからは、中原と保田江美さんが参加しています。

 現在、予備超調査のまっただ中です。おそらく、この間にも現場では、データ収集に骨をおってくださっている方々がいると思われます。心より感謝いたします。
 2015年夏頃には、予備調査、本調査ふくめ、すべての調査を終え、一時的成果を公表できるものと思います。今しばらくお待ち下さい。

 なお、これまでの研究も当然ながら継続していきます。現在、中原が共同研究者とともにメインで推進し、今、動いているのは、下記です。

1)大学生ー企業のトランジション研究の書籍化
 舘野さん(立教大学・研究室のOB)がメインとなって新たな書籍を執筆するべく、研究室有志が頑張っておられます。これまでにない書籍になることでしょう。

2)実務担当者からマネジャーへのトランジションに関する研究
 浜屋さん(研究室M2)、関根さん(研究室OB)との共同研究で、来年にデータがあがってくるのを待っている状況です。

3)ポストオフ研究(マネジャーからの退出研究)
 田中さん(M2)、保田さん(D2)、辻さん、斎藤さんとの共同研究で、ポストオフ後の適応・再適応をおう研究です。こちら、インタビューを行い、研究のリアリティを高めるべく努力している段階です。

 そして人生は続く

投稿者 jun : 2014年11月25日 06:41


「たくさんの場」を行き来しながら、前に進むこと:僕の子育て持論

 やれやれ、今日も「朝の戦争」が終わりました。
 長男TAKUZOが、たったいま
 小学校に出かけていったところです。

 他の子はどうか知りませんが、
 まーま、時間がかかるわ(笑)。

 持ち物チェックをする。
 音読をする。
 服を着る。
 歯をみがく
 トイレにいって
 玄関をでる
 
 書き出してみれば、
 たったこれだけのことなのに、
 毎朝「戦争」(笑)。

 どこの家でも、朝、毎日
 繰り返されていることなのかもしれませんが(笑)
 まーま、時間がかかることですね。

  ▼

 仕事柄、よく聞かれることがあります。

 「中原さんはどんな
  変わった子育てをしているのですか?」
 
 いやぁ・・・「変わったこと」は
 何一つしていません。
 「シンプル・イズ・シンプル」

 受験もさせていませんし、
 行っているのも普通の小学校。
 いつもの宿題をさせて
 普通の通信教材を1枚やらせているだけです。

 ごはんは普通の白飯、玄米ではありません。
 おうちで英語を話してもいません。
 ていうか、そんなことできません(笑)。
 
 要するに

 普通にメシを食わせて、
 寝かせて
 朝起こしている

 だけです。
 「シンプル・イズ・シンプル」(笑)

  ▼

 ただ、唯一思うこと、そして、無意識的に実践していることがあります。
 
 TAKUZOや、KENZOには、

 「たくさんの場を持って欲しい」
  同時に
 「たくさんの場を行き来しながら、前に進んでほしい」

 と思っていることです。

 それは、僕や僕の家族が、日々、実践していることかもしれません。単に「様々な場に連れ回しているだけ」であるような気もしますが(笑)。

 例えば、

 自然に愉しむ人達のあつまる「場」
 釣りをする人達が、それに取り組む「場」
 ワークショップをつくっている人達の「場」
 武道をする人達が集まる「場」

 いろんな場所に、僕は子どもを連れて行きます。

 僕は、自分の子どもに
「たくさんの場=たくさんの人のつながり」を
 持ち、それらを行き来しながら、「前に進んで欲しい」と思います。
 それをマインドといったらいいのか、スキルといってよいのか、このさい、今の自分は「親モード」なので、どうでもいいですが(笑)、そうしたものに当惑しない感覚を、ぜひ、もって欲しいと願います。

 理由は、理論的なことでも何でもありません。 

 「ひとつの場」しか持っていないことは
 「リスク」だと僕が思うからです。
 「唯一の場所」で追い込まれれば、最後。
  ポッキリ折れてしまうからです。

 「ある組織」しか頭にない人は
 組織に裏切られれば苦しくなります。
 人々から断絶されれば、そこで弱ってしまいがちです。 

 勉強しか脳裏に浮かばない人は、
 そこで失敗してしまえば、とたんに追い込まれます。
 人々とのつながりを失えば、目もあてられません。

 逆に、たくさんの「かかわり」をもっている人は、
 ある場でうまくいかなくても、
 他にうつることができます。

 人生はまことに「思うよう」にはなりません。
 そうしたとき、様々な場所を「飛び地」
 しながらでも、前に進むことができます。
 ひとつの場所で、誰かに追い込まれても、
 しっぽをつかまれることがありません。

 人は「つながり」を感じられる場所では、
 絶望することは少ないものです。
 しかし「唯一の場所」で追い込まれ、
 そこに「人々からの断絶」を感じるとき
 人は容易に折れてしまうのだと思います。
 専門家ではありませんが、僕はそう思います。

 うまく「場」を渡り歩いてほしいと思います。
 けっして「世渡り上手になれ!」という意味ではないですよ(笑)。「世渡り上手」というのは、たいてい、「唯一の場所の内部でうまくやっていくスキル」をいいます。僕が子どもに求めたいものは、そういうものではないのです。

 そうではなく、場をいききしながら、
 「自分の心」を自分で「守って」欲しいのです。
 そうやって、何とかかんとか、
 「前に進んで欲しい」のです。
 人々とのつながりを感じながら、諦めず
 前に進んで欲しいのです。

 そうしたなかで、自分の本当に好きなこと、
 やりたいことにすこしずつ近づいていって
 欲しいと思います。

  ▼

 TAKUZOが出て行って
 我が家は、突然「静かな時間」が流れ始めました。
 嗚呼、きっと、今日もあっという間に一日が
 過ぎるんでしょう。
 そして、明日も、また「朝の戦争」がはじまるんでしょう。
 そんなとき、彼の「遅々として進まない準備」を
 横目でみながら
 明日も、きっとこんなことを考えているような気がします。

 そして人生は続く

投稿者 jun : 2014年11月20日 08:15


「大学生研究フォーラム2015」(7/24)がさらに「進化」します! : 「チュートリアルセッションの導入」と「プロジェクト化する大学教育」

 「大学生研究フォーラム」は「大学生のキャリア」「大学ー企業へのトランジション(移行)」を扱うアカデミックケミストリー?なシンポジウムで、毎年、全国から400名近くの参加者へて、京都大学・溝上慎一研究室 × 東京大学・中原淳研究室 × 電通育英会で運営させていただいております。

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 昨日、溝上慎一先生(京都大学)と電通育英会の皆さんと打ち合わせがあり、来年度の日程や大枠が決まりました。お疲れさまでした。

  ▼

 来年の「大学生研究フォーラム2015」は、2015年7月24日(金)@京都大学で開催されます。どうぞスケジュール帳にメモをお願いいたします。

 このフォーラムは、毎年毎年姿を変えておりますが(東大が主催者に名前を連ねさせて頂いたのは4年前からです)、次年度「も」大きく変わります。
 
 ひとつめ。
 近年、学会などでは「チュートリアルセッション(最先端の内容を数時間で学ぶお勉強セッション)」が組まれることが多いですよね。そこで!「大学生研究フォーラム2015」にも「チュートリアルセッション」を導入することになりました。

 前日7月23日(木曜日)には、チュートリアルセッションと称して、午後に3時間のワークショップを開催させていただくことになりました。
 
 テーマは

 「リフレクション学の最前線」
 「トランジション学の最前線」
 「エンゲージメント学の最前線」
 「地域人材育成学の最前線」
 「リーダーシップ開発学の最前線」

 などです(笑)。

 この「チュートリアルセッション」は、各セッション人数20名限定のプレミアセッションとなります。5つセッションがございますので、合計100名! それぞれのセッションで最前線を学んだ100名の方々が、みなで集まり、学習内容を統合するセッション、その後の懇親会も準備しています。
 ご登壇いただくのは、今まさにときめいている若手研究者・実務家の方々に御協力をいただこうと思っています。みなさま、どうぞよろしくご検討をお願いします。

「学になっていない研究領域」に、敢えて挑戦マインドをもって腹をくくり「なんとか学」「ほにゃらら学」とつけるところがマイ・ミソです。「最高・最強に怪しい」ので、このネーミング、小生、気に入っています。

  ▼

 ふたつめ。
 本編24日のテーマも変わります。
 ずばり2015年のテーマは、

 「大学教育に"プロジェクト"は必要か?」

 となりました。

 ここで「プロジェクト」と申し上げますのは、プロジェクト学習(PBL)、問題解決学習(PBL)はもちろんのこと、コーオプ教育、サービスラーニング、企業とのコラボ授業、アクションラーニング、アクティブラーニングなどなど、いわゆる「かつての大学が得意としてきた伝統的なアカデミックディシプリンとは異なる教育内容」をさしています。

 言うまでもないことですが、近年、こうしたものが、大学教育にあいついで導入され始めています。
 僕の言葉でいえば、「経験アプローチの大学教育が増大している」ということになりますし、「プロジェクト化する大学教育」といってもよいかもしれません。従来からの「専門知」に加えて、「仕事につながるような経験」が重視され、大学教育の「内容知」の比重が変わりつつあります。

 しかし、このフォーラムでは、一歩立ち止まって「そもそも論」に戻りたいのです。
 そもそも、そうしたものは、本当に大学教育にとって必要なのでしょうか。それとも不要なのでしょうか。
 必要なのだとしたら、わたしたちは、何に留意しなければならないのでしょうか。

 敢えて「リスキーで挑戦的なテーマ」をつけさせてもらいましたが、今、この課題について皆さんで考える時間を持ち、建設的な議論ができるとよいと思っていますし、400名の皆様と、それができると信じています。

 7月23日、24日ですよ! 京都でお会いしましょう!
 どうぞお楽しみに!

投稿者 jun : 2014年11月19日 07:57


「教えることの知識・スキル」を学ぶ「インタラクティブ・ティーチング」明日開講、登録者最終募集中です!:5000人の仲間と一緒にネットで学んでみませんか?

 「教えることのスキル・知識」を教える東京大学ネット公開講座「インタラクティブティーチング」(MOOC)が、いよいよ、明日11月19日・午後3時スタートです。

 教えることのスキル・知識を学びたいすべての人々へ

 ー突然、研修で話してくれと言われた現場のマネジャーの方々
 ー突然、人事・人材開発部への異動を命じられた方々へ
 ー突然、プレゼンテーションを頼まれた方々へ
 ー突然、面接試験・模擬授業をやらなければならなくなった
  大学院生の方々へ
 ー突然、FDをまかされた大学教員の方々へ
 ー突然、みんなの前で話してくれ、と言われた方々へ
 ーMOOCやオンラインで学ぶことにちょっと興味をもった方々へ(笑)
 ーちょっと新しいことにチャレンジしてみようと思った方々へ
 ーやってみたいけど、途中で挫折しそうだしどうしようかな、と思っている方々へ
 
 ・・・勇気をもって、動こうとするすべての人々へ

「インタラクティブ・ティーチング」は、そんな方々へ「学びの場」を無料でご提供させていただきます。

 とうとう昨日応募人数が5000人を突破しました!
 正確にいうと「5193」名の方々に(11月18日段階)、明日から、「インタラクティブティーチング」で学んでいただけることになりそうです。心より感謝いたします。ありがとうございました。修了者には履修証が交付されます。

 まだご登録がお済みでない方、もう少しあとから登録しようと思っていた方へ、どうぞご登録をおはやめにお願いいたします。無料ですし、どなたでも学ぶことができます。

 できることなら「学ぶこと」は「同じスタートライン」から、和気藹々とはじめたほうが「愉しい」と思います。もしお近くにお知り合いの方がいらっしゃったら、ぜひ一声かけていただけますと幸いです。
 もしかすると、やってみたいかな、と思う方も、下記のお申し込みページからご登録をおすすめいたします。

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東大MOOC講座「インタラクティブ・ティーチング」受講登録はこちら!
https://lms.gacco.org/courses/gacco/ga017/2014_11/about

  ▼

 講師陣は超多彩な方々ばかりです。

 各領域で第一線をはしる研究者の方々、実務家の方々が語るトークセッションが用意されています。
 中には、俳優さん・演出家さんによる「学生・聴衆を巻き込む場のつくりかた」に関する演技指導も含まれます。企業教育や組織変革にたずさわっておられるコンサルタントの方もいらっしゃいます。ワークショップを日本で広めた方もいらっしゃいます。そんな彼らの語りにも耳を傾けてみたいと思いませんか?

