UST配信決定!「リフレクションの理論と実践」: マネジャー育成、看護教育、教師教育の関係者がゆるっと語るリフレクティブトークセッション!?:10月15日午後7時 ON AIR
以前、このブログでもお伝えしましたが、11月、リフレクション研究のフレッド・コルトハーヘン先生が来日するにともない、「勝手に!?リフレクション学ワークショップ実行委員会」が立ち上がり、下記のように2日間のワークショップを企画させて頂きました。こちら、大変な人気をいただき、わずか1時間半でソールドアウトとなってしまいました。
「リフレクション学」スペシャルワークショップ:私たちは、何をどこまで、振り返り、何を生み出すのか?
http://www.nakahara-lab.net/blog/2014/06/post_2240.html
みなさまからは、
「この日は出張でネットをチェックできなかったので、〆切に遅れた」
とか
「あとで申し込もうと思ったら、すでに募集が締め切られてた」
というお声をいただき、「勝手に!?リフレクション学ワークショップ実行委員会」としても、いろいろ方向性を模索していました。このたび、青山学院大学の坂田哲人(さかた・てつひと)先生が音頭をおとりになって、下記のようなUST番組を配信することになりました。
坂田哲人先生のWebページ@青山学院大学
http://ted.airy.org/wp/
マネジャー育成、看護教育、教師教育など、さまざまな領域で注目されているリフレクションの最新の研究動向・実践動向を語る番組となっております。ぜひ、2014年10月15日 午後7時、ぜひご覧頂けますと幸いです。もちろん無料で、どなたでもご参加頂けます。
それでは番組でお逢いしましょう!
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「リフレクションの理論と実践」
マネジャー育成、看護教育、教師教育から語る
学びにつながるリフレクションとは?
ゆるっと語るリフレクティブトークセッション!?
2014年10月15日 午後7時ーゆるっと開始・ゆるっと終了
無料、どなたでもご視聴いただけます
(参加はこちら)http://www.ustream.tv/channel/nakaharalab
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このたび、リフレクション研究の世界的第一人者であるフレッド
コルトハーヘン先生の来日にあわせ、看護教育・人材開発・教師教育
などの研究者・実践者が集い「リフレクションについて語る」番組を
おおくりします。
1980年代より語られているこのテーマも、日本においていざ実践は
まだ道半ばという状況ではないでしょうか。
コルトハーヘン先生は、自己学習のためにはリフレクションは
欠かせないと述べています。自己学習といえば、今後フィールド
を問わず、さまざまな人材育成に必要なキーワード。
そこで、今回は様々なフィールドからメンバーが集い、
リフレクションをキーワードにそのフィールドの実践、課題、問題点
について語ります。リフレクションについて一度まとまった話を聞い
てみたいと考えていた方、より深く知りたいという方にも必見の番組
です。
どうぞお誘いあわせのうえ、ご覧ください!
代表者:坂田哲人
http://ted.airy.org/wp/
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2014年10月15日 午後7時から下記のURL
「NAKAHARA-LAB on UST」にて
「リフレクションの理論と実践」
マネジャー育成、看護教育、教師教育から語る
学びにつながるリフレクションとは?
と題したUST番組を放映します。当日は7時あたりに、
下記のURLをクリックして下さい。前のめりのあなた、
今は何もやってませんよ!
NAKAHARA-LAB on UST
http://www.ustream.tv/channel/nakaharalab
トークセッションのメンバーには世界中のリフレクション研究
について詳しい大阪樟蔭女子大学の村井尚子先生をはじめ、
リフレクションを取り入れた教師教育実践に取り組まれてきた
帝京大学教職大学院の中田正弘先生。同じく、リフレクションと
看護教育というキーワードで実践に取り組まれている日本保健医
療大学の鈴木康美先生、そして企業の人材育成とリフレクション
という側面から研究や実践をすすめてきた東京大学の中原淳先生
らが登場します。
司会進行は、青山学院大学/教師教育学研究会の坂田が勤めます。
予想される内容は下記ですが、進行中のリフレクションによって
展開が変わることもあります。
ある意味、これもリフレクションの本質といえるかも。
どうぞ、ゆるゆるトークセッションにご参加下さい!
1.趣旨説明(坂田・中原)
2.リフレクションの理論背景(村井)
3.教師教育とリフレクション実践(中田)
4.看護教育とリフレクション実践(鈴木)
5.企業におけるリフレクション実践(中原)
6.全員でゆるゆるトーク
・結局リフレクションにはどのような意味があるのか?
どうぞお楽しみに!
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投稿者 jun : 2014年9月30日 07:15
中小企業において「職場で社員が育つ仕組み」とは何か?:世界初!? 新たな研究をスタートします!
中小企業において
社員が育つ仕組みは何か?
それは、大企業と異なるのか?
中小企業には
いかなる「人材育成メカニズム」が駆動しているのか?
・
・
・
ようやく、この場を借りて、「新たな研究」のスタートをリリースすることができることを嬉しく思います。
今後、トーマツイノベーション株式会社さまとの共同研究で、世界初!? 中小企業を対象とした「職場における人材育成の実態を解明する」研究をスタートさせて頂くことになりました。
トーマツイノベーション株式会社
http://www.tohmatsu.com/jp/ti
プロジェクトメンバーは、同社の、真﨑大輔さん、新谷健司さん、渡辺健太さん、鈴木義之さん、濵野智成さん、小暮勝也さん、伊藤由紀さん、五十嵐慎治さん、長谷川弘実さんの強力メンバー、そしてアカデミクスからは、中原と保田江美さんが参加します。
調査研究をご一緒させて頂くトーマツイノベーション株式会社様、そして同社のプロジェクトメンバーの皆様、現場で中小企業の方々と相対しプロジェクトに御協力頂ける同社社員の皆様には、この場を借りて、心より感謝いたします。ありがとうございます。
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考えてみれば、これまで人材開発研究の多くは、従業員規模300名ー1000名をこえるような、いわゆる「大企業」を舞台として行われきました。
これには理由はいくつかありますが、最大の理由のひとつは、大学・研究者との共同研究を回していく人材、リソースを社内に用意することが中小企業には難しかったことがありえます。これはいわゆる実務的な課題。
また研究的にも、中小企業は、その組織形態、成り立ちからして、非常に「変数」が多く、実証的な研究を行うには困難が多いことがありえるような気がします。中小企業と一口にいわれるものをいくつかに分類し、様々な母集団で分析する必要がでてきます。
また、ともすれば、研究対象を記述する際、「東証一部上場企業」「フォーチュン500企業」などと書かれている研究の方が、価値の高い研究とみなされることもあったかもしれません。
かくして、いくつかの理由のため、我が国における「中小企業の職場における人材育成の実態解明」は、あまり進んでいませんでした。そして、これは僕にとって、長年取り組まなければならない、しかし、実務的にも、かつ研究的にも非常に困難な課題でした。
しかし、このたびトーマツイノベーション様という共同研究パートナーを得られましたこと、また、自分自身も、十数年の研究の経験を積み、ようやく、中小企業の人材開発の実態に迫れるだけの準備ができたことから、新たなプロジェクトをスタートすることになりました。結果はまだ何もでていません。が、まずは、このことを心より嬉しく思います。
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人材開発研究を志して、もう10年以上がたちます。短いながらも、我が研究人生を振り返ってみれば、今まで少なくない研究者から、たくさんのお叱りを頂戴してきました。
研究対象は、大企業ばかりじゃないか!
今必要なのは、中小企業の研究だ。
日本の多くは中小企業だ。
中小企業の実態解明を行うべきなのに
オマエはそれを行っていない!大切なのは中小企業だ。
これまで10年にわたって、そのようなお叱りをメールや口頭で何度受けてきたことかわかりません。その重要性はわかってはいるものの、自分の中では「まだ機が熟していない」と思って涙を飲んできました。その場でいろいろ「言い訳」をいっても仕方が無い、と思ってきました。
しかし、ようやく機が熟しました。このたび、僕自身は、志を同じくする人々と、ここにチャレンジしたいと願っています。
ちなみに、わたしに批判を与えてくださった研究者の方が、「大切で必要なはずの中小企業の探究」を自ら行ったということを、過去10年いっこうにお聞きしません。あれ、「大切」で「必要」なんじゃなかったっけ?
