「孤独な職業選択」の果てにあるもの!? : 数字の背後にストーリーを妄想する

 今年から「研究室の研究(中原研究室の有志が任意で参加する研究室内の共同研究)」として、新たなトランジション研究を行っています。

 2010年に大学3年生だった方を追跡した縦断調査で、2010年と2014年の2地点でデータの取得を行い、その間に生じた移行を探究しています。電通育英会・京都大学との共同研究です。

 まだまだデータは分析のまっ最中ですが、このわずか3年程度の「移行プロセス」においては、様々な「出来事」が個人を襲います。
「就職活動」「内定」「採用」「配属」「社会化」そして「進学」。人生の大きな岐路になりうるようなイベントが、わずか3年のあいだに立て続けに起こるのです。
 データを見つめていると、ふと、その移行において、多くの人々が経験したであろう出来事を、「白昼夢」のように「想像」してしまいます。

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 嗚呼、この人達は、就職に関して、親からは、あまり支援されることはなく、さらに親は就職先に満足していないんだなぁ。

 そうか、この人達は、内定者フォローを十分受けたんだな。自分の会社には誇りをもっていたんだな。

 嗚呼、この人たちは就職活動の中で、いろんなことを学んだんだな。その経験が、きっと仕事の中に生きているんだろうな。

 嗚呼、この人達は、大学時代にあまり友人関係を築くことができなかったんだな。会社でつとめはじめて人間関係で悩んで、辞めたんだな。

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 悪い癖なのかもしれませんが、ついつい「数字」の背景に、「個々人のストーリー」を想像(妄想!?)してしまうのです。

 それにしても、つくづく思うのは、「個人の努力や資質」に換言されがちな就活・就職といったイベントが、実は、「社会的に決定されている」という事実です。
 もちろん「個人の努力や資質」を否定するわけでは断じてないですが、一見「個人的な選択」と思われているものが、実は、どういう社会環境で学び、どういう人間関係の中にあるかで、決定されていることに気づかされます。
 端的に述べるのであれば、やはり「孤独」なのは進路選択・職業選択において、問題を生みやすいのです。アタリマエといえば、アタリマエのことなのですが。

 これから分析は佳境を迎えます。データは膨大かつ複雑で、その解明には、まだまだ時間がかかるでしょう。これから数ヶ月をめどにして、いくつかの仮説を検証して、アウトプットに近づけていきたいと思っています。

 そして人生は続く。