担当教員
 栗田佳代子(東京大学・特任准教授)
 中原淳(東京大学・准教授)

ゲスト講師
佐藤浩章先生(大阪大学・准教授)
 藤田将範先生・渡辺修也先生(音楽座ミュージカル)、
入江直樹先生(東京大学・准教授)
 上田信行先生(同志社女子大学・教授)、
加藤雅則先生(株式会社アクション・デザイン・代表)
 苅谷剛彦先生(オックスフォード大学・教授)
 へルマン・ゴチェフスキ先生(東京大学・准教授)、
斎藤兆史先生(東京大学・教授)
 渋谷まさと先生(女子栄養大学・教授)
 高木晴夫先生(法政大学・ 教授)
 成田秀夫先生(河合塾教育研究開発本部・開発研究職)
 平岡秀一先生(東京大学・教授)
 本田由紀先生(東京大学・教授)
 三宅なほみ先生(東京大学・教授)
 山内祐平先生(東京大学・准教授)
 山邉昭則先生(東京大学・特任講師)
 吉見俊哉先生(東京大学・教授)

 どうぞふるってご参加いただけますと幸いです。

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東大MOOC講座「インタラクティブ・ティーチング」受講登録はこちら!
https://lms.gacco.org/courses/gacco/ga017/2014_11/about

  ▼

 最後になりますが、ぜひおすすめなのは「個人で学ぶこと」もさることながら、お近くの方で勉強会や研究会をつくって「みんなで学ぶこと」です。もうすでにご登録の方も、お近くの方やFacebookのお友達に一声かけてみませんか?
 
 一般にMOOCは、「個人がいつでも、どこでも、学びたいときに、学びたいことを学べる環境」と考えられています。
 が、でも、せっかくなら、これをよい機会に、信頼できる人たちに声をかけ、「興味関心をともにする人が、学びたいときに、学びたいことを、つながりながら、愉しく学ぶこと」に挑戦してみませんか。

 あっ、そういえば、「インタラクティブ・ティーチング」に興味をもちそうな人が、あそこに一人いたな・・・。これを「言い訳?」にして、一声かけていきませんか?

 もうすでに、いくつかのパブリックビューイングが予定されていたり、勉強会や研究会があると伺いましたが(心より感謝いたします)、そんな風に、「皆さんで学んで」みませんか?
 わたしたちがめざすのは「インタラクティブ・ティーチング」をきっかけにしたムーヴメントです。
「学ぶこと」「変わること」に関する少し真面目で、静かな、しかし、愉しげな「ムーヴメント」が、日本の様々な場所に生まれることに寄与できたとしたら、これ以上の喜びはありません。

 明日、インタラクティブ・ティーチング開講です!
 それではコースでお逢いしましょう!
 I can't wait for you

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東大MOOC講座「インタラクティブ・ティーチング」受講登録はこちら!
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投稿者 jun : 2014年11月18日 06:31


「劣等戦隊・先行研究羅列マン」にご用心!? :先行研究をまとめるときに最も注意すること

 今年も、卒論の時期なのか、「先行研究」というワードで検索して、僕のブログを訪れる方が増えているようです。ありがとうございます。
 先行研究のまとめかたに関しては、これまでにも、このブログで、様々な方法・留意点をご紹介させて頂きました。メールで、ある学部学生さんから、ひとつ質問もいただいたこともあり、今日は短く、そのコツについてお話いたします。

  ▼

 先行研究をまとめるうえで最も注意しなければならないことを、ワンワードで述べると

 「劣等戦隊・先行研究羅列マン!」にならないようにする

 ということにつきます(笑)。

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(戦隊といいつつ、一人しかいないじゃん! 時間がないので、あとは省略! 月曜日の朝は忙しい!)

 「先行研究羅列マン!」とは、先行研究をただ単に並べているものをいいます。たとえば、こんな感じ。

 ジバニャン(2008)は・・・・といっている。
 そういえば、
 ウィスパー(2007)は・・・・といっている
 ところで
 コマさん(2006)は・・・・といっている
 さて
 ワルニャン(2009)は・・・・といっている
 やっぱり
 ジバニャン(2008)は・・・・といっている(笑)
   ・
 といっている感じです。以前にも、この話はしたことがありますね(笑)

 要するに、上の状況をワンセンテンスで述べると

 ジバニャンとウィスパーとコマさんとワルにゃんの言っていることに、何ら「整理」や「まとめ」や「比較」もなされておらず、ただ知見が「並べられているような状況」

 です。
 そして、これが「先行研究羅列マン」です。

 先行研究をまとめるとは「先行研究を並べること」ではありません。「先行研究をまとめる」とは「先行研究を比較・整理して、論旨を導くこと」をさしています。

 具体的には、先行研究のまとめるときには、

 1.先行研究同士の比較検討をする
 2.似た先行研究をまとめてグループにする
 3.先行研究同士の違いを言葉にしてクリアにする

 などの、高次な知的作業を行う必要があります。そうした作業を通じて、自分の論旨につながるような整理をしていきます。
 詳細は、下記のブログに論じてありますので、ぜひ、またお暇なときにでも!

先行研究をまとめる5つのプロセス、陥りやすい3つの罠
http://www.nakahara-lab.net/2011/10/post_1803.html

先行研究の探し方:レビュー論文には「過去への入口」と「軸」と「これからの課題」がある!?
http://www.nakahara-lab.net/blog/2013/10/post_2101.html


先行研究をたくさん読んでも、いいアイデアが浮かばないのはなぜか!?

http://www.nakahara-lab.net/2014/01/post_2163.html

 ▼

 11月、12月は論文の季節です。

 特に、学部時代に各「卒論」というのは、我が国の高等教育が誇るべき「知的文化」であり(学部時代に卒論を書くことは、グローバルでは、必ずしも多くはありません! 近年、これが日本の大学でも失われつつあることが、少し気になっています)、この知的探究を通じて、成長する学生さんは少なくないと、僕は実感しています。

 ハードではあるとは思いますが、ぜひ愉しんでください。
 「先行研究羅列マン」にならず
 素晴らしい「知的探究の旅」を!

 そして人生は続く
 

投稿者 jun : 2014年11月17日 08:13


「飲食店退店後の5メートル以内の本音」を探る!? : ヒアリングとアンケートの違いとは何か?

 飲食店を出て
 五メートル以内で
 ポロって出てくる
 「本音」を耳にしたい

 仕事柄「ヒアリング調査」というのをよく行います。ヒアリング調査というと、聞こえはいいですが、要するにやっていることは、組織の中で働く人々、マネジメントやリーダーシップに苦闘する人々に、貴重な情報をうかがい、その方のお話をひたすら伺うことです。それは非常に生々しい作業であり、言ってみれば、泥臭い作業です。

 先だっても、ある会社の方々の4名のマネジャーの方々に話を伺う機会をいただきました。
 アレンジしてくださった同社・人事のHさん、貴重な生の経験を話してくださった皆様に、本当に心より感謝しています。

  ▼

 ヒアリングに出かける際、いつも願っているのは、「対象の方々の住んでいる世界観」、「対象の方の創っている意味空間」に、短い時間ではありますが、ほんの少しでも、「振れること」ができれば、という思いです。

 ヒアリングは一回45分。
 忙しいビジネスパーソンに時間をいただくことは、あまりにも心苦しいので、一般的な聞き取り調査では平均ざっくり1時間なのでしょうが、僕は、最近、45分間に絞るようにしています。
 研究者としては、「できれば、あと15分!」と言いたいところなのですが、そこは現場の方々中心で行かなければなりません。ですので、45分間で、いかに、対象者の方のリアルに迫ることができるか、が僕の勝負です。

 しかし、この真剣勝負、僕の技量がなく、うまくいかないことも決して少なくないものです。ヒアリングの出来不出来は、「100%、聞き手の責任」です。
 本当は、その人のもっとも深いところにあるリアルな声」を僕がうかがえればいいのですけれども、そこは僕も修行中、なかなかうまくいきません。
 
「うかがいたいひと言」をあらわすメタファとして、それを喩えてみれば、それは

「わたしたちが、飲食店を出てから、五メートル以内でポロっと出てくるような本音のひと言」

 とも言えるのかもしれません。

 皆さんが、飲食店を出るとき、そんな「一瞬」はないですか?
 飲食店を出る。1歩、2歩歩き、店から少し離れたなと思うとき、もっともリアルな「店への本音」を皆さんは語りませんか?
 そして、今まで一緒に食事をしていた相方に、ふっとひとこと話しかける。

 「美味しかったね・・・あのハンバーグは・・・だねぇ」

 とか

 「いまいちだなぁ・・・何が惜しいのかなぁ・・・」

 ここで出てくるひと言というのは、決して、質問紙調査(サーベイ)をやって出てくる知見とは違うような気がするのです。

 それは「5・4・3・2・1」「はい / いいえ」のスケールでは、捉えきれないひと言。「飲食店を出たあとの五メートル以内の本音」は、店内にある店が用意した「お客様満足度調査」では捉えきれない本音が含まれています。

 もし自分に本当に技量があったら、そんなひと言をうかがえるようにインタビューにのぞみたいものです。

(サーベイや質問紙には、よいところも多々あります。それが捉えるリアリティは聞き取りの捉えるリアリティとは異なりますが、僕にとってはなくてはならない手法です。僕は方法論に関しては「恥知らずの折衷主義」をとっています。いいよ、何と言われても、恥知らずで!)

  ▼

 今日はヒアリング調査のお話をしました。
 自分としても「ガッツポーズ」を思わずとりたくなるヒアリング調査は、なかなか実現しませんが、それは「100%、聞き手の責任」。今日も修行を重ねるしかありません。

 しかし、難しい時間ではありますが、研究上のアイデアの80%を思いつくのは、僕の場合は、このヒアリングの時間です。現場の方々の「生の声」の聞き取りを重ねることで、「これだ!」と思える一般化可能な命題が浮かびます。

 お話を伺わせていただける方々に、今日も感謝です。
 そして人生は続く

投稿者 jun : 2014年11月14日 07:03


組織開発と人材開発の「違い」とは何か?:「実践の不純さ」と「学問の先進性」!?