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今後、しばらく時間をかけて、「従業員規模の小さな企業」ー「従業員規模の大きな企業」の職場学習に関して、比較研究を進めて参ります。もちろん、研究なので、結果がでるかはどうかはわかりません。おそらくは予想もしなかった様々な困難に、これからぶち当たるものと思います。
しかし、何とか、それらの困難をのりこえ、しかるべき時間がたち、分析が終わった際には、トーマツイノベーションさんと協働で、「中小企業の人材開発」に関する知見の普及をさせていただこうと思います。その後は、研究専門書を執筆させて頂く予定です。
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なお、これまでの研究も当然ながら継続していきます。現在、1)海外赴任者の適応に関する研究、2)大学生ー企業のトランジション研究、3)実務担当者からマネジャーへのトランジションに関する研究などを行っていますが、それらに関しても、強力に推進していきたいと思っています。
そして人生は続く
投稿者 jun : 2014年9月29日 07:39
与えられる「ポジション」、創り出す「立ち位置」:駆け出しマネジャーの挑戦課題
先だって、ある企業で現場マネジャーの方にヒアリングをさせていただきました(S社のSさん、Sさん、Tさん、ヒアリングにお答えいただいたTさん、ありがとうございます!)。
駆け出しのマネジャーがどのような困難にぶちあたり、それをどのように乗り越えるのか。ここ数年取り組んでいる課題の探求であり、かつ、同社のマネジャー候補者研修のコンテンツづくりに活かすためのヒアリングです。毎回のヒアリングはとても勉強になります。
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その際、あるマネジャーの方から伺った話が、非常に印象に残っています。
曰く、
「課長のポジションは与えられるけど、立ち位置は自分でつくらなければならない」
ここでマネジャーの方が「ポジション」とおっしゃっているのは「組織から与えられた課長という公式の肩書き」です。
一方「立ち位置」とは、「職場のメンバーによって課長と認められ、その機能を十全にはたし、部下が動くこと」です。つまり、ここで、あるマネジャーの方は、「ポジションと立ち位置が重ならない=肩書きがあっても、部下がそれを認め、かつ、動いてくれるとは限らない」と述べています。
一般には、組織から「課長という公式の肩書き」が与えられば、メンバーは、その人を「課長として認め」、その人は「課長としての機能を果たし、部下が動くこと」が期待されます。
しかし、企業によって様々なので一概には言えませんが、20代後半ー30代前半でマネジャーへの抜擢が増えているこの企業では、時に、部下との年齢逆転が起こります。
そうした企業においては、若いメンバーが課長に抜擢されると、急速に職場に同様がはしり、それまでうまくいっていた関係が、ともすれば「ぎくしゃく感、ハンパなくなる」状況が生まれます。
そうした場合、若い課長は、ポジションという権力を時にいかしながら、職場全体における自分の「立ち位置(役割)」を自ら「つくらなければ」なりません。自分が職場にいる「意味」、どのような「関係」で、どのような「役割」を果たすのか、ということを、自ら「創ること」が求められるのです。
この状況を如実に表現しているのが、
「課長のポジションは与えられるけど、立ち位置は自分でつくらなければならない」
という先ほどの言葉です。
この方は、マネジャー就任後6ヶ月は、ひたすら職場内のメンバーとの信頼関係を蓄積するために費やしたといいます。
立ち位置をつくるには、それなりの時間がかかるということなのでしょう。誠に大変なことです。
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マネジャー研究を細々と続けてもう3年以上が立ちました。
現在、日本生産性本部さん(木下耕二さん、塚田涼子さん、古田憲充さん、桶川 啓二さん、野沢清さんらのチーム)との共同プロジェクトで、また新しい試み(駆け出しマネジャーがマネジャーになる前に受講するプログラムの開発:名づけてワクチンプログラム!)をはじめようとしています。
また、Y社との共同研究もはじまっています(Y社のK課長、はじめ同社人事部の方々、には心より感謝いたします。研究室の浜屋さん、OBの関根さんと共同で、このプロジェクトを推進します)。
こちらの研究では、同社のマネジャーの方々がどのような行動をとり、どのような成果を生み出しているのか、について、マネジャー就任前ー就任後の縦断研究を実施させて頂くことになりました。心より感謝いたします。ありがとうございました。
マネジャー研究は僕にとっては「自分事」でもあります。地に足のついた知見を生み出していきたいと願っています。
そして人生は続く
投稿者 jun : 2014年9月26日 09:52
ビジネスパーソンに「教える」ときの「2つの教え方」:「染みこみ型の学び」と「差し込み型の学び」
研究領域の都合上、僕が教える学生は、9割以上が「社会人経験のある学生(=いったん会社・組織で働いた経験のある方)」、多くは企業で働くビジネスパーソンの方々です。
「人材開発に興味をもってくださる学部生の方」が、もう少し増えるといいのですが(!)、小生の努力足らずのせいもあり(泣)。人材開発というマニアックな世界に興味をもつのは一定の社会人経験が必要なようですね(泣)。
ということで、一年のほぼ9割は、社会人経験のある学生の方々と一緒に過ごしています。
▼
ところで、僕が社会人の方々を教える場合、
「どこで、どのくらいの期間教えることができて、その間にどの程度、何を伝え、問いかけるか」
に関しては、かなり「センシティブ」になっているつもりです。
もちろん、今の僕のやり方が「十分」だとは全く思っていませんが、下記は、このことについて「自戒」を、かなりこめて書きたいと思います。
今日の問いは、具体的に申し上げますと、
「大学院などの、長期にわたって、教えることのできる場所で社会人を教えること」
と
「社会教育施設などで、比較的短期間で社会人を教えること」
は似ているようで「違う」ということです。
以下は「あくまで僕の分野で、かつ、僕の経験では」という断りをいれた上で、このことについて書いてみましょう。
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前者「大学院などの、長期にわたって、教えることのできる場所で社会人を教えること」というのは、誤解を恐れずにいうならば「染みこむ学び」に近いものがあります。
(かつて、東洋先生が、日米の親子比較研究をなさっていましたね。たしか、そこで用いられていたワードが染みこみだと記憶しています・・・が、記憶に自信がありません)
その学びは、研究室という場所において長期間、「同じ釜のメシ」を食い、切磋琢磨する研究室メンバーとともにあります。
よって、指導教員の立場からすると、若干、「キメの粗い問いかけ」を行って、指導教員側から読むべき本、読むべき論文を事細かに指示しなかったとしても、困惑した面持ちで研究室でウダウダし、研究仲間に相談している内に、問題が次第に解決し、長期間のあいだには、あたかも「水が一滴一滴染みこんでいく」ように、問題解決のパターンが、非構成的、かつ、非意図的に習得されていきます。
もちろん、誤解を恐れずに申し上げますが、指導教員として「キメの粗い問いかけ」を毎日しているわけではありません(そこまでぶん投げ系ではありません)。また、こうした「長期間のしみこみ」が可能になるためには、研究室に一定の安定的な社会的関係が必要なことは言うまでもありません。
ポイントは、そうした問いかけを消化するにあまりある時間と場所が、こちらには「ある」可能性が高いということです。
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対して、「社会教育施設などで、比較的短期間で社会人を教えること」は、教える対象が「同じ社会人」でも、なかなかそうはいかないケースがほとんどです。
たとえば3ヶ月間全6回で、ある領域の知識を教えなければならない場合、同じ「問いかけ」をするのでも、「問いかけの範囲」と「揺さぶる範囲」をぐっと狭め、さらには、こちらから「提供する情報の量」も増やさなくてはなりません。
とにかく、こちらの学びは「時間」が限られているのです。それでも社会人の方々が、「なけなしの時間」を集めて来て下さった、貴重な時間なのです。この時間を制約として、最大限活かすことが求められます。
(クソ忙しい日常の中、数時間でも、自分の仕事外の学びに時間を費やせることは、本当に大変なことです。家庭がおありな方は、家庭の理解をとりつけることも必要でしょう。その気持ちはよくわかるのです)
また、先ほどに対して、短期間の社会人教育施設における学びは、社会から多種多様な人々が集まっていることが多いものです。こちらは、多くの場合「入試」などの選抜機会がありません。
経験上、これ以上は「過保護」だろうと思うくらいでも、案外、多様な人々には「刺さらない」ものです。それほど、伝えるメッセージは明確で、絞ったものにしなくてはなりません。
ですので、先ほどの学び方が「染みこむ学び」だとすると、こちら側は「差し込む学び」に近いものがあります。どちらがいい悪いの問題では全くありません。
ポイントは、学習できる時間量と場がこちらは圧倒的に少ないと言うことです。
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このように「社会人経験のある方を教えるやり方」ということは、少なくとも僕の領域に関していえば、「教える場所」「教える期間」によって、少し異なります。くどいようですが、どちらがいいとか、悪いの話ではありません。しかし「違いがあること」は確かです。
こう書いてしまうとアタリマエのことなのですが、意外にも、それを意識なさっている方は、そう多くない印象があります。
大学院で教えている先生が、社会人教育施設で教えると失敗してしまう原因
社会人教育施設でセミナーなどをやっている先生が、大学院の授業で失敗してしまう原因
にも関連するような気がします。
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今日のネタは「自爆ネタ」でした(泣)。「あんた、もう少しちゃんと教えてよ」というつっこみがいろいろなところから出てきそうですが、本当にすみません。努力いたしますので、今日のネタはスーパー自戒をこめて、ということでお願いします。
でも、今日のお話しは、社会人経験のある方を教えるというとき、そのあり方を考えるためのヒントにはなるのかもしれません。加えていうと、これは文章表現も似たところがあります。
どの程度、何を問いかけるのか、その学びは「しみこみ」をめざすのか「さしこむ」のか、考えてみるヒントになるのかな、とも思います。
そして人生は続く
投稿者 jun : 2014年9月25日 09:13
「実践のなかでのリフレクション」を饒舌に語る!?
先だって、中原研OBの関根さん、研究室M1の田中さんが中心になって、大学で「リフレクション」に関する英語論文を読む研究会を開催してくれました。
当日は、僕も参加させて頂き、まずこの広範な研究領域の最近の進展の歴史を、僕の短い研究の歴史で知りうる範囲で、オーバービューさせていただきました。リフレクション研究の広がりには、僕の目からみて、いくつかの「結節点」や「ねじれ」が存在します。発表では、これを言いたい放題言わせて頂きました。
研究会は15名くらいの、多様な領域の研究者・実務家の方々にご参加頂きました。皆さんとは、久々に議論をすることができました。ご参加いただいた皆様、ありがとうございました。
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思うに、リフレクションは、マネジャー教育、看護教育、教師教育研究の過去30年間の最も注目される概念として発展していますが、それを「どのように捉え」、「実証研究を積み重ねるか」は、必ずしも容易なことではありません。
その最大の理由は「リフレクション」という概念自体ー特にショーンが「専門家」の特質として概念化した「状況に埋め込まれたリフレクション(Reflection in Action)」が、外部から「観察」し「語る」ことを「拒否」する側面があるからに他なりません。
(Reflection on Actionの方は、また違った学問的諸問題がありますが、ここでは述べません)
例えば、当日盛り上がった議論に、専門家がそのつど、そのつど、状況において行う「Refction in Action(実践の中でのリフレクション)」を外部からいかにして把握・観察可能にするか、という課題がありましたが、これなぞは、そもそも外部から観察し、記述することを、そもそも拒否している概念に近いような気もいたします。
なぜなら、この概念が指し示す専門家の行為は、「状況の把握」と「次の行為の創造」が再帰的(リフレクティブ)な循環を持っておりそれらが「不可分」であることを概念の中に内包しているからです。
すなわち、この概念は、端的に述べるならば「行為と熟慮の不可分性」を取り扱っている。それは当の本人は意識しておらず、その駆動をリアルタイムで説明することもできない。
しかし、それでいて、そういうものがなければ、「専門家が専門家たる由縁」を説明することはできない。私見ながら、それが「Refction in Action(実践の中でのリフレクション)」という概念のとらえどころのなさなのかもしれません。
ということは、これを無理矢理、外部から記述しようとすれば問題が生じます。それは外部から観察すれば、「熟慮」の部分は見えませんので「専門家の行為」を抽出することになってしまいます。
一方、「行為と不可分に結ぶついた熟慮」を取り扱おうとすれば、それは専門家に「後付け」的に自らの行為を意味づけたものを抽出することになります。
それらを、もともとのRefction in Action(実践の中でのリフレクション)」と読んで良いかは、かなり議論の分かれるところです。
▼
かつて、僕は「暗黙知」を考察するときに、同様の問題提起を行ったことがありますが、「Refction in Action(実践の中でのリフレクション)」という概念も、それに近いものがある印象です。それは最初に概念化した人以外に、それ以上「語り得ぬもの」なのではないでしょうか。
暗黙知を饒舌に語る!?
http://www.nakahara-lab.net/2010/02/post_1650.html
以前、このエントリーを書いたのは4年前。それから僕は成長しているか否かというと、かなり心許ないのですが、そんなことをぐだぐだ考えています。研究会は来月にも開かれ、今度は批判理論の系譜に基づくリフレクション研究を読んでいくようです。
それにしても、こういう時間は貴重なものです。
押し寄せる「マネジリアルな処理案件」に、時に、迷子になりそうながら、そんなことを考えています。
我が人生は続く。
投稿者 jun : 2014年9月24日 08:04
ビジョンとは「映像を見せること」である!?
「ビジョン」という言葉があります。組織、経営、管理のいろいろな局面で、この言葉は用いられます。
やれ、
「うちの組織にはビジョンがない」
「うちの社長は明確なビジョンをもってない」
「あの部長には、ビジョンがない」
などのように・・・。
しかし、一般に広く用いられている、この言葉も、よくわからないようでいて、わからないところがあります。そもそも「ビジョン」とは何なのか。皆さんだったら、この言葉、どう説明なさいますか?
