「ゲームデザイン」と「人材育成」の似ているところ!? : 「開始直後から街を出れば情け容赦なく強敵モンスターが襲ってくるRPG」はつくらない!?
先だって、東京大学駒場キャンパスで開催された講演会で、山本貴光さんの講演を拝聴する機会に恵まれました。山本さんはゲーム会社の「コーエー」で、「三国志」や「提督の決断」シリーズなど、各種のゲーム制作を10年間行ったのち、現在は、フリーランスとなり、文筆業を営んでいらっしゃる方です。
山本貴光さんのTwitter
https://twitter.com/yakumoizuru
最近では、MITプレスから出版されたゲームデザインの大書「Rules of Play」を翻訳なさり(この本は、留学中に入手していました。かなりの大著です!)、大学などで講義をなさっております。講演当日は、Crash town、Cookie Clicker、信長の野望といった、様々なゲームを題材に、ゲームデザインの要点を、より一般化した原理・原則として、簡潔に1時間で講演くださいました。
僕は、講演後、別の用事があり、山本さんの講演を聞いたあとでやむなく中座しなければならなかったのですが、その内容は、爆発的に興味深いものでした。ゲームの内部からゲームを語らず、より一歩メタな立場にたったゲームの語りは、非常に面白いものでした。このようなお話を聞かせて頂いたことに感謝いたします。
▼
個人的な感想を繰り返しますと、山本さんの講演は、この1年で「最も面白い!」ものでした。
それでは、僕が「面白い!」と思ったことは、何か?
それは、実は、「ゲームそのもの」にはありません。というよりも、むしろ、山本さんが専門となさっている「一般化したゲームデザインの原則」と、僕の専門とする「人を育成すること」は、非常に似ているということなのです。
同じ人を対象にした営為なのですから、それに類似性が見いだせるのは、よく考えれば会得できるのですが、敢えてそんな視点からゲームや人材育成を考えたことがなかっただけに、非常に面白いものでした。
山本さんはおっしゃいます。
その語りは、ICレコーダを持っているわけではないので、一字一句同じではないですが、下記に要約しますと、こう解釈できそうです。
曰く、
ゲームでは、スーパーマリオであろうと、ドラクエであろうと、「プレイヤーはゲームから、問題を解決せよ、と命令される」。つまり、ゲームとは「問題への挑戦」なのだ、と。
しかし、どのような「問題」であってもよいか、というと、それは違う。ゲームデザインでは、「ディレンマが渦巻く、一見、複雑そうな世界」を提示し、ユーザを「試行錯誤」に導く。「試行錯誤」をしているうちに、ユーザーには、その背後にルールが見えてきて、「解決」ができる。
喩えて述べるならば、ゲームデザイナーは、「開始直後から街を出れば情け容赦なく強敵モンスターが襲ってくれるRPG」はつくらない。まして「どこまでいってもゴールにたどり着けないーパーマリオ」もつくらない。
とはいえ、「開始直後から街をでると、すぐとなりにゴールがあるドラクエ」もつくらないし、「開始直後からBダッシュすればゴールできるマリオゲーム」もつくらない。
そこには、ユーザーの「試行錯誤が継続可能」な幅らしきものがある。さらによいゲームでは、開発者が想定すらしなかった使い方をユーザーはしてくる。そこに「創発」が生まれる。
まとめると、よい、ゲームのデザインには、下記のような条件を満たしている。
ゲームには「必勝」とか「楽勝」は禁物である。
ゲームには「失敗」させる可能性が欲しい
プレイするたびに「違う状況」が生じる
ただし、ゲームはひとりで完結しない。
ユーザーが「解決」に近づいているか否かはわかることは重要である
言葉をかえれば「手応え」や「フィードバック」は感じさせなくてはならない
そのようなプロセスを通じて、プレイヤーは何かをしたくなる
未解決の問題こそが、プレイヤーを招く
畢竟、すぐれたゲームは「未解決感」が残る
ここまで述べて「勘の鋭い方」ならおわかりいただけると思うのですが、これは、「人材育成の原則」、言葉を換えていうならば、「上司から部下への仕事の割り振り」のセオリーにそっくりなのです。
だって、「必勝」とか「楽勝」の仕事を割り振りしても、能力は伸びない。そこには「試行錯誤」や「未解決感」が大切である。そのうえ放置していても、能力は伸びないので、「手応え」や「フィードバック」を与えなくてはならない。かなり似ているではありませんか。
山本さんには、講演のあいだに、感想を述べました。
「話を一般化すれば、優れたマネジャーや優れた教育者のしていることと、山本さんの仕事は、かなり似ていると思いますよ。彼らは、山本さんの話を聴けば、かならずピンとくる、と思います」
とお話しました。
山本さんは「そうですね」と笑顔でおっしゃっていました。
僕はゲームには、全くの門外漢ながら、「人材育成=学習・教育の世界」と「ゲームデザイン」の間の接点が見えた瞬間でした。人を夢中にして、その能力を伸ばすためには「開始直後から街を出れば情け容赦なく強敵モンスターが襲ってくるRPG」はつくらないんですよ。まして「どこまでいってもゴールにたどり着けないスーパーマリオ」もね。
▼
今日はゲームデザインと人材育成の類似について述べました。先にも述べましたように、ゲームデザインも、人材育成も、同じ人を扱っているので、その原則が近似していても、不思議はありません。
しかし、これらの両領域は、言説領域として全くオーバーラッピングがない、別々の空間を占めています。ゲームデザインを語る人が、人材育成を語ることは、まずないし、逆も真でしょう。
しかし、「一般化」してみれば、同じような原理・原則をお話しになっているという点で、非常に興味深いものでした。「ゲームの言説の内部からゲームを語る」のではなく、「ゲームの外にいったんでて、ゲームを語る」。まさに「学際の夜」を堪能できました。ありがとうございます。
最後になりますが、講演をしてくださった山本貴光さん、企画してくださった同僚の藤本徹先生には、心より感謝いたします。ありがとうございました。次回のメディア創造ワークショップも、学生がどんな提案を行って下さるか、非常に楽しみです。この講演の模様は、後日、東大TVにて、ネットで無料公開されるそうです。ぜひご覧いただけますと幸いです。
そして人生は続く。
投稿者 jun : 2013年11月13日 06:13
【前の記事へ移動: 「人材開発の仕事の未来」と「グローバリゼーションひたひたモデル」!? ...】【次の記事へ移動: クオリティは高いんだけど、人が集まらない研修コンテンツ!? 】