 先だって、某学術雑誌編集部から「組織開発論と人的資源開発論(人材開発)の違い」について論じて欲しい、というオーダーがあり、夜な夜なうーん、うーんと考えています。

 いや、わたくし、今、研究者ぶって、かっこつけました(笑)。
 ホントのことをいうと、英語の専門書を数冊寝室に持ち込んだはいいものの、専門書をひらいた途端に「おやすみ三秒、のびた君状態」になっているだけ?のような気もします。
 が、それでも、諦めず、しつこく、毎日「おやすみ三秒」していれば、少しずつわかっってくることが増えてきます(自爆)。

  ▼

 いっぱんに、組織開発論と人的資源開発論(人材開発論)は「違うセオリー」と考えられています。しかし、考えていけばいくほど、これらの違いは怪しくなってきます。

 誤解を恐れず、ざっと述べるならば、

・人的資源開発論は、もともと「個人」にフィーチャーしていたけれど(今もメインストリームはそうです)、1985年くらい以降は、実務上のニーズをうけて集団レベルの開発(チームの開発)、組織レベルの開発も、概念に含み混むようになってきている。つまり、定義のレベルで次第に概念拡張がなされており、いまや、この違いを論じることは難しい。人的資源開発論の観点からすれば、組織開発はその下位概念として位置づけられる傾向がある。

・組織開発論は、組織・集団レベルの開発(つまり、集団として、組織としてスムーズに働き、かつ、成果を残せるようになるってことですね)が着目されているが、そのルーツをさぐってみると、Deweyのexperiential learning(経験学習)に位置づく(NTL Handbookでそう明示的に書いてありますがな)。そして、Deweyの議論は、実は「個人」レベルで行われる学習の原理である。こののち、この「個人レベルの学習原理」が、Lewinの集団実験と出会い、実務的ニーズから、個人レベルから組織レベルに概念拡張される。誤解を恐れずに述べるならば、組織開発論とは、「組織を意識して、組織レベルでなされる個人の開発=経験学習」とも解釈できる。

 ここまで重ねてきた読書から、ざっと書けば、こんな感じです。ま、より詳細な議論は、1月発行の某学術雑誌に投稿しようと思っています。
 
 ここから思うことをひとつだけ(時間が無いので!きゃー!)。 
 どちらの概念も、強い実務的ニーズに基づいて、実践が先行し、様々に概念拡張され、場合によっては、その境界が曖昧になっていることが言えると思います。でも、それが「ダメなこと」かというと、学問上はNGなんだけど、僕は必ずしも、そう思いません。
 人的資源開発論にしても、組織開発論についても、「論」として成立しているだけではあまり意味がなく、「実践されて、役立てられてナンボである」と僕は考えるからです。

 だとすれば、わたしたちが為すべきことは、論の境界が曖昧で無化していくこと、すなわち学問的にNGであることを「嘆くこと」ではないように思います。

「実践」は「学問」のために存在しているわけではありません。 
多くの場合、「学問」が、ある朝、一夜にしてなくなったとしても、さしあがって「実践」は何事もなかったかのように「継続」します。
 経営学がなくなっても、経営はなされます。組織論がなくなっても組織が継続し、学習論がなくなっても、人は学ぶのです。

「学問」が「実践」をキャッチアップできていないのなら、反省するべきは、「実践」に「不純」というラヴェルをうつことではありません。反省するべきは「学問の先進性」であり、リアルをすくい取ることのできなかった愚鈍さでしょう。自戒をこめて申し上げますが、僕の研究領域に関して言えば、学問は常にリスクをとって前進し続けなければならないと思います。

 具体的には、私たちになしうることは「人的資源開発論」「組織開発論」ーいわゆる個人か、組織かーというダイコトミー(二分法)を見直し、それにかわるワンワードを生み出すことではないか、と思うのですが、いかがでしょうか?

 その分け方、いいけど、リアルじゃないんだよね。
 そして人生は続く

 --

追伸.
 この仕事を通じて、痛切に思ったのは、人的資源開発論についても、組織開発論に関しても、英語で定番と言われるハンドブックやテキストに関して、現段階で日本語で読める書籍は、ほとんどないことです。とはいえ、今の僕に翻訳する時間があるかっていうと、ほぼゼロなので、困ったものです。後者の組織開発論に関しては、ご専門の方が他に多数いらっしゃると思うので、きっと翻訳書が出てくると思うのですが、前者に関しては、思うところがあります。また考えます。

投稿者 jun : 2014年11月13日 08:08


「コミュニケーション能力がある」とは「オレが何にもしなくていい状態」!? : 「最近の学生はけしからん!」に対して一教員が思うこと

 最近の学生は、ちょめちょめがダメだ
 大学はちゃんとしてない!

 最近の学生は、ほにゃららが、全然なってない
 大学はけしからん!

  ・
  ・
  ・

 こうした意見を、企業の方から、年に2度くらい(?)頂戴することがあります。立場上、大学の外で講演することや、マネジャーの方とお話することも多いので、おそらく、そういう機会が多くなってしまうのでしょう。

 僕のような「下っ端なんちゃって大学ピーポー(!?)」に、そのようなことを申し上げられても、まことに対応に苦慮するのですが、こういう機会ですので、その場では、ありがたく拝聴し、ごく希に意見交換をしています。
 特に、このようなまことにありがたいご意見を、僕に浴びせかけていただけるのは、オジサマに多いような印象があります(そうでもないかな・・・)。

 ▼

 でも、先ほどの「ちょめちょめダメ」やら「ほにゃららNG」に敢えて言わせてもらうならば、一教員としては、

「そんなに、最近の学生は、ダメですか?
   全く、そんなことないと思うんですけどね」

 というか、むしろ、「昔よりもかなりいい線行ってるよ」と思いますし、ちょっと前よりもかなり「よい方向」に変化しているような気がします。そんな風に感じる人は少なくないと思うけどなぁ、、、どうなんでしょ。まぁいいです。僕は少なくとも100%そう思います。

 特に、問題に思うのは、

「最近の学生はダメ」だというが、オジサマたちが若い頃の「過去の学生はOK」だったのか?

「最近の学生は、ちょめちょめはダメ」だというが、その「ちょめちょめ」への要望は、本当に妥当なものといえるのか?

 ということですね。
 以下、この2点について考えてみましょう。

  ▼

 まず、前者に関して。
 僕は、もう東京大学に赴任して10年以上が立ちますが(このことの方が驚愕!タイム・スーパー・フライ?ですな、意味不明)、少なくとも僕が受け持つ学部の授業では、年々、学生の知的レベルやモティベーションのレベルが上がっているように感じるのは、気のせいでしょうか。

 先だっても、学部で授業をしていて、学生のプレゼンを聞いたあとで(仕事なので、スパイシーなダメ出しはします)、思わず、密かに、近くにいた助教の先生につぶやいてしまいました。

「こういうプレゼンや、グループワークは、同じインストラクションをしても、10年前の学生は出来なかったよ。ロジックはまだまだ甘いけれど、たいしたもんだ。あと2年学部時代をちゃんと過ごせば、まだまだ伸びる。学生も、この10年で本当に変わってるよね」

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 読者の方の中には、「そんなの東大だけだ」とおっしゃる方もいらっしゃるかもしれませんが、僕は高等教育の専門家ではないし、また手持ちのデータがないので、それはわかりません。上記の認識は「東大学内の変化」として、僕個人が思っていることです。少なくとも僕の出会う学生に関しては、上記のような感想をもちます

(ちなみに、各種の調査結果によると、2000年代後半から授業の出席に関していえば、8割以上になっていると思います。ただし、大学生の学外での勉強時間の少なさは、いまだに課題でしょうか)

 データは特にないですが、さらに時間をさかのぼれば、また少なくとも僕が学部時代を過ごした20年前は、もっとやる気のない学生はいたような気がするし、いい加減だったような気がします。
 かつて大学が「レジャーランド」と呼ばれていた時代(オジサマたちがブイブイ言わせていた時代?)、「授業に出る、出ないは学生の勝手」。大学時代は1にサークル、2にバイト、34がなくて、5に恋愛?でした。

 つまり、過去と比較して「最近の学生は・・・だ」という場合に、その比較は妥当なのか、という疑念がわいてきます。

 疑念フツフツ。

  ▼

 次に「後者」に関して。
 よく「最近の学生は、ちょめちょめはダメ」だとよくいいますが、この「ちょめちょめ」をよくよくひも解いて?みますと、意外によくわからないことが少なくありません。

 たとえば「最近の学生は、コミュニケーション能力がない」というおっしゃる方がいらっしゃったとします。
 あんまりにも強くそうおっしゃるので、(思わず、よせばいいのに、中原スイッチが入って!:僕はロジック攻撃モードに入るとき、スイッチが入る顔をするそうです。先だって、ある人事部長さんに指摘されました、笑。でも、そうなると、小学生だろうが、大学生だろうが、ビジネスパーソンだろうが、死んでも容赦はしません。たぶん、そういう、容赦ない顔をしているんだろうなと思います)思わず、別の問いかけをしてしまったことがあります。

「じゃあ、○○さんは、新入社員の、どんなシーンを目にしたら、コミュニケーション能力が発揮されているな、とお感じになるんですか?」

 と伺います。

 そうすると、これに対する答えは長い答えでしたので、余計な部分を「はしょり」ますが、

「敢えて言葉にしなくても、こっちの言いたいことを読んで、動いてこっちが何にもしなくても、成果をあげるような感じ」

 とおっしゃいます。
 本当はもう少し長いのですが(30分!)、敢えて要点のみはしょると、こんな感じです。

 上記をそのまま解釈しますと、要するに「コミュニケーション能力がある」とは「場を読むこと+成果をあげること」であり、それらがオジサマからの働きかけがゼロでも、つまりは「何にもしなくても(行為レベルの働きかけ)」、「何の言葉かけもしなくても(言葉レベルの働きかけ)」達成されてしまう状況ということになります。

 要するにね、

 コミュニケーション能力があるとは「オレが何もしなくていい状態」

 ということですね。

 オジサマの方も忙しい。多忙なのはよくわかっているので、あまり申し上げないのですが、あんまり強くおっしゃるので、敢えて言わせてもらうと、

「あなたが、何にもしたくないだけじゃん」

 と思っちゃうのは、僕だけでしょうか。新入社員なんだから、できないことあるのはアタリマエじゃんとも思います。
 あと、「本当はもう少し長いのですが(30分!)、敢えて要点のみはしょると、こんな感じです」と、僕が書かざるをえないことから、今、自分がおかれていらっしゃる状況を察していただきたいのです。

「若者と自分、どちらがコミュニケーション能力がないのか」を(爆)。

 あんまり強く執拗におっしゃるので(笑)、ついつい、スイッチが入ってしまい、脳裏に浮かんだことを申し上げてしまいました。本当に申し訳なく思います、言い過ぎていましたら、すみません。

 でもね、本当にこうした場合、オジサマたちの考える「コミュニケーション能力へのニーズ」って、妥当なものといえるんでしょうか。
 少なくとも、かえすがえすも、不思議な概念です、コミュニケーション能力は。
 僕には1ミリも理解できません。

 ▼

 今日は「最近の学生ちょめちょめ?NG」と「最近の学生ほにゃららダメ出し」?について書きました。

 今、僕は講演のスライド2本、論文2本、書籍原稿1を抱えていて、本当は朝っぱらから、こんなしょーもないブログ記事を書いている暇は1ミリもないのですが(てめー、〆切すぎてんぞ、こらとキレておられる方もいるでしょう・・・すみません)、もう「習慣化」してしまっているので、朝起きると、自動的に書いてしまうのでございます。

 そろそろ6時30分ですね。
 みなさま、おはようございます。

 そして人生は続く
 

投稿者 jun : 2014年11月12日 06:42


部下の仕事を「組織の戦略」に紐付ける方法!? : 定例職場ミーティングのアジェンダを工夫する!?

 自分の仕事が、会社・組織の戦略の中でどんな意味をもっているのか、わからない

 自分たちの職場の方向性が、会社・組織の目標にどのように沿っているのかが見えにくい

 こうしたことは、職場において、頻繁に起こることです。人は、全体像や方向感のわからないものについていけるほど、忍耐強いものではありません。この状態が行きすぎると、仕事をするときの「やらされ感」が高まっていくことになります。

 こうした状態を防止するため必要な行動で、「職場メンバーに仕事の目的・目標を積極的に意味づけていくマネジャーの行動」が、拙著「駆け出しマネジャーの成長論」で論じた「目標咀嚼」に他なりません。

 目標咀嚼とは、「職場メンバーが組織の目標・目的をよく理解できるように、彼らにとってわかりやすい言葉で、それを意味づけていくこと」を意味します。部下育成、多様な人材活用、すべてのマネジメント行動の基礎をなす最も重要な行動のひとつです。

  ▼

 先だって、某所で出会った、あるマネジャーさんは、これに関して興味深い「工夫」をなさっていました。目標咀嚼といっても、「わかりやすく喋ること」には限界もある。ならばどうするか?