▼
先だって、授業に、サイバーエージェント人事本部長の曽山さんにご登壇いただいた際(お忙しいところ毎年ご登壇いただき心より感謝いたします)、曽山さんは、わかるようでいて、なかなか、わからない「ビジョン」のことをこうおっしゃいました。
ビジョンとは「映像(ビジュアル)をみせること」なんです。ビジョンというと、一瞬わからなくなりますが、「未来をビジュアライズする」と考えたら、もっとわかりやすいのではないでしょうか。
さすがは多読家の曽山さんですね。もともと大学時代は、ビジョンあふれる著名なリーダーの演説の分析をなさっていたそうですが、こんなところにも、その影響が垣間見えます。ありがとうございます。
おっしゃるとおり、ビジョンの語源とは「見ること」であり、そこから派生して、ビジョンには「視野」とか「先見」とかいう意味が存在します。
しかし、いろいろな意味はありますが、ビジョンの本質とは、「見ること」であり「見せること」です。つまり「目に見えること」「可視できること」です。
こう考えると、「ビジョンを示す」とは
「メンバーの心に未来の映像を見せること」
です。
「メンバーの心に、未来はこうなるんだな、という映像が浮かぶ状態をつくる」
といってもいいかもしれません。
だから「ビジョンを示す」とは「言葉を重ねること」でも、「語気をつよく語ること」でも、「将来目標をストーリーテリングすること」でもありません。それらは「手段の一つ」かもしれませんが、「目標」ではありません。
もっとも大切なことは、どのようなメディア、どのような手段を用いたとしても、
「メンバーの心に未来の映像を浮かばせること」
です。
ここで大切なことは、「映像」ということの根源にかかわることです。それは「時間軸」の存在です。映像は「静止画」と異なって「時間軸」が存在しているのですね。つまり、映像をつくるとは「時間軸を意識して、未来を描くこと」でもあるのです。
▼
さて、それでは、次に、どのような「映像」をつくればいいのでしょうか。
これを考えるとき、参考になるなと感じるのは、Yahooの宮坂社長に先だってお逢いしたときに伺った、「山登り」のメタファです。
宮坂社長は、「戦略」を、山登りにたとえて、お話ししておられました。以下は、曽山さんからうかがった「ビジョン」の話と、宮坂社長からうかがった「山登り」を重ね合わせてかんがえてみましょう。
たとえば、皆さんが、近い将来「山登り」をしようとするとき、事前に、どんなことを知りたいと思いますか? 言葉を換えますと、皆さんは「山登り」に向かうとき、チームリーダーに、どんな「ビジョン」を提示されたいですか?言葉をかえます。皆さんは、「山登り」のどんな映像をみたいですか?
まず、真っ先に思うのは「どの山」に登るか?
ではないですか?
だって、「どの山」に登るかがわからないと、準備ができないでしょう? (笑)。山登りの映像を考えるとき、どんな高さの、どの山に登るのかが、わからないと、心に何も浮かびません。そもそも映像のタイトルからしてわからない。
しかし、一方「登る山のわからないビジョン」「登る高さのわからないビジョン」、世の中には蔓延していませんか?
その次には一連の問いが続きます。
「誰とのぼるのか?(チームメンバー)」
「何時に待ち合わせて、どんな風にかえってくるのか?」
(スケジュールとアジェンダ)
「どんな道具を事前にもっていくといいのか(リソース)」
「そして登った先には、どんなに素敵な光景が開けているか」
(ポジティブストーリー:得られるメリット)
などではないでしょうか。
この場合、皆さんは、どんな映像を見たいと願うでしょうか?
たったひとりで、装備なしの丸腰Tシャツ短パンで、深夜1時の真っ暗闇で登り始め、いつ帰ってこられるかはわからなくて、登った先には「結局、地獄」しか開けていないような山登りの映像を見たくて見たくて、仕方がない
と願う方は少ないのではないでしょうか(笑)。ビジョンを提示されるとき、そんな映像を欲しいとはあまり思わないでしょう?
はたまた
相棒はヨコにいるんだけど、いつまでたっても、登る山がわからず、「どの山に登るのかな?」「どれだろうね?」「どこに登ろうか」「いや待とうよ」という風に、最初から最後までつぶやいているようなシュールな映像
を見たいと願う人もいないでしょう。サミュエル・ベケットの「ゴド待ち(ゴドーを待ちながら:不条理劇のひとつです)」のようなビジョンっていやでしょう?
でも、以外に、どんな光景を背景に仕事をしている方って、少なくないような気もします。ゴドーを待ちながら(笑)
どうせなら、
山登りだから多少苦しい思いはする。だけれども、気の置けない仲間とお互い声をかけあって、安全にかえってこられるスケジュールで集まり、準備万端の装備をもって出かけて、登り終わったあとには、山頂で、甘い物でも食べながら、一服するような映像
をみたいと思うのではないでしょうか。
ビジョンを描くとは、このように「映像」をつくること、みせることなのかもしれません。
▼
今日は「ビジョンを描くこと」について書きました。自戒をこめて、よいビジョン、よい映像を描きたいものです。
そして人生は続く
投稿者 jun : 2014年9月19日 08:01
「なったつもりシンキング」と「現場のイメトレ」:マネジャーの意志決定を学ぶために実務担当者時代にできること!?
先だって、ある会社の、非常に優秀な若手マネジャーの方に、ヒアリングさせていただいた際、その方がおっしゃっていたことが非常に印象的でした。
(御協力頂きました某社人事部の皆さん、特に本ヒアリングのアレンジに奔走してくださったSさん、ありがとうございました!)
「マネジャーになる前、実務担当者の時代に、ご自身は、どのように仕事をなさっていましたか? これからマネジャーになられる若い方に、何かアドバイスはございますか?」
という僕の一連の質問に対して、その方曰く、
「(若いうちから)意識してできることは1つあります。自分が、課長だったら、部長だったら、どういう判断をするか。今のライン(のメンバー)は、そのマネジャーの判断に対してどうなるか(どういう反応)を示すか、ということを常に考えながら仕事をすることです」
(上記の語りは、読者の弁を考え、一部修正しています)
興味深いなと思ったのは、「課長だったら」「部長だったら」という「なったつもりで意志決定の練習」をすることはよく言われることですが、「今のライン(のメンバー)は、その判断に対して、どのように反応するか」までイメージトレーニングをするということです。なるほど、そうした二重の予想トレーニングが必要だとおもっしゃるのですね。まことに興味深いことです。
▼
これに関することは、拙著「駆け出しマネジャーの成長論」に一部論じています。
拙著「駆け出しマネジャーの成長論」では、駆け出しの若手マネジャーが陥りやすいピットフォールのひとつに、「意志決定の課題」があることを指摘しました。
一般に、マネジャーは、現場の担当者が把持しているよりも少ない情報量で、現場で起こっていることを理解し、白とも黒ともなかなか判断のつかないことに、ただちに意志決定を行わなくてはなりません。
実務担当者時代は、迷えば、最終的には「マネジャーが決めてくれる」のですが、マネジャーになってしまえば、意志決定を「先送り」できなくなることが増えてきます。
また、一般に、マネジャーのもとには「白黒はっきりするようなわかりやすい問題=判断が容易な問題」は持ち込まれません。なぜなら「白黒がはっきりしている問題」は、実務担当者のレベルで判断がすでに為されていて、マネジャーのもとにくるまでもないからです。
かくして、マネジャーの日常は「白黒はっきりつかない意志決定」にまみれることになります。以前、どこかで申し上げましたが、マネジャーとして生きることは、「グレーを生きること」でもあるのです。
▼
マネジャーの行う意志決定が、もともと「白黒はっきりするような意志決定」でないのだとすると、その修練のためには「経験を積むしか」ありません。
白と判断しても、黒と判断しても、「それが本当に正しかったか」どうかはわかりません。さらに、どんな意志決定であっても、ともすれば「抵抗勢力」は生まれえるということを意味します。ここにマネジャーの意志決定の難しさがあります。
たとえ、49%の反対があったとしても、わずか1%でも、メリットがあるのならば、51%の可能性に賭けざるをえないのがマネジャーの意志決定です。49%のネガティブな実態を見極め、リスクを可能な限り低減することが求められます。
結局、こうしたの習得には「経験を積み、その結果とプロセスを内省すること」しかないと考えられます。
究極をいうと、マネジャーはマネジャーになったあとで、
マネジメントを学び(learn how to manage it)
マネジャーになっていく(to become a manager)。
のです。
しかし、可能であるならば、マネジャーになる「前」、実務担当者時代から、この修練を「習慣」として行っていきたいものです。
実務担当者の時代から「課長になったつもり」「部長になったつもり」で、意志決定をしてみる。同時に、その意志決定に対して、どのような反応が現場から生まれ得るかを、こちらも考えてみる。
要するに「なったつもりシンキング」と「現場のイメトレ(イメージトレーニング)」です。これを習慣化しておくことが、マネジャーになる前に、せめてできる準備です。先ほどのヒアリングでは、そうしたことを、ある先達マネジャーから伺うことができました。
一方、いつまでたっても、そうした準備ができず、マネジャーになりきれない人もいます。
本来マネジャーになるべき年齢・発達課題が生じているのにもかかわらず、いつまでたっても「課長になったつもり」「部長になったつもり」の思考ができない。「自らの意志決定の結果、現場に何が生まれるか、現場の誰が白け、誰が喜ぶか」を想像できない人は少なくはありません。
そういう思考がいつまでたってもできずに、「個人の思いこみ」や「べき論」だけで行動してしまう。発達課題をクリアできず、こうした残念な状況に留まる人もいます。誠に残念なことです。
▼
今日は、マネジャーが行う意志決定のトレーニングについてのお話しをしました。
月並みですが、マネジャーになる前から、
【なったつもりシンキング】
マネジャーになったつもりで考える
【現場のイメトレ】
その意志決定の結果
現場メンバーにいかなる反応が生まれるかを考える
こうした「習慣」をなるべく早いうちからもつことが、重要だとおもわれます。
マネジャーの意志決定は、それだけの準備をしても、実際にその状況に置かれないと習得することが難しいのかもしれませんが、とはいえ、できることは早いうちから準備をしておいたほうがいいように思います。
そして人生は続く。
投稿者 jun : 2014年9月18日 06:00
あなたもたまには「うんち」になってみませんか?:日本科学未来館・企画展「トイレ? 行っトイレ!~ボクらのうんちと地球のみらい」に行ってみた!?
先だって、日本科学未来館で開催されている企画展「トイレ? 行っトイレ!~ボクらのうんちと地球のみらい」に、家族で出かけました。
トイレ? 行っトイレ!~ボクらのうんちと地球のみらい
http://www.miraikan.jst.go.jp/sp/toilet/
この企画展は、トイレ・うXちをテーマにして、それにまつわるさまざまな課題を、様々な体験をしながら、考えることをめざした展示です。
うXちとは何か? それでは、どこで生まれ、どこに流れていくのか。世界には、どんなトイレがあり、衛生状況はどのように異なるのか、など、トイレ・うXちにまつわる課題はなかなか深淵で、考えさせられます。トイレやうXちを一皮むけば、そこには南北問題・貧困問題はじめ、様々な社会の矛盾が見え隠れします。
世界には、貧困などの問題で、トイレが利用できない人々が、多く存在します。わたしたちがあたりまえだと思うものが、決してあたりまえではありません。これには、TAKUZOも、かなりびっくりしていました。
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しかし、圧巻なのは、「うんち帽」をかぶって(ええい、もう面倒くさい! うXちと書くのをやめます)、自ら「うんち」になって、トイレ滑り台から下水に流れていくコーナーです。そこでは、お客さんひとりひとりが「うんこになってみる」ことができます。
うんちになって「滑り台」をすべると、そこは下水。
TAKUZO含め、我が家は家族全員で「うんち」になって流れていきました。
もちろん、僕も(笑)。
「トイレ? 行っトイレ!~ボクらのうんちと地球のみらい」は、10月5日までです。土曜日・日曜日までは大変混んでいるようで、僕らがでかけた日も、朝10時の開場から少したつと、長い行列でした。
おすすめは、チケットをローソンのロッピーなどで事前にゲットしておくことです。また、出かけるのは開場10時と同時がよいかもしれません。うちはそうしました。そうすると、待ち時間を大幅に短縮することができそうです。
あなたも「うんち」になって、たまには流れてみませんか?(笑)
一週間のしょっぱなから、こんな話題ですみません(笑)。
いたって、わたくしは真面目です。
そして人生は続く
投稿者 jun : 2014年9月16日 06:00
森のなかで「組織開発」を学ぶ!?
