ナントカ学に憧れて!? : 大学で学ぶこととは何か?

 今から20年近くも前の話です。まだ学部学生だった頃の僕は、「大学で学ぶこと」を少し誤解していました(今もかも!?)。
 当時の僕は、大学には「整理された知識の体系」らしきものがあって、その体系を記憶したり、駆使することが、「大学で学ぶこと」だと思っていました。

 だから、当時の僕は「ナントカ学」と名前のつくものに憧れていました。「ナントカ学」を修めること、すなわち「整理された知識の体系」を記憶し、操作することが、「大学で学ぶこと」なのかな、と漠然と思っていました。

 しかし、1年が過ぎ、2年が過ぎ、そして卒業を迎える頃には、だんだんとわかってきました。
 「ナントカ学」として「確固たる知識の体系として見えていたもの」の境界とは、常に揺れているものであり、研究者コミュニティ(あるいはナントカ学の教科書を書く研究者)の恣意的な判断によって、決まっているものだ、と。
 実際の研究は、もっともっと細分化されており、「ナントカ学」で括れるほど、一様ではないということ。そして、ナントカ学の「境界」を揺らすようなアウトプットを生み出すことが、「大学で学ぶこと」ということ意味なのかな、と。
 つまり、「ナントカ学」は決まっているようで、決まっていないものである、と。「ナントカ学」は確固たるものとして存在するようなものであり、存在しないようなものなのだ、と。

 学問領域によって相当の違いはあるでしょうから、過剰な一般化をすることは避けますが、少なくとも、僕がやってみたいと思った研究領域に関しては、そうでした。以上の話は、それをご了解のうえ、お読みください。

 しかし、そこまでわかっていても、「ナントカ学」--確固たる知識の体系らしきものに見えるものを、自分に納得のいくかたちで相対化し、かつ、一定の適当な距離をとることができるようになるまでには、それなりの時間がかかりました。僕の場合は、わりと長くて、大学院生を終えるくらいまでは、モンモンとしていた気がします。時に、アイデンティティクライシスに陥ることもあったありました。まぁ、今となっては、過去の笑い話ですが。

 大学は今、年度末を迎え、新年度、新たな学生を迎える準備で大忙しです。僕は、今、来年度の授業シラバスの文献選びをしています(助けてくれている皆さま、ありがとうございます)。
 大学で学ぶこととは、それ以前の学びと少し異なっているところがあります。4月、また新しい学生たちが、キャンパスに初々しい姿で現れるのでしょうね。そう、「ナントカ学」に憧れて・・・。

 そして人生は続く

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追伸.
3月27日、「活躍する組織人の探究 大学から企業へのトランジション」が、東京大学出版会より刊行されました。大学のキャリア教育、就職・採用関係者におすすめの内容です。高等教育研究と企業の人材開発研究をつなごうとする「無茶?・無謀」な知的試みです(笑)。まだまだ残された課題は多いですが、どうぞご笑覧下さい。