 その工夫とは、職場のミーティングの際に、発表のアジェンダを「逆」にしているのです。

 一般的な職場の定例ミーティングのアジェンダは、

 1.経営・会社の方向性に関するニュースをマネジャーが話す
 2.職場各メンバーが個々のプロジェクトの進捗を報告する

 だと思うのですが、これを「逆」にしました。
 すなわち、

 1.職場各メンバーが個々のプロジェクトの進捗を報告させる

 そのあとで、

 2.経営・会社の方向性に関するニュースをマネジャーが話す際、1で話した部下の仕事を、それに関連づけて話す

 という風になさったというのです。

 非常に簡単な工夫ではありますが、自分の仕事の意味や意義を、会社の方向性に関連づけて話すことができるので、効果的であるような気がします。

  ▼

 仕事柄、本当に多くのマネジャーさんたちにヒアリングの機会をいただきます。お忙しいところ、貴重なお時間をいただき心より感謝いたします。うかがったお話しは、研究の際の貴重なデータとさせていただきますが、そちらで得られた実践知を、何とか、ブログなどでも、お伝えできればと思っています。

 そして人生は続く

投稿者 jun : 2014年11月11日 08:31


「エクセル上のリアリティ」症候群を抜けだそう!? : 手間をかけて「生声」と対峙する経験のすすめ!?

 季節はめぐり、11月も半ば。この頃になってくると、来年度開講されるコースや研修の様々な企画打ち合わせの仕事が入ってきます。

 ありがたいことに継続をいただいているコースや研修では、来年は、どんな工夫をしようか、と考えをめぐらせています。
 今年の評価データを見ながら、いったい何がよくて、何がだめだったのかを振り返ります。そのうえで、何をどのように継続し、何を変えるかを、担当者の皆さんと一緒に考えていくのです。それは「果てないあやとり」のようなものです。そうしたサイクルが、年内一杯続きます。

 ▼

 来年度、コースの改善をはかるにあたり、特に自分として強化したいと考えているのは、

 ビジネスパーソンの皆さんに、現場に「足」をむけ、現場の「生声」を聞き、それらを「手」で整理すること

 さらには

 取得してきたデータに「机上」で徹底的に向き合い、議論をしながら、時に葛藤をおぼえつつ、概念を創り出す(創造)経験

 を持って欲しい、ということです。そういう経験を、各種のプログラムの中に導入していきたいと考えています。

 前者は「足・生声・手による情報収集」、後者は「机上・議論・葛藤による概念創造」というのでしょうか。
 ひと言でいえば、プログラムの中の「フィールドワークの経験」と「知識生産の経験」を徹底的に強化するともいえるのかもしれません。

 ▼

 最近、とみに思うのは、私たちの生活が、それとは「逆の極」にふれているという、自分自身の「危機感」です。

 わざわざ現場に足を向けなくても、わざわざ自分の手を動かさなくても、「エクセル上にまとめられた数字」「箇条書きされた顧客のニーズ」に「リアリティ」があると感じてしまう。

「ははーん、ここんとこ、この数字しかでないんだ。こう来ましたか、ははーん。じゃあ、そっちの数字、ちょっと次回はあがるように、何できる?」
 
 また、わざわざ机上でデータに向き合わなくても、「ほにゃららソフト」に質的データをかければ、「なんとか分析」によって、生声を客観的に整理する軸がつくられ、もっともらしい4象限ができあがる。
 あとは、この4象限に、いかにもなネーミングをすれば、概念のいっちょ上がりです。すなわち「機械のつくりだした整理の軸」におぼれてしまう。

「データ入力完了。これで、どうだ! はい、二軸出ましたね。ははーん、こうきたか。ここまとまったのね・・・じゃあ、これでいこうか」

 もちろん効率性や合理性が重視される世の中においては、そうであっても致し方ない「過酷な現実」もあるのかもしれません。
 しかし、せっかく日常を離れ学ぶ機会を得るのですから、もっとも非効率で、しかし、自分の頭をフル回転させざるをえないものを、もっと導入したいと考えています。

 わたしたちは「エクセル上のリアリティ」「(マシンの創り出した)もっともらしい整理軸」を今一度相対化しなければならない。そんな月並みで、凡庸なことを、思います。
(本当のことをいうと、もっともっと生声に近づく時間を、今の10倍くらい僕自身が欲しているのかもしれません)

 ▼

 以上のように僕のやりたいことは、明確です。
 しかし、これを一般のビジネスパーソンにもわかるかたちで、しかも限られた時間の中でレクチャーを行いながら、演習を行うというのは、なかなか大変なことです。

 まず意義を理解してもらうところから大変なのです。

「顧客の声? そんなの、聞いてるよ。調査会社に大枚つっこんでんだから」

「手と足を使って、現場の情報を収集する? そんなのやってるよ。現場からは月1でレポートをださせてるから大丈夫だよ」

 ここからのスタートです。
 今年度も、これに近いことをやったことはあるのですが、わたしのインストラクションが薄かったのと、また時間がうまくとれなかったことから、なかなか深めきれなかったな、という実感があります(これは心から反省しています)

(本来は、こういうねっとりした問題解決の授業は、そもそも大学教育に向いていますよね。たとえば、僕は、近い将来、人材開発のプロフェッショナルを大学・大学院レベルで育成したいと考えていますが、こうした演習的な授業をやってみるのも面白いですね。通年4単位くらい使えば、それはゴッツリ、ねっとりしたフィールドワークができそうですね。そういうの、たぶん、授業する方も腹をくくる必要があるけれど、ぜひやってみたいですね)

 既存に出版されているアカデミックな書籍なども、ビジネスのコンテキストからはかけ離れているし、一般にビジネスの領域で出版されているそれは、アカデミックな背景を漂白しすぎている感覚があります。

 さて、どうしたものかな。
 担当者の方々と議論しながら、今は、自分たちにできることからはじめましょう。新しいものをつくりあげる、悩ましくも、愉しく、苦しい時間が続きます。

 そして人生は続く

投稿者 jun : 2014年11月10日 08:57


【参加者募集中!】「よるのほいくえん」で見つける「創造性のカケラ」ワークショップ : 砂場で遊んでいたあの頃に、ひととき、戻ってみませんか?

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【よるのほいくえん】で見つける「創造性のカケラ」ワークショップ
「忘れていた創造性」を「感じ直し」、自分を再発見したい大人たちへ
砂場で遊んでいたあの頃に、ひととき、戻ってみませんか?

 日時:11月26日(水)19時00分-21時30分(開場18時40分)
 場所:港区にあるインターナショナルスクール(幼稚園)
 主催:ほしぐみ(fromアトリエMALLプロジェクト)

お申し込みはこちらから:http://goo.gl/forms/dIHmbeZaYy
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「米国で2011年度に入学した小学生の65%は、大学卒業時、
今は存在していない職に就くだろう。」
デューク大学 キャシー・デビットソン
(2011年8月ニューヨーク・タイムズ)

今後、20年も経たない間に私たちの仕事は大きく変わると予想
されています。このようにダイナミックに変化していく時代には
与えられた「答え」に従うのではなく、自ら「問い」を見つけ
出す「創造性」を持った人材が求められるのではないでしょうか。

そのような人材を育てるためには、知識やスキルを教えるという
よりも、自らで何かを発見するような「創造的な学び」を促すこと
が大切であると考えます。ただ、長年、「正解」を追い求めて
きた私たちは、そのような発見する学びを見失いがちです。

でも、思い出してください。

私たちは、子どもの頃、外界のあらゆるものに興味・関心を示し
探求していたことを・・・。
そしてきっと、日々、何かを発見していたはずです。
大人にもわからない何かを・・・。

今回のワークショップでは、そんな、発見の喜びを忘れてしまった
私たちおとなが「原点」に還り、自らを再発見する機会を
ご提供いたします。

わたしたちが、注目したのは「幼児教育」の世界

その現場では、子どもの学びを促すための取り組みが多くなさ
れています。
平日の夜、オフィスを飛び出して、目指すは「よるのほいくえん」。
子どもの頃に還って、手を動かして、自分の頭で考えて、語り合う。
そんな中から、あなたの原点を再発見してみませんか?

【よるのほいくえん:何をする?】
学びとは、「これはなんだろう?」という好奇心からはじまる
もの。おとなにとっても得体の知れないモノは、世の中には
少なくなってしまいました。今回の学びを発見するための素材
は、「廃材」です。何かを生み出す過程で生まれたカケラは不
思議な形状をしていたり、さまざまな感触、色彩に富んでいま
す。それらの素材に出会うことからはじまり、好きな素材を見
つけ、何かを発見し、対話しながら探求していくプロセスを丸
ごと体験する「あそびのじかん」を経て、その発見をシェアし、
これからの学びについて語り合う「たいわのじかん」を持ちます。

【よるのほいくえん:ナビゲーター】
「あそびのじかん」のナビゲーターには、北イタリアの小さな街
レッジョ・エミリアの教育現場で4年間の滞在研究を行い、現在
日本において子どもの感性や創造力を地域ぐるみで育てていく
学びの場づくりを実践する、石井希代子氏をお招きします。

【よるのほいくえん:場】
子どもの頃の自分を思い出し、発見する学びに立ち還る場として、
子どもたちの息づかいが聞こえる現在進行形の"現場"で開催しま
す。1998年創立のインターナショナルスクール(幼稚園)が今回
の舞台。レッジョ・エミリア・アプローチの導入をはじめ、親・
教師・スタッフによるラーニング・コミュニティによって、子ど
もの創造性を育んでいます。

※「レッジョ・エミリア・アプローチ」
イタリア、レッジョ・エミリア市の幼児教育の現場において40年
にわたり実践されている取り組み。子どもたちの意思を尊重し、
個々に持つ感性を生かすことが最も重要であるという理念の下、
表現力やコミュニケーション能力、認識力を鍛え、自分自身で
考える力、物事への探究心や創造力を育むことを目指している。

【よるのほいくえん:入園条件】
ワークショップで使用する「素材」を集めて頂くことーそれが
入園条件です。勤務先の企業廃材を持ってくるもよし、それが
難しければ近所のお店や知り合いを辿って、魅力的な素材を探
し出して来てください。全員で持ち寄った素材で、
「よるのほいくえん」は動き出します。持ち寄った素材が実際
の幼児教育の現場で再活用されることもあるかもしれません。

たくさんの仕掛けと余白を用意して、「よるのほいくえん」で
お待ちしています。

ほしぐみ
伊藤崇司、佐藤有美、塚原謙治、長島威年、中村有沙、牧野岬

ーーー

■主催
ほしぐみ(fromアトリエMALLプロジェクト)
企業の人事・人材育成担当として働く6人組。現在の人材育成の
あり方に疑問を持ち、志は熱く高く「学びの未来を変えていく。
そして社会を変えていく。」今回を皮切りに、もっとオープンに
ソーシャルに、これからの学びの"環"を拡げるべく様々な活動
を展開予定。

■共催
一般社団法人 経営学習研究所

■協力
一般社団法人インターナショナル幼児教育協会
http://aiece.or.jp

■日時
2014年11月26日(水) 18:40開場 19:00から21:30予定

■会場
インターナショナルスクール(幼稚園)

■参加費・定員
お一人様4,000円、定員20名。
※キッチン☆ボルベール 竹花いち子さんによる「よるのほいくえん」
オリジナルフードと、ドリンク付き。
http://takehanaichiko.com/