先だっては、中村和彦先生(南山大学)をお迎えし、山梨県・清里で「森の中で学ぶ組織開発」(ラーニングイノベーション論)というセッションを行わせて頂きました。
専門家に便所スリッパでカンチョーされることを覚悟して、ワンワードで述べるのだとするならば、組織開発とは「組織の体質改善」みたいなものです。
いろいろな社会的背景をもった人々が集い、仕事をする毎日を重ね、多忙な生活をしていけば、いつしか組織は目標を失い、部門間には壁ができてしまいがちです。特に、様々な雇用形態の人々が働く、現在の組織においては、その傾向はなおさらです。
組織開発とは、そうした「健康さを失いかけた組織」の「体質改善」を行うムーブメントのようなものです。
4つの異なる「組織開発」:人を集めても、なかなか"組織"としてまとまらない社会に生まれたもの
http://www.nakahara-lab.net/blog/2011/06/post_1786.html
組織開発(Organizational Development)を下支えする理論と価値観
http://www.nakahara-lab.net/2013/10/organizational_development.html
組織開発・人材開発の専門知識をどこで学ぶのか?
http://www.nakahara-lab.net/2014/02/post_2179.html
「体質改善」ですから、その手法は様々です。
ひとによっては、休肝日をもうける人もいるでしょう。毎週ジムにかよう人もいるでしょう。また、一駅前でおりて仕事場に通う人もいます。このように組織開発においては「手法」は単一ではありません。「組織開発」というラヴェルは、多種多様な手法を来る見込む、大風呂敷のようなものです。
最後になりますが、ご登壇いただきました中村先生、ご参加いただきました受講生の皆様、事務局の調さん、保谷さん(復活!)、本当にお疲れさまでした!ありがとうございました。
森は今回も、1年前と同じように、そこにありました。
そして人生は続く
ーーー
追伸.
それにしても「清里の森」は素晴らしい学習環境でした。
「人材開発、学びの開発にたずさわる方の学びの場は、それ自体、ベストであるべきだ!」
は「小生の曲げられない持論」ですが、まことに素晴らしい! こうした場で学べること自体が、感謝ですね。
投稿者 jun : 2014年9月14日 07:48
技術伝承とは「上から下に技術をそのまま伝えること」ではない!? : 世代を超えた技術継承の鍵は「研究」にある!?
「スーツづくりには、直線はほとんどないんです。どこもすべて、丸みを帯びている。丸みをひとつひとつ縫い込み、立体的に仕上げるていくんです」
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先だって、雑誌「人材教育」の取材で、銀座にあるスーツテーラーメイドの老舗「銀座テーラー」さんにお邪魔させていただきました。上記は、銀座テーラーの工場長・中山さんが工場を案内してくださったときに話してくれたひと言です。
銀座テーラー
http://www.gintei.com/
かつては、どの街角にも「タバコ屋さん」の隣にあったテーラーメードの洋服店。しかし、衣服は、戦後、高度経済成長期をへて「つくるもの」から「買うもの」に変化していきます。いわゆる「レディメイド」の大量生産と普及です。そんな中、テーラーメードの洋服店は、一軒、また一軒と消えていったそうです。ここ銀座であっても、代表的なお店は5本の指で数えるほどになってしまいました。
そんななか、今でも、銀座テーラーさんでは、お客様ひとりひとりにあった採寸・仮縫いを行い、ひとりの職人が一着のスーツを一貫してつくりあげる体制をとっています。
生地を裁断し、ひとはりひとはり縫い上げ、お客さんの身体にもっともフィットするスーツを、今日もつくりあげています。その商品は下記にビデオがありましたので、どうぞご覧下さい。それにしても、美しいスーツですね。
銀座テーラーオーダーメードスーツ
http://www.bs-j.co.jp/off/backnumber/backnumber04_12.html
ところで、銀座テーラーさんにも「経営課題」が存在しないというわけではありません。そのひとつが「職人の高齢化と技術継承」だそうです。要するに、テーラーメイドのスーツをつくりあげている職人さんたちが高齢化し、その技術を早急に若い世代に継承しなくてはならないことが、喫緊の課題となっているそうです。
銀座テーラーさんでは、その経営課題を解決するため、20代の将来ある若手を採用し、高齢の職人とマンツーマンで仕事にあたらせ、技術の継承を急いでいらっしゃいます。
▼
実際、工場をおとずれさせていただきましたが、そこにいらっしゃる方の年齢構成は2つに別れていました。60代ー70代の年配の職人さんと若手の職人さん。
両者が静かに、ひとはり、ひとはり、スーツを縫い上げている様子が非常に印象的でした。
かつて職人の育成とは「使いっ走り」が10年。そのあいだ、先輩が休んだ日を見計らい仕事をまかせてもらったり、人がみな帰宅したあとに縫い目を盗み見したりして、なんとか技術を憶えました。工程ひとつひとつを憶えるにも、縫うことに5年、裁断10年という風に、とてつもない時間がかかったそうです。
しかも、仕事のやり方は「誰も教えてくれない」。若手の場合、完成品をつくりおえたあとの検査で、「ダメ出し」がなされるだけで、「ダメな理由」は述べられない。そうしたものが職人の「育成」でした。
しかし、いまや、それでは「若手」は誰もついてこないばかりか、そもそも「経営・競争」に負けてしまうといいます。ポイントは前者というよりも、「後者」です。そもそも「経営できない」というところが大切なところです。
これは銀座テーラーさんについて述べていることではありませんが、我が国に蔓延る「言葉が極端に不足している育成」には、ひそかに
「俺が上にやられたことは、下にもやってやる」的な「全くイケていない体育会的再生産」と「俺の若い頃はなぁ苦労したんだ、おまえわかってんのか的なノスタルジー」
が、見え隠れしていることが多いものです。
俗に「技術は身体で覚えるもんだ」とか「仕事は俺の背中を見て学べ」とかいう言葉は、人材育成の領域で語られるものです。もちろん、たしかに、それは「そのとおり」かもしれません。「技術の奥深いところ」や「仕事の本質」は確かに「言葉では教えられない」かもしれない。
しかし、そのことは「若年者」を対象にして、なかば「しごき」のように行われる「言葉が極端に不足している、育成とはいわない育成」を正当化するには根拠が不足しています。
「技術は身体で覚えるもんだ」とか「仕事は俺の背中を見て学べ」という言葉にロマンティシズムを感じる「上の人」に対して、さらにロマンティシズムとリスペクトを感じる若者がいて、これらがマッチングしているのなら、僕は何も申し上げることはありません。どうぞお二人でロマンティシズムを感じていてください。公衆良俗に反しない限り、それは個人の勝手です。
しかし、現在の状況は、このマッチングが上手くいっていないところが多くなっていないように僕には思えます。また、そうした育成では変化に対応しきれず、また育成期間も長期間になるために、このままでは「経営・競争」に負けてしまう組織が少なくないのではないでしょうか。そうした場合には、今の時代にあった新たな育成のシステムを整備する必要がでてきます。
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個人的に印象的だったのは、銀座テーラーで働きはじめて3年たった、若手の方が、こうおっしゃっていたことでした。
「職人さんたちの仕事を見ていて、その仕事は"研究"だと思うんです。これでいいってことは全くない。毎日毎日、つきつめてつきつめていく。その仕事は"研究"に近いと思います」
とかく「技術伝承」といいますと、「上」から「下」に技術をそのまま「伝達」し、「下」の人は、その技術をそのまま現場に適用するようなモデルを考えてしまいます。しかし、お話を伺っていると、そうではないような気がしてきました。
もちろん「技術の伝達」は必要なのです。しかし、それに加えてもうひとつ重要なことは「上の人」から「下の人」に「研究マインドをしっかり伝達すること」、そして「下の人」が単に「上の技術」を「模倣」し「適用」するのではなく、数ある伝統的技術を参考に、「自分なりのやり方」をつくりあげていくことです。
すなわち、「技術伝承」とは「上」が「技術」を伝達することと同時に、自らが「研究している姿」を見せること。
次に「下」が、伝達された技術をもとに仕事を行いつつ、最終的には「自分なりのやりかた」を「研究」を通して発見するプロセスのことを言うのではないか、と思いました。
実際、銀座テーラーさんでは、現在、若い人の感性や志向にあった新らしいスーツを若手中心で開発しています。そして、そこには高齢の職人さん達が培った確かな伝統的技術の粋が活かされているそうです。
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こうしたお店で、美しいスーツを見ておりますと、生まれながらの「調子こき太郎」の小生は、「おい、それなら、僕にも1着スーツを頼むよ」とオーダーをしたくなる衝動にかられます。しかし、、、お値段が(笑・・・ちなみに、銀座テーラーさんには比較的リーズナブルなラインもございます。詳細はお店へどうぞ!)。
清水の舞台から「バンジージャンプ」するつもりで、「技術継承」に「御協力」させていただくのか、どうか、「眠れぬ夜」が続きます。
そして人生は続く
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追伸.
今回の連載「学びは現場にあり!」は、「人材教育」編集部、久保田さん、西川さん、そして井上さん、僕の?、またまた珍道中をもとにした記事です。もう5年くらいやっているのでしょうか??取材もさることながら、編集部のみなさんとの珍道中も面白く続いているのでしょう。
漁師さんから、CAから、パン屋さん、美容師さん、歯医者さん、救命救急病院、果てには航空管制官から宇宙船のフライトディレクターまで、ありとあらゆる職業の仕事の現場=学びの現場を、「突撃隣のばんごはん、ヨネスケ状態」で取材させていただいております(笑)。これまでに御協力頂いたみなさま、本当にありがとうございました!
投稿者 jun : 2014年9月11日 05:51
「なんじゃこりゃ!どうなってるんだ、この組織は!」という「違和感」はいつ消えるのか?:中途採用者の記した「違和感ノート」のゆくえはいかに!?