■ナビゲーター
石井希代子氏
カラー&イメージ コンサルタントとして資生堂の特別講座講師
色彩心理学や発達心理学を学び、子どもの自由な創造表現空間
『アトリエ・エンジェル』主催を経て、2002年渡伊。レッジョ
・エミリア市の共同性や教育哲学を4年間かけて滞在研究。
現在、日本において子どもの感性や創造力を地域ぐるみで育て
ていく学びの場づくりの実践、及び大学や教育機関にて講座
講師をつとめる。

■内容(予定)
▼イベント開催日まで
・「よるのほいくえん」で使用する「素材」を参加者ご自身の
職場やつながりから入手し、提供していただきます。
・Facebook IDをお持ちの方は、イベントページでの交流・
情報共有を行う予定です。

▼イベント当日 11/26(水)
18:40 開場
19:00~19:20 イントロダクション
19:20~20:50 あそびのじかん
20:50~21:20 たいわのじかん
21:20~21:30 ラップアップ

■参加条件
下記の諸条件をよくお読みの上、参加申し込みください。
申し込みと同時に、諸条件についてはご承諾いただいていると
みなさせていただきます。

1. 本ワークショップの様子は、予告・許諾なく、写真・ビデ
オ撮影・ストリーミング配信する可能性があります。写真・動
画は、ほしぐみメンパー及び経営学習研究所が関与するWebサイ
ト等の広報手段、講演資料、書籍等に許諾なく用いられる場合
があります。マスメディアによる取材に対しても、許諾なく提供
することがあります。参加に際しては、上記をご了承いただける
方に限ります。

2.欠席の際には、お手数でもその旨、
star_ateliermall@yahoo.co.jp まで必ずご連絡をお願い
します。事前準備の関係上、キャンセルは前日までにお願いいたします。

3.多数のご応募を頂いた場合は、抽選とさせていただきます。
11月14日(金)まで にお申し込みをいただき、
11月18日(火)には抽選結果を送信させていただきます。

以上、すべての項目にご了承いただいた方は、下記のフォームより
お申し込みください。「よるのほいくえん」で皆様とお会いできる
のを、楽しみにしています!

▼お申込みはこちらから!
http://goo.gl/forms/dIHmbeZaYy

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企画:ほしぐみ(fromアトリエMALLプロジェクト)
伊藤崇司、佐藤有美、塚原謙治、長島威年、中村有沙、牧野岬
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※追伸.
このワークショップは、経営学習研究所の実施するアクションラーニングプロジェクト「アトリエモール」に参加した参加者の伊藤崇司さん、佐藤有美さん、塚原謙治さん、長島威年さん、中村有沙さん、牧野岬さんが企画・運営実施するものです。アトリエMALLプロジェクトについては、下記の記事をご覧下さい。

『アトリエMALLプロジェクト』を密着取材(田中潤理事)
https://jinjibu.jp/article/detl/eventreport/1062/

投稿者 jun : 2014年11月 7日 22:23


「惨いアクションラーニング」をいかに防ぐか!? : 創造的コンフリクトと破滅的コンフリクト!?

 ここ数年、僕自身、いわゆるアクションラーニングプロジェクトにかかわることが多くなってきました。対象者は学生さんを対象にした授業やら、人材開発の若手の皆さんによるプロジェクトやら、次世代リーダーの方々のプロジェクトなどです。

 アクションラーニングとは、ワンワードで述べるならば「プロジェクト型・探究型の学習手法」であり、ややこしく要素分解して申し上げるなら、下記のような学習活動を含む、いわゆるアンブレラワードということになるのでしょう

 (1)実践と行動に基づく学習を試行すること
 (2)内省を重視した実践であること
 (3)探究的洞察をめざすこと

 アクションラーニングとは、「かくかくしかじかの特定の手続きをとらなければならない」といったものでは「なく」、下記を含みうるような、ゆるやかなマジックワードとして機能しているとお考えになればいいのではないでしょうか。世の中には、多種多様なアクションラーニングがありますので。
 
  ▼

 最近、増えてきたアクションラーニングですが、昨日も駒場で、東大の学部1年生、2年生20名を相手にそれらしきことをしてきました。こちらは、今、学生がグループ4人1組くらいになって、ある企画をねっているところです。昨日は、立場上、仕方がないのですが、昨日は、ゴリゴリのブリザード気味で学生さんの提案にフィードバックをしてきました(面白い提案も多々ありました!でも、まだまだ詰めるところはあるよね。それ、ロジックが通ってないよね?調べるところあるよね?)。

 ところで、アクションラーニングを仕立て上げるとき、いつも悩ましいのが、

「グループでの話しあいのときに生じるコンフリクトを、どの程度、まえもって予防するか?」

 という問題です。

 僕のかかわるアクションラーニングでは、一般に、知らない相手とグループをくんでいただき、多様な社会的背景の人々のあいだで「対話」を行い、様々な葛藤をグループ全員で乗り越えながら、クリエィティブな提案に向かっていただくものがほとんどです。で、ここでハンドリングが難しいのが、先ほどの「コンフリクト」ということになります。

 こちらは持論なのですが、僕は、世の中には「2種類のコンフリクト」があると思っています。2種類のコンフリクトとは「Creative Conflict(創造的コンフリクト)」と「Disruptive Conflict(破滅的コンフリクト)」です。

 要するに「創造につながるような、創造を生み出す際にはやむをえない前向きなコンフリクト」と、「あの人が好きだの、嫌いだのといったような、誤解が誤解を呼んでおこる、チーム崩壊につながるようなコンフリクト」ですね(笑)。
 前者のようなコンフリクトは歓迎なのですが、後者のようなコンフリクトは、やはり抑制したいですよね。生産性にもつながらないし、後ろ向きだから(笑)

 先日の大学院ゼミで、保田さん(中原研D2)が英語文献発表をなさったBehar, Peterson, Mannix and Trochim(2008)のチーム研究の知見によりますと、

 生産性と満足度の高いチームは、

1)メンバーのスキルに応じた仕事分割がなされている
2)スケジュールと仕事負荷の問題が起こる事を事前に予測している
3)妥協する場合には、その背後の理由も考察する
4)内容に関する徹底的な議論をする

 という特徴があったそうです。
 一方、生産性も満足度も低いチームは

1)議論を避け投票に持ち込む
2)安易な解決策にとびつくこと

 が質的データをカテゴリー化した量的研究によって明らかになっていました。

 この知見を真に受けるわけではないのですが、「せっかく」わかっているのだから、チームの作り方、チームビルディングのやり方を、前もって教えたくなってしまいます。
 しかし、あまりに教えてしまい、お膳立てしてしまいますと、本来必要な「Creative Conflict(創造的コンフリクト)」の芽すら、刈り取ってしまいそうな気がして、ちょっと躊躇してしまう自分がいます。

 いずれにしても避けたいのは、「Disruptive Conflict(破滅的コンフリクト)」の支配する「惨いアクションラーニングプロジェクト」なのですが、グループ内部の人々の動きというものは、まことに「生き物」のようなものなので、なかなか悩ましく思っています。

 昨日の学部生さんたちには、ほんのすこしだけ、チームをつくるときに留意しておかなければならないことを言っておきました。おそらく、この数週間で、いろいろな動きをするものと思います。どういう成果を持ってくるか、まだまだ予断を許しませんが、楽しみではあります。

 そして人生は続く

投稿者 jun : 2014年11月 7日 06:43


【参加者募集中!】わたしの「未来」をプチプレビューするワークショップ:仕事と家庭、これからどうなる?、そのときどうする?

 これから起こる困難・葛藤を乗り越えるためのヒントになるのは「これからの自分の未来を前もってプレビューすること」です。このたび、中原研究室の浜屋さんが、

【わたしの未来プレビューワークショップ:「仕事と家庭のバランス」これからどうなる?、そのときどうする?】

 というワークショップを企画なさいました。
 このワークショップでは「仕事と家庭のバランス」という永遠の課題の実態を「前もって」知り、自分がどのようにキャリアを築いたらよいのかを考えます。

 ちなみに、不肖、中原においても「仕事と家庭のバランス」はリアルで現在進行形の大きな課題です。残念ながら、わたしの場合「前もって知るプレビューの機会」はほぼなく、そのまま「ブレーキのないジェットコースター」に家族ともども乗り合わせて?しまいました(笑)。どひゃーーーー(絶叫)

 当日は、僕も参加させてリアルに自分の日常を振り返るつもりです。
 いま、マジで・・・(笑)。
 会場で、ぜひお逢いしましょう。以下の参加条件をよくお読みいただけますれば幸いです。

 ブレーキのないジェットコースター・・・ふるえるぜハート!

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【わたしの未来プレビューワークショップ】
 「仕事と家庭」これからどうなる、そのときどうする?

 「仕事人生+家庭生活」を考えることができます
 「社会人カタログ」から「等身大のヒント」を探せ!

 2014年11月15日(土) 13時ー 東京大学・本郷キャンパス
 申し込みはこちら!http://ikumen-project.jp/visiting/index.php
==================================================

 このワークショップは、「仕事と家庭の両立」という
 社会人にとっては「永遠のテーマ」を、最新の研究知見
 +先輩のストーリーから「前もって」考えることをめざす
 ワークショップです。
 
 これから起こる困難・葛藤を乗り越えるために、今なしうる
 ことは、その実態を「前もって知ること=プレビューすること」
 です。このワークショップでは、「あなたの未来をプレビュー」
 します。

 「仕事と家庭の両立」というと、ついつい「できないよ」と
 尻込みしたり、超スーパーマンを頭に思い浮かべてしまいま
 せんか?対して、このワークショップでは「等身大のヒント」
 として、様々な先達の方々にご登場頂きます。
 
 参加費用は無料です。
 どうぞふるってご参加下さい。

          東京大学大学院・中原淳研究室
                    浜屋祐子

ーーー

○日付
 11月15日(土)13時ー
 東京大学本郷キャンパス・福武ホール

ーーー

○ファシリテーター:浜屋祐子氏(祝・デビュー!)
 東京大学学際情報学府・中原淳研究室所属
 仕事と家庭をめぐるポジティブな関係
 (ワーク・ライフ・エンリッチメント)
 をテーマに研究中。

○ゲストスピーカー(イクメンの星):越智聡氏
深夜残業・休日勤務が当たり前の日々から一念発起し、
育児休業2ヵ月、育児時短勤務2年2ヵ月を取得。家庭
と仕事の両立に日々奮闘する2児のパパ。2010Mr.イク
メンコンテスト準グランプリ者。厚生労働省イクメン
プロジェクト推進メンバー。

(電通 中原越さん、小坂和加奈さんらとのコラボ企画です!)

ーーー

○募集人数
 ・これから就職をひかえる大学生
 ・現在子どもはいないが、今後仕事と育児の両方を行っていきたいと
  考えている社会人

ーーー

○内容

13:00 開場

13:30 第一部・イントロダクション(浜屋氏)
・先輩のストーリーを聴こう!
      「イクメンによるトーク」(越智氏)
・別の角度からも見てみよう!
      「仕事×家庭・ショートレクチャー」(浜屋氏)

15:00 第二部
・等身大のヒントを探そう!
      「社会人カタログ・ワークショップ」
      (社会人との対話型グループワーク)
・全体共有、リフレクション(浜屋氏)
・ラップアップ(中原先生)

17:00 終了予定

○申し込みはこちらから!

「わたしたちの未来プレビュー:仕事と家庭の両立を考えるワークショップ」
http://ikumen-project.jp/visiting/index.php

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投稿者 jun : 2014年11月 6日 07:00


【拡散願い+参加者募集開始】「あなたの仕事を"旅行"に変えちゃうワークショップ」のご案内:「自分の日常」は「他人の非日常」!?

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 あなたの仕事を「他人が愉しめる旅行」?に変える奇想天外なワークショップ?のご案内です。
 「自分の日常」は「他人の非日常」
 そんな「非日常体験」の創造から、自分の仕事の面白さをもう一度見直してみませんか?

  ▼

 世の中には、様々なキャリア系ワークショップが存在しています。
 その多くはモティベーショングラフ書いたり、自己分析をして、作文をしたり、レゴブロックで何かをつくったり(笑)。

 モティベーショングラフや、作文や、レゴがパワフルなのはわかります。
 でも、それで「お茶を濁し」たり、便利なツールで「こなし」て
 いませんか(笑)?

 経営学習研究所 アトリエMALL「S-park」 チームは
 全く新しい「仕事旅行の創造」という世界を皆様にご紹介します。
 ふるってご参加下さい。
 当日は、中原も参加させて頂く予定です。

 See you on Friday!
 
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「あなたの仕事」が「旅行」に変わる!?ワークショップ
「仕事旅行の創造」を通して「自分の仕事のよさ」を知る!?
「自分の日常」は「他人の非日常」!?

 経営学習研究所 アトリエMALL「S-park」
 11月21日(金)19時00分 - 21時30分まで 
 お申込みはこちらから!:http://goo.gl/L1ZY9H
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 本日は、皆さんにちょっぴり愉快で真面目な
 ラーニングイベントのご案内です。

 私たちは「仕事」と聞くと、

 ・真面目に、一生懸命取り組むもの
 ・自己実現の手段
 ・労働により対価を得るもの

 と考える傾向はありませんか?
 それを私達は「仕事のコリ」と表現しております。

 今回はその「仕事のコリ」をほぐすために、
 「仕事を旅行に変える」というワークショップを行うことで、
 仕事に対する見方を変えるちょっとしたヒントを見つけて
 いただこうと思います。

 こういうお話をしますと

 えっ「自分の仕事」がなんて、他の人が聞いても面白くないよ!
 わたしの仕事は「地味」だから、旅行になんてならないよ

 そうおっしゃる方もいらっしゃるかもしれません。
 しかし「自分の日常」は「他人の非日常」!
 そういうことも多々あるのです。 

 当日は、大人の職業体験を提供している株式会社仕事旅行社
 の田中様、内田様をゲストに迎え、私達にとっては日常の仕事を、
 "非日常の旅行"に変えるエッセンスを教えていただきます。

 そして、そのエッセンスを元に、
 参加者の皆さん同士でお互いの仕事を「取材」していただき、
 ご自身の仕事を「旅行プランナー」になったつもりで「仕事旅行」
 に仕立てて頂きたいと思います。

 私たち"S-park"は、「なにかを変えたい人」を支援したい
 という想いから、このラーニングイベントを企画しました。

 さぁ皆さん、私たちと一緒に、
 仕事の見方を変えるラーニングイベントに出かけませんか?
 皆様のご参加、心よりお待ちしております!

 経営学習研究所 アトリエMALL「S-park」
 緒方美穂、菊森 猛、志田京子、周山祐未、
 橋本 諭、丸尾拓也、森 麻子

 ーーー

 ■主催
 一般社団法人 経営学習研究所
 アトリエMALL「S-park」
 ※本ワークショップは経営学習研究所の主催する
 アクションラーニングプロジェクト「S-park」チーム
 によって企画・運営されます!

 ■日時
 2014年11月21日(金)19時00分 - 21時30分まで
 開場は18時40分から

■会場
 場所:最高のプラットフォームで情報を届け
   ひとに響くコミュニケーションスタイルを創造する
   株式会社ネクスウェイ セミナールーム
 住所:〒105-0001 東京都港区虎ノ門4-3-13
 ヒューリック神谷町ビル 5F

■アクセス
 http://www.nexway.co.jp/corporate/access/
 ・東京メトロ日比谷線 「神谷町駅」より徒歩約2分
 ・東京メトロ南北線 「六本木一丁目駅」より徒歩約7分

■参加費
 ・お一人様3000円を申し受けます

■人数
 ・35名様(応募者多数の場合には、抽選)

■飲み物
・軽食、スナック、ビール、ソフトドリンクなどをご用意しております

■内容
1.オープニング 19:00-19:20
・今回の趣旨、S-parkの紹介、ゲストの紹介

2.Session1 仕事旅行社における仕事を旅に変えるプロセス 19:20-19:50
・田中様より仕事旅行社での取組についてお話頂きます

3.Session2 自分の仕事を「仕事旅行」にしてみる 20:00-21:00
・ご自身の仕事を仕事旅行にしてみる

4.Session3 仕事の展覧会 21:00-21:20
・作成した仕事旅行について語る

5.ラップアップ 21:20-21:30

■参加条件
下記の諸条件をよくお読みの上、参加申し込みください。
申し込みと同時に、諸条件についてはご承諾いただいているとみなします。

1.本ワークショップの様子は、予告・許諾なく、写真・ビデオ撮影・
ストリーミング配信する可能性があります。写真・動画は、経営学習研究所
S-parkメンバーないしは、経営学習研究所の企画担当理事が関与する
Webサイト等の広報手段、講演資料、書籍等に許諾なく用いられる場合
があります。
マスメディアによる取材に対しても、許諾なく提供することがあります。

参加に際しては、上記をご了承いただける方に限ります。

2.欠席の際には、お手数でもその旨、
spark@hashimoto-lab.comまでご連絡下さい。

3.応募者多数の場合は、抽選とさせていただきます。
11月12日(水)12:00までにお申し込みください。11月14日(金)までには、
抽選結果を送信させていただきますので、ご了承ください。

お申込みはこちらから
http://goo.gl/L1ZY9H

皆様とお会いできますこと愉しみにしております!

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企画:経営学習研究所 アトリエMALL「S-park」
 緒方美穂、菊森 猛、志田京子、周山祐未、
 橋本 諭、丸尾拓也、森 麻子
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※追伸.
このワークショップは、経営学習研究所の実施するアクションラーニングプロジェクト「アトリエモール」に参加した参加者の緒方美穂さん、菊森猛さん、志田京子さん、周山祐未さん、橋本諭さん、丸尾拓也さん、森麻子さんが企画・運営実施するものです。アトリエMALLプロジェクトについては、下記の記事をご覧下さい。

『アトリエMALLプロジェクト』を密着取材(田中潤理事)
https://jinjibu.jp/article/detl/eventreport/1062/

『アトリエMALLプロジェクト』を密着取材 <第二回目>(牧野岬さん)
https://jinjibu.jp/article/detl/eventreport/1084/

投稿者 jun : 2014年11月 5日 07:00


「教育に熱意をもつ若手大学教員」を採用なさりたい皆様方へ : 採用ページができました!

 新たに「小さなウェブページ」が出来ましたので、こちらでご紹介させてください。ズバリ、「インタラクティブな授業、教育に熱意をもつ若手大学教員を採用なさりたい皆様方へのご案内ページ」です。

ffp_rishusei.png

東京大学:教育にパッションのある若手教員を採用したい方へのご案内ページ
http://www.todaifd.com/recruit/

 東京大学では2年前から「近い将来、大学の教壇に立ちたい大学院学生に教えるための知識・スキル」を教える教育プログラム「東京大学フューチャーファカルティプログラム」を実施しています。計26時間のトレーニングのあと、履修証交付し、大学院生のキャリアアップに役立ててもらえる全学教育プログラムです。

東京大学フューチャーファカルティプログラム
http://www.todaifd.com/ffp/

 現在までにこちらの卒業生はおおよそ150名。一期50名ですので、毎回満員御礼の状況で、意欲ある大学院学生が、こちらを受講していることになります。中には、すでに各地の大学・研究機関に職を得ている大学院生もでてきました。このプログラムの受講生は、終了後「アラムナイネットワーク」に登録され、様々なイベント、授業などで、スキル向上をはかっています。
 先だっても、このプログラムを卒業した学生だった川瀬和也君(哲学・倫理学)が、無事、徳島大学にポストを得ることができました。

 東京大学フューチャーファカルティプログラムでは、これまで「入口の整備(授業の受講)」をはかってきました。これからは、それらに加えて、「出口の強化(卒業生の就職支援)」を徹底的にはかっていきます。

 このプログラムをはじめて以降、わたしどものもとには(大総センター・教育課程方法開発部門のスタッフ)、様々な就職に関する悩みが集まってきました。

「教育経験をつけたくても、非常勤すらない」
「非常勤の職を得るためには、教育経験が必要である」

 学問分野にもよりますが、今、大学院生の少なくない人々は、この難問の前にいます。皆、非常に優秀で、かつ、教育にパッションをもち、今後の日本の高等教育を担っていく存在です。
 わたしどもとしては、非常勤講師ー常勤教員ー研究員など、様々なかたちで、教育にパッションをお持ちの若手教員をお捜しの方にご利用頂ける採用支援ページを、まずはつくることにいたしました。

 わたしたちの強みは、東京大学の全研究科のうち1つをのぞく研究科の学生が、こちらのアラムナイネットワークに参加していることです。ほぼすべての学問領域をカバーできる人員の大学院生が、このアラムナイネットワークに登録しています。「教育」に興味のある若手大学教員をお捜しの皆様には、ぜひ、このネットワークを用いた求人を、どうぞご利用いただけますと幸いです。

 登録フォームに必要事項を入力すると、アラムナイネットワークに求職情報が流れることになっています。あとは募集があった際などに、ぜひ任意の選抜を行ってくださって結構です。このフォームを用いたからといって、選抜自体は、当然、自由に行って頂いて結構です。わたしどもは、情報の仲介のみ行わせて頂きます。詳細は、上記ページをご覧下さい。

(そのようなことはほぼないとは思いますが、公衆良俗に反する募集、社会通念に反する募集とわたしどもが判定した募集に関しましては、わたしどもが予告なく、棄却させて頂きますので、ご了承下さい)

 この企画は、栗田佳代子さんと、山辺恵理子さんの尽力で前進しました。お疲れさまでした。
 就職の支援という課題に対して、わたしたちにできることは限られていることは微力です。しかし、この日本に、素晴らしい学びを引き起こしたい人々を、わたしたちは増やしていきたいと考えています。

 もしみなさまのお近くで、「インタラクティブな授業、教育に熱意をもつ若手教員を採用したい方」がいらっしゃいましたら、どうぞご覧いただけますと幸いです。
 これらの学生は、アクティブラーニングの経験、シラバスライティングの基礎スキル、成績評価の留意点など、必要最低限の基礎スキルと、そして教育に対するパッションは、すでにもっています。どうぞお近くでニーズがございましたら、ご一報いただけますと幸いです。

 ーーー

追伸.
 研究部門の同僚の、小原優貴さん、山辺恵理子さんが、11月5日、内田洋行さまの「大学・高校実践ソリューションセミナー 2014 東京」に登壇させていただく機会を得ました。

大学・高校実践ソリューションセミナー 2014 東京(5日午後2時40分ー)
http://www.uchida.co.jp/seminar/141105_1106/index.php

聞くだけの授業は終わりにしよう:
東大MOOC講座「インタラクティブ・ティーチング」の開発の裏側

 という感じで、ここだけでしか聞けない、開発コンセプト創造の秘話、運営体制、組織構成などをお話しするそうです。小原さん、山辺さんは、開発の実際を知り尽くした、とても優秀でパッションあるスタッフです。この1ヶ月間、数ヶ月にわたり、彼女たちとプレゼンの打ち合わせ、練習をしてきました。

小原優貴さん
http://www.he.u-tokyo.ac.jp/home/staff/yuki-ohara/

山辺恵理子さん
http://www.he.u-tokyo.ac.jp/home/staff/eriko-yamabe/

 どうぞ皆様、もしご興味あらば、お誘いあわせのうえお越し下さい。当日の冒頭部ほんの少しだけ僕も登場します(マネジャーとして?)。あと、小原さん、山辺さんに別の舞台をいただける方がいらっしゃいましたら、ぜひご一報下さい。

 小原さん、山辺さん、そういえば、先日、ある方から伺った話ですが、

「スティーブ・ジョブスは、あのジョブズでさえ、プレゼンの練習に1ヶ月かけるそうです」

 当日が楽しみですね。
 そして人生は続く

投稿者 jun : 2014年11月 4日 07:13


コルトハーヘン先生による「リフレクション学」スペシャルワークショップが終わった!:リフレクションという名の「詰問」「教え込み」「だらだらトーク」を超えて!