人は新たな組織に参入しようとするとき、多かれ少なかれ、「違和感」を感じたり、「心理的葛藤」を持ったりすることは、よく知られている事実です。この問題に関しては、拙著「経営学習論」でも論じたことがあります。
今、中原研有志の大学院学生とやっている調査では(No2トランジション調査)、外部からのニューカマーの「組織参入時のネガティブな感情」を測定していますが、いかなる「参入者の社会的属性」と「ネガティブな感情の多寡」を掛け合わせてみても、その「差」に統計的有意な差はありません。
要するに、
男であろうが、女であろうが、業種がどうであろうが、職種がどうであろうが、外部から組織に参入したときには、どんな人であろうと「おや、変だな」「なんじゃ、こりゃ、どうなっとるんだ、この組織は?」と感じる瞬間がある
ということです。
ま、そうだよね(笑)。寸分違わず、イメージどおりってのも、なかなか想定できない。行きすぎた場合によっては「この組織、入る前とイメージ違うな」とか「こんなはずじゃなかった」と感じるのかもしれませんね。
しかし、同時に興味深く面白いのは(勝手に僕が面白がっているだけでしょうか!?)、「組織参入時の違和感」が持続するか、というと必ずしも「そうではない」ということです。
このことに関して、先だって、僕の授業を受講していた、あるビジネスパーソンの方が、こんなことをおっしゃっていました。
「わたしは転職経験が何度もあるのですが、転職したときに感じる違和感を、忘れないように、ノートにメモしておくのです。でも、しばらくしてそのノートを見直してみると、そこに表現されている違和感が、今の自分にはなくなっていることに気がつきます。かつて違和感を感じていた自分が、不思議に感じるくらい。人が組織に染まり、違和感を感じなくなるまでにはそう時間はかかりません。ものすごいスピードで、人は組織に染まっていきます」
ICレコーダをもっていただけではないので一字一句同じというわけではないですが、こあるビジネスパーソンが語られた、この事実は非常に興味深いものでした。
組織参入当初、どんなに強烈であった「違和感」でも、その組織に長く所属していれば、消失していく。言葉をかえれば、
「時間」は「違和感」を「あたりまえ」に転化する
すなわち、組織が人を染め、人が組織に自ら染まっていくプロセスというものは、まことに強靱であるということの証左でしょう。
それにしても、興味深いのは、中途採用を多数経験なさった方のおつくりになった「違和感ノート」です。それ自体が、研究対象になるくらい、興味深いもののように感じ、面白がっているのは、僕だけでしょうか。
たとえば、これから中途採用者を大量に受け入れる組織が、何らかのかたちで、そこで感じた違和感をノートに書き付けてもらうと、その「組織の有する組織文化の特殊性」が見えてくるのかもしれません。場合によっては、そうした違和感を「組織変革」といったらおおげさだけど、「組織の特殊性」を是正するリソースとして参考にすることもできるかもしれない。
また、どのような違和感を感じた人が、組織参入後、どのように変わっていくかを、トラックして縦断調査すれば、それはそれでまた面白い結果がでるのかもしれません。
このように小生の「白昼夢」は今日も続きます。
あなたが、ある組織に入ったとき、感じた違和感は何ですか?
それは、いつ頃、消え去りましたか?
そして、今、あなた自身は「かつてのあなたが感じた違和感」を「再生産する主体」に変わり果ててはいませんか?
・
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そして人生は続く
投稿者 jun : 2014年9月10日 06:00
「わかっちゃいるけど、やめられず、繰り返してしまう行動」をいかに抑制するのか?
リーダーやマネジャーとして「やってはいけないこと」とわかっていつつも、ついつい「繰り返してしまう行動」というものがあります。
例えば、「ついつい、マネジャーであることを忘れ、下の人の仕事に必要以上に手や口をだしてしまう」とか「すぐカッとなってツメてしまう」とか、その類の行動を思い浮かべていただけると、ここではよいのかな、と思います。
そういう行動に関して、組織行動論の研究では、1980年代からRelapse Prevention Research というものが進展しています(たとえば、Marx 1982などですか)。
「Relapse」とは「逆戻り・再発」のこと、「Prevention」とは「防止」ですから、さしずめ、ここではそれを「再発防止研究(RPR)」とよびましょう。
その研究の全体像を描き出すことは、ブログの趣旨を超えているので、敢えていたしません。これら一連の研究は、カウンセリングや臨床心理学における「認知行動療法」を、マネジャー研究に応用・適用したものであるとだけ、背景を述べておきます。
(だから、メリットがある反面、デメリットもあります)
▼
「やってはいけないとわかっていつつも、なぜ、人は問題行動を繰り返すのか?」
この問いに対するRPRの答えは、非常に興味深いものです。
RPRでは「わかっちゃいるけどやめられない状況」の原因帰属(理由)を「個人の意志の強さ・弱さ」に求めません。人が「やめようと思ってやめられない」のは「個人の意志の弱さ」によるものではない、と考えると言うことです。
そうではなく、むしろ、RPRでは「やめなきゃならないことを、思わずやっちゃったこと」に対する「受け止め方のまずさ」と「対処スキルの不足」によると考えます。
要するにこういうことです。
「わかっちゃいるけどやめられない状況」から個人が抜け出すのは、その個人がどんなに「強靱な意志の持ち主」であったとしても、なかなか難しい。
よって、人は、問題行動をやめようとするプロセスの中で、「わかっちゃいるけど、やらかしちゃうこと」が、頻繁に「起こりうる」。要するに「問題行動からの離脱」が「一時的に失敗」してしまうことが起こりえる。
しかし、「わかっちゃいるけど、やらかしちゃったこと」が起こったときこそが「ポイント」である。そうした「一時的な失敗」をどのように意味づけ、どのように対処していくか、こそが「重要な岐路」になる。
一般に、人は「わかっちゃいるけど、やらかしちゃった」ときには、「罪の意識」に苛まれ、かつ「高い不安」が生じる。そのとき「自己効力感(おれはやめることができると思える感覚)」は低下し、「本当は、やめなきゃいけないのだけれども、意志がよわくてやめられない自分」という自己像を強化してしまう。
要するに、
「俺は、わかっていたのに、やめることができなかった。あーあ、あんなに約束したのに、破っちゃった。もうだめだ。いや、まてよ、俺は、そもそも、やめることができない弱い人間なんだ。だから、そもそもやめようと考えること自体が間違いだったんだ・・・だから、やめないでおこう」
と考えてしまうということですね。
ここで本当に「やめるため」には、「わかっちゃいるけど、やらかしちゃった」事態を、どういう風に受け止め、対処していくべきなのか。
それは第一に「完璧にやめることができなければ、やめたことにならない」という「考え方」をかえることからはじまります。別に、すぐに完璧にやめることができなくたっていいじゃないか。「やめる」と決めた時点で、「やめるプロセス」の中にいるのだから。
そして、もし「一時的に失敗した=わかっちゃいるけど、やらかしちゃった」としても、それを「起こりえること=あるがままのこと」にとらえて、努力を継続していくこと、にあると思われます。RPRでは、リーダーシップ研修の最後などに、こうした状態を予防するカリキュラムを実践します。
要するに、
「俺は、わかっていたのに、やめることができなかった。でも、そもそも仕事の現場で長期間つちかった癖は、なかなか変えることはできない。そういえば、そういう一時的な失敗は起こりうることだ、だから気にしちゃいけないと教わったじゃないか。そうだ、それは俺の意志の弱さによるものじゃない。だから不安を感じる必要はない。もう一歩冷静になって考えてみよう。次に俺は何をするべきなんだろう」
という意味づけを導くということですね。
▼
人は、まことに「弱い」存在です。
そして僕も「弱い」(笑)
時には「わかっちゃいるけど、繰り返してしまう行動」というものが、多くの人には存在します。しかし、完璧ではないことをまずは認め、そこから少しでも物事を前進させることを考えたいものです。
あなたの「わかっちゃいるけど、やめられない行動」って何ですか?
そして人生は続く
投稿者 jun : 2014年9月 9日 06:26
新人の「手離れ」はいつおとずれるのか?:一人で向かう「営業」、たったひとりの「夜勤」、自分で決める「登る山」!?
ここ数日、青山学院大学大学院で集中講義「組織行動論特論」という授業をしています。この授業は「採用」「研修開発」「OJT」「マネジメント開発」「リーダーシップ開発」の5つの領域のもっとも基礎的な文献を読んで、議論をするというものです。
授業には、大学院学生、14名の皆さんが参加し、英語文献を読みつつ、議論をなさっていらっしゃいます。まことにお疲れさまです。
▼
大学院生の皆さんとの議論は、どれも興味深いものですが、先日なされた「手離れの科学」に関する議論は面白いものでした。
「手離れの科学」とは、ここではさしずめ、
「経験の浅い若手社員へのOJT、上司・上位者からのサポートを、どのようなタイミングで、どのように"解除"していくのか?」
ということだとお考え下さい。当日は、Academy of Management Journal に掲載された「上司からのサポートの消失(手離れ)」に関する論文を読んだうえで、様々な職種には、どのような「手離れのタイミング」がありうるかを話し合いました。
▼
たとえば、ある製薬会社におつとめの方は、製薬業界の若手、すなわち「経験の浅いMR社員」の「手離れ」が、従来よりも、格段に遅いタイミングでなされていることを指摘なさっておりました。
各種関係法令の整備等、そして、「薬」という安全が第一の商品を扱うことのクリティカルさから、従来、半年くらいであったサポート期間が伸びて、今では1年半くらいたっても、上司からの営業同行を受けるのだそうです。結果として、手離れは2年目の夏以降ということになります。
ある看護師さんは、看護師にとっての「手離れの瞬間」が「夜勤を1人で担当すること」にあると報告なさっていました。診療報酬の関係で、現在では、4月に入職した看護師さんは、数ヶ月後には「夜勤を自分1名で担当すること」になるのだそうです。その瞬間がもっとも緊張感のある一瞬だそうです。
あるコンサルタントの方は、ひとつのプロジェクトを自分ひとりで回せるようになるまで熟達しなければ、「手離れ」することはできない、と語ります。その期間はながく最低でも2年ー3年はかかるのではないか、と指摘されていました。
このように「手離れの瞬間」は、職種、仕事の内容、置かれている競争環境・社会的状況に応じて変わってくることがわかります。それ自体はあたりまえのことなのですが、それがモデリングできたとしたら興味深いですね。面白がっているの、僕だけ?(笑)
▼
ひるがえって考えるに、自分自身も、自分の仕事について考えます。すなわち、研究者にとっての「手離れ」はいつなのかな、と考えます。
研究者の場合、「手離れの瞬間」のひとつの契機として「博士論文執筆と博士号取得」がありうるかと思います。
「博士論文執筆と博士号取得した大学院生」は、「自由な存在」であり、僕にとって、もう「一人前の研究者」です。自律した、自由を享受するひとりの研究者に、少なくとも僕の感覚では、言うべきことは何一つありません。
「道に迷った」としても、「自ら迷うこと」を選択していると考えます。「何にも挑戦していない」ようにみえても、そういう道を自ら選択しているのだと考えます。
思うに、少なくとも僕の領域では、「博士論文執筆と博士号取得した一人前の研究者」が次になすべきことは、「指導教員と相談してテーマと方法論と対象」を決める状態ことからの「早期の離脱」です。
駆け出しの研究者は、まずは「指導教員」ときっちり「別離」することが大切だと考えます。指導教員を相対化したり、別離できない研究者は、いつまでたっても「半人前」なのではないでしょうか。いつまでたっても指導教員を崇め奉り、その影響下にいて、威光を借りることができるのだとすれば、それは「心地よい」でしょう。しかし、僕は少なくとも、そうういう状態をリスペクトできません。
博士号取得までは、「登るべき山と、その高さ、装備品と、登山チーム」を指導教員と相談のうえ、決めたかもしれません。しかし、これからは、「登るべき山と、その高さ、装備品と、登山チーム」」自ら組織し、探究を行わなくてはなりません。リスクはすべて自分で負います。
思うに、それが「手離れ」ということです。
そして「自由」ということです。
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少し話が長くなりました。
思うに、これまで経営学習研究・人材開発研究は「どのようにサポートをなすか」ということに関して「饒舌」でした。
今後は、それらに加え「どのようにサポートを解除するか」・・・すなわち「手離れの科学」が必要になっているように思います。どのような環境にいる人が、どのようなタイミングで、どのように手離れを経験するか。こうした問いを面白がりながら、そろそろ授業は佳境に入っています。
皆さんは、どんな「手離れ」を経験なさりましたか?
御社の若手社員はいつ「自律のとき」を迎えますか?
そして人生は続く
投稿者 jun : 2014年9月 8日 07:16
世界初!演劇人による「オンラインワークショップ!?」をご体験ください:東京大学無料オンライン講座「インタラクティブティーチング」熱烈受講者登録受付中!
昨日に引き続き、この一週間は、インタラクティブティーチングで「しめ」させていただくとして、きょうも同じネタです(笑)。でも、ちゃんと「角度」は変えているので、ぜひお読み下さいね(笑)
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もう2週間ほど前になるのでしょうか、東京大学・無料オンライン講座「インタラクティブティーチング」(受講者無料)の収録が、駒場で行われていました。
インタラクティブティーチングには、双方向にダイナミックに「教える」ためのナレッジ、スキル、ストーリーが満載になっているオンラインコンテンツです。所定の基準をクリアいたしますと、修了証も授与されます。
下記から受講生登録をしていただけますので、ご興味のあう方はどうぞよろしくご検討下さい。「激しくおすすめ」なのは、たとえば、企業や組織の気の合う仲間と受講いただき、これを「肴」に議論したり、盛り上がることです(笑)。「ひとりで学ぶ」よりも、「みんなで学んだ方」がたぶん「愉しい」し、継続できます。どうか、お近くの方、ご近所の方など、皆さん、お誘い合わせあわせの上、ご受講いただけますと幸いです。
東京大学・無料オンライン講座「インタラクティブティーチング」受講生登録募集ページ
https://lms.gacco.org/courses/gacco/ga017/2014_11/about
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ところで、話を戻しますと、インタラクティブティーチングの中には「スキルセッション」と称するものがあります。
スキルセッションは、中原個人としての思いとしては「パフォーマンスの知」「ストーリーの知」「即興の知」を、「教えることを学ぶこと」に組み込みたい、という思いで、フジテレビの田中良和さんからご紹介をうけ、音楽座ミュージカルさんをご紹介いただき実現しました。その実現に際しては、音楽座ミュージカルさんと、主任講師の栗田さんはじめスタッフの皆さんの努力があったことは言うまでもありません。お疲れさまでした&ありがとうございました。
(フジテレビの田中良和さんはご自身も興味深い試みをなさっています。せんだって、一度収録を見学させて頂きました。フジテレビの「めざましテレビ」を湾岸スタジオで収録する体験学習のプログラムを実践なさっておられます)
フジテレビのお仕事
http://www.fujitv.co.jp/gotofujitv/oshigoto/index.html
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収録では、同社の藤田さん、渡辺さんに、演劇・演出の観点から「受講生とうまく関係をつくり、学びの場をつくりだす」ための授業をしていただきました。
せんだっての収録では、僕は、他の用事が非常に立て込んでおりましたので(小生、マネジャーでもあるのです)、残念ながら、すべての授業を見学することはできませんでした。
が、それでも、いくつかの様子を垣間見させて頂き、音楽座ミュージカルさんの試みを非常に興味深く感じました。これから、演出家や俳優さんの前にして、「あたりまえのこんこんちき」「アタリ前田のクラッカー」のこと、ほざいていいですか。。。。
アタリマエだろと便所スリッパで殴られるのを覚悟していくと、その授業を拝見しておりますと、話者の「声」が「届く」感覚というのでしょうか。話者の「立ち位置」や「立ち振る舞い」が場をつくりこむ感覚、というのでしょうか。お二人が実践なさる様子を見て、そういう不思議な感覚をもったのです。
そして、同時に僕は「自分は今のままではダメ」だと思った。僕自身が、もう一度学び直そうと感じました。僕が今やっているやり方で、このまま授業、講演、ファシリテーション、ワークショップをしても、そのスタイルでは、「Good time」をお届けできないと感じました。僕自身も学び直さなくてはなりません。改善するべき所は多々あるな、と感じたのです。
授業の様子は、ぜひ、11月からスタートするMOOC講座「インタラクティブティーチング」でご覧いただければと思います。
東京大学・無料オンライン講座「インタラクティブティーチング」受講生登録募集ページ
https://lms.gacco.org/courses/gacco/ga017/2014_11/about
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ここ数年、つくづく思っていることのひとつに、我が国における「パフォーマンスの知」「ストーリーの知」「即興の知」の認知度の低さがあるように思います。
「何をほざく!」と関係者には便所スリッパでカンチョーされそうですが、僕はむしろ、そういう「知の見方」です。だから、便所スリッパを、わたくしの「ケツ」に刺さないで(笑)。
「教えること」のみならず、「マネジメント」「リーダーシップ」「フォロワーシップ」・・・そういう風に「人が人に影響力をもたらしたり」、「人が人を動かしたり」する場面のひとつひとつにーすなわち、僕が興味をもっていることすべてにー「パフォーマンスの知」「ストーリーの知」「即興の知」がもっともっと活きるのではないかと感じています。
そして、俳優、演劇関係者の方々が、マネジメント、リーダーシップに興味をもってくださる未来がくるとよいなと感じます。
かつて、そんな思いをむねに、盟友・高尾隆君(東京学芸大学・准教授)と一緒に「インプロする組織」という本を書かせてもらいました。
この本は、僕と長岡健先生(法政大学)の前作「ダイアローグ 対話する組織」を「プチちゃぶ台返し?」する意味もあって(正確にいうと捕捉ですね)、「ロゴス(ことば・論理)」ではなく、「パフォーマンス」に焦点をあてて論じたつもりです。
が、僕の力不足もあって、こういう思いをうまく綴ることはできたかどうかはわかりません。でも、僕はそういう思いで、高尾さんと意気投合し、この本を書きました。
(ちなみに「ダイアローグ 対話する組織」は、発売から4年たつのですが、五刷重版が、昨日、かかりました。ありがたいことです!前澤さん、井上さん、よかったですね!応援していただいた皆様、心より感謝いたします!)
▼
というわけで、ちょっくら脱線気味でしたが、「インタラクティブティーチング」の中には、日本のMOOC初!いいえ、たぶん世界初なんじゃないでしょうか、、、演劇人による「パフォーマンスの知」が発揮されるオンラインワークショップも収録されています。
(確認してないので知りません・・・小生、勝手に日本初、世界初を名乗る癖があります。もしすでに同様の試みがあったら、関東初くらいに縮小してタイトルをつけかえましょう!)
本来、リアルセッションで、こうしたワークショップが実施されるのが普通でしょうが、今回は無理に無理を申し上げ、音楽座ミュージカル様には、デジタル、オンラインに挑戦していただきました。収録の最後の最後まで、どのように「パフォーマンスの知」の質感をデジタルで伝えうるかについて、皆さん悩んでおられた様子が印象的でした。
「インタラクティブティーチング」は、マニアックな視点からお楽しみいただけますよ(笑)パフォーマンスの知の観点から、演劇人の観点から、そしてリアルタイムセッションをいかにデジタルに再現するか、という観点から・・・そんなマニアックな視点をお楽しみ下さい。
どうぞご登録いただけますよう、お願いいたします。
東京大学・無料オンライン講座「インタラクティブティーチング」受講生登録募集ページ
https://lms.gacco.org/courses/gacco/ga017/2014_11/about
今週も爆走しました。
週末は・・・集中講義で仕事です。
身体的には「ひーひー」いってます。
何とか爆走します。
ところで、青山学院大学・大学院の皆さん、宿題、終わられましたか?
てんこもりに英語論文を宿題にだしてしまい、申し訳御座いません。
明日9時からの講義、お逢いできますこと愉しみにしております。
そして人生は続く
投稿者 jun : 2014年9月 5日 06:56
【募集中・拡散大歓迎】東京大学・無料オンライン講座「インタラクティブティーチング」の受講者登録がはじまりました!:ダイナミックに教える、愉しみながら一緒に学んでみませんか!?
皆さま、今日はおすすめ!?コンテンツをひとつご紹介させてください。
東京大学・無料オンライン講座「インタラクティブティーチング」(受講料無料)が、な、なんと、受講生募集を開始いたしました! オンラインで受講が可能です。下記のMOOCサイト「gacco」でポチッと受講生登録ができます!
「聞くだけの授業は終わりしよう!」・・・インタラクティブティーチングには、双方向にダイナミックに「教える」ためのナレッジ、スキル、ストーリーが満載になっているコンテンツです。オンラインコンテンツですので、自分の好きなときに、愉しみながら学ぶことができます。
「ワークショップすること」「ファシリテーションすること」など、インタラクティブに学ぶこと、教えることに興味をお持ちの皆様に愉しみながら学んで頂けるコンテンツであると思います。所定の基準をクリアいたしますと、修了証も授与されます。
受講は無料、個人での受講も可能ですし、せっかくなので、職場?の皆さん、ご家族連れでいかがでしょうか。どうぞよろしくご応募いただければと思います。大丈夫、受講登録しても、怪しいツボが送られてくることはありません。
また、お近くに興味をお持ちになりそうな方に、ぜひご案内をお願いできればと思います。
東京大学・無料オンライン講座「インタラクティブティーチング」受講生登録募集ページ
https://lms.gacco.org/courses/gacco/ga017/2014_11/about
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東京大学・無料オンライン講座「インタラクティブティーチング」は、
1.教えるためのナレッジ(ナレッジセッション)
2.教えるためのスキル(スキルセッション)
3.第一線の研究者・実践者の教えることにまつわるストーリー(ストーリーセッション)
から成立しています。
メインコンテンツであるナレッジセッションを担当するのは同僚の栗田佳代子さん(東京大学・特任准教授)です。
ナレッジセッションの映像は、よくある「教員が棒立ちする講義映像」ではなく、「実際に学習者に参加してもらい、インタラクティブな講義をする場面」をそのまま収録したコンテンツになっています。要するに、その映像自体も、インタラクティブティーチングになっています。
ナレッジセッションは、佐藤浩章(大阪大学・准教授)先生のシラバスの書き方に関するワークショップ、成田秀夫先生によるアクティブラーニング調査結果のご報告も含まれています。
スキルセッションは、「音楽座ミュージカル」さんの御協力を得まして、同団体の藤田将範さん・渡辺修也さんに、「学生を巻き込んだ場の作り方」について演劇・演出の観点から、ワークショップをしていただきます。オンラインコンテンツでは、その模様をあますところなく公開しています。
最終のストーリーセッションは、不肖・中原が担当しています。
こちらは、文系から理系まで、ゼミの議論から経営学のケースメソッド、小学校から企業教育まで、第一線で活躍する様々な研究領域、実践領域の先生方にご登壇いただき、先生方がどのように「教えること」に向き合い、どのように実践なさってきたのかを語って頂きます。
先生方と中原との対談がそのまま収録されております。ご受講いただければ、これらの先生方の対談もご視聴いただけます。
入江直樹先生(東京大学・准教授)
上田信行先生(同志社女子大学・教授)、
加藤雅則先生(株式会社アクション・デザイン・代表)
苅谷剛彦先生(オックスフォード大学・教授)、
菊池省三先生(全国コミュニケーション教育研究会・会長)
へルマン・ゴチェフスキ先生(東京大学・准教授)、
斎藤兆史先生(東京大学・教授)
渋谷まさと先生(女子栄養大学・教授)、
高木晴夫先生(法政大学・ 教授)
平岡秀一先生(東京大学・教授)
本田由紀先生(東京大学・教授)、
三宅なほみ先生(東京大学・教授)
山内祐平先生(東京大学・准教授)、
山邉昭則先生(東京大学・特任講師)
吉見俊哉先生(東京大学・教授)
東京大学・無料オンライン講座「インタラクティブティーチング」受講生登録募集ページ
https://lms.gacco.org/courses/gacco/ga017/2014_11/about
「ga017を申し込み」「ga017を受講登録」:青いボタンから受講登録がはじまります!