 先日11月1日・2日に、八丁堀にある内田洋行様の東京ユビキタス協創広場で、フレット・コルトハーヘン名誉教授(ユトレヒト大学)をお招きした「リフレクション学」スペシャルワークショップを無事終えることができました。

koltsan_pic1.png

「リフレクション学」スペシャルワークショップを開催!? : ユトレヒト大学・コルトハーヘン名誉教授をお招きして
http://www.nakahara-lab.net/blog/2014/06/post_2240.html

 まずは、素晴らしいワークショップをしてくださったコルトハーヘン先生、参加者の皆様、そして関係者の皆様、会場設営をコラボしていただいた内田洋行の皆様に心より感謝いたします。ありがとうございました。

 こちらのワークショップのお申し込みに関しましては、お申し込み開始から数時間で締め切らなくてはならないほど、多くの方々から関心をいただきました。心より感謝いたします。そして入ることのできなかった方々に、心よりお詫びいたします。心苦しい限りでしたが、やむなくの状況でした。

 当日は、ビジネス教育、教師教育、看護教育、医療教育など、各界から約50名の参加を得ました。ご参加頂いたみなさま、本当にお疲れさまでした。11月の三連休の2日間を、リフレクションにあてる、という希有?な方々に、ご参加頂きました。ありがとうございました。また感想などをお聞かせ頂けますと幸いです。

 以下は、コルトハーヘン先生のワークショップをききながら書いた僕のメモです。主にコルトハーヘン先生のリフレクションについてまとめ、その諸特徴を論じています。

 ▼

 当日は、坂田哲人先生(青山学院大学)の司会のもと、コルトハーヘン先生のリードでワークショップが進行しました。

 コルトハーヘン先生が行ったワークショップ、そして、様々なアクティビティがどのようなものであったかは、なかなかひと言で申し上げるのが難しいです。しかし、その特徴をワンワードでのべるのならば、ワークショップの構成・進行自体が、いわゆる「入れ子(nest)」になっていると言えると思います。

 どのような「入れ子(nest)」と申しますと、「リフレクションの入れ子」です。
 すなわち、コルトハーヘン先生のファシリテーションのもと「参加者自らがリフレクションをすること」で、「他者に対するリフレクションの促し方を学ぶ」ということになっているということです。
 別の言葉で述べるならば、「コルトハーヘン先生が実践者として参加者にいかにしてリフレクションをうながすか」を、参加者として観察・体験し、参加者自らもやはりリフレクションを為すことで、「リフレクションとは何か?」を学ぶという構造になっています。

 「入れ子型のワークショップ構造」をとっている理由には、「あなたがリフレクションを促す人になりたいなら、自分自身がリフレクションできる人になりなさい」という信念が見え隠れします。リフレクションを学ぶこととは「リフレクシヴィティの環の中」に自らを投げ込むことでもあります。

(ちなみにコルトハーヘンさんが世界的に評価される理由は、リフレクションの意義を、自ら場を組織しつつ伝えることができる希有な人材であったということでしょう。世界には、リフレクションの理論や意義について詳しく知っている人は多々います。が、その多くは、それを伝えるときのやり方が、ノンリフレクティブで、ノンインタラクティブであることの方が多いものです。つまり、リフレクションについて語ることはできても、自ら実践することはできない、ということです。対してコルトハーヘン先生は、絶妙なバランスで、リフレクションについて語り、かつ、実践を行うことができるのです。今後、コルトハーヘン先生のよう方のなさるワークショップを体験したことがきっかけとなり、さらに若い世代が、こうした研究者のあり方(Being)に興味をもってくれるのだとしたら、僕は、このあたりにこそ可能性を感じます)

  ▼

koltsan_pic2.png

 コルトハーへン先生のリフレクション研究は、別名、「リアリスティックアプローチ(Realistic approach)」とも呼ばれています。
 誤解を恐れずひと言で述べるならば、リアリスティックアプローチとは、

1.学習者が、「リアルな日常の経験」を「リフレクションすること」を通して、学ぶ形式である

2.そのプロセスを通して、学習者がすでにもっている学術的知識(大文字の理論:Theoryとよばれます)と、日常の経験から形成された実践知(小文字の理論:theory)を「むすびつけること」をめざす

 ということになるのだと思います。

 ここでも最も大切なことは、コルトハーヘン先生のリアリスティックアプローチとは、1で見るように学習の源泉として「リフレクションという認知過程」を重視していることです。しかし、「リフレクションという認知過程を重視している」といっても、そのことで「学術的に産出された知識(理論:大文字の理論)を個人が把持することを否定している」というわけではないということは、強調しすぎても強調しすぎということはないでしょう。つまり、それが最もわかりにくいところです。

 誤解を恐れずいえば、専門家育成の機会として「学術的に産出された知識(理論)」が伝達され、個人がそれを把持すること」は問題ないのです。それは貴重なリソースでありますが、しかし「単独の学習の源泉」ではありえません。
 「学術的に産出された知識(理論)」は、リフレクションという認知プロセスをへて、個人の経験からつくられた教訓的持論(実践知:小文字のT)と結びつけられなくてはなりません。ここが最も誤解されやすいところだと思います。すなわち、一般には「リフレクションさえしていれば、学術的に産出された知識・理論なんていらねーよ」という「反知性主義」が生まれやすいのです。

 ワンワードで述べるならば、リアリスティックアプローチは、

 知識(を蓄積すること)か、リフレクションか

 という「二分法」や「トレードオフ」思考をとりません。
 対して、世にはびこるリフレクション議論、そしてこれまでのリフレクションにまつわる学術的議論は、ともすれば

「振り返りさえすれば、Catch ALL!(知識に関しては不問に付す)」

 となりがちのですが、それを明確に否定しています。

 コルトハーヘン先生が主張しているのは、「大文字の理論(Theory : 学術的な知)」を活かしつつ、「小文字の理論(theory:持論)」とコネクトすることであり、その機会としての「リフレクション」なのです。
 さらに踏み込んでいうならば、リフレクションを促す資格のある人は「大文字の理論」についても精通していて、しかし、それでいてリフレクションを他者に促し「小文字の理論」との結合を果たせる人と言うことになります。

(世の中には「実践を教える」という理由で、大文字の理論を全く知らない実務家が、教育機関に採用されることもあります。そうしたことの是非はまた別の機会に論じるとして、コルトハーヘン流の解釈をするならば、そのことは「実務を教えたことにはならない」ということになると思います。「大文字の理論を全く知らない実務家」は「小文字の理論=経験知」しか語ることができません。本当に必要なものは、「大文字の理論」と「小文字の理論」の結合ーすなわち、「リフレクションによる学術知と実践知のコネクション」ということになります。だとするならば、「実践を教えること」にとって2つの可能性がありえます。それは「実務を担ってきた人が、大文字の理論を学び、リフレクションを促すことを憶えるか」、それとも「大文字の理論を学んできた人が、実務を知り、さらにリフレクションを促すことを憶えるか」です)

 ちなみにコルトハーヘンが「知識か、リフレクションか」という「二分法」を敢えて超える「脱二分法「的議論」を敢えて為すことには、理由があると思われます。それは、リフレクションには「メリット」もありつつも、「デメリット」も存在するからです。

 リフレクションは、個人が、そのコンフォートゾーン(快適ゾーン)を抜け出した挑戦的経験を為すとき、それとセットとして実施されたときには、明確に「自己成長の契機」となりえます。
 また、リフレクションをへて、意味づけられた経験に、人はオーナーシップ(当事者意識)を感じるものです。これらはリフレクションの明確なメリットです。

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 しかし、一方で、リフレクションには「デメリット」も存在します。それは、ひとつには「経験の先行性」から生じます。
 要するに、リフレクションからの学習が生起するためには、「リフレクションに値する経験」が「先行」している、という条件があります。「リアルな経験のないもの」には、「リフレクションからの学習」は随伴しないのです。

 また、リフレクションは、「リフレクションに値する経験」に「後続」する特徴をもっているので、場当たり的、かつアドホックになりがちです。それは一般に人々の経験が「場当たり的」であるゆえ、やむを得ません。
 そこで喪失しやすいのは「全体像」、すなわち「big picture」に他なりません。このあたりは学術的知識や大文字の理論で補完する必要があります。
 また、リフレクションを為すためには、時間がかかり、また少人数にしか対応できないということも特徴のひとつです。対して、導管で知識を注入するような学習のあり方は、Cost effectiveです。

 このような特性から、リフレクションは、学術的知識の存在を否定せず(反知性主義に陥らず)、それらに「アドオン」するものとして存在し、位置づけられることが非常に重要ということになります。

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 それでは次に、私たちは、具体的にリフレクションをいかに促せばいいのでしょうか? 
 コルトハーヘン先生は、ALACTモデルを提唱します。

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 ALACTモデルについては、下記の書籍に詳しいので、詳細を論じることを避けます。が、要するに、経験学習を2次元化して示したモデルです。


 
 経験学習の2次元化モデルといいますと、マネジメント教育では「Kolbの経験学習サイクル」、看護教育ではGibbsのモデル(こちらよく看護領域では引用されているようです。が、僕自身はまだ原典を探せていません)などがありますが、コルトハーヘン先生のものもそれと似ています。

 敢えて最大の違いを述べるのだとすると、ALACTモデルは、振り返りの内容に、認知的な内容(例えば行為や思考)のみならず、感情を扱っているところにあると思います。
 それが典型的にあらわれるのは、振り返りをうながすための8つの質問です。これらは「他者にリフレクションを促すためにコルトハーヘン先生が用意した質問項目」で、主に1の行為の際に用いられるものですが、特に注目するべきは(○)の部分だと思います。

  自分は何をしていたのか?
  自分は何を考えていたのか?
  自分はどんな感情をもっていたのか?(○)
  自分は何をしたいのか

  相手は何をしていたのか?
  相手は何を考えていたのか?
  相手はどんな感情をもっていたのか?(○)
  相手は何をしたいのか

 コルトハーヘン先生のALACTモデルでは、振り返りの内容に、明確に「感情」が含まれています。別の言葉で申し上げるなら、自分と他者の「感情」のズレ(不一致)を意図的に用いることで(当然二人の人間がいれば、感情にはズレが生じます)、思考に揺さぶりをかけているということになります。
 
 そして、ALACTモデルで最も大切なのは、第三段階である「本質への気づき」にあります。
 コルトハーヘン先生は、この省察モデルの「第二局面」から「第四局面」に飛び込む人が多いことを嘆き、それを「Action-oriented reflection」と呼んで、警鐘を慣らします。
 むしろ、彼が望んでいるのは、第三局面の「もっとも大事な、本質的なことは何か」に関する思考をともなう「Meaning-oriented reflection」にあります。その契機になるのは、8つの質問に代表されるような「わたしの見え」と「あなたの見え」との「不一致」です。
 ここ数年の彼は、この不一致に「わたしの中での不一致」ーすなわち、自分のもつ信念体系と行為の不一致を扱い、特にポジティブサイドに着目したものを「コアリフレクション」と呼んでいます。詳細は、下記をご覧下さい。