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最後に、東京大学・無料オンライン講座「インタラクティブティーチング」を手っ取り早くお知りたい
になりたいという方に、1分間ビデオのご紹介です。どうぞ下記のビデオをご覧下さい。
東京大学・無料オンライン講座「インタラクティブティーチング」は11月19日開講です。8週間にわたって、ご一緒しましょう! 皆様とお会いできますことを愉しみにしております。またお近くで興味をお持ちの方、職場で興味をお持ちの方にも、情報の共有のほど、なにとぞお願いいたします。所定の修了要件をクリアいたしますと、修了証も授与されます。皆さんで受講登録いただいても、もちろん大歓迎です! これを「肴」に?自主的な勉強会をするなんていうのはいかがでしょうか?
東大MOOC講座「インタラクティブティーチング」受講生登録募集ページ
https://lms.gacco.org/courses/gacco/ga017/2014_11/about
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追伸.
「インタラクティブティーチング」の開発・収録のバックヤード(裏)が覗いてみたい方には、どうぞこちらへ!Facebookページやっています。「いいね!」応援をどうかお願いいたします。
インタラクティブティーチング Facebookページ
https://www.facebook.com/interactiveteaching.jp
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追伸2.
この件に関する、東京大学のプレスリリースはこちらです!どうぞご覧下さい。
東京大学、MOOCサイト「gacco(ガッコ)」を活用した大学教員養成講座「インタラクティブ・ティーチング」受講登録受付を本日より開始
http://www.u-tokyo.ac.jp/public/public01_260902_j.html
投稿者 jun : 2014年9月 4日 08:04
組織の理念を「伝える」ための工夫とは!?:仕事のエピソードを紡ぎ、まとめ、語る「創造」のプロセス!?
先だって、ヤマト運輸さんが羽田におつくりになった総合物流ターミナル「羽田クロノゲート」に、MCCの学生の皆さん、中原と「ご縁」?のある皆さん、雑誌プレジデントの取材チームの杉下さん、井上さんらと訪問させていただきました。
羽田クロノゲートの見学にプラスして、ヤマト運輸さんが行っている「理念経営の試み」に関して、同社の人事部の木村さんなどからレクチャーをいただくためでした。この場を借りて、ヤマト運輸の皆様に心より感謝いたします。
羽田クロノゲート
http://www.yamato-hd.co.jp/hnd-chronogate/
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ところで、ヤマト運輸さんの「理念経営」ですが、ヤマト運輸さんが、国内・グローバル含めて、共有したい理念とは、
一、 ヤマトは我なり
(ヤマトの最も大切な資本はヒトですよ。全員経営をしますよ)
一、 運送行為は委託者の意思の延長と知るべし
(ヤマトは顧客中心のサービスをしますよ。
サービスが先、利益は後)
一、 思想を堅実に礼節を重んずべし
(礼、法令を遵守しますよ)
というものです。
これらは、1931年(昭和6年)に制定されたもので、希代の経営者・小倉昌男さんが世をこえて、会社にお伝えしたいものであったそうです。同社人事部の木村さんが、これに関してレクチャーをしていただきました。
同社では、これを全員に共有するべく、様々な取り組みを行っていらっしゃいます。
特に興味深いのは、理念に関連する社員のストーリーを社内から収集し、DVD作品にまとめ、それらを視聴し、仕事を語る、という実践(ワークショップ)を、全社で行っていることです。
個人的に非常に印象深かったのは、全社から「理念に関連する社員のストーリーを集めたビデオ作品を「用いた」ワークショップ(学習機会)もさることながら、そうしたビデオ作品を「創り上げていくプロセス」そのものも、まさに理念経営そのものではないか、ということです。
理念に関連したストーリーを想起してもらい、鉛筆と紙に社員の方々にしたためてもらう。その後、1000件以上集まったエピソードを、社員の方が読み、10件にまで精選し、選んでもらう。こうした「創造」のプロセスそのものが理念経営の大切なパートなのではないか、と感じていました。
そしてそうであるとするならば、理念経営は「DVDをつくって終わり」になるのではなくて、それらを用いてワークショップを実践していく草の根の運動を常に続けていくこと。さらには「新たなビデオ作品を常につくり、社員のエピソードを紡ぎ続けていくこと」にあるんだろうな、と思いました。
このあたりは、短いあいだでしたが、最新の理念経営に関する考え方をご紹介するとともに、僕からラップアッププレゼンテーションさせていただきました。
ちなみに当日は、いくつかのお仕事でご一緒しているYahooの本間さん、宮田さんらご一行もおこしになりました。本間さんには同社の理念共有の取り組みについてご発表いただきました。ありがとうございました。
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羽田クロノゲートは、これまでの「運送」に加え、さらに高付加価値な運送を可能にする総合物流拠点であり、アジアにうってでるヤマト運輸が、最新の仕分け機械などを導入してつくった心臓部でもあります。その設備は、とてつもなく先端的で、目をみはります。
一方、同社の本社は、実は銀座にございます。銀座本社には、これまでにも共同研究などで何度かお邪魔させていただいておりますが、たまに「会議室が足りないんです」と社員の方がおっしゃるくらい、こちらは、こじんまりとしておられます。
何がいいたいかと申しますと、この羽田クロノゲートと本社のあり方そのものがヤマト運輸の考え方、思想そのものであると感じるということです。
現場が先、本社はあと
現場を重視する経営が、この二つの建物の布置からも見て取れます。
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僕が留学生にあうと、たまにこんな風に問いかけることがあります。
「日本で生活する中で、これはすごい!と感じたものって何? 自分の国ではなかなか真似できないだろうなと思ったものってある?」
と聞きます。
その際、もっとも上げられることがおおいのは、ずばり「宅急便」です。正確で、礼節正しくて、便利。これぞ、日本が誇るサービスであり、ぜひクロノゲートを媒介として、世界に普及していっていただきたいものだと感じます。
ちなみにクロノゲートは、見学もできます。なんと料金無料!
混雑をしているようですが、ぜひご覧頂ければと思います。ベルトコンベヤーの早さ、正確さは必ず「萌える」こと請け合いです。
羽田クロノゲート見学コース
http://www.yamato-hd.co.jp/hnd-chronogate/visitortour.html
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最後になりますが、ヤマト運輸の木村さん、高橋さん、南波さん、鈴木さん、山邉さん、井上さん、大谷さん、山口さん、同社広報ご担当の秋山さんには、この場を借りて再び御礼申し上げます。また、この場の構築を手伝ってくれた中原研OBの関根さん、MCCの調さん、本当にありがとうございました。
またこれに関しては、雑誌プレジデントの「職場の心理学」という連載で、取り上げさせていただくことになっております。杉下さん、井上さん、中原のお仕事です。どうぞお楽しみに!
そして人生は続く
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追伸.
理念経営につきましては、先だって僕の授業にご登壇いただき、素晴らしいワークショップをしてくださった首都大学東京の高尾義明先生が、王先生とともに、実証的な研究をふくめ、ご著書にまとめられておられます。理念経営は、これまで実証的な研究が少なく、実務が先行する分野でした。こちらでは、理念経営に関する理論、そして最新の実証データをもとに、論じておられます。おすすめの一冊です。
「経営理念を浸透する」ということはどういうことか?
http://www.nakahara-lab.net/blog/2014/07/post_2252.html
投稿者 jun : 2014年9月 3日 06:54
多様化極まる「看護の世界」、ニーズが高まる「アンラーンの機会」:「獲得すること」への饒舌さと「捨てること」への沈黙
8月・月末は、大学院入試に加え、学会等での講演を、いくつかお引き受けしておりました。おかげさまで、なかなか「充実」した時間を過ごすことができました。
特に、この夏は「看護」の世界の方々、先生方にお声がけいただき、学会等でのお話する機会をいただいたことが非常に印象的でした。看護は全くの門外漢。「僕は看護のお話はできませんよ、組織一般のお話でよろしければ」ということでお引き受けさせて頂きました。
というわけで、千葉県・幕張メッセ、愛媛のひめぎんホールで、いずれもお話させていただきました。「まったくアウェイ感満載」の講演でした。ありがとうございました。
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ここ数週間の看護ウィーク!?のお話は、「看護の世界は完全アウェイ」の僕にとっては、どれも新鮮でしたが、最も印象的だったのは、済生会横浜市東部病院の熊谷雅美先生がおっしゃっていたお話です。
熊谷先生は、
「看護師さんに対する社会的ニーズが増すにつれ、様々な教育機関、場合によっては民間企業を退職して看護師さんになるケースが増えており、人材マネジメント的には、その出自の多様性に対する対応が求められている」
というお話をなさっていました。
ICレコーダを持っていたわけではないので、一字一句同じというわけではございませんが、上記のようなご趣旨であったと理解しております。
これは具体的に申しますと、たとえば、エスティシャンを辞めて看護師さんになる。一般の企業を辞めて看護師さんになる、ということでしょう。
看護師さんになりたい、なろうとする人々、そして看護師になった人の社会的出自が「多様化」しているということだと思います。知る人ぞ知るように「超売り手市場」の続く看護師さんならではの問題のように感じます。
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僕は医療は専門外なので、以下の話は、無責任に言い放ちますが、病院とはまことに「多様性のあふれる空間(ダイバーシティの高い空間)」のように思えます。
そこに集う人々は「病いに向き合っている」という点では共通しています。しかし、その場に集っている人々の出自は様々。富めるものも、貧しいものも、そして、老いも若きも、それぞれの「病い」というものにつきあわざるをえず、一時的に身を寄せています。
このように「病院はダイバーシティあふれる空間」です。よって、それを迎入れる側の社会的背景ーすなわち看護師さんたちの社会的背景が「多様であること」は、必ずしもネガティブなことばかりではないように思います。
しかし、一方で「看護師さんの仕事をマネジメントする」という観点になってきますと、難しい側面もでてきます。
たとえば、いくら看護師さんの社会的背景が多様でよいといっても、看護という仕事に必要な「価値観」「倫理感」をいかにもってもらうのか。また、「前職の民間企業」では通用したかもしれない価値観で、看護の世界では通用しないスキルや価値観を、いかに「Unlearn(学習棄却)」させるか。
そして、これは聖隷浜松病院の勝原裕美子先生がおっしゃっていたことに類することですが、外部から看護の世界に入ってくる人が組織参入時に感じる違和感・葛藤を通じて、いかに「看護の世界」が「本来Unlearnしなければならないもの」を棄却していくのか。つまり、看護の世界が、組織レベルでいかにUnlearn(学習棄却)を行うか。
このあたりが、今後に発展しうる、非常に興味深い研究のように思いました。
しかし、一般に、看護の世界のみならず、「Unlearn系の研究」というのは、あまり体系的な学術研究がなされているというわけではないように思います。
思いつきベースで恐縮なのですが、パッと思いつくものをあげるのだとすれば、組織レベルでは、いわゆる「組織学習論の中のルーチンの解除の議論」「組織学習論のダブルループ学習の議論」、そして個人レベルでは「変容的学習に関係する理論」ないしは「クリティカルリフレクション系の研究」が、それにやや近いのかな、と思います。
しかし、それは圧倒的に量的には少ないように感じます。
もしかすると経営・組織・学習の言説は、「何かを獲得すること」には「饒舌・多弁」であったかもしれませんが、「何かを捨てること」に関しては「沈黙」を守る傾向があったのかもしれません。ただしくいいますと、沈黙と申しましょうか、それを語るだけのボキャブラリーをまだ持っていない、ということです。
自戒をこめていいますが、その現状は、まだまだ現場でおこりつつある、生々しくも、しかしニーズの高い問題に、理論や概念の世界が迫りきっていない印象を持ちます。だからこそ、さらなる研究が必要なのですけれども。
看護学教育学会での講演の準備、そして看護管理学会での議論をふまえて、愛媛からの帰路、僕はそんなことを考えておりました。全くの門外漢が、チョロリンと思ったことなので、真に受けないで下さいね(笑)。
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月末、何とか、無事に2つの学会の登壇を終えることができました。最後になりますが、このたびお声がけいただきましたこと、また、セッションでご一緒させて頂いた先生方に感謝しております。
看護学教育学会の方は、順天堂大学の村中陽子先生、熊谷たまき先生、そして、看護管理学会の方は愛媛大学の乗松貞子先生、松山赤十字病院の小椋史香先生、北海道医療大学客員教授の石垣靖子先生、済生会横浜市東部病院の熊谷雅美先生、そしてスライドの準備を手伝ってくれた中原研の保田江美さんに心より感謝いたします。ありがとうございました。
そして人生は続く
投稿者 jun : 2014年9月 2日 06:20
異業種コラボ・アクションラーニングを成功させる3つのコツとは?:「捨てる勇気」と「待つこと」の意味!?