 ちなみに、このコアリフレクションについては、僕は、これら2つの書籍を丁寧に読み込んでいないせいもあり、理解は最後までできませんでした(withinの方は読みました!)。
 省察モデルの第三フェイズに至る「不一致」の中で、当初、コルトハーヘン先生が強調していたのは、間主観的な不一致、すなわち自己と他者のあいだのズレです。しかし、おそらく、それではリフレクションの駆動を説明できない事態が生まれ得るのでしょう。それが「自己の内部(inside self)」へのズレの省察ではなかったと思います。
 自己の内部に起こる不一致の契機としては、たとえば自己の深遠な部分「信念体系」や「表出した行動」等との、Fliction(摩擦)などがありえます。そして、ここまでなら僕は理解ができます。
 しかしここからの論理展開はまだ未発達であり、今後の発展が期待される部分であるように感じます。個人の深遠な信念体系を投射する理論的基盤が、ポジティブ心理学や心理的資本論となっており、個人のコアクオリティを投射するのはポジティブサイドから行うべきだ、という議論がなされるのですが、少なくとも僕の理解では、ここの論理展開に段差を感じました。
 もちろん、個人の内面を彫り込む際に、ポジティブサイドに注目せざるをえないのは、やむなきことともおもいます。個人の内面に彫り込む以上、そこからネガティブなフリクションが噴出してしまえば、それこそ自己崩壊の危機を呼び込むという「実務遂行上の課題」が生まれ得るからです。しかし、「だからといって」、自己の内面のコアクオリティを二分割すること、また、そのいちのポジティブサイドに焦点をあてなければならないというのは、やや性急すぎる議論のように思います。ここを理論的に理解したい思いが、僕の中には高まりました。

 むしろ<わたしの内面>に彫り込む際に、ポジティブ / ネガティブというダイコトミーを超えることーあるがままを受け入れることが大切なのではないかと、個人的には僕は思います。
 その意味では、同じ学習でも「わたしに向き合うこと」を正面に見据え、そのプロセスを往復書簡のかたちで記し、あたかも読後は、ひとつの良質なワークショップを受けたかのような気になる下記の書籍「せんせいのつくりかた」が、僕は好きです。これはもしかすると、僕の「好きこのみ」の問題かもしれません。

(ちなみに、下記の書籍は書名は「せんせいのつくりかた」ですが、扱っている内容は、他の職種でも十分通用する内容だと思います。今年で最もおすすめできる書籍のひとつです。ちなみに著者の岩瀬先生は、今回のコルトハーヘンさんワークショップにも参加なさっていました。お疲れさまでした)

 「わたしに向き合うこと」を主眼としつつも、いわゆる「あり方病(Being病)・・・ファシリテーションなどを論じるときに、個人の資質や存在にとにかく焦点をあてがちな議論」に陥るのでもなく、一方で「やり方病・・・ファシリテーションなどを論じるときに、やり方・手続きの盲目的習得をめざす短絡的議論」に陥るのでもなく、絶妙なバランスをとっているところが凄いところです。

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 さらに、それでは次に話をすすめます。

 次の話題は「個人レベルのリフレクション」ではなく、「グループでのリフレクションを促すため」にはどうすればいいでしょうかということです。前段でも申し上げましたように、リフレクションとは「経験」を彫り込むことでもあります。それは時に痛みを伴うことですし、ふだん、それを覆い隠している日々の私たちにとっては、違和感をともなう時間でもありえます。かくして、リフレクションを個に閉じるのではなく、集合的レベルで行うことのニーズが生まれ得ます。

 コルトハーヘン先生は、これを説明するためのモデルとして、1)事前構造化、2)経験、3)構造化、4)焦点化、5)小文字の理論の獲得からなるモデルを提唱しています。
 少し言葉が固いので、勝手気ままに中原が名づけるのであれば、下記のようなプロセスともいえるでしょう。

1)事前構造化(グループに対する問いかけづくり)
 経験の中で特に、皆で振り返りに値するものにフォーカスをあて、問いをつくること。フォーカスをあてないリフレクションは、だらだらトークになります。

2)経験の内省(振り返り)
 個々人が経験の振り返りをなすこと。

3)構造化(見える化)
 各人の経験と、経験の振り返りを、グループ全員に見える化し、議論の俎上にのせること。

4)焦点化(くらべっこ)
 各人の経験を持ち寄って、差異・同じ点を同定すること

5)小文字の理論(持論づくり)
 グループで各人の経験を持ち寄ることで持論を形成すること

 ということになりますね。

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 さて、最後に、コルトハーヘン先生の考えるリフレクションの諸特徴について、勝手気ままに書いてみましょう。ここでは2つだけ述べます。

 まず、第一に考えられることは、既述しましたように、コルトハーヘン先生のリフレクションは、「リフレクションの内容にしめる感情の割合」が非常に大きいことです。特に、最近の彼は「感情」に関する議論に、多くの時間をさいている印象があります。
 コルトハーヘン先生は「行動の氷山モデル」を提示し、目に見える「行動」の海面下には、「考えていること」「感じていること」「欲していること」が隠されているとし、そこを掘り下げるリフレクションのあり方を模索しています。

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 これまでリフレクションは、いっぱんに「Cognition(認知・思考)」の範疇のものとして語られることが多かったように思います。しかし、コルトハーヘン先生は、むしろ、「Cognitiveなもの」「Logicalなもの」より「Emotion」に重心を置きつつあるような気が致しました。そして、そのことは、わたしたちにひとつの重い課題を投げかけます。

「わたしたちが、現場で他者にリフレクションをうながすとき、どこまで、その人の感情に踏み込んでいいのか?」

「スキルと心のないファシリテータが、他者にリフレクションをうながすとき、超えてはならない一線を越えてしまうことはないのだろうか?」

 ということです。
 皆さんはどのようにお考えになりますか?

 第二にあげられるのは「リフレクションする内容についてのフォーカス性」があります。
 コルトハーヘンさんのリフレクションは、一般的なリフレクションの議論と比べて、「Look backするべき対象にかなりフォーカスがあてられることが多い」のです。実際、ワークショップにおいて、コルトハーヘン先生から繰り返される言葉のなかで最も多いもののひとつは「in one word」「in one sentense」でしょう。
 要するに、自分の経験した内容を、一語で、ワンセンテンスで述べるのだとすると何になるか、というかたちで、強制的かつ焦点をしぼったリフレクションを可能にする言葉です。また「Focus」という言葉や、「Narrow」という言葉もよくでてきます。

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 かくしてコルトハーヘン先生のリフレクションワークショップは終わりました。個人的には、上記のように様々な理論的諸構造を意識しながら、自分の専門とする「企業内の人材開発に用いるのだとすると、どうするだろうな?」という観点から常に聞いていました。

 これを企業内で実施する場合、もっとも障害になるであろうことは、「リフレクションをうながす不一致をつくりだすための視点ずらし」にあると思います。

 コルトハーヘン先生のリフレクション空間には、感情、思考、行動、願望という4つのレベル、そして俯瞰的モード(ヘリコプタービュー)と現象モードという2つのモードが存在しており、それらが縦軸・横軸をなしながら、リフレクションが遂行されます。
 おそらく、この「視点移動」は、一定のトレーニングを行ってからではないと実施できないだろうなと思いました。特に、一般の人々は「俯瞰と現象」という2つの相反するモードーすなわち「メタにあがる思考」には不得手なものです。個人的には、これを行うための事前ワークを考えているところです。

 ちなみに、一方で、僕の専門とする企業内の人材開発には、リアリスティックアプローチと名乗ってはいませんが、それに類することは、かなり普及しつつあるように感じます。
 最近は「知識や理論を導管型で詰め込む」だけの講義を見ることは、かなり少なくなりました。むしろ、リアリステックアプローチが行きすぎている感もあり、ちょっと心配になってしまう感じでもあります。リアリスティックアプローチ風を標榜するあまり、反知性主義に陥ったりしているものも見かけます。またリアリスティックなのはいいのですが、そのスキルが低いため、「惨いグループワーク」やら「惨いワークショップ」「惨いワールドカフェ」が横行していることも、よく耳に入ってきます。

 もうひとつ考えていたことは、「リフレクション」というバタ臭い言葉を用いなくても、我が国の職場には「リフレクション」にかわる行為が埋め込まれていたのではないか、という疑念です。
 たとえば、企業内の学習の観点からすれば、僕はかつて、組織学習の国際学会に参加した際、海外の研究者にこう言われたことを憶えています。

「日本の研究者が組織学習の国際学会にきて、何を学ぼうとするのか? 日本では、日々の営みを振り返り、常にカイゼンしつづける職場あるのではないか? 組織学習という概念は、特別にバジェットがくまれなければ、日々の営みを振り返り、皆で話しあい、カイゼンをしようとしない国でこそ、生まれうる概念なのだ。なぜ、日本の研究者が、それを学ぼうとする?」

 もしかすると、日本の伝統の中には、「振り返り」やそれを組織レベルで展開する「組織学習」という概念が、日々の生活の中には埋め込まれていたのかもしれません。しかし、それは今失われつつあるのかもしれない。もし、リフレクションという言葉がわたしたちの職場や仕事に埋め込まれていたという意味で「古くて」、しかし「新しい」概念だとしてうつるのであれば、それこそが悲報です。

 しかし、一方でこうも思います。
 リフレクションというものが、日本の伝統的な働き方の中に存在していたとしても、わたしたちは、それが失われつつあるまで、言挙げして、概念化しようとはしてこなかった。むしろ、それを「あうんの呼吸」で伝わるものとして省みないできた。研究者は、それを概念化してこなかった。いや、概念化はしてきたかもしれないけれど、それはコルトハーヘンさんがやるように、伝えてはこれなかった。

 だからこそ、ここで必要になる態度は、「もともと日本にはリフレクションがあった」と思考停止するのではなく、そこから先に進むことではないか、と。
 かつて日本にあったリフレクションの伝統にねざし、それでいて新たな時代に対応した、リフレクションに変わる言葉を「創り上げること」であると僕は思います。
 地に足のついた概念創造ーすなわち「自分たちの文化的ルーツに根ざしたリフレクションにかわるワンワードの創造」こそ、求められていることなのだと僕は思います。

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 最後になりますが、企画代表者の坂田哲人先生、そしてコルトハーヘン先生、そして、通訳を務めて下さった野口晃菜さんに感謝いたします。本当に素晴らしい場でした。
 本企画は、勝手に!?リフレクション学ワークショップ実行委員会によるもので、経営学習研究所からは吉村春美さん・町支大祐さん・脇本健弘さん・松浦李恵さん、そして僕が企画立案に参加しました。
 教師教育学研究会からは、坂田哲人先生のほか、当日は矢野博之先生、武田信子先生がご参加になりました。山辺恵理子さんは、当日参加できませんでしたが、資料の翻訳をしてくださいました。
 内田洋行教育総合研究所の平野智紀さんにも心より感謝いたします。本当にありがとうございました。

 今回嬉しい事のひとつは、リフレクションという「横串」のもとに、ビジネスの人材開発、人事の方々、教師教育の方々、看護・医療教育の方々が集まることができ、かつ素晴らしい対話・議論ができたということです。リフレクションというそもそも社会に様々な波紋をもたらす概念の発展には、こうした学際的な場こそふさわしいと僕は感じます。ここで、また新たなつながりが生まれることを願っています。

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 ちなみに、リフレクションワークショップは、これでまだ終わりではありません。2014年12月13日(土)(勝手に!)リフレクション学会?と称して、@東京大学でフォローアップセッションを行います。リフレクションの事例発表などをしていくつもりです。詳細については、決まり次第ご連絡いたします。

 リフレクション、さらにその「先」へ
 そして人生は続く!

 最後に、こちらはリフレクションムービー!

投稿者 jun : 2014年11月 3日 07:06