アクションラーニングとは、ここ10年ほど企業・組織において実践されるようになってきた「プロジェクト型・探究型の学習手法」です。
要素分解しながら申し上げますと、アクションラーニングとは、
(1)実践と行動に基づく学習を試行すること
(2)内省を重視した実践であること
(3)探究的洞察をめざすこと
重視した学習形態を指すアンブレラワードであると、ここではお考え下さい。
それは、もともとRevansによって創始された学習で、ルーツはものすごく古いものです(日本では、ここ15年ー10年でしょうか・・・)。アクションラーニングの根源には、「実務に役立つ学習のあり方」に対する強いニーズと、「実務に役立たない学習」への強い批判が存在します。
ちなみに、誤解を避けるために申し上げますと、アクションラーニングは、もともと「決まり切った特定の手続き」が必要なラーニングでもなければ、「ある特定のやり方」を実施しなければアクションラーニングとはいえない、といった類のものではありません。要するにアクションラーニングの「やり方」は「いろいろ」である、ということです。
それは、もっともっと一般的なものであり、かつ、上記の定義を含みこむようなムーヴメント(アンブレラワード)に近いようなものです。
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僕は、これまで、たくさんの、いわゆる「アクションラーニング」に、企画者・ファシリテータとして関わってきました。
今現在かかわらせていただいているのは、アサヒビールさん、インテリジェンスさん、電通北海道さん、日本郵便さんら、異業種5社による次世代リーダー層を対象者としたアクションラーニングプロジェクトです
異業種社員チームによる、北海道・美瑛町の「地域課題解決プロジェクト」
http://pr.yahoo.co.jp/release/2014/05/08a/
異業種5社のリーダーが集まる研修をいかにデザインするのか!?
http://www.nakahara-lab.net/2014/05/post_2222.html
こちらに関しては、明日(9月2日)、NHKクローズアップ現代(午後7時30分)で、その一部が映像として用いられるそうなので、ぜひご覧頂ければと思います。どのようなかたちで映像になっているかは僕も知りませんので(たぶん・・・)、僕自身も愉しみにしています。
成長への人材戦略② どう育てる?"攻め"の管理職
http://www.nhk.or.jp/gendai/yotei/#3544
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ところでアクションラーニングですが、もうひとつ、また新しいアクションラーニングプロジェクトが立ち上がっています。それがこちらです。
新たな学びの場つくりのユニット『アトリエMALLプロジェクト』を密着取材
https://jinjibu.jp/article/detl/eventreport/1062/
こちらのプロジェクトがめざすのは、
U40(40歳以下の若手!?)の人事・人材開発担当者が、異業種コラボでワークショップをつくる!
というものです(橋本さん、なんであさって向いてんの?・・・笑)。
経営学習研究所、長岡先生、田中さんが中心になって、板谷和代さん、田中潤さん、平野智紀さん、牧村真帆さん(クラス担任!)など、他の理事を巻き込んで、実施されています。初回のキックオフは、残念ながら、僕は参加できませんでした。次回は参加させて頂くことを愉しみにしています。
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アクションラーニングのコツは、いくつもありますが、もっとも大切なことを3つ選ぶとするならば、これまでの経験からこの3つをあげます。
1.「議論する勇気」と「捨てる潔さ」をもつ
早い段階で、のれないなと思う案は、じっくり議論をしたうえで、早い段階で「捨てる勇気」をもつ。のれないなと思う案なのに、誰も何も思っていることが言えず、そのままGOしてしまって、〆切直前になってから「やっぱりやめよう」「でも時間ないじゃん」「わたし、最初からダメだと思ってたんだよね」と責任のなすりつけ合いになってしまうのが、最も典型的で、よく起こり、失敗するパターンです。
2.自分たちのグループワークそのものを「リフレクション」する時間を
自分たちがどのような状態にあり、そこにはどのような力が蠢いているのかをしっかりとリフレクションしたうえで、自分たちで、それを変えていく勇気を持つ。最低1日(ワンセッション1回)は、そのような時間をもつようにします。
3.「生きてるかコール」を行い、相互の進捗をチェックし合う
特に異業種で行う場合には、LINEやFacebookなど、必ず毎日目をとおすメディアを用いて、「生きてるかコール」をしつう、相互の進捗・役割分担の様子をチェックする。誰かがやってくれるだろうは禁物。
特に大切なのは2です。これを可能にするため、美瑛のプロジェクトでは、「お天気リフレクション」というのをやりました。要するに、自分たちのグループワークそのものについてリフレクションする時間を、(最初のうちは特に)かなり意識的にとっていったのです。
お天気表現は、とかく、なかなか言いたいことがいえないスタートアップ時期を、マイルドに表現するためのものです。
「わたし、言いたいことがいえなくて、でも、今のグループの議論は変だと思う」
というよりも、
「わたしの今日の気持ちは曇りです・・・」
といいだした方がいいでしょう(笑)? まぁ、そっから先はたいしたかわらないといいましょうか、結局議論にはなるんですけれども(笑)
でも、「言いたいことを言わないで、あとになって後悔する」のなら、「曇り」だろうと「大雨」だろうと「ゲリラ豪雨」だろうと、後悔しない方を選んだ方がいいのです。いや、本当に。そうじゃないと、二度と思い出したくないプロジェクトになってしまうことが、ままあります。
アクションラーニングというものは、それが本当に実践された場合、「お手てつないで、みんな仲良く、チイチイパッパ、チイパッパ」?じゃすまないのです(笑)。
その実践の現場には、本質的な緊張や葛藤が生まれることが多いものです。しかし、それがあるからこそ、いい案が生まれる。いい案がたとえ生まれなかったとしても、考えさせられる。たとえ、採択されるような案がうまれなかったとしても、その「プロセス」において、議論をしたり、考えることがでくるのです。
そして、企画者側やファシリテータ側として、もしアクションラーニングをおこそう思うのなら、どんな緊張や葛藤が生まれても、そこから「逃げない覚悟」をもつことが必要です。
どんなにあらかじめ綿密に決まったプランがあったとしても、いわば「生き物」のように生まれうる緊張や葛藤に応じて、プランを「捨てる」勇気、「再構築」する覚悟を、仕掛ける側も持たなくてはなりません。
アクションラーニングは、仕掛ける側が「腹をくくること」が本当に大切です。
仕掛ける側は、失敗の烙印が押されるのを避けたくて(だってそうでしょ・・・うまくいかなければ、ファシリテーションされる側の責任にされますし、もっというと、来年度の事業継続自体が怪しくなるんだから)、ついつい「うまくいかないグループに思い切り介入して、最後をうまく綺麗にまとめようとする」ものです。しかし、本当は、それでは本来の意義からずれていくのかもしれません。
言い方は大変に難しいのですけれども、アクションラーニングにおいては、たとえいくつかのグループが「空中分解」しそうになりかけても、それを「失敗」と見なしてはいけません。むしろ、そういう事態は生まれうるのです。ギリギリのところまで「見守り」、最後の最後まで耐えて、つきあうことがもとめられます。
むしろ、早期にそれらを「失敗」とみなしてしまうと、「失敗しないように、失敗しないように、過剰なお世話を焼いていくことになります。
一寸憶えていた方がよいことは、アクションラーニングでは、グループが動き出はじめるのにも、よい案がでかけることにも、とにかく「時間」がかかるというあたりまえの事実です。時間の観点から申し上げますと、それはまことにコストパフォーマンスの低い学習手法なのです。
そういう意味では、アクションラーニングのファシリテーションとは「待つこと」でもあるのです。待って、待って、待ち焦がれ、待ちあぐねて、それでも「信じて待つこと」でもあるのです。もちろん、必要な介入はただちに行うので、じっと「見ながら待つ」といったほうが正しいかもしれません。
ちなみに、先ほどのお天気表現は、サイバーエージェント人事部の曽山さんから学ばせて頂きました。同社の人事施策(360度フィードバック)をマネさせて、つくらさせていただきました。ありがとうございます。
▼
ともかく、どちらのプロジェクトもオンゴーイングです。今週は、美瑛・異業種コラボのチームのひとつから、相談を受けています。僕も精一杯考え、智慧を絞ります。
アクションにつながる、素敵なラーニングを!
そして人生は続く
ーーー
追伸.
ちなみに、こちらの異業種5社アクションラーニングリーダー研修は、日本の人事部さんの「HR大賞」の候補にもなっています。
HR大賞【企業人事部門】
http://hr-award.jp/nominate1.html
(16) 5社が、20代後半から40代前半の社員を選抜。異業種チームを複数つくり、各チームで、北海道上川郡美瑛町が抱える課題の発見から実施可能なものをつくる。
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また、ちなみに、宣伝をしておきますと、なんと書籍部門では僕の著書が2つノミネートいただいております。応援してくださった皆様、ありがとうございます。心より感謝です。
HR大賞【書籍部門】
http://hr-award.jp/nominate2.html
(3) 駆け出しマネジャーの成長論 7つの挑戦課題を科学する
(著者:中原 淳/ 出版社:中央公論新社)
「駆け出しマネジャー」は実務担当者からいかにして生まれ変わり、マネジャーとして働き始め、成果をあげられるようになっていくのか――。企業内人材教育研究の第一人者である東京大学准教授 中原淳氏が、さまざまな統計データやインタビュー調査にもとづきながら、マネジャーの成長について解説する。
(6) 研修開発入門 会社で「教える」、競争優位を「つくる」
(著者:中原淳/ 出版社:ダイヤモンド社)
企業が社内で研修を企画・立案し、自社に最もフィットした研修を実施・評価していくための入門書。東京大学准教授 中原淳氏編著『企業内人材育成入門』の実践編として、研修講師を任命された現場のマネジャーや、研修の開発を行う人事部の人たちを読者として想定している。
こうしたアワードは、研究実践の励みになりますね。66000人?の人事の方々が面白い、役立つと思って頂ける知見を、今後も生み出していきたいと考えています。どうぞよろしく御願いいたします。
投稿者 jun : 2014年9月 1日